HOME > 全文掲載 >

「成年後見制度は高齢者の人権を守れるか」

斎藤 正彦 2011/08/02
https://www.youtube.com/watch?v=-xriWbZU4mE

last update: 20160406

※本ページは、YouTube上で公開されている「成年後見制度は高齢者の人権を守れるか」の発言を活字にしたものです。

 今日は成年後見制度は高齢者の人権を守るかというちょっと衝撃的なテーマでお話を申し上げようと思います。
 成年後見制度は高齢者の人権を守るための制度であるというのが、社会一般の受け止め方だというふうに思っています。
 私もそのことに基本的に反対しているわけではありません。
 しかし、成年後見制度というのは無条件に人の人権を守る制度ではない。それは、いってみれば、諸刃の刃のようなもので、使い方を間違えれば高齢者の人権を侵害する道具になりかねないというお話をさせていただこうと思います。
 新しい成年後見制度は介護保険と同時に、西暦2000年の4月から導入されました。
 最高裁判所のウェブページをお開きになると、成年後見制度の概要という統計のページがあって、1年ごとのまとめが記されております。
 2010年の統計結果を見ますと、1年間で3万件強の申請がありました。このうち、10分の1になります3000件、10.3パーセントが市区町村長による申請であります。成年後見制度というのは、主として親族から申請されることが多いのですけれども、親族のない人については市区町村長が申請することができるということになっておりまして、この割合が年々増加しております。現在のところ10パーセント強ということになっています。後見を申請された本人の年齢は、60パーセント以上が65歳以上の高齢者です。したがって、認知症の高齢者の利用が多いということがいえます。とくに女性の場合は85パーセントが高齢者です。申し立て動機として最も多いのは財産管理ということで、53.8パーセント。半分、理由をあげた人の半分が財産管理を主たる目的としてあげています。ところが、次いで多いのが身上監護。認知症の高齢者の身の振り方といいますか、どこでケアを受けるかとか、どういうケアを受けるかとか、そういうことを決めるために後見人を申請すると。あるいは、介護保険契約を目的とするというのも7.3パーセントございます。これも年々増加する傾向にあります。誰が後見人になっているかということを見てみますと、およそ6割強が親族です。それに対して残る4割弱、36.5パーセントが第三者後見といわれるもので、後見を受ける人とは血のつながりのない職業として後見人をしている人を主としています。たとえば弁護士、あるいは司法書士、あるいは社会福祉士というふうな人たちが、職能団体として成年後見人を養成しております。
 さて、成年後見、とくに後見とか補佐のようなですね、障害の重い人を対象にした成年後見制度を始めるときには、精神鑑定を行う、その意見を聞いて決めるというふうに、原則としてそのようにするというふうに従来決められておりましたが、この精神鑑定の実施率というのは、ここ5年ほどの間に急激に低下しております。昨年、2010年の統計では、わずか17.7パーセントでしか鑑定が行われていない。さらに、本人面接という裁判所から本人を面接に来て結論を出すという手続きも、省略される場合の方がずっと多いということになっております。
 以上の統計から見えてくることは、成年後見制度はここ数年間、1年に2万5千件から3万件の申請があってその大部分が受理されて、制度として動き出している。その利用者の過半数は高齢者。その高齢者の大部分は認知症の患者であるということが推測されます。
 申請されたものの大部分は、鑑定を省略して申請通りに承認されております。成年後見制度というのは、従来は、財産のある人の財産を管理するための制度と考えられていましたけども、現在は、単身の高齢者で大きな財産はないけれども、身上監護や介護保険契約を目的として市区町村長が申請をして成年後見人を決めるというふうな例が増えているということがいえるであろうと思います。
 成年後見制度を従来は禁治産、準禁治産制度と申しましたが、これらはもともと意思能力の不十分な人の財産を守るための制度でした。ところが、2000年に新しい制度になるときに、法務省は、これは単に財産を守る制度ではなくて、障害を持つ人が障害はあっても残っている能力を活用して普通の人と同じように社会で生活する、ノーマライゼーションの手段として定められた制度であるということを強調いたしました。たしかに、そのために若干の制度上の改変がなされはしたのですが、しかし私の見るところ、制度の骨格は、基本的な骨格は明治以来の禁治産、準禁治産制度と大きく変わってはおりません。すなわち、現在でも成年後見制度は、財産に関する個人的な権限を制限することによってその財産を守る制度です。たとえば、後見人がつけば自分で誰かに寄付をするとか、大きな買い物をするとかいうことを決められなくなるわけです。自分ではそういうお金の使い方ができなくなる。