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「当事者の社会参加のための『難聴者の自立生活モデル』
――日本でのモデル化の試みとフィリピンにおける有効性」

福田 能文 2016/02/23 

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last update: 201603011


Independent living for person with hearing difficulities; Formulating a model in Japan and validating its applicability in the Philippines

2016年2月23日、日本福祉大学大学院国際社会開発研究科国際社会開発専攻修士課程(通信教育)へ提出した2014年度修士論文に加筆・修正を加え掲載しました。

学籍番号:13MD0110
氏  名:福田 能文

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pdfファイル「当事者の社会参加のための「難聴者の自立生活モデル」」


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当事者の社会参加のための「難聴者の自立生活モデル」〜日本でのモデル化の試みとフィリピンにおける有効性

第1章 はじめに 1
第1節 研究の背景 1
第2節 研究の目的 3
第3節 研究の方法 3

第2章 日本の難聴者運動の課題と可能性 5
第1節 難聴の定義 5
第2節 難聴者運動の概略と要約筆記の始まり 7
(1) 難聴者運動の略史 7
(2) 要約筆記の普及過程 8
第3節 難聴者が直面する課題 11
(1) 障害受容とアイデンティティ 11
(2) 福祉サービスの限界 12
(3) 職場のコミュニケーション 14

第3章 難聴者の社会参加と自立生活運動:難聴者の自立生活モデル 16
第1節 難聴者の自立生活の定義 16
第2節 難聴者にとっての自立生活運動の概念化の必要性 17
(1) 力の剥奪モデルと難聴者の置かれた状況 17
(2) 補聴器、人工内耳の限界 20
(3) 福祉サービスの限界と新たな可能性 21
(4) 求められる地域社会への関わり 22
(5) 聴覚障害者の自立生活センター 23
第3節 難聴者のエンパワーメントのための理論 23
(1) 医療モデルから社会モデルへ 23
(2) ケイパビリティ・アプローチとエージェンシー 24
(3) フレイレの意識化 24
(4) 構造暴力としての障害者問題 25
第4節 難聴者の自立生活モデル 26
(1) ピア・カウンセリング 26
(2) 自立生活プログラム 27
(3) 権利擁護 29
(4) 障害種別を超えた交流 29
(5) 自己と社会を変革する意識 29

第4章 フィリピンにおける聴覚障害者をとりまく状況 31
第1節 フィリピンにおける障害者支援施策 31
第2節 調査地概要 32
(1) パンガシナン州ダグパン市 32
(2) マニラ首都圏ケソン市 33
第3節 マニラ首都圏ケソン市の聴覚障害者の状況 34
第4節 パンガシナン州ダグパン市の聴覚障害者 36
第5節 難聴者に対する職場における排他性 36
第6節 ラグロハイスクールでの質問票調査結果 37

第5章 「難聴者の自立生活モデル」の検証 39
第1節 調査方法 39
(1)調査日程 39
(2)調査方法 39
(3)調査対象者 44
第2節 調査結果:インタビューとグループ討論 45
(1)ピア・カウンセリング 45
(2)難聴者に固有な自立生活プログラム 46
(3)権利擁護 49
(4)障害種別を超えた交流 49
(5)自己と社会を変革する意識 50
第3節 調査結果:絵を通して対話から状況を読み解く 50
第4節 結果の考察 54

第6章 考察と結論 59
第1節 インタビューの再考 59
第2節 フィリピンにおける難聴者の状況と自立生活運動の可能性 60
第3節 難聴者の自立生活モデル」の再検討 61
第4節 まとめと結論 63

参考文献 65

図表一覧 68

巻末付録 69

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第1章 はじめに

第1節 研究の背景

筆者は遺伝性の進行性の難聴であり、10歳のころから少しずつ聴力が低下していった。聞こえなかったり聞き間違いが多く、中高生の時は時々クラスメイトに馬鹿されたりからかわれたりした。しかし、いじめというほど深刻ではなかった。難聴ゆえに円滑にコミュニケーションが取れず、特に集団での会話や講義となると全く理解できなかった。そのため授業に出席することも、学問に対する意欲もなかった。しかし、成績の不安は常にあった。何よりも就職が不安だった。

1993年の大学3年時に障害者手帳聴覚障害6級(両耳70デシベル)を取得した。障害者となることには抵抗があったのだが、補聴器を購入するにあたり、行政から支援が得られること、身体障害者雇用促進法の支援を受けて不利な就職戦線を勝ち抜くために必要だったからである。したがって、障害者としての自分を肯定していたわけではなかった。

就職できても、コミュニケーションが円滑にいかないことから、仕事が任されることはなかった。やりたい仕事があっても、それは他者と音声コミュ二ケーションが必要なため、障害ゆえに円滑に業務をこなせる自信もなく、周囲にもこの仕事がしたいとも言えず、相談するところもなく、行き詰まりを感じていた。

学生時代からの国際協力ボランティア活動が唯一の居場所であった。仲間からは聞こえないことは理解してもらえていた。筆談してくれ、繰り返して話してくれた。しかし、上手く聞き取れないとき、筆談やもう一度話してと依頼することができなかった。尊敬していたあるNGOの代表やお世話になった先生などから、自立するように言われていた。筆者は当時、自立を自分の足でたち、働いて稼いで生活していくという意味で捉えていた。だが、希望あるキャリアプランは描けず、自己否定の繰り返しだった。ボランティア活動の場でさえも、周囲からは、聞こえなかったときは「聞こえない」と言うようにと、催促されていた。聞こえるまで聞き返しても大丈夫だろうかと不安を感じでいた。聞き返しても聞こえるという自信はなかった。

1999年に、当時は国際民衆保健協議会日本連絡事務所代表であった池住義憲氏がファシリテーターを務める開発教育ワークショップに参加した。池住氏はワークショップの冒頭で、「福田さん、このぐらいの声なら聞こえますか」と聞いてきた。ちょっと聞きにくいと答えると、今度は少し大きめの声で「では、このぐらいならどうですか」と確認してきた。ちょっと早いと答えると、「ではこのぐらいの大きさで、このぐらいの速さならどうですか」と再度確認してきた。聞きやすいですと答えると、「では、参加者の皆さん、このぐらいの大きさと早さで話せば福田さんとコミュニケーションがとれますよ」と周囲に理解を促していた。そのワークショップで筆者は、自分から自然と「聞こえなかったときは聞き返しても良いですか」とファシリテーターに問いかけた。自分自身の態度が変化していた。これをきっかけに池住氏との交流が始まり、パウロ・フレイレの教育思想と開発教育、国際保健、CBR(Community Based Rehabilitation地域に根ざしたリハビリテーション)に出会い、交流が広がっていった。少しずつ自己の尊厳を回復させていき、国際協力、平和、開発などをテーマにするワークショップに参加するようになった。そして、主催団体に要約筆記の用意を求めるようになっていった。しかし、自立に対する呪縛は解けないままだった。

