HOME > 身体×社会アーカイブ >

横山晃久氏インタビュー

横山 晃久 2012/07/08 聞き手:小井戸 恵子
於:自立生活センターHANDS世田谷事務所(東京)

病者障害者運動史研究

Tweet
last update: 20200308


■2012/07/08 第1回 HANDZ世田谷にて 2時間23分

小井戸:最初に私の自己紹介も一緒にします。横山さんにお話を伺いたいのは、 学校で論文を書くその内容を、CILのこと、自立生活運動の事をやりたいと思っているんです。『自立生活運動と障害文化―当事 者からの福祉論』っていうのがJILから出されていますよね、その中に横山さんが話されている事とかにすごく共感したので、ぜひ、お聞きしたいと思ったんです。『障害文化』の中でいろんな人かが、人を育てないと大変と言ってはいるけれども、それがもう10年も前の事なんですね。CILを作って行くマニュアルがあるからどんな人でもできるということも仰っている人もいる。でも、私はそう思えないんです。地方、地域格差がある。東京できるから地方でできるかっていうと、そうゆうことてでもない。当事者の姿勢というか視点というか、気持ちもぜんぜん違うので、進み方も違うと思うのです。
 それと、新田さんとのお話の中で、措置から契約になったっていうのが「数の論理ではなくて時代を見て行くことが大事」とか「先駆的事業をやって行く、数を増やして行けば良いってことじゃなくて、要は質じゃないか」っていうことも仰っていることについて。
 それと、親は保護者っていうのが嫌で自立したのに、自立生活センターが親になっちゃっていることを新田さんと話されていたり、「JIL には限界が来ている」っている。「運動を進めて来た側には、そこまで結論を出す責任がある」ってことも。このあたりをよろしくお願いします。

横山:内容的には僕にぴったりだね。僕はJILの異端児と言われていますから。僕はずっと運動をやって来た。で、運動に限界があったわけね。

小井戸:運動の限界を感じたのはいつごろですか?

横山:要するにね、10年くらい前までは、行け行けとどんどんで、先駆的事業だったわけね、ピアカンとかILPとか。先駆的事業に補助金を行政が出してたわけよ。うちも全部ふくめれば1200万くらい年間ね。1200万の中で従業員ていうかね、事務局メンバーが、障害者のメンバーが8人で非障害者が6人。その6人分の生活費があるわけじゃん。それを捻出しなきゃならないわけじゃん。事業をやればやるほどさ、なんて言うかな、手が足んないとこがあるわけじゃん、行政の。

小井戸:行政の手が足りない?

横山:もともと、なんで僕かが自立生活センター作ったかっていうと、自立生活センターぶっ壊すために自立生活センター作ったわけよ。

小井戸:ほんと?

横山:要するに、何でもかんでも行政がやり過ぎた。行政の責任があるんだからって、僕らは40年前からずっと活動してきたわけよね。ところが行政はなかなかやってくれない。だから僕たちがやるしかなかった。本当はこんな所(自立生活センターのこと)いらないわけよ。みんながみんな行政に文句言って、行政と闘っていけばこんな所いらないわけよ。一部の障害者が、俺とか新田とかが声を荒げて怒った。声のでかい障害者にはサービス出すけれども声を出さない障害者にはサービス出さない、ということに重い腰を僕らが上げたわけよ。だから、こんなとこ無いほうがいいわけよ。無いほうが良いわけ(笑)。行政がそこまてでやる必要があるんだけど、行政はぜんぜんやってくれないからね。だから僕たちが腰を上げた。
俺はもともと、障害者運動いっぱいあると思うんだね確かに。教育問題とか、 差別の問題とかさ、人権問題とかさ、交通問題とか街づくりの問題とかいろいろあるわけよ。でも俺は、そうゆうような問題よりか「介助保障」。が無いと、特に重度障害者には生活が成り立って行かない。だって介助者が居なければさ、街にも行けないし、飯も食えないし。俺がそこら辺を味わったのが17のときかな。
 僕はかてい世田谷で訪問ずーっとしてたんだね、個人的に。仲間を作ろうと思って。で、僕が家庭訪問をした理由っていうのは2つあったんですよね。仲間を組織しようということと、当時僕は小田急線の駅の改善運動を掲げたわけ。で、そこに交渉に来てくれたん仲間が。呼びかけ半分で家庭訪問してたわけ。でね、僕が鳥肌が立ったというかカルシャーショック受けたのは、僕の住む家の傍にね、当時27歳の美少年が居たわけ。ただけど養護学校も行けてないわけよ、就学免除でね。本人に会わせてくださいとお母さんに頼んだところ、門前払いだったわけだよ最初は。で、僕は目ざといわけ、けっこう。自分が車椅子乗ってるからさ。家に居る在宅障害者ってさ、車椅子がさ放置されてるんだね、軒下とかさ。で、雨ざらしになってるわけ。で、僕はそれを見てパッて入るわけ。障害者居ませんかーって。

一同 笑

横山:そうすると、「うちには居ない」ということだったんだよぉ。でも、絶対居たはずだと思って。僕はしつっこい性格だから、4 回くらい足運ぶわけ、おんなじとこに。で、「いや、じつは居るんですよ」と。「会わせてくださいよ」って。でね、もうねぇ、会ったらねぇ、ほんとに、僕はカルチャーショック受けてね。会った瞬間ね、人間の肌の色してないんだよね。青白い肌。

小井戸:外に全然出てないってことですかね?

横山:うん。でね、骨かわすじえもん。当時27歳だったわけね。27年間、一歩も自分の部屋から出たことない。27年間、365日、24時間ずーっと天井見てたん。で、僕の言うことは何でも分かるわけね。自分から言葉は発せられないわけ。

小井戸:家族とはどうやってコミュニケーションがとれたんだろう?

