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自著紹介『死ぬ権利はあるか――安楽死、尊厳死、自殺幇助の是非と命の価値』

有馬 斉

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last update:20190919

有馬 斉 20190215 『死ぬ権利はあるか――安楽死、尊厳死、自殺幇助の是非と命の価値』,春風社,558p.  ISBN-10: 4861106249 ISBN-13: 978-4861106248 4300+税  [amazon][kinokuniya] ※ et. be. d01
『死ぬ権利はあるか――安楽死、尊厳死、自殺幇助の是非と命の価値』表紙

 東京都の公立福生病院で、人工透析を再開せずに亡くなった患者のケースが、最初に各メディアで大きく取り上げられたのは、本書が出版されたすぐあと、今年の3月のことだった。患者は、報道によると、もしも透析を再開していれば、あと数年は生きることができていたという。

 6月には、日本人がスイスで医師による自殺幇助を受けたケースが、NHKスペシャルで放映された。亡くなった日本人は、神経難病の患者で、そのまま生きていたとすれば、いずれは生命維持のために人工呼吸器が必要となる状態だった。死にたいといってスイスへ渡り、医師の用意した致死薬の点滴を受け、ものの数十秒で眠るように死亡するまでの様子を、番組はそのまま放映し、大きな反響を呼んだようだ。

 これらのケースをめぐっては、報道の直後から現在まですでにさまざまなところで賛否両論が出てきている。

 患者の生命を維持するためにできることをしなかったり、死期を早めたりすることについて、人々が容認できるといったり、反対したりするのはなぜなのだろうか。どのような考えかたが根拠にあるのか。おおよそ10年くらいまえから、私はこの種の問題に関心を持って研究してきた。本書はこの間の研究をまとめたものだ。

 本書の特徴のひとつは、重要と思われる論点を網羅的に取り上げたところにある。この主題にかんして過去に公けにされてきた考えかたを、容認派と反対派の意見に分けて整理した。本書の目次を見ていただくだけでも、論点の数や内容を、大まかに把握できるようになっているのではないかと思う。

 また、公けにされてきた意見については、ただ整理するだけでなく、ひとつひとつ検討を加えてきた。そのさい、いわゆる尊厳死などと呼ばれる「生命維持医療の見送り」と、安楽死と呼ばれることの多い「致死薬の処方や投与」とを、あえて同時に扱った。さらに、やはり患者の死期を早めるリスクがあるとしてときおりその倫理的是非が問題になることのある「鎮静」(終末期などの苦痛を和らげる目的で患者の意識を低下させる薬を投与する処置)も、考察の対象に入れた。これらの三者を一緒に扱っているのも、本書に特徴的な点のひとつである。

 これは、もちろん、これら三者にかんして、私が、倫理的に問題になる点はまったく変わらないと考えているということではない。しかし、三者をめぐる意見には、おそらく多くの人が考えている以上に、共通する点が多いのも事実だと思う。

 たとえば、安楽死でも、尊厳死でも、鎮静でも、それが容認されるべきだと主張する人々は、だれもが同じように、患者の自己決定(本人がそれを希望していること)と、患者を苦痛から解放できることの良さに訴えてきた。そこで、少し引いて考えてみると、すぐにでも、これがその理由で許されるならあっちまで許されることになってしまわないか、といった疑問が、たくさん生じてくる。こうした疑問を正面から取り上げようとしたのである。

 たとえば福生病院(生命維持医療の見送り)やNHK安楽死(致死薬処方)などのケースについて、倫理的な是非をじっくり考えてみたいという方に、ぜひ読んでいただきたい。


有馬 斉(横浜市立大学准教授)


*作成:北村 健太郎
UP:20190919 REV:
福生病院での透析中止・人工透析 2019  ◇生命倫理  ◇安楽死・尊厳死 2019  ◇全文掲載

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