交流が広がる中で2003年に世界的な自立生活運動のリーダーである中西正司氏と出会い、『当事者主権』と出会った。そこで自分を抑圧していた「自立」の概念を大きく変えていくことになった。開発教育では十分に自己肯定ができずにいた。しかし、自立生活運動との出会いから、2005年10月に聴覚障害者対象のピア・カウンセリング講座を受講した。これによって筆者が必要とするコミュニケーションは何かを意識するようになり、自己信頼の回復へ繋がっていった。それまでの開発教育の学びの知識から、障害の問題を開発の問題として問題提起し、開発教育協会が主催するイベントにはいつでもボランティアによる要約筆記が付けられるようになった。さらにDVD教材には字幕をつけるよう提言するなど、変化を生み出す主体となっていった。 障害者の自立生活運動は「障害者の権利条約」発効に大きく寄与したといわれているが、難聴者にとって独自の視点を加味した自立生活運動が必要であると考える理由は以下である。

まず難聴は目に見えない障害であり、日常生活の動作(トイレなど)に困ることはない。しかし、コミュニケーション障害であり、人と接する時に障害(disability)が発生する。障害(impairment)故に迷惑をかける存在と自分自身を見なしてしまい、頼みたいことも遠慮してしまう。コミュニケーションが円滑にいかず、発信しなくなってしまう。最大の理解者であるはずの家族からも理解されず、孤独を極めていく難聴者も多い。他者と対等にコミュニケーションするためには、自分のコミュニケーションニーズを周囲に要望することである。そのためには自己信頼が必要であり、自己信頼を回復する手段としては、自立生活運動の一つである「ピア・カウンセリング」が重要になってくる。

さらに自立生活運動の他の要素として「自立生活プログラム」がある。難聴者は、コミュニケーションの支援手段である手話通訳者や要約筆記者を上手に使い、社会生活の中で円滑なコミュニケーション技術を身につける必要がある。それを満たすのが自立生活プログラムである。特に聴覚障害者は企業の中では孤立しやすい。しかし組織の中で自分の障害が理解され、できる限りの支援を受けられれば、十分に能力を発揮していける。そのためにも難聴者のための自立生活プログラムを作る必要がある。医学や心理学などの様々な専門家がコミュニケーション法を研究しているが、それらは散在しており、体系化していく必要がある。自立生活プログラムはその体系化を目ざすものである。

これら2つは、現在の難聴者の運動の中では明確に位置づけられていない。手話を学び、読話を学び、仲間と触れ合って元気を取り戻す。しかし、同じ難聴者同士のコミュニティの中でしか自己の存在を確認できずにいる。また、運動を通して社会変革を進めていく気概に欠けがちである。自己信頼を回復するためのピア・カウンセリングが、ピア同士で完結するのでなく、自立生活プログラムを通じて、地域での関係性や環境の変化に結びつかねばならない。

以上が、当事者としての筆者が日本での経験から導き出した視点である。この視点は、他のアジアの国々でも妥当であろうか。これが本研究の背景をなす問題意識である。

筆者は1993年にNGOが主催するフィリピンワークキャンプ(1)に参加し、ハンセン病患者のコミュニティ(2)でボランティア活動をした。現地の学生たちと共に豚小屋を作り、患者さんたちの経済的自立を促すプログラムである。病気のハンディと差別に苦しんでいる彼らを「支援してあげよう」という気持ちがあった。しかし、彼らはオープンマインドで人と接し、聞こえにくい筆者に、嫌な顔一つせずに何度も何度もわかるまで話してくれた。根負けして聞こえた振りをしてもすぐにばれてしまう。それでもわかるまで伝えてくる。十分な紙とペンがない貧困の中で生きる彼らは、地面や掌、背中に文字を書いて、言葉を伝えてきた。助け合い、喜びも苦しみも共に分かち合いながら生活していた。そこには日本が見失ったコミュニティが存在していた。病気や障害、差別に負けずに前向きに生きていく勇気を与えてもらった。いつしか彼らに恩返しをしたいと思うようになった。

2004年11月、友人が勤務するハイスクールに難聴学級があるので見学しないかと誘われた。健聴者の中に10人程度の聴覚障害者(ろう、難聴)が授業を受けていた。手話ができる教師が、音声と手話を使って授業を進めていた。科目によっては手話通訳がつくのだが、筆者が見学したときは、通訳者が通訳に来ていなかった。だからなのか、難聴の学生たちでグループを形成し、健聴の学生たちとの交流をする様子が見られなかった。

日本のカテゴリーでいうろうの学生もいれば、難聴の学生もいた。なぜ、手話で授業を進め、要約筆記はつかないのか。手話ができる生徒(ろう者)は授業を理解できるだろう。しかし、手話を言語としない難聴者は授業を理解できるだろうか。学生時代に授業が理解できないまま過ごした筆者の過去の経験と重なって見えた。手話を言語としない難聴の生徒は尊厳をもって自立していけるのだろうか。こういった疑問を抱いた。事前調査(2012年11月実施。第4章第6節pp/37〜38)のアンケートでわかったのだが、フィリピンの聴覚障害者は補聴器を購入できないために手話が主な言語になる。だが、十分に手話を学ぶ機会が少なく、仮に小学校の特別支援学校でフィリピン手話を学んでも、ハイスクールではアメリカ手話で授業が進むということもある。

パンガシナン州ダグパン市(Pangasinan Dagupan City)に住む友人のJimmyに、なぜフィリピン人は気軽に筆談し、繰り返して話してくれるのかを聞いた。彼は、「フィリピン人は聞いたり奉仕したりするのが好きなのだよと筆談で答えてくれた。これについてはフィリピンの障害者リーダーたち(3)も認めている。しかし、フィリピン人は優しすぎる面もあると指摘している。本人の意図を確認しないまま、望まぬ手助けを受けてしまうことがあるというのだ。手話であれ要約筆記であれ、本人が求める方法で社会サービスを受けて授業や社会参加をし、自らが望む方法での社会参加を可能にするあらゆる支援の選択の幅の広さとしての機会集合の最大化が図られるように、当事者自身による参加を促してフィリピンに恩返ししようと考えるようになった。

フィリピンでは、難聴者の運動はまだ始まったばかりである。アジアの中ではCBRが普及している国であり、障害者がコミュニティの中で統合される度合いは高いかもしれない。しかし、彼らが主体性を発揮してコミュニティに関われているか疑問である。CBRの運営も最近では当事者が担うのが望ましいとされており、そこに自立生活運動が入ることで相乗効果が発揮できるであろう。