横山:あのね、唯一、自分の意思で動くとこがあるわけ。もちろん少しなんだけどね、右足の親指1本が唯一動くん。でね、僕が行ったときに彼がテレビを観てたわけ。そのテレビが日曜だったから競馬中継だったわけよ。僕、思わずさ、「健常者に毒された社会で競馬やるの?」って質問したわけ。僕は言っちゃってから、あ、しまった、と思ったわけ。27年間ね、一歩も出てない人がさ、競馬なんかやるわけない、分かるわけないじゃんかと思って。僕は、「じゃあ、質問変えるね」って言ってさ、「馬が好きなのか?」って聞いたわけ。「そうだ」って返事が返って来たわけよ。世田谷には馬事公苑ていう馬が直接見られるとこあるわけ。知り合ったのが4月。10月 10日が決行日、馬事公苑に行こうよって、みんなで。家庭訪問で知り合った仲間を組織して。ところがね、10月に結局彼が亡くなったんだね。10月いっぴに。僕が10回くらい訪問して。彼も親も出かけるのが怖いって。僕らみたいに腰が曲がんないわけね。車椅子にも乗れないわけよ。今だからさリフトカーとかあるけど、当時は無いわけでしょ。で、僕が考えて、じゃあリヤカーで行こうと。リヤカーで布団ごと括り付けてみんなで運ぶよ。なんとかそうゆうことで説得して、本人行く準備してたわけ。僕が最終計画を持って9月の29日に行ったのかな。お母さんが、「ねえ、ねえ、横山さん聞いてくださいよ」って。話を聞いたらば、「じつはね、昨日ね、夜中にね、う〜あ〜って」うなって寝てるんだって。そんなこと無いんですよ普通は。でね、お母さんが夜中に起きて、「どうしたの?どこが痛いの?」って3時間くらいずっと聞いてたんだって。でも、お母さんでさえも原因 が分からなかった。で、お母さんが寝ちまって、朝起きて気がついたら全身ブツブツ。

小井戸全身ブツブツ?

横山:要するに蚊の餌食になった。僕はそのことを聞いてカルチャーショック2度目。蚊の餌食だよ。僕でも蚊が止まってたら手を動かすとか首を動かすとかさ、できるけど、彼はそれすらも出来ない。お母さんが9月の終わり頃だから蚊なんかいないと思って。普通は蚊取り線香たくんだって。ところがその日はたまたまたかなかった。僕はね、ほんとにすごい悔しかったね...(涙)。
 (間)
僕はそれからね...、やっぱり介助の問題は大きいと(力が入っていた)。お母さんの時間に介助の人が居ればね、死ぬことは無かったと思うよ。それで僕は、これは絶対に「介助の問題」をやるしかないと思った。この僕でさえもさ、親から車椅子乗っけてもらえば、当時、足を僕も動かせたから、バックで車椅子動かしてたわけ。
 (間)
僕は梅ヶ丘の駅に行って、光明養護学があるわけね。小田急と交渉やってたわけよ。 さいしょ小田急はね、光明学校を売ればいいんじゃないかって、こんなこと言ったん。それでどうこうしてて、僕は頭を切り替えて、「じゃぁ調査しましょうよ、調査」共同調査。 要するに小田急の会社も出てきて、僕らも出て行き、そこで調査しましょうよと。どうして乗れないのか。僕らは、エレベーター付けてほしいって。まあ、当時エレベーターっていうのはものすごい高かったから、じゃあスロープで良いよってことで。たったね、上下にスロープを付けるのにね、お金が、企業から見れば微々たるお金なんだよね、300万か400万だからね。それすらも。結局4年間くらい交渉やり続けて。僕らも体を張ってさ、踏切の前で寝ころんだわけ。で、電車を止めたわけ、僕が。そこまでやんないと。目には目、歯には歯、そこまでやらないと誰も分かってくれない。最初は僕ひとりが動いてただけだけど、 それがだんだん広がってね。僕が一番うれしかったのはね、最初は通行人がね、ぜんぜんね、僕の事をバカにしてたんだけど、そのうち最後のほうになって、通行人がね、僕を取り囲んでね、「がんばれ、応援するぞ」って。

小井戸:ほんとおー。うれしかったですね。

横山:うん(笑顔)。
 (間)
横山:うん(涙)。だから、そうゆう・・・
(嗚咽と緊張で声がうまく出ない。音源の聞き取りが厳しくなっている)
横山:やっぱし、僕らも???(聞き取れない)をしないとダメだなーって。

小井戸:そうですね。自己主張しないところには何もないって、前に横山さんが言っているのを読んだことがあります。
(聞き取れなかったのは自己主張だった。微妙な時は自で繰り返しておくと確認しやすい。)

横山:そこからね、僕はやっぱり、まずは介助の保障をやらないと。介助の保障があって初めてね、教育問題とか駅の問題とかなるんだから。だからまず介助保障問題かなって。で、僕はそういう時期に、新田と巡り合ったわけ。だから僕の恩師は新田なんだよ。でも今ね、僕ね...。

小井戸:このあいだ、新田さんがちょっと...って電話で仰っていたのでちょっと驚きました。

横山:ほんとショックだった。だから、時代とね、新田の???(聞き取れない)が合った。ただそれだけ。

小井戸:え?、時代と何が合った?

横山:新田の主張が合った。あの当時は行け行けどんどんの??(聞き取れない)制をつかってたからね。自己主張が出はじめて。やっぱり障害者も差別されてるから差別の問題出て来たわけだね。あのとき東京都はさ、府中問題って知ってる?

小井戸:はい。

横山:東京都は府中を作ったわけよ。 僕もまかり間違えばそこに入ってたんだよ。僕が中学校3年のとき出来たん。その時の東京都のキャッチフレーズが「東洋一進んだ施設」。そこで内部告発したのが新田とか三井絹子とか、亡くなった猪野千代子。すごいよ。だって女性みんな坊主だもん。スカート厳禁、ズボン。子宮摘出、強制的に。 それはね、全部、介助する側の論理なんだよね。

小井戸:介助する側の論理か...。

横山:で、内部告発したわけ。で、都庁前で6年間座り込みやってたわけ彼らは。それが運動の姿勢だったんだよ。当時、美濃部都知事だったから、一応ね、美濃部都知事が謝ったわけ。謝って出来たのが3つの施設なのね、日野療護園(1981年)、多摩療護園(1972年東京都多摩更生園設置、1988年東京都多摩療護園、2009年多摩療護園) それから清瀬療護園(1976年)。そこで個室、完全個室化を勝ち取ったわけ。重度の脳性麻痺だったのに派遣事業を作らせたわけ、座り込みやってたメンバーがね。それでね風穴を開けたわけよ。最初はね〜、その派遣事業も月7日だったの。1回8時間、月7日。それを、なんどもなんどもさ、東京都の知事室に座り込んだりしてさ。最初は7日だったんだけど、87年かな、に、毎日保障を勝ち取ったわけね。なんで8時間かっていうと、非常勤バイトの勤務の単価だったわけ。やっとこれで毎日保障を勝ち取ったから、あとは単価を上げて行こうと。??(聞き取れない)予算委員??で(聞き取れない。31分50秒あたり)国がヘルパー制度を、グランドデザインかな当時、 グランドデザインになったわけよ。で、僕らの運動も、どうしようかーっていうふうになって(笑)。でもね、しつこくや ってたのはね、??