その代わり、後見人が被後見人のためにお金を使うと決めれば、本人がそれに反対をしてもそのお金は使われてしまうわけですから、本来自分で処分をしていい、自分で好きなように管理し処分していい自分の財産が、自分の意思で動かせなくなる。という意味では、人間が、国民が本来持っている権限を、大きく制限されるわけです。そのことによって財産の散逸を防ぎ、その財産によって障害を持つ人が安全に暮らせるようにしている制度だということがいえると思います。だからこそ、この制度は、こういう制限をしなければ、その人の私権、個人的な権限を制限することによってしか保護できないぐらい、障害の重い人、しかもその障害は精神的な病気によるんだということが確認されたうえで、発令される制度でなければならない。それが成年後見、とくに後見類型や補佐類型のように、その保佐人、後見人の権限が強い分類については、精神鑑定が義務付けられていた理由というのは、そういうことであったはずです。
 一方で、このこととは別に、市区町村長による申請ということにもまた、多少の問題がございます。市区町村長による申請によって成年後見人を申請して成年後見人が介護保険契約をして、介護保険制度を利用してもらおうという行為そのものについては、誰も反対する人はいないわけです。ですけれども、日常私が精神科医として臨床していますと、こういう場合に連れてこられる患者さんの大部分が、単身生活をしている方です。地域包括支援センターや行政の担当者が、私どもの病院に患者さんと一緒にいらっしゃって、この患者さんはご自分でいろんな大事なことを決められない、だから成年後見人を決めたいので後見類型だという診断書を書いてもらいたいというふうなお話がございます。多くの患者さんは危なっかしいけど一人で暮らしておりますので、せいぜい補佐か補助という類型になるんですけども、行政や地域包括の担当者はそれでは困ると言います。なぜ困るかというと、後見人という一番重症な人につける制度でなければ、代理権といって本人の意思によらない決定ができないからなんです。私はそういうとき非常に悩むのですけれども、私が拒んでも誰かが書いてしまいますので、その旨を診断書に書いて裁判所に出すことにしています。しかしそれが鑑定になることは、最近はほとんどないのです。つまりそういうことを承知で裁判所が認めてしまうのです。本来、本人が判断できない人の介護契約は行政措置で行うという手続きが決められております。たとえば老人ホームに入りたくないと、私は一人で暮らしたいというけれども、毎日小火を出して危ないというふうな人については、本人が同意しなくても行政の権限で施設に入ってもらうということができるのです。しかしそれをしないで成年後見人を決めて、成年後見人に契約をさせるという手段が、最近しばしば用いられます。しかしそれは誤っていると私は思います。なぜかというと、行政措置で行われた措置であれば、本人がそれに対して苦情を言うことができるのです。行政を相手に訴えることもできるし、不服を申請することもできる。ところが、後見人をつけられて後見人が契約をしたということになれば、制度上は本人が契約をしたのと同じことですから、それに苦情を言うのは非常に難しい。さらに問題なのは、後見人がつくということは訴訟代理権を後見人が持っているということです。だから僕が訴えるためには、後見人が訴えてくれなければいけないわけで、後見人と被後見人の間に利益の相反、目的の相反が起こってしまう可能性がある。だから、後見人をつけて本人が望まないサービスを提供されたときに、それに逆らうためには、よっぽど強い意思と高い精神機能と経済力がなければいけない。実質的には本人に不服を言うチャンスはほとんど奪われてしまうということです。この件について一番の問題は、成年後見制度の代理権を利用して、実質的に介護措置の方法を患者さんに押し付けるという方法を、行政が後押ししているということです。行政が責任をとらないで済む方法を後押ししているということです。そういう使い方は誤りであるというふうに私は思います。せめて家庭裁判所がそういう使われ方がされないようにきちんと鑑定をし本人面接をしていればよい。ところが家庭裁判所は、市区町村長から申請されたケースについて鑑定を求めるということはめったにありません。行政が要請しているんだからほとんど自動的に認められてしまうということになります。
 私が申し上げたいのは、成年後見制度が精神に障害を持つ人、とくに認知症高齢者の人権擁護のための制度であるというのは、あまりに短絡的な幻想だということです。そういう幻想が、近頃、患者さんのご家族のなかにも、一般の社会にも浸透している。成年後見制度といえばいい制度、成年後見制度を制限しろという発言は、あたかも患者さんの人権を侵害すると、あるいは人権を守るための制度に反対しているかのような目で見られるぐらいの情勢になっています。成年後見制度はとりあえず財産管理のための制度です。もしそれを本当に障害のある人の自己決定を援助するための制度にしていくというのであれば、私は成年後見制度を抜本的に見直す必要があるだろうというふうに考えております。
*作成:長谷川 唯
UP: 20160406
全文掲載  ◇意思決定支援 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)