第2節 研究の目的

本研究の目的は、まず①障害者の自立生活運動を日本の難聴者運動に適用する際の課題と可能性を明らかにして、「難聴者の自立生活運動」の骨格を「モデル」として築くこと、そして②日本の文脈から導いたこのモデルを分析の視点として、フィリピンの難聴者の状況を明らかにし、フィリピンにおける難聴者の自立生活運動の可能性を探ると同時にモデルの是非を検証していくことである。

第3節 研究方法

研究の対象は、難聴者の社会参加を促進し、変化の主体となる難聴者の自立生活モデルの構築である。モデルのベースとなるのは、筆者の経験と難聴者当事者運動の批判的分析である。これまでの経験を論理的に構成していく。また文献に基づき難聴者運動を歴史的視点から分析し、モデルの根拠を論理的に展開していく。

次にこのモデルの妥当性を客観視し、検証するために、フィリピンにおいてインタビュー調査を実施した。2013年11月にフィリピン共和国パンガシナン州ダグパン市、マニラ首都圏カローカン市、ケソン市で8日間のプレ調査を行い、それを踏まえて2014年7月に、ダグパン市、ケソン市、マニラ市で8日間のフィールド調査を実施した。適切なインフォーマントの紹介を得たため、調査地にマニラ市を追加した。インタビューとディスカッションを通して得られたデータと知見からモデルの妥当性を検証する。


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第2章 日本の難聴者運動の課題と可能性

第1節 難聴の定義

本論における難聴者の定義

難聴とは一般的にどのように認知されているだろうか。一般的に聴覚障害のうち、まったく聞こえない状態をろう(聾)、それより軽度を難聴ということが多い。三省堂大辞林(第三版)によると、難聴とは「聴力は低下してはいるが、聴力を音声言語の受容や言語獲得の手段として使うことは可能な状態。音波の伝達路(外耳・中耳)に障害が生じた時(伝音性難聴)、内耳から中枢にいたる聴覚神経系が冒されたとき(感音性難聴)に見られる」とある。つまり音声言語を主なコミュニケーション手段として生活する聴覚障害者を「難聴者」としていると言える。

医学の視点では、メルクマニュアル医学情報家庭版によると、「難聴は聴力の衰退であり、聾(ろう)は重度の難聴である。」と定義されている。この説明では、難聴は聴覚障害全体を意味し、その中にろうが位置づけられる。

一般的に聴覚障害の程度やろう、難聴の区別は、医学的視点から聴力検査の結果を用いて語られる。聴力検査の結果(聴力レベル(単位は?))により、正常、軽度の難聴、中等度の難聴、高度の難聴、重度の難聴と5段階にわけられている。以下の表2-1は身体障害者福祉法で定める聴覚障害の程度区分と聴力(デシベル)を基準に、参考文献から裸耳での聞こえの程度と該当する障害等級(身体障害者福祉法)とWHO(世界保健機関)が定める聴覚障害分類を整理してものである。ろうは、一般的にほとんど聞こえない聴覚障害者を指すことが多く、90?以上の重度難聴と同じカテゴリーに入れた。


表2- 1 聴覚障害の程度と聴力

難聴の種類

平均聴力レベル

裸耳での聞こえの程度

障害程度等級

WHOの難聴分類

正常

25dB未満




軽度難聴

25〜50dB未満

声が小さいと聞き取れないことが多い。TVの音を大きくしたがる。


20〜40dB:Mild

41〜55dB:

Moderate

中等度難聴

50〜70dB未満

普通の会話がききづらい。

近くの自動車の音にやっと気づく。


56〜70dB:

Moderately Severe

高度難聴

70〜90dB未満

大きな音でも聞きづらい。

70dB以上:6級

80dB以上:4級

71〜90dB:

Severe

重度難聴orろう

90dB以上

耳元の大きな声も聞きづらい。

日常音はほとんど聞こえない

90dB以上:3級

100dB以上:2級

91dB〜:

Profound

全日本難聴者・中途失聴者団体連合会(2006,p.6)『要約筆記者養成テキスト<前期>』、日本聴覚医学学会「難聴の程度分類について」http://audiology-japan.jp/audi/wp-content/uploads/2014/12/a1360e77a580a13ce7e259a406858656.pdf(2015.1.19参照)「『聞こえと言葉の発達』情報室」 http://www20.big.or.jp/~ent/index.html より筆者作成

ろうと難聴の区別を、社会的、文化的な視点で区分すると以下の表2-2のようになる。上述のように、医学的な観点からは、難聴とは聴覚障害全体を意味し、その中にろうが位置づけられる。しかし社会文化的な観点、あるいは当事者ニーズに沿った観点からは、聴覚障害の下位カテゴリーとして、「ろう」「難聴」「中途失聴」と分けるのが、より適切である。この表は、この3区分に対して、聴力、聴能、社会的文化的、聴覚を失った時期、教育歴の視点でその特徴を整理したものである。


表2-2 ろう、難聴、中途失聴の区分


聴覚障害

ろう

難聴

中途失聴

聴力(医学、病理学)

重度

軽度、中等度、高度、重度

聴能(4)

聴覚を通して音や音声の情報をうまく取り込むことのできない状態

聴覚を通して音や音声の情報を取り込み理解の手がかりとすること

社会的文化的視点

日本手話を言語とする

主に音声言語

聴覚を失った時期

乳幼児就学前

言語習得の臨界期(5)、乳幼児就学以降

おおむね思春期以降もしくは成人してから

教育歴

ろう学校

主に普通学校

山口(2003)と現代思想編集部(2012)を元に筆者作成


表2-3 難聴の種類

伝音性難聴

 外耳から中耳にかけて、音が物理的に伝わりにくくなって起きるのが伝音性難聴です。比較的、治療の効果が現れやすいのですが、治療しても聞き取りにくさを感じることもあります。