小井戸:なに?もう一回、言って。

横山:よう・きゅう・しゃ・くみあい

小井戸:あー、要求者組合。新田さんの。

横山:うん、新田がやっていた。その要求者組合が、施設の常勤の給料と地域の介助職員の比較を出したわけ。 同じ仕事やって片や保障されてさ、片や地域で保障も無いわけでしょ。介護休暇とかぜんぶ合わせると、ボーナスも合わせるとさ、介護施設の介護職員は当時ね一番若い人でも450万出たわけよ。片や地域の介助者はボーナスも無ければさ時給なんかね78円だったわけよ。時給が78円。要するに、僕なんかを24時間みてたわけじゃない。さっきも言ったように、7日分の8時間を24時間で割るんだよ。そうすると時給78円だったわけよ。この違いはなんなのかと。で、僕なんかまとまって、ますます地域の介助保障をやるようになったわけよ。俺ら当時言ってた言葉は「介助の労働化、 社会化」。そうこうしてるうちに、グランドデデインから始まって自立支援法なってね。まあ、賛否両論ありますよー(笑)。だけど一番メリットは、どっちかって言うと、今まで声のでかい人だけにしか介助をつけなかったんだけど、声が出にくい人でもつくようになった。そこが一番のメリットでしょうね。でも僕はデメリットが大きいわけよ。
 (間)
横山:僕の母ちゃん、母ちゃん。(ここで奥さんを紹介してくれた。)

小井戸:はじめまして小井戸です。よろしくお願いします。

奥さん (笑顔)

横山:僕たちは個人介助ずーっと付けてるわけ。僕の介助者は全部ここに登録なんだけど、コーディネーターはぜんぶ僕がやってます。なぜかって言うと、お金のために事務所に登録してるんだけど、一回コーディネーター通っちゃうと面倒くさいわけよ。介助交代がどうのこうのとか。自分でやればコーディネーターいらなくなるんだよ。俺なんか忙しいからさ決まんないわけでしょ。たとえば国会に来いとかさ、市役所に来いとかさ、そんなのいちいち。で、個人介助のほうが。だから俺なんかは今でもねヘルパー資格制度は反対なわけ。なんで資格制度が出来たかわかる?当時も厚労省とガチンコ僕やってたんだけど、厚労省が言うには、「オールマイティーのヘルパーをつくる」って。だから俺がね、「そんな人いるわけないでしょ。いれば会わせてよ」って。「それよりまずコミュニケーションから始まって人間関係でしょ、この仕事は」と。「人間なんだから、合う合わない人はいるんだから、そんなオールマイティーの人なんかいるわけない」と。だから今でも僕、資格制度は反対なんだよ。
 もともとさ、介助保障っていうのはさ、僕の考えるとこ2つあるわけ。人的補償と経済的補償。障害者側からすればさ、生活保障になるわけだね、介助がいっぱいいれば。介助者にとっても給料が上がれば生活保障になるわけでしょ。だから両方にとっての生活保障。そこで合意がとれるわけね。そこで介助者と一緒になって戦えばいいわけだ。もっと給料上げろとかさ。でも新田がね、「そこまではするのはイヤだ。がんじがらめに行政からされちゃう」と。東京都の重度脳性マヒ者全身性介護人派遣事業はお金を取ったただけ、人的補償は無いわけ。だってそりゃそうだよね、新田と俺なんかはさ、自分の意思を伝えられるからさ、べつに事業所なんかいらないわけね。自分で探せるわけヘルパーを。だから当時のやり方が新田をつくったわけ。時代背景と新田の要求は合ったわけ。僕はそう総括してる。僕も新田は神様のように崇めてたよ。だけどね、あいつね...僕はあいつって言うんだけど(笑)、2年前から癌になったわけね。で、「俺はもう癌だ、死ぬんだ、死ぬんだ」って言っときながら、まだ生きてるんだ(笑)。そりゃいいんだけど、新田の考えがね180度コロッと変わったからね。僕の考えはさ、重度訪問介護ね,身体障害者だけじゃなくて精神、知的、ALS、難病にも広げろという僕は要求を常にしてたわけ。それを新田が「おかしい」って。そこまでお金がない。

小井戸:お金がない?国に?

横山:うん。だから僕は、「あんた厚労省からいくらもらってるんだ」って。厚労省の回しもんになっちゃって。成り上がっちゃったみたいに。だからALSの人に対してね、金の無駄遣いじゃないかとか、そういうことをね言うん。あの新田が。僕に手紙を書いて手紙の中にちゃんと書いてあったよ。あの、あの新田が。だから障害者の風上にも置けないと僕は思うわけ。***。***。
 僕、今から22年ぐらい前の話なんだけど、要求者組合に僕も入ってたわけよ。要求者組合の中でね、介護保険法をどう見るかとかいうような話をしたわけ。俺はやっぱり、 介護保険はほっとかないと。あれは重要な問題だから。介護保険の??(聞き取れない)で要求者組合は戦って来たじゃないかと言ったわけ。みんなで僕を囲んでね、「それはおかしい。障害者は障害者問題でやるべきだ」と。「介護保険の問題なんかやることない」と。で、僕はひとりで吊し上げられたわけだよ(笑)。高橋修とかさ、てっきり来るかと思ったら来なかったのね。あとで聞いたら、高橋修は呼んでないと。だから俺ひとり俺の糾弾だったわけ。もちろん新田の功績は大っきいけども、それは自分のやり方と時代背景がうまくマッチしたってだけなんだよ。僕はこうゆう分析をしてます。今も尚ね、新田をね、神様だと思っている人がいっぱいいるんだよ。電話でも言ったことだけど、俺が一番ショックだよ、ほんとに。

