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[報告]ウーマンリブと「性」――産む自由の追求(との距離)

村上 潔 2016/04/29

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last update: 20160430

◆2016/04/29 「原一男監督と考える 70年代の生の軌跡――障害・リブ・沖縄 〜初期ドキュメンタリー作品上映とトーク〜」
 (13:00〜18:30|於:立命館大学朱雀キャンパス5F大ホール)

** 以下の内容は、当日使用したパワーポイント資料のデータに加筆・修正・編集を加えたものです。 **



┃背景┃

■生殖に関わるリブのテーゼ

・「女のからだは女のもの」

・「産む・産まないは女[わたし]が決める」

◆優生保護法改悪阻止闘争のなかで

・「産める(産め)/産めない(産むな)」が国家によって決められることへの対抗運動
 ↓
・「産」をめぐる思想の構築へ

┃産む自由?┃

・産まない自由……主に経済的理由による中絶の権利(政治的イシュー)
 /
・産む自由……【とは?】(目の前のイシューを掘り下げる/先どりする実践)

*「産みやすい環境」の先にあるイメージ

┃産むという「エゴ」┃

・「「産まないがエゴなら、産むのだってエゴさ! 勝手に産む私と勝手に産まされるおまえがあるだけだ」
 そこから出発する私の産む行為、妊娠中のハラボテ所有感と産むという確実な痛みにおいて、その、たしかさのぶんだけ、ガキと生きてみようと思った。」(タケ/1971)

*社会的な承認・正当性以前の、自己の「生/性」の強調。

┃「勝手に産む」┃

・「そうさ、正真正銘の私生児を生んでやらあね! 1人で勝手に生み落とし、1人で育てていくわね。」(スガ/1971)
・「生きてゆく道しかないのならば、やはり私は子供を産んで、私が育てなくてはならないのだ。子供の共有化……とは、易く言ってくれるな、何が他人のおまえさんにゃ解るものかね。」(スガ/1971)

*(国家・社会からの)介入の拒否

┃「産みたいときに産める状況」┃

・「産める社会を! といって今ある社会にたたきつけながら、しかし、今ある生きがたさは一刻も早くどうにかしたいのだ。その一環として子供を生みたい時に産める状況づくりを私達の手でやれる部分、やっていこうと考えています。」(東京こむうぬ/1973)

*社会への働きかけ+DIY的実践

┃タケ・スガの/〈東京こむうぬ〉としての主張の整理┃

・社会的イシューに対応しつつ、その先にある「勝手に産む」自由を希求する。

・公的な運動[優生保護法改悪阻止闘争]
 &私的な(生殖的・生活的)実践[東京こむうぬ]

┃〈東京こむうぬ〉の実践(1)┃

(1)助産所機能
・「女が女の妊娠出産を女自身の手で担っていきたい。肉体を奪い返したいそのことは、東京こむうぬを助産所に少しづつさせていくのです。」(東京こむうぬ/1973)

┃〈東京こむうぬ〉の実践(2)┃

(2)共同保育
・「女自身が子供をとらえ返さないといけない。それは、とりもなおさず、女自身が、子供から解き放たれていけることとしてあるのだ。[…]ひとつずつ、今ある子供に対する価値観(女の生き方)を吟味していき、女にとって、精神的にも肉体的にも子供を手放していける乳ばなれしていけるための保育所にしたいのだ。」(東京こむうぬ/1973)
・「東京こむうぬは、子供、子供とわめきたてるところではありません。子ども持つ身がすりよって生きる空間でもありません。[…]子供と女が一緒に生活して、子供をまきこむ空間ではありますが、子供いっぺんとうでがんばるほど主体のない女達ではありません。【傍点:たまたま】子供を産んだ私にこだわり、子供と直結しない自己を、子供の生とは別につくっていくところです。[…]子供が生きようが死のうが己れ自身に徹していく道をつっ走っていこうとしているのです。」(東京こむうぬ/1973)

┃「自由」獲得の経路┃

・子どもからの自由(自立)
 ↓
・「母」(役割)からの自由(自立)
 ↓
・ひとりの「女」としての自由(自立)

◆「女」=「己れ自身」の肉体・性を最優先する
 *「個」としての女

┃コレクティブ┃

・「コレクティブ=共同体の屋根の下に我らが入りこんでしまうのは、どっかひっかかりを持ち始めてるんだ。テメエのコトはテメエしか解らない限界性を持ちつつも、それでも他の誰かとの出会いを求め追い続けて行くんだ!!」(スガ/1971)

*「個」にこだわりながら同時に「子持ち女」たちの共同性を追求する。

┃共同性の糸口┃

・「勝手に産まされたてめえにかけて、私の存在に迫ってきたらええ! 「育てる」ちゅう感覚とは違うんや!/ここにガキと私が、ぶざまにも“生きてる”ちゅう事や! ガキ持ちのてめえをどこまでも、どんな場所にでも引き連れていく事が、今、必要なんだ。[…]ガキかかえた子宮にかけて、つっぱしらなあかん、つっぱしらなあかん!」(タケ/1971)

*「子宮にかけて」 → 身体性のリアリティ

◆身体性のリアリティを基盤に他者の存在に迫る
 → 共同性構築

◆「産んだ女」の(「つっぱし」る)「自由」を最大限に肯定する

┃「産んだ女」≠「母」┃

・「子供には母が絶対必要で、必ずしも母親がめんどうみなくてもいいということ。矛盾ではないのです。産んだ女が母ではないということ、産まなくても子供に育てられるということ、育てる女が、子供に、物事の基準をつくってあげること、それが母です。母ということを、私達こそ、産んだ女、産まない女に規定しすぎていたのではないでしょうか。母というのは自立した女のことを言うのです。」(タケ/1975)