感音性難聴

 耳の奥にある内耳や聴神経などの障害で、聞こえにくくなるのが感音性難聴です。医学的治療で聴力を回復させるのは困難なケースが多いのが現状です。

混合性難聴

 伝音性、感音性療法の特徴をもっているのが混合性難聴です。老人性難聴は耳のしくみ全てが老化しておきるので、感音性に近いですが、伝音性の特徴も持っています。

全日本難聴者・中途失聴者団体連合会(2004a, p11)より抜粋

以上のように一般的概念や資料などから聴覚障害についての概念の整理を試みた。しかし、一口に聴覚障害といってもその人の聞こえ方は様々であり、難聴というカテゴリーも曖昧なのが現状である。そしてその区分は選択可能なのである。本論文では聴能による区分を基本にして、難聴者とは聴覚障害をもちながらも、音声の情報を手がかりにする人と位置づけ、主なコミュニケーション手段を手話ではなく、音声言語を用いる聴覚障害者と位置づける。しかし、中には手話と音声言語の両方を使ってコミュニケーションを取る人もいることを付け加えておきたい。また、一般的にいう「難聴者」には「中途失聴者」を含めて言うケースが多い。本論文でも特に指定がない限りは「難聴者」という言葉には「中途失聴者」も含めるものとする。引用文献によっては「難聴者・中途失聴者」と記載するものもあるが、そのまま引用する。

第2節 難聴者運動の概略と要約筆記の始まり

(1)難聴者運動の略史

日本の難聴者運動の起こりは、ろう運動より遅れをとるものの、自立生活運動よりも早い段階で社会に登場してきた。日本で聴覚障害者への支援活動は、1879年に京都府立盲唖学院が設立され、ろう教育が始まったのが最初とされている。第二次世界大戦後の1947年に、全日本ろうあ連盟が設立されている。その5年後の1952年に難聴者の親睦団体である「新光会」が主に関西で、1955年には「みみより会」が主に東京を中心にして結成された。新光会は戦傷者など聴力を失った方々が連絡を取り合い、組織化していった。主に会報などを通して親睦をはかり、組織を維持していった。会報も発刊以来一度も休刊はなく、2014年1月現在で通巻683号に至っている。

みみより会は一人のろう学校生の新聞投書をきっかけに結成された。その内容はろう学校を批判するものだったようだ。これに呼応した大学生や高校生の中にろうや難聴の学生たちがいた。彼らは雑誌を発行して情報を交換し、互いに励まし合っていた。ろう、難聴、中途失聴、健聴など様々な立場の人が参加し、それぞれの立場の思いを確認し、それぞれの理解の中で友愛が生まれていった。そしてその中から、ろう運動の中核になる人や難聴者組織の立ち上げに関わる人が現れていった。 「みみより会自体は、行政に対して支援の申請などをすることなく、あくまでも会員の会費によって運営されてきた団体ですが、その底に流れる友愛の精神は、20世紀後半の聴覚障害者の運動を生み出す先覚的な母胎ともなったのであり、50年もつづいている歴史と会員の存在が、みみより会の意義を物語っているのだと思います」(江時, http://www8.plala.or.jp/mimiyorikai/mitinori1.html, 2015.1.10)

他方、福祉を求めた難聴者は、1965年に鹿児島県難聴者協会の発足を皮切りに全国各地に協会を設立していった。彼らはろう運動に関わり、手話を獲得しながら権利擁護を求めて活動していた。ろう者は手話通訳者と協働して運動を展開していた。しかし、手話を言語としない難聴者には、参加は難しいものであった。そこへ文字を使ってコミュニケーション支援が必要ということに気づいた手話通訳者が文字による情報保障の方法を検討し始めた。1960年代には学校教育の場でOHP(Overhead Projector,透明フィルムに書かれた文字・図表などをスクリーンに投影する装置)が普及し、この機材を利用して難聴者の集団での会議ができるようになっていった。それによって組織化が可能になっていった。1972年には全国難聴者組織推進準備会が発足した。さらに全国に都道府県レベルでの組織化が進み、1978年には全国難聴者連絡協議会(全難聴)が発足した。

全難聴は社会への難聴者理解を目指して「耳マーク」を制定、啓発活動に力を入れていった。さらに国に対して「聞こえの保障」の施策を要求し、磁気ループ(6)の普及、要約筆記者養成と派遣の制度化、TVの文字字幕付与の拡大と普及を運動の柱としていった。

1991年には国の認可を受けて、社団法人全日本難聴者・中途失聴者団体連合会とへと発展していった。しかし、会員数の伸び悩みや事業構造から、2013年には一般社団法人に改組する状況に至っている。

運動の成果である要約筆記などのコミュニケーション支援の制度化については後述する。代表的な運動の一つとして耳マークがある。社会に難聴者の理解を広げることを目指して考案されたものだ。1978年、名古屋にて開かれた第1回全国難聴者研究大会にて制定され、翌年から普及活動が広まった。このマークは難聴者自身が他者に示すことで、難聴であること、筆談など聞こえの保障を求めていることを伝えるために使われる。また、公共施設や病院にも提示され、施設側が筆談で対応可能であることを示し、難聴者に安心して使ってもらうための目印としても活用されている。

もう一つ、難聴者運動の中で特記すべきこととしてはTVの字幕がある。1981年に「聴覚障害者の文字情報 ―字幕放送」シンポジウムが開催された。1983年には試験放送が始まった。1996年には字幕拡充運動がおこり、40万5,000人の署名を集めた。そして国会に請願し、採択された。1997年、放送法改正案が国会で可決し、1999年には著作権法の改正に繋げていった。

また、国連障害者権利条約の制定過程においては、第6回アドホック委員会から難聴者代表が参加し、文字通訳と文字字幕の必要性を訴えていった。その結果として権利条約に難聴者のニーズが盛り込まれるなど成果を上げ、難聴者の社会参加を可能にしていった。

(2)要約筆記の普及過程

ろう者とは異なったニーズを持ち、同障者と出会う機会も少なく、出会っても相互のコミュニケーションが難しかった難聴者は、要約筆記の支援を受けて社会にニーズを顕在化させていった。1960年代後半から徐々に始まった要約筆記が、難聴者の組織化に大きく寄与してきた。

会議での音声情報を文字化する活動に組織的に取り組んだのは、京都の手話通訳者だった。京都の手話通訳者は、手話活動の中で、手話を使わない、手話の習得によっては自らのコミュニケーションを十分なものにすることができない聴覚障害者の存在に気づき、文字を使った通訳活動の必要性に気づいていく。

1978年には京都で第1回京都府要約筆記研究会が開催され、『要約筆記研究叢書第1号 要約筆記について』が発行された。手探りの状態から始まった要約筆記であったが、1980年に発行された『要約筆記研究叢書第3号 中途失聴者・難聴者に聞こえの保障を』では、要約筆記が「通訳」という独立の行為としてではなく、コミュニケーションを成立させるための話し手、書き手、読み手という三者の共同作業の一つとして捉えられている。ここで指摘しておくべきは、叢書第3号が「話す人の努力」「書く人の努力」「読む人の努力」という章立てで構成されていたことである。「書く人の努力」の項は(1)事前準備、(2)速く書く、(3)読みやすく書く、(4)正確に書く、の4つから構成された。コミュニケーションを成立させるために話し手や読み手の関わりが必要だとする立場から、この研究叢書では、スクリーンを見ていて間違っていた場合など、話し手や読み手が「要約筆記者に助言する」とされている。また、話すスピードが速い場合には、筆記者や聞き手が話し手に「もっとゆっくり」と指摘することも推奨されている。この時期は主に難聴者団体の会合で利用され、当事者同士で要約筆記をより良いものにしていこうとしていたと思われる。