小井戸:対談とか読むと、すごく息が合っていると言うか...。

横山:そう、そう、そう(笑)。

小井戸:横山さんと同じ考えでいる人なんだなっていうが分かったので。ハンズで講演とかもしてたでしょ。その内容も読で、ぜひ話を聞きたいと思っていたので。

横山:あのね、新田の妹に三井絹子って人いるわだよね。絹子さんは国立??(聞き取れない)に居て知的障害者の応援してるわけよ。サポートずっとしてるわけ。俺はもう自立生活センターは、役目は終わっただろうなって思ってるわけ。

小井戸:そうゆう話も話されてますよね。私わかってるわけじゃないんですけれど。地域...、地方からJILに電話をしたとき、「組織として出来上がっている所じゃなきゃ支援はしてません」という対応されて、CIL立ち上げを断念したたちがいるんです。

横山:知ってるよ。

小井戸:どうしてJILの役目は終わったって思います?

横山:あのね...これは障害者の??にもつながるんだけど。

小井戸:責任?

小井戸介助者 歴史。

小井戸:あ、歴史ね。

横山:よくね、古いメンバーが集まって話をするんだけどね(笑)。

小井戸:古いって、いつごろの人ですか?

横山:年齢的にはもう60、70の。それでね、その古い連中も俺も若い時ね、なにも無かったわけ、制度なんか。だから、すごいなんて言うのかな〜、ハングリー精神の塊りだったわけよ。その60、70の奴はさ、地域でがんばってたことはがんばってたわけでしょ、組織を作んないで一匹狼で。町田の近藤さんとかさ。

小井戸:あー、はい。

横山:近藤さんとね、もう10年くらい前ね中西の話ししたんだけど、明日をも知れない経済だったと。要は、お金が無かったと。そのお金が無い一匹狼だった障害者が今は2億、3億の金を動かしてる、事務所を作って。要するにヘルパー派遣やれば2億、3億入ってくるわけよ。金の力っておっきいねって話ししたの。ハングリー精神が無くなった。ここ(HANDZ世田谷)だって今2500万くらいだもんね、ヘルパー派遣やればねだから俺は、ほんとになんにも無かった時代で、ハングリー精神だった一匹狼で頑張ってたやつが、いま理事長なって事務局長なって(笑)。そういう、億っていう金を動かしてハングリーが無くなった、それをどう見るかだよね。若い障害者たちが「ふざけるなー!」って僕らをね、もっとね、突き上げてくれればいいんただけど。若い障害者も闘わないで制度があるわけでしょ、それに甘んじてるわけだよ。だから、いったいこの先、日本の障害者運動はどうなるのかと。俺なんかは青い芝から始まって、全障連活動やって、それからJILやって、今DPIやってるわけでしょ、経験してきたわけよ。でね、そのね、もうぶっちゃけの話ね、いま日本の...DPIのね会議にもさ、JILの 会議にもさ、いろんな会議みても脳性麻痺者少ないんですよ。JILの常任委員会に介助付けてんのは、僕ともう一人の人だけ。あとは車椅子ただけど介助付いてない。自分で飯も食える、それがJILなんだよ(笑)。

小井戸:うふふふって、その含み笑いは何ですか?

横山:要するに、あのね、俺なんかはちょうど時代がね、生活保護の問題とか出て来たじゃん。しかもその、ほら、なんだろうな、尊厳死の問題あるね。あれはね他の障害者は戦えないでしょ、脳性麻痺だけですよ唯一戦えるのは。半分健全者には戦えません。分かる?半分健全者、意味。

小井戸:はい。

横山:脊損、頚損。

小井戸:中途障害の人?

横山:そう。だって僕ら、もともと青い芝、脳性麻痺はさぁ優生思想と闘って来たわけだ。ほんとの優生思想なんて分かるわけないじゃない。だからある意味、半分障害者。アハハハ。

小井戸:いや、いや、ハハハって、そこ笑うとこじゃないんじゃない?

横山:だから時代が...また青い芝を復活させていくよ、させるよ(笑)。

小井戸:なんて言うんですかね...、こう...。必要だった時代から制度が出来上がって、いらなくなったよってなって。でも今の時代、社会がそういう社会になって来ちゃってるような。

横山:そう、そうだ よ。俺なんか今、全国的にあちこち動いてるけども、言うことは2つなんだね。要するに、 安楽死法が始まって尊厳死が始まって。やっは゜り死の問題は、人からとやかく言われたくないよなと。自分で選びたい。ましてやね、障害者なんかいらないとかね、手が掛かるからいらないとかね。それを闘えるのは障害者の中で脳性麻痺だけなんだよハッキリ言って。 もういっこ言ってるのはね、すなわち脳性麻痺が生きれる社会になればなるほどみんなが生きやすくなるんだよ。その証拠に駅のエレべーターね。僕なんかもう35年間ずっと言って来てるわけでしょ。で、やっとそれが出来てきたわけだがね。でもみんないまエレべーター使ってるじゃん。しかもべビーカーが多いじゃん、いま。だから僕は言うわけ、べビーカーのお母ちゃんにね、「このエレべーター出来たのは僕たちが運動したんですよー」って。で、「いまエレべーター1個しかないから狭いよねー。エレべーター2個分の運動を僕らやってますから、一緒に闘いましょう!」って。わざと大きな声で言っちゃうん(笑)。すなわち、そういう重度の障害者がほんとに生きて行きやすい社会になればなるほど、みんなが生きやすくなる。その、僕ら先頭に戦ってるんだ。そういう、障害者は自覚を持たなきゃダメだよって。この2つを言ってるわけ、いつも。

小井戸:障害者自身がそういう自覚を持ってる若い人っていうのは、いま。

横山:いない。このあいだね、僕わざとね、30代の障害者集めて、わざとね山手線のエレべーターが無い所で行こうよって。僕、ずーっと見てたわけ。そしたらね、10分経っても20分経っても自分から声かけられないのね、通行人に。で、俺はもういいかげん怒ってね、「おまえら、なんで声をかけないんだよー!」って。 そしたらね、「駅員が気がついてくれるから」って。だから「情けねーな〜」って。10分も20分も待っててさ、通行人がどんどんどんどん通り過ぎてるわけよ。電車にも乗れるわけよ。「しょうがないじゃない。まぁ、いっか。」って。「おまえらふざけるなー!もっと闘えよ!」って(笑)。 だから、「まぁ、いっか」って言ってる人たちにはね、絶対ね、優生思想のことはぜんぜん分かんない。生かされてるんだもん。自分で生きるっていうのがないんだよ。

小井戸:いま言った、若い人たちの「まぁ、いっか〜」っていうのも時代?