◆「産む」(身体的営み):ひとりの「女」による
 /「育てる」(社会化する):複数の「母」による
 *区分 → 共同保育の必然性

┃〈東京こむうぬ〉の実践理念の整理┃

・自ら(ひとりの女)の肉体・性
・他者(子たち/他の女たち/「母」を担う男たち)との「かかわり」

◆両方の欲求と可能性を純粋に追求する
◆それを阻む社会制度に対抗する

┃同時代リブの応答┃

◆「「リブ」は産む性を否定した。産む性にまつわる「母」、<育てる性>規定の中での性的分業の固定化総体から出てくる毒気の原因を<産む性>に象徴的に見たのだと思う。ある女は反結婚ということでこの毒気からのがれた。またある女は[…]中絶・リング・ピルを許した。妊りを避けることで「母」を妊ることをさけたわけだ。だが産まぬことは男社会の中で女の男なみ化を促進するにとどまる。だから、産む性を拒むことが己のカラダの可能性をせまくすると直感した故か、<なにサたかだかガキの二・三人>とタカをくくって生来の強気で男ぬきの生活をやっている女もいる。しかし、あのがんばりやのタケさんが「東京こむうぬ」解散に出した文章はかなり弱気である。それは零や遊が、自分の一才・三才・五才等その年令なみに十全に自由な人生をもてたか、ただクワしてフロに入れネかせてやればよいと子の日常は切れても、子の人生を責任もって心底かかわるのは産みの親の私だけなのかという思いにゆれ動いている。私はタケさんが妊りついでに母まで妊ったとは思っていない。むしろ、タケさんのガンバリ状況をとりまくまわりの男女の一夫一婦制度護持ぶりが彼等の家族のペット風な子どもに毒気をもりこんでいき、その子たちと、零や遊は同世代として自分の人生をやりぬくとき、毒気に対抗するのには日常マナーの型やぶりだけ〔で〕はとうていまかないきれそうにないと予感したのではないかという気がしている。現象的には零の母親はタケで、ふのの母親はマドンナということが共同化したはずの日常の裏にあったということを問題にしてはいるが、私は私の方に責任を感じっぱなしで、彼女の文を読んだ。」(国沢静子「「子育ち」――反家族論・女の立場から」〔1975〕)

◆「共同体ができました、さぁ、みなさん、エゴィスティックに自己に徹しましょう、と意思一致とやらを図ったところで、己れに徹して喰って寝て、いま泣いたカラスがもう笑って怒って暮していけるのは、確かなところで子供と猫ぐらいのものだろう。つまり、あたしや「こむうぬ」の武田美由紀みたいな女は、云ってみりゃ子供や猫並みなんだよ。その身勝手さ、その自己執着の深さにおいて――。」(田中美津「燃えよコレクティブ」〔1974〕)

┃同時代の共同保育実践者の応答┃

◆「映画とは少し離れるが、子供と共に生を生き切りたいとする武田美由紀の生き様は、三人の子を生み子育てにまみれつつ個的な生を生きたいと考えて方法を模索している私にとっては、今もなお彼女は刺激的であり、この状況の中で誰か一人が飛び抜けて自由を手に入れる事が出来ない事は明らかなだけに、彼女が書いた「東京こむうぬ」解散総括は、本当に他人事ではなく、子持ち女はもっともっとしたたかになり、自分の望みをハッキリつかみつつそれを現実化する力量を持たなくては、知らず知らず、この社会の枠組みに組み込まれてしまうんだと、今改めて考えている所。」(小堀[1976: 14]*)
*小堀恵美子 19761103 「ある予感」,『「えがりて社」第2回上映会 「極私的エロス・恋歌1974」資料集』,えがりて社(京都),pp.12-14

*小堀恵美子氏は京都・百万遍で共同保育所〈門前小僧〉を運営していた。

┃まとめ:〈東京こむうぬ〉のリブとしての意義┃

・同時代のリブ運動は、〈東京こむうぬ〉の(きわめて純粋な)理念と実践を十分にはフォローできなかった。
→ 短期間での解体という現実

◆その一方で、〈東京こむうぬ〉は、
・その後の各地での共同保育(所)運動に大きな影響を与えた。
・明確に、「母」ではなく「子産み女」の共同性を追求した実践として、リブとしてのリアリティを(非常に強く)担保していた。
・「子育て」の枠には収まらない、大きな射程の議論を提起した。
→ 日本のリブ運動の象徴的存在でありつつ、自律的保育実践の最前衛モデルとして――その「失敗」の意味も含めて――機能した。

☆「保育所問題」しか語られない現在の議論状況との対比

┃付記:原監督への質問┃

◆「ある女の子産み」を媒介にして「女たちの共同性」を描くことの困難(直結しえない位相)について
・タケ−スガ/タケ−小林/〈こむうぬ〉
→ 当然それぞれに(関係性の)差異がある。が、それでも「描く」側はそこに「普遍的なつながり」を見い出そうとするはず。それらの「あいだ」をどのようにまとめようとしたのか/しなかったのか。



【関連】
◇村上潔 2016/04/30 「『極私的エロス・恋歌1974』とリブについてのメモ」

【参考】
『極私的エロス・恋歌1974』


*作成:村上 潔
UP: 20160430 REV:
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