また、難聴者も要約筆記を通訳としてだけでなく、要約筆記者との心の交流や寄り添いなどの関わりを求めていたようだ。すなわち、難聴者が孤独の中にいて、要約筆記者が話し相手の対象と見ていたのではないかと思われる。だが、次第に要約筆記は独立した通訳としての立場を確立していくことになる。

こうして要約筆記の基礎ができはじめていった。大学の日本語研究者との交流から、話し言葉を効率よく文字にする技術の開発が進んでいった。

京都で始まった研究により1981年には最初の要約筆記テキスト『要約筆記ボランティア養成講座テキスト』が作成された。1981年から厚生省(当時)の「障害者の明るいくらし」促進事業(都道府県・政令都市)、障害者社会参加推進事業(市町村)の中に要約筆記奉仕員養成事業が組み込まれていった。難聴協会の盛んな地域では、行政にはたらきがけ、要約筆記奉仕員養成講座をはじめていった。こうした講座では『要約筆記ボランティア養成講座テキスト』が使われたが、地域で独自のテキストも作られた。後の要約筆記を体系化していく基礎となったのが、1978年に結成された日本で最も古い要約筆記サークル「要約筆記研究会・まごのて」による『要約筆記入門』(1983)と大阪府難聴者協会が発行した『要約筆記ハンドブック』(1984)がある。それぞれに要約筆記の捉え方の違いがあり、前者では省略や抽象化が表現のふくらみと訴える力を奪っているとして、話し手の言葉に近い表現をすることで抑制しようとした。後者は、すべてを書くぐらいの気持ちで書くのではなく、不要なものをどんどん省いていき、残ったものが要約という捉え方をしている。

前者では二人書きが紹介され、後者ではロールシートに書くのは記録として残すためではない、その場で見るために、そのとき分かるために書くという考えが示された。これは、今日の要約筆記は記録ではなくその場での情報保障という理念の基礎になっていった。まごのては、会員の半数が聴覚障害者であった。また、大阪府難聴者協会のハンドブックは、要約筆記サークル・ぎんなんとの共同作業で作成された。要約筆記という前人未踏の活動を育てていこうとする積極的な関係が生まれた時期だった。

1980年にはじまった全国要約筆記関係者懇談会は、1983年には全国要約筆記問題研究会(全要研)へと改組され、全難聴や地域の難聴者組織と運動を広げていった。 こうして1988年に『要約筆記テキスト(初級)』が発行された。これは全難聴と全要研が作ったテキスト作成委員会によるもので、全国統一を目的とするものではなく、未完のものとして、改良を続けていくものとして発行された。そしてこのテキストには「指導書」が付属した。要約筆記奉仕員養成講座を開こうとしている地域に対して、講座のカリキュラム作成や予算の立て方など実務的な支援をしていた。

この時期の難聴者運動の主要な目標は、自分たちのニーズとして要約筆記の必要性を行政に認めさせることだった。しかし、それは簡単なことではなかった。この当時、話せるが聞こえないという障害が、なかなか社会に理解されずにいた。その理由としてはろう運動が先行し、聴覚障害=手話という図式が出来上がっていたためである。こうして行政に認めさせることに重点を置いたため、難聴者側からの要約筆記によるコミュニケーション支援についての研究は進まなかった。

1993年から1997年の5年間にわたり、社会福祉法人聴力障害者情報文化センターが社会福祉・医療事業団の助成をうけて全国要約筆記指導者養成基礎講座を開催した。講座内容の主な特徴としては3つ挙げられる。1つは手話通訳者を育ててきた全日本ろうあ連盟から講師を招いたこと。2つは言語学の専門家の講義の時間を確保したこと。3つは速記者の経験からの講義であった。この講座は、要約筆記が専門性を持った行為であることを気づかせるきっかけになった。しかし、講師陣の中に目指すべき要約筆記について共通の目標がなく、各分野の専門性が強調された。

「要約筆記テキスト(初級)」は1997年に改訂版が発行された。構成に変更はないものの、「その場限りのもの」であり、通訳としての在り方という立場がより明確にされた。難聴者、中途失聴者の耳がわりの通訳であることから、全てを書きたいが、現実の問題としては、普通の話の2、3割しか書けないという葛藤があった。現実的な対応として、話に追いつかないときは要約し、ゆっくりした話のときはありのまま書くという対応が取られるようになった。すなわち、要約は止むを得ずするものとして、整文(冗長な表現を整理して短く表現)や言葉の置き換え(7)・慣用表現の短縮化によって、可能な限り元の話の形をとどめたまま通訳する形になっていった。

1980年代は、行政に対して要約筆記の必要性という難聴者のニーズを理解させることが、運動の中心だった。1990年代は自らのコミュニケーション支援としての要約筆記を使う観点が芽生えた時期だった。難聴者は、要約筆記者が聞こえているもの、全てを知りたい、書いて欲しいというニーズがあった。(一人での手書きでは)書ける文字数の制限があることから、二人書きやカットシート(頻出する言葉を前もって用意しておく)の利用、パソコン要約筆記への期待が表出されてきた。 だが、中途失聴者・難聴者自身が要約筆記を更に学び、制約の中でどのように使っていくかという課題があった。しかし、中途失聴者・難聴者の中でこの課題は十分な理解が得られず、要約筆記を使う側からの研究の深化は、すぐには進まなかった。

1998年に厚生省の呼びかけで要約筆記奉仕員の養成カリキュラムを改める検討会が持たれた。このカリキュラム策定にあたって、情報保障のレベルを上げるためにどのような方法があるかが検討された。そこで「二人書き」とパソコン要約筆記が盛り込まれた。「二人書き」とは二人で書いているように思えるが、メインが全てを仕切り、サブに必要なフレーズを口で指示し(口で書くというのが実態に近い)、言われたサブがこれを手で書く方法である。策定の時点では一定の地域で実施されていたが、実証的なカリキュラムを持っている地域はなかった。カリキュラムは基礎課程と応用課程に分けられ、二人書きは応用課程で扱われた。応用課程では要約筆記に対する意識の変化が見られた。要約を止むを得ずするという考えから、話のエキスを濃縮する技術として捉え方に変わっていった。例えば、話し言葉を使って書くのではなく、話のテーマから外れた言葉は書かない、話の構造を理解して大胆に構成していくという具合に、である。要約筆記者に言葉を自由に使える能力が求められるようになった。一人書きで情報保障ができる要約力がないと、二人書きの利点を生かすことはできず、中身のない要約筆記になってしまう。一人書きができないから二人書きでという安易な取り組みに陥らないように、さらなる要約力の能力が求められるようになった。