横山:そう。全国的にさ、もと青い芝の人たちがさ、「横山おまえ、もう一回、全国組織してくれよ。協力するよ。闘う障害者つくりだそうぜ」って。○○って知ってる?それに中西は、俺のようにやれって言うけれど合わない。だから育たない。だから俺、思うんだけど、学校を作るっていうのが一番早いな〜って思うん。

小井戸:なんの学校ですか?

横山:青い芝学校。アハハ(爆笑)。僕じつはね、青い芝学校の一期生なのよ。あったの、青い芝ようご...あの...幼稚園が。すぐそこ豪徳寺にあったの。その一期生なの僕。

小井戸:そうなの?あらま〜。

横山:だから幼稚園を作ろうって考えがあったわけよ。でも、なんかできる奴がみんなお亡くなりになっちゃって、その話が頓挫しちゃった。やっは゜り教育はでかいんですよ。

小井戸:教育ねー。

横山:ほんとに。優生思想とはなにかとかね、社会的痛み、差別とはなにかとか。

小井戸:そういうことを意識しないで生活できちゃってますよね。

横山:その証拠にね、自立生活センターで働きたいっていう人が来るじゃん。障害者、全部、これ(指でお金のポーズ)目当てだもんね。そう僕はにらんでる。ここでは給料取れないよー、みんなで闘おうねーってアハハ(爆笑)。いまね東京都の自立生活センターは全部で17あるわけよ。昔ね御三家って言われてたのがあるわけね。

小井戸:あ、はい。

横山:八王子、町田、立川。僕らもさ、御三家に追いつけ追い越せってあったわけ。そういう目標がね。だけどその御三家はね、ほとんど重度障害者の支援やってない。ほんとに重度障害者の支援やってるのは、ここと小平です。あのー、施設訪問やってるわけね。ずっとね、ここはね。で、日野の療護園では世田谷の障害者いなくなったの。

小井戸:みんな自立?

横山:みんな引っ張り出した、僕が。HANDS世田谷は20年の歴史があって、20年で18人引っ張り出した。

小井戸:ほおー。

横山:今でもね、その...日野は居なくなったんだけど、多摩療護園に3人居るんです3人。6人居たんだけど3人引っ張り出してね(笑)。それがほんとの、僕は、自立生活センターがやることなんじゃないかなーと思うわけ。声がでかい人だけなんだね...。事実、事実。

小井戸:事実って言う人にはなかなか会えないですよ。

横山:でしょ、でしょ。だから僕は初めに言ったでしょ、異端児だって。だから僕でよかったらいつでも。僕とかね川元なんかは良いかもね、小平の。

小井戸:川元さんとは話しました、最初の頃。むかーし、1995 年ごろ、高橋修さんとかも。蔵本さんに紹介されていろいろ話しました。それで川元さんの所でセミナーとか受けたので。

横山:あっ、そう。川元は俺を見てて育ったから。

小井戸:川元さんに会ったとき、この人いい、この人かっこいい!って思ったんです。

横山:でしょ、でしょ。...JILの役目が終わったっていうのはさ、もともとね無理があったんだよ。

小井戸:どういうところに?

横山:運動と事業体をくっつけちゃったことだよ。俺なんかよく言われるの区役所で。「今日はどんな顔して来たんですか?」って。

アハハ(同席者全員が大爆笑)。

横山:事業所の顔ですか?運動の顔ですか?って。だから、ものすごいね自己矛盾起こすわけ。本来ね、重度障害者がね、事業なんかやることないんですよ。

小井戸:ないっていうのは、必要ないってこと?

横山:できない。

小井戸:でも、CIL ならできる、ではない?

横山:だから俺は、 CIL は組織変革をしてですね、重度の脳性麻痺とか重度のALSの人が代表になればいい。で、それをサポートするのが頚損・脊損になれば良いと思うわけ。いまは頚損・脊損が8割なの。だから、むこうに持ってかれちゃうわけ、良いように利用されちゃうわけ、運動を。

小井戸:でも、障害者っていう枠でくくったら同じでしょ?

横山:同じだね。

小井戸:その中で、...上下って言ったら変だけど...ある?

横山:だってさぁ脊損、頚損の人たち言語障害いますか?言語障害っていうのはCPくらいでしょ。で、同じ事を言っても頚損、脊損はね、1分で終わるわけよ。ところが言語障害のある人は10分も15分もかかっちゃうわけでしょ。もんのすごい時間かかるわけ。それで相手が、「通訳してください」とか言うわけ。ふざけるな、このやろー!って。ガハハハ。(大爆笑)。

小井戸:聞き取れ、と。

横山:そう。だから。

小井戸:でも...例えば厚労省とかね、相手が健常者側がそういう言葉を言うならまだ分かる。

横山:うん。

小井戸:分かるっていうか...、障害者同士でそれを... なんて言うんだろうな...、感じさせたらおかしいじゃないかな〜。

横山:だから発言を妨げちゃうんだよ障害者同士が。

小井戸:少し前の聴き取りで、他の団体でも同じようなことを聞いたんだけど、それは、おかしいよ。

横山:だから、おかしいよ。

小井戸:私は先天性なんです。で、施設で育ったんです。

横山:あー、そう。

小井戸:2歳半からずーっと療護園でね。だからその中には、いろんな障害の人が居るんです。でも障害ってことではみんな一緒の仲間なんですよ。

横山:そうだよ。本来ならばね。

小井戸:言語障害が有ろうと無かろうと、行動がゆっくりであろうと早かろうと。そういうイメージで自分の中に今もあるから、今言われたみたいなことがCILの中で行われてたとしたらおかしいでしょ。だって、健常者側に対して「障害者を差別するな」って自分たちは訴えているのに、障害者の間で...。

横山:そうだよ。本末転倒なんだよ。だって常任委員会の中で言語障害いねーもんな。

小井戸:でも、発言する時間はある?