さらにこのカリキュラムに沿った講座から、中途失聴・難聴者が講師を分担するようになった。これは、情報保障を受けた中途失聴・難聴者がきちんと講師を務めることができる姿を見せることが、受講生に情報保障の意義を理解させる最初の機会になるとの考えから始まった。また、中途失聴・難聴者にとって、講師を務めることは、要約筆記について、ひいては日本語について学ぶことに繋がっていった。これは、話し手の言葉にこだわらず、意図を遅れることなく伝えるのが要約筆記という認識が中途失聴・難聴者の中に広がるきっかけとなった。こうして通訳としての要約筆記という位置づけが更に進んでいった。しかし、きっかけが生まれとはいえ、その理解はまだ十分に広まっていない。「全部知りたい」という中途失聴・難聴者のニーズに対して、要約筆記という専門性を持った立場から十分なアカウンタビリティがなされておらず、確かな技術としての信頼が勝ち取れていないという、厳しい状況である。

カリキュラムの策定だけでなく、カリキュラムに沿ったテキスト、およびその指導者用テキストの作成まで、セットで取り組まれた。この策定によって到達目標と基礎課程(32時間)、応用過程(20時間)が明確にされた。しかし奉仕員制度には、基本的に認定の仕組みがない。これに対して手話通訳は国家資格としての認定がなされている(全日本難聴者・中途失聴者団体連合会、2007,pp.43-62)。

2009年には裁判員制度がはじまり、裁判員となった難聴者への情報保障として要約筆記奉仕員は担保できないことが明るみになってきた。権利保障の問題が浮き彫りになり、要約筆記者に高い専門性が求められるようになった。こうした要望に応じて厚生労働省は2011年に要約筆記者養成カリキュラム等について」(障企自発0330第1号)を発信した。その主な内容は、カリキュラムがこれまでの52時間から102時間に変更されたこと、登録試験を実施することになった。これまでの要約筆記奉仕員は補講を受けることで要約筆記者として登録されていった。

第3節 難聴者が直面する課題

(1)自己肯定としての障害受容とアイデンティティ

難聴者や中途失聴者は障害受容が難しい。その理由としては、①聴力だけでなく聞こえ方、聞こえる音(話し声、環境音など)が難聴者によって様々であり、多様であること、②身体障害者福祉法の障害程度区分(表2-1聴覚障害の程度と聴力の「障害程度の等級」を参照)の分類に当てはまらないケースがあること、③見えない障害であり、感覚的であること、④社会の障害者に対する差別や排他性が強いこと、⑤難聴者が自分自身の中に障害者に対する差別や排他性を内在していること、⑥日本の風土が謙そんを美徳とするため、ニーズを要求しにくい文化があることなどが考えられる。

またこうした状況に対して、当事者や保護者がどのように対応して良いかわからない。聴覚に異常がわかれば、まずは耳鼻科へいくが、耳鼻科では聞こえなくなった当事者に対するサポートがほとんどないのが現状である。

WHOは40dB以上の難聴には補聴器が必要としている。しかし、わが国では70?以上の高度難聴に対してのみ障害者手帳(以下「手帳」)を交付しており、手帳所持者であれば補聴器購入にあたって支援が得られる。こうした状況により軽・中等度難聴者は、生活に不便を感じながらも、自身を障害者として認識しにくい状況にある。

全日本難聴者・中途失聴者団体連合会では、こうした軽・中等度難聴者の社会参加の困難さに対応して、聴覚障害認定の基準を緩和するようデシベルダウン運動を展開してきた。日本政府は国連障害者の権利条約に署名し、障がい者制度改革推進会議にて障害者基本法、身体障害者福祉法の整備を進めてきたが、障害程度区分の改正には至らなかった。

こうした状況から障害者としての自覚が遅れ、適切な支援を受けられないまま、孤独を極めていくことも多い。思い切って地域の手話サークルに入っても、そこは行政が手話のボランティア育成を目的にしていることもあり、聞こえる健聴者が主な対象となっている。そのため難聴者は要約筆記などの適切な支援が受けられず、手話を学ぶにしても困難な状況が生じている。

東京都では昭和40年代から難聴者対象の手話講習会が開催されている。現在では入門、初級、中級、上級の4クラスに別れ、2年間学ぶ。入門では要約筆記がつき、講師も難聴者当事者が務める。環境面から整備している。また、難聴者、中途失聴者は、ここで同じ悩みをもつ障害者と初めて出会い、徐々に障害を受容していく。しかし、ここで学ぶのは音声日本語の語順に沿って手話単語や指文字を並べて表現する「日本語対応手話」であり、独自の文法体系を持つろう者の言語である「日本手話」ではない。修了したあとも2年間、難聴者協会が運営する手話講習会応用クラスがあるが、それでもろう者と対等に手話でコミュニケーションできるレベルに到達するのは難しいのが現状である。同じ悩みを持つ仲間と出会えることは貴重な一歩であるが、日本語対応手話を獲得したたけでは、十分な社会生活を回復させるには程遠い現状がある。

なお1996年に「ろう文化宣言」が発された。そこでは「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である」(木村・市川(1996)、p8)と定義されている。この中で日本語対応手話をシムコムと表現し、その説明として、「シムコムは二つの言語を同時に話そうとする試みであるが、同時に二つの言語を話すのは所詮無理なことであり、日本語か手話のどちらか(あるいはその両方)が中途半端になる」(木村・市川(1996)、p13)としている。しかし、多くの難聴者の間ではシムコムが蔑称として受け止められた。アメリカではsimultaneous communicationは蔑称ではないが、simComと略した形で蔑称との説があるからだ。

しかし、全日本ろうあ連盟のホームページなどを見ても、明確に日本手話と日本語対応手話を分けてはいない。その理由としては、過去のろう教育が発声など、音声を中心とした教育カリキュラムであり、健聴者に近づけようとしてきた歴史がある。そのため、純粋な「日本手話」を言語とするろう者はそう多くはなく、組織として聴覚障害者を包摂的に支えようとする意向があったと思われる。日本ろうあ連盟の東京の団体名も、東京都聴覚障害者連盟という名称である。あいまいさは残したものの、ろう者は手話を言語とする人と認識されるようになっていった。 

(2)福祉サービスの限界

前節では難聴者のコミュニケーションや社会参加を支えてきた要約筆記の歴史について述べた。主に難聴者同士の会議やコミュニケーション支援から発展してきたため、難聴者主催の会議や福祉大会では当然のように要約筆記がつく。では、難聴者の市民生活の中ではどのような課題があるだろうか。筆者が経験した三鷹市と江東区での事例を紹介する。

これまで厚生労働省の制度で都道府県単位で実施するメニュー事業だった要約筆記派遣は2006年の障害者自立支援法施行により、同法の地域生活支援事業に位置づけられ、区市町村の事業へと移管されていった。これによって2つの問題が発生した。1つは、難聴者にとって要約筆記が身近な福祉制度になったものの、個々の難聴者は派遣依頼をした経験がないため、行政手続きの方法を知らず、サービスの供給がスムーズにいかなかったということである。もう1つは行政側の難聴者や要約筆記に対する理解不足から、要約筆記派遣元との契約などの受け入れ体制が整わなかったことである。

施行から間もない時期に、筆者はNGO関係者有志が主催するシンポジウムに参加したく、要約筆記を付けてほしいと主催者に依頼した。主催者は予算がないため、DPI(Disabled Peoples’ International)日本会議に相談し、自立支援法の活用を知った。主催者の一人は三鷹市民であり、三鷹市に対して、要約筆記の内容をスクリーンで投影して情報保障をする全体投影による支援を要望した。行政が市民の社会参加を支援するという考えが主催者にはあったと思われる。しかし、三鷹市は、自立支援法は障害者個人の自立を促すことを目的としており、団体や手帳を持たない市民に対しては支援できないとして要望を避けた。これは手帳を持つ聴覚障害者以外は、聴覚障害者とコミュニケーションを取りたいときに手話通訳や要約筆記が利用できない。すなわち、手帳を持たない非障害者から難聴者へコミュニケーションを取ることは難しく、難聴者から接近する他はないことになる。

結局三鷹市は、障害者本人による申請のみで、障害者個人を支援するノートテイク方式のみによる支援を行うとした。しかし、自立支援法が施行されたにもかかわらず、三鷹市は申請書式を用意していなかった。

こうして福祉サービスに対して難聴者がニーズを要望しない限り、行政はニーズがないとみなし、準備を進めない。筆者には周囲に支援してくれる人がいたため、その後三鷹市での生活や社会参加においては要約筆記を活用する機会に恵まれた。

江東区に転居すると、江東区では既に派遣事業は実施されていた。筆者もこれまでのように月1回ぐらいの割合でセミナーへの要約筆記派遣申請や難聴者同士の会合でこの事業を利用した。2013年5月、日本福祉大学大学院での2日間にわたるスクーリングにおいても、何の支障もなく要約筆記派遣が実施された。ところが7月に実施された東京スクーリングにおいて、7月1日に江東区から派遣拒否の通知があった。理由としては、定められた予算の範囲内で実施する事業であること、他の区民との公平性を鑑みてとのことだった。この7月1日の返答の中には「これまでの事業のあり方に対し、区の財政状況と公平性の観点から要約筆記者派遣については、現在整備をすすめているところであります」と記されている。

2013年11月1日のスクーリングにも要約筆記派遣を申請したが、拒否された。この時に江東区要約筆記者等派遣事業実施要綱の改正が通知された。通知は、遡って平成25年4月1日付となっていた。通知が発せられたのは、障害者総合支援法で事業内容をより詳細に規定することになったためとされていた。その主な変更点は、派遣は1日4時間まで、連続する講演会は派遣対象外、派遣申請は派遣実施の1週間前まで受け付ける、というものであり、使いにくいものになっていた。 内閣府の下に設けられた障害者制度改革推進会議において、自立支援法改正に向けた議論が行われ、権利条約の批准に合わせて問題点を改善するために、自立支援法は障害者総合支援法に変わったが、それまで以上に細部にわたる規制が可能となった。これによって地域に組織のない障害者は、社会参加を制限される危機にさらされている。地域レベルでの交渉や運動が必要になっているのである。

東京手話通訳等派遣センター、東京都中途失聴・難聴者協会と相談し、江東区に要望書を提出することとなった。個人で行っては相手にされないことはわかっていた。それまで、要約筆記派遣の申請がFAXでの対応のみなので、メールによる対応を可能にしてほしいという要望を続けていた。しかし、江東区から、個人の要望ではなく、団体としての要望でないと受け付けないとの回答を得ていた。東京都中途失聴・難聴者協会事務局長と江東区在住の理事(健聴)1名の同伴協力を得て6月24日に江東区に要望書を提出した。その内容としては、1.派遣制限時間の撤廃、2.申請方法を使いやすいものにすること 3.要約筆記派遣事業の予算と実績の公表 4.申請期限の時間的制約の解除 5.要綱改正の際には当事者の意見を聞いて反映すること、の5項目である。

対面した担当の係長と主事は、1については市民の理解が必要なので難しい。4時間という制限はあくまでも原則であると譲らなかった。2については可能性がある、検討する。3は難しい。4は緊急時の対応は検討する。派遣元での手配もあるので1週間は必要との回答だった。だが、東京手話通訳等センターでは1日あれば要約筆記者の手配が可能なのである。また江東区は派遣センターが土曜日も営業していることを知らなかった。港区では難聴者当事者が東京手話通訳等派遣センターに直接メールで依頼できることを紹介し、今後検討するとの回答を得た。5についても検討し当事者の声を聞くようにするとのことだった。 検討の結果については回答がないため、筆者は10月31日に江東区へ訪問してみたが、係長は離席中、主査はまだ聞いていないとし、東京都中途失聴・難聴者協会へ回答してほしいことを依頼した。しかし12月19日現在でもまだ回答はないままである。

江東区には難聴者当事者の会はある。だが、手話を学習する親睦の会なのである。協会から会の代表へ、江東区との交渉することを伝えていたが、係わらない姿勢であった。会の代表は難聴者協会の理事経験者でもあり、難聴者の手話の普及に尽力してきた人である。難聴者の社会参加や要望の必要性は理解していると思われる。

なお、江東区によると、江東区在住の聴覚・言語・音声機能障害をもつ手帳所持者は平成23年度で1,528人、伸び率は前年比0.86%である。江東区では、平成23年度における手話通訳の実利用者数は125人であるのに対して要約筆記の利用者数はわずかの6人であった。平成26年度の利用者の見込みは手話通訳が134人に対して要約筆記は9人となっている。

(3)職場のコミュニケーション

難聴者を最も悩ませる問題は就労かもしれない。難聴者が抱える就労の問題は主に2つある。1つは就職の壁である。もう1つは就職後の職場におけるコミュニケーションの壁である。