横山:ある。逆に俺なんか、「お前ら黙ってろ」って言うもん。

小井戸:そうか。でも、もしそれが言えない、

横山:そう、そう、そう、そう。

小井戸:人だったら、発言何もしないで終わっちゃう?

横山:終わっちゃう、終わっちゃう。

小井戸:そしたら、支援をもっとも必要とする人の考えっていうのは、届かないで終わっちゃうじゃないの?

横山:うん。だから俺なんかは、あえて司会者に、「みんなが話せる時間をつくれ」って。もし、手挙げてなかったら指せって。せっかく来てんだから。

小井戸:平等にね。

横山:そうなんだ。

小井戸:指して本人が言わないのは自由。自由っていうか、それはそれでと思うけれど、チャンスっていうか機会は同じにあって普通なんじゃないのかなぁ。

横山:そうだよ〜ぉ。だからさ〜ぁ、ほんとに頚損、脊損の人が多いんだけど、CPの話は分かんないって言うわけ。

小井戸:え?なんで?

横山:言語障害。だから俺はいつも中西に言うわけ。「お前なー、相手の眼を見ろ。相手の眼を見なきゃ、見ないと分かんないよ」って。「相手の眼を見て真剣に集中して聞けば分かるよ」って。それが日本の代表なんだよ。あの人は施設の問題なんかぜんぜん分かんないよ。だからそんな人が、日本のね、リーダーなんだよ、悔しいかな。重度障害者がいない、それがアメリカなの。軽度の障害者の。でも日本の場合は青い芝が基にあるから、重度の人が主で来ている、日本はね。でもさぁ、今さぁ、今ね、悔しいかなさぁ、日本の障害者の代表はほとんどが頚損、脊損なのね。で、唯一CPが入っているのが尾上さんなの。尾上さんは自分でも似非CPだって言ってるけどさ(笑)。

小井戸:言ってる、言ってる。

横山:もういっかい青い芝を立ち上げる時期が来たと思うよ。相手がちょうどね、チャンスを与えてくれたんだよ。尊厳死って問題を。尊厳死で闘えるのは青い芝くらいだよ。こないだ弁護士会館でシンポジュウムあったけど。

小井戸:あ、はい

横山:唯一、尾上さんだけだよね、安楽死の協会を作った人の事を云ったのは。太田典礼って医者なんだけど、 障害者の親なんだけど、安楽死法を作って安楽死協会作った、78 年かな。いっは゜い障害者来たんだけど、唯一、尾上さんだけだったそんなこと言ったのは(笑)。やっは゜し青い芝やってた奴は違うんだよ。

小井戸:そういうことを...、今の制度が出来てとかを、いまの若い人たちに伝えようと思っても意味ないんですね?もうできあがっちゃった上にいるから。

横山:そう、そう。

小井戸:でも、 そういう気持ちは持って欲しいと思うんだけどな〜。

横山:やっは゜りね、安楽死とか尊厳死なんかね、

小井戸:出て来たから改めて青い芝思想の重要性が出て来たってことですね。

横山:そうだよ。JILはほんとに重度の人の生活の事を考えなく、だんだん考えなくなって来たね。昔は違ってたわけ、昔はね。俺よく言うのは、人間みんなそうなんだけど、楽な方向、楽な方向に行きたがるわけよ。それが今のJILなんだよ。僕なんかさ、ほんとに重度の障害者の人と毎日つき合ってるんだからさ。ほんとにね、もっと時間が欲しいなあって思うよ。 一日40時間くらい欲しいと思うわけよ(爆笑)。***。だから川元や俺なんかは、やっは゜り事務局長、副事務局長。代表はもっと重度の障害者、 事務局長は重度の障害者をフォローする軽度、この3人は必要だねって、障害者は。

小井戸:でも、川元さんだって中途の障害者ですよね。

横山:あいつは違うのあいつは。俺がもう??(聞き取れない)見込んだから。中西のあのマニュアルではぜったい無理。できない。だって強制するもんじゃないもん。俺は今ね57なんだけど。俺も若い時は、なにがなんでもこいつを自立させるぞって思ったわけ。ところがさ人生経験する中でさ、自立しなくてもいいわけよ。

小井戸:自立しなくもいい人もいるわけ?

横山:そう。例えばね、施設に入っていればさ三食出て来るじゃない。だから自分でモノを考えなくていいわけよ。いま僕が関わっている人は、「なんで自立しないの?」って聞いたら、「お風呂に入れるから」って。週3回。ハングリー精神が無くなってるんだよ。 だから俺はね、無理にね、自立を促す必要はないと。ほんとにJILを必要としている人は減るかも分かんないけども、でもそこでJILの存在感を生かすことはあるでしょって。どんなにちっちゃくてもJILは生き残るよとか。だから、全員が無理して自立することないと思うんだけどね。でも希望者には進めて、支援する。

小井戸:とにかく自立する人を増やそうっていう時期があったじゃないですか、一時期。

横山:それが高橋修と僕の大喧嘩。

小井戸:なんで?

横山:高橋修は数をつくれば良い、数の論理。僕は質、中身だよと。僕は修とは仲よかったんだよ。仲よかったんだけど激論するとこは激論したからね。修ちゃんは学校出ていないんだけど就学猶予で。でもすっごい勉強家でね、事業とかしていたんだよ。車椅子とかベッドとか。俺なんか買わされたもん(爆笑)。
 あのね要求者組合の、さっき俺が吊し上げくらったって言ったじゃない。その時にね、新田からね、「お前らはへなちょこ障害者ばっかりつくってるのか」って。新田が俺に。要するに、俺が思うには、自立生活センターは保護者になりきってる。だから、へなちょこ障害者って言うんだよ。 それも一理あるなって思うんだけどね。

小井戸:それは感じるところありますか?

横山:ある。だから僕はいつも言ってるもん、みんなに。保護者にはなるなって。上げ膳、据え膳あたえるなって。経験・体験を取り戻すのが自立生活センターの役目なんだから。だからなるべく経験・体験を味あわせなきゃなんないよって。だから何十年かかってもみんな自分の経験・体験を取り戻す戦いだと思うわけ。それを地域にいかに認めさせて行くのかと。

小井戸:それは、どんなに時代が変わっても同じですね。どんなに制度が出来ても。

横山:同じです(笑)。

小井戸:それは一番の根本的な所だけども、一番変わらないから、障害者の生活が変わらない。

横山:そうなのよぉ〜(ため息)。こんな僕だってそうなんだよ。要するに、こんな偉そうな事ばっか言ってるけどさ、楽な方向に行く自分があるわけよ。でもそんときにね、僕は自分に言い聞かせてたわけ。

小井戸:なんて?

横山:お前は何のために出て来たのかと。家から。保護から逃げ出すために出て来たんだろと。ところが、今やってるのは、お前、親の代わりを介助者にやらせてるだけなんじゃないのかと。場面、場面で出てくるわけよ、楽な方向楽な方向って。だから未成熟。俺このごろ母ちゃんに任せちゃうの飯作り。ガハハハ(奥さんも一緒に大爆笑)。俺、飯好きなの。なぜかって言うと、味に個性が出るからね。
 去年かな〜。鳥取の施設から出て来た人がいるんだね。よく介助者とトラブルわけよね。そのたびに僕が行くわけよ。自分はテレビを見てて、ぜんぜん台所に来てくんない。介助者に対して、あれ作っといて、これ作っといてって言うだけで。本人は台所に来ない。「ここは誰の家なんだよー。おまえが借りてるんだろ。おまえが生活してるんだろう。そのために介助はサポートしてるんだけど、介助に任せっきりじゃまずいよ。おまえ、もう帰れ、施設に行け」って言っちゃったよガハハハ。(大爆笑)。だって、施設の職員じゃないもん介助者なんだもん。保護に依存心が強いから障害者が依存しちゃうんだよ。俺もそれは分かるんだよ。だけどさ、自分がなに食いたいとか、それは最低限でしょと。自立してる価値ないよ。そこまで僕は優しくないしさ。

小井戸:健全者の職員は引きとめようとした?

横山:それはあったね。でも、そこまで僕らは優しくないし。僕らはいつも言ってることがあってね、行政に返そうぉって...(少し小声で寂しそうな言い方)。

小井戸:行政に返そう?

横山:うん。僕らがそんな、全部できないよと。

小井戸:どういう意味?

横山:よくほら、困難事例とかあるじゃん。本来なら行政責任でやればいいんだから。だからそこが違うんだね。八王子とかは軽度の人は対応するんだよ。アハハ。

小井戸:そこでCILに線が引かれるのがおかしいような。じゃあ、重度の人の困難事例が来たら断る?

横山:施設行け。

小井戸:施設行け?思ったCILのイメージが...。

横山:良いんだよ正しいんだから(笑)。

小井戸:いろいろな...でもないか...いくつか読んだんですよ、CILの事が書かれている。良い事が書かれているんです。

横山:だからみんなさ、自分たちのやってることはさ、否定しないよみんな、肯定するよ。俺くらいか(爆笑)。小平とうちで、いちばん重度の人っていうのは、ほとんど自分の発言とか無い。

小井戸:どこかちょっと動くとかは?

横山:目の動きで。

小井戸:それを読み取るって感じ?

横山:そう。それぞれ障害のデカさが違うわけよね。俺ね20年間やってきてみて、俺自身、勉強になったな〜。っていうのはね知的障害の自立。東久留米とよくぶつかったんだけど。七生福祉園に18年居た人がね、やっと施設から出て来たわけ。本人、世田谷に住みたいって言ったから世田谷でアパート借りて生活したわけね。こっちの介助者が週2回だったかな。それ以外は東久留米の支援者だった。その人、甘いもんが好きなわけ。で、ドクターストップがかかったわけ。糖尿病なったわけね。(***。)それでヘルパーさんが気づいたら説明してね。こういうもんばっか食べたら足が太ってくるんだよとか、いつかは死ぬんだよそれでも良いの?ってことを、ほんとにしつこくしつこく毎日毎日、本人がわかるまで説明すればね、わかるんだから。それを引き受けたんだろって。自立生活ってそういうもんだと。これが、すっごい勉強なったから俺自身はね(笑)。俺いつもヘルパーの講義に言うんだけど、「相手の立場んなって考えろ」って。「少し余裕持って相手の立場んなって考えてみろ。絶対分かるはずだ」って。
 10年前さ、駅で目撃しちゃったんだけど。知的障害者の腕を強引に引っ張ってたヘルパーがいたわけ。そのヘルパーにね、「嫌がってるじゃないか。なんで強引に引っ張るんだよ」って。ご本人は左の道に行きたかったわけ。ところがヘルパーは右の道に強引に引っ張ってたわけ。ヘルパーがね「左の道はいま危ない。道が狭くて。だから安全な道を通らせるんだ」って。「それはお前らの勝手な言い分だろう。なんでそれ本人に説明しないの?本人が説明してわかって、なお左に行きたいんだったら左に行かせてみたら」って。ものすごくわかるんだけどね、そういう、少し余裕を持ってね。

小井戸:知的障害の人って分からないと思われちゃうことが多いですよね。それをよく見る。

横山:昔の言葉にあるんだね精神薄弱。あれはほんとに誤解されるよ、あの言葉。そのイメージがまだ残ってる。

小井戸:本人の意思表示を察知しないというか。

横山:ものすごい時間かかるわけ。

小井戸:うん、それはね。

横山:きちっと分かるまで納得いくまで説明するのがヘルパーの、現場の役目だと思うんだよね。説明すれば分かるんだから、みんな、たいがいのことは。

小井戸:分かりますよね。

横山:そうだよ、そうだよ(笑)。めんどくさいとかさ、楽な方向にみんなで行ってんだよ。本人は通ったことがあるから気に入ってるみたいなね。

小井戸:そういう拘りっていうか、あるんですよね。

横山:拘り、あ、そうそう(笑)。僕なんかそういう知的障害者の拘りを大事にしたいんだよねぇ。例えば、飯食うじゃん。洋服にケチャップが付いてるわけよ。僕なんかぜんぜん気にしないんだけど、本人は、おー、おー、おーって。

小井戸:ついてる、汚れちゃったーって?

横山:そう、洋服を脱ぐわけ、水の中で。もんのすごい拘りだなって思う。僕は好きだよ、そういうの(笑)。

小井戸:でもその理解がないと、問題行動って。 手におえないからやっは゜りこの人、自立は無理みたいになっちゃう。

横山:そうそう。障害者も経験ない。だから焦っちゃうわけみんな。お互い経験積めば、なんてことはないんだよ。

小井戸:それは、障害の種別かまわず同じですよね。みんな最初は初めて。

横山:そう。そういう、なんでもない地域にするべきなんだよ。それにはもっと、もっと...。どんな扱いされるかわかんないけど、障害者は怖がんないで外に出て行く。しかも重度の障害者ほどね(笑)。頚損、脊損もういいよ。

小井戸:もういいよって思わせちゃう。それって障害者問題として闘かって行く時には...。

横山:僕ね、最近思うんだけど、三障害合同になったわけじゃない。ちょっと早かったかなぁと思うよ。明らかに30年違うわけだよ。そういう意味では俺は反対してたんだけど。俺CPだから、自分が重度だから、身体障害者のサービスがものすごい多いと思うのよ。そのかわり知的・精神のサービスなんか無いのと同じだもんね。そのこと事は反省してるね。今は世田谷の中でも身体障害者の要求は少しです。 そのかわり知的・精神の要求は大いに応援しようよって。世田谷で僕は、あの...区の...なんだったかな

小井戸:区の?自立支援協議会?

横山:そう、自立支援講義会のメンバーなんだけどね。

小井戸:そうですか。私もやってました。

横山:あっ、そうなの。あのね、知的・精神のね、当事者の顔がね見えない。

小井戸:うん。

横山:その親、あと支援者。 だから、それを見ると、三障害合同は早かったかなって思うよね。運動の内部で三障害合同を打ち立てるのは大いに構わないけども、行政側から三障害一緒になりますよって言うのはね、まだこちらの準備が出来てないんだから。

小井戸:障害者側にまだその力が付けられてない?

横山:ピープルファーストだけかな、今は。僕ね、意外と人気あるんだよ。

小井戸:どういう人に?

横山:精神と知的の仲間に。全国大行動の代表なんだけど、知的と精神がもめちゃうわけ。

小井戸:どうして?

横山:もっと闘うべきだとかさ。で、座り込みやろうぜって言うのが出てくるわけよ。あと精神はさ、あの人たち、すっごい理屈がうんまいわけね。でも、いっくら理屈を並べ立てても知的の人には分かんなかったりするわけね。喧嘩になるんだよ。内部で喧嘩になっちゃうわけよ。そうすると、「横山、出番だ。行けー」って。いつも俺が仲裁なの。

小井戸:精神の人って、分かって、働いてね。

横山:すごいよほんとに。よく頭まわるな〜って思うもんねえ。

小井戸:関心しちゃうときある。

横山:そうっさあ。だから、僕が必要なのも時代なのかなーって思ってさあ(爆笑)。

小井戸:三障害なっちゃったから。やっは゜り時代がつくったんですよ。

横山:はーい。

小井戸:いつの時代も必要とされますね。

横山:やっは゜りそういう適材適所やるべきだと思うんだよね。あまりにもこちらの人数が少なすぎる。ほんと...。
ほんとひどいと思うよ。断ってるんだもん重度障害者の支援を。あんなのひどすぎる。なら看板おろせ、とか言いたいけどね。重度の障害者の支援もやって行くっていうのが当事者の立ち上げでしょ。それをやんなきゃ、もうおしまいよ、おしまい。いま保障協議会の代表なんだけど、いまJILん中に協議会の役員が5人入ってるから。そこらへんはまだ。全部だったらやばいけどね。俺ね、メール、ファックス大っ嫌い。会いたい。僕、会うのが好きだから本人に。

小井戸:今日も会ってくださってありがとうございます。

横山:アナログの世界だから。僕にはメールとかファックス不便でしょうがない。僕が拘っているのは自立生活。よくみんな自立、自立って言うじゃない。ところが自立っていう捉え方は100人いれば100通りあるわけ。でも自立生活になると、より具体的になるわけ。自立生活は個人の問題。で、その個人の問題から、いかに運動に結びつけて行くのかということ。思うのはね、人間ね、刺激がないとなんにも変わんない。それが分かったのはね、世田谷は施設が多いわけよ。施設からSOSが出てくるわけね。

小井戸:なんのSOS?

横山:虐待されたとかさ、施設を出たいとかさ。それはハンズ世田谷が出来てまだ、に、に、に、

小井戸:2年くらい?

横山:のことだったんだけど、SOSが来たから僕ら出張してたわけよ。僕らは出張だと。事務所で待ってても仕事は来ないよ、こっちから出向くことだと。そうすると部屋を空けて相談ルームを作ってくれるわけよ。ところが、本人はもう長年施設に居るから足音で分かっちゃうわけよ、だれの足音なのかって。で、足音が近づくにつれてパッと言わなくなっちゃう。それで、こらーだめだと。だから介助者入れて、その人に事務所に来てもらわなきゃだめだなと。いうことで事務所を作ったわけよ。だからここの事務所で3回目、引っ越しが。最初はね、ここのこれだけ(インタビューし ていた、ひとつの部屋を見回しながら)の空間だったのね。ぜんぜん狭くて、対応できなくなっちゃったん。ここ、いま狭いくらいだよね?(同席している介助者に聞いている)

横山介助者 このへん片づければいいのに。

横山:そこが小平と違うとこ、ガハハハ。

小井戸:小平は、きれーいになってるから。

横山:小平きれいだろう(爆笑)。小平は女性が多いから、うちは男が多いの。

小井戸:あ、ありがとうございます。だいぶ時間もらって。いろいろお話聞けて助かりました。ありがとうございました。

横山:行動がだいじ、行動がだいじ。


*作成:小井戸 恵子小川 浩史
UP: 20200307 REV: 20200308
横山 晃久  ◇脳性麻痺/脳性マヒ/脳性まひ(Cerebral Palsy)  ◇自立生活センターHANDS世田谷  ◇小井戸 恵子  ◇病者障害者運動史研究  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築
TOP HOME (http://www.arsvi.com)