障害者雇用促進法により、手帳を持つ難聴者は制度のサービスを受けられる。しかし、軽・中等度の難聴者は、手帳を持たないために制度の恩恵から排除されている。電話の取り継ぎができない、コミュニケーションが円滑にいかないという障害を理由に、雇用主が採用を見送るのである。あるいは求職票に電話ができることを採用の条件と明記する求人もある。筆者の転職経験の中でも、希望する企業、職種があっても、電話が条件であったために断念した、あるいは、採用が見送られたケースがある。現在も企業で勤務しているが、電話の取り継ぎ無し、を条件に採用されている。しかし、現在では電話リレーサービスがある。これは第三者(オペレーター)を通して音声情報を文字に変える、あるいはその逆に文字情報を音声に変えて聴覚障害者と健聴者のコミュニケーションを支援するサービスである。このサービスは障害者の権利条約でいう合理的配慮の提供になる。こういったサービスの提供が、未だ一般にはなされていない。

次に、職場環境整備や職場でのコミュニケーションの課題である。聴覚障害者は手話通訳や要約筆記を必要とするが、多くの企業は費用や機密保持などを理由に情報保障を用意しない。そのため、聴覚障害者は会議に参加しても十分に聞こえないために理解できず、業務を遂行できないことがある。会議に限らず社内研修やセミナーでも同様である。大企業などでは、同僚などがノートパソコンを使ってノートテークする組織もある。しかしながら議事録だけを見て内容を理解することを求められるケースもある。会議に参加できない、意見が言えないということは、自らが持っている能力や知識が業務に活かせず、仕事を通して会社、ひいては社会に貢献できないということだ。それどころか、仕事ができない人間として見下されていく。そのことによって仕事する意欲を失いかねないのである。

職場での上司や同僚との雑談について、2004年に全難聴が発行した『働く難聴者・中途失聴者のために』の中で「職場環境実態アンケート」(8)による結果が公表されている。「同僚との雑談は理解できますか?」という質問に対して26%が理解できると回答し、58%が多少理解できる、12%ができないと回答している。 雇用や職場環境とコミュニケーションの課題以外に、職場定着の問題もある。

 一方で自由記載欄では「昼休みなど同僚との雑談が聞こえず、寂しい。」「手話が分からないのか、接し方が分からないのか、話しかけてくれない」という意見も見られています。内容がわからなくても、周りの雰囲気を壊すことを恐れ、作り笑いをしてやり過ごす難聴者の苦しみが感じられます。このように、雑談の場などで仲間とうちとけられず、ぎこちない笑顔になってしまうことを「ほほえみの障害」といいます。これは聞こえないことからくる二次障害(コミュニケーション障害)であり、繰り返し聞いて嫌な顔をされるのを恐れる心理からくるものです。
 8ページで述べたように、聴覚障害者が会社を辞める理由として人間関係のトラブルが大きな割合を占めています。「聞き間違い」「聞き漏らし」などが直接的なトラブルだけでなく、「ほほえみの障害」によって職場でスムーズな人間関係を築けず孤立してしまい、精神的に耐えられなくなって辞めるケースが考えられます。
(全日本難聴者・中途失聴者団体連合会2004b:p12)

2008年7月、IFHOH(International Federation of Hard of Hearing people,国際難聴者連盟)の国際会議がカナダ、バンクーバーで開催され、筆者も参加した。全難聴は『働く難聴者・中途失聴者のために』の取り組みを紹介した。フロアから英語版がほしいなど、好評であった。しかし、発行から10年経過したが、そのあとの取り組みは見られない。全難聴は2014年10月14日に「厚生労働省の『改正障害者雇用促進法に基づく差別禁止・合理的配慮の提供の指針の在り方に関する研究会報告書』に対して要望」書を提出している。全日本ろうあ連盟、全国盲ろう者協会、日本盲人連合会の4団体で要望書を提出している。全難聴は主に要約筆記などの合理的配慮を求めている。だが、これは業務に直接に関係するコミュニケーションに対しての支援になるが、雑談を含めた職場の人間関係の課題解決に関しては「4.聴覚障害者自身が就労支援機関と相談、支援を受ける保障をとること。」と要望しているのみで、具体的な内容は盛り込まれていない。就労の問題についての取り組みは、難聴者自身が主体的に法的措置から身近な相談、支援の場を構築していくことが急務であろう。


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第3章 難聴者の社会参加と自立生活運動:難聴者の自立生活モデル

第1節 難聴者の自立生活の定義

障害者の自立生活の定義について、中西は次のように定義している。「障害者が人生の主体として、社会の中で自己選択・自己決定し、介助などの支援を受けながら地域で平等な機会を与えられて、普通の生活を送ること」(中西,2009,p6)。筆者はこの中西の定義に加えて、難聴という障害の特性を加味して次のように定義する。難聴者の自立生活とは「難聴者が人生の主体として、社会の中で自己選択・自己決定し、意識して聞き返し、筆談を求めるなど自らのコミュニケーションニーズを説明、協力を求め、あるいは要約筆記や手話など通訳の支援を受けながら社会や地域で平等な機会を与えられて、他者と対等な立場でコミュ二ケーションが確保され、普通の生活を送ること」と定義する。

第1章でも述べたが、難聴は目に見えない障害であり、他者からは障害者として認識されない。他者からすれば、どのような合理的配慮が必要なのかもわからない。そのため自ら必要とする配慮に関する要求を発信していかないと、他者と対等な立場でコミュニケーションが取れない。円滑なコミュニケーションはもちろん重要である。しかし、それ以上に対等にコミュニケーションが取れることが重要である。さもないと難聴者は遠慮して従属的になり、主体性の発揮ができないからである。

自立を考えたとき、他者との対等な関係とは、お互いに自立していると同時に、お互いに依存・信頼しあっていることでもある。「意識して筆談を求める」のは、孤立した状態から社会との繋がりを戻すことである。一般的に考えられている自立の定義について、再検討してみる。 以下に詩の一部を引用する。この詩には、一般に考えられている既成概念としての「自立」と、その行動様式に対して疑問を投げかけ、問題提起をしている。これらの自立の概念は、孤立した自立であり、関係性の硬直化を生んでいる。例えば、迷惑をかけてはいけないとか、頑張り続けるというのは、それができる強者の立場の論理である。そして弱者に対してその価値観を「伝達」しているにすぎない。「伝達」によって一方通行のコミュニケーションとなり、それを考えることもなく受信した人々の間で、硬直した関係を生んでいる。この詩は、既成概念に疑問を投げかけ、読者に「自立」について強者だけでなく弱者を含めた再考を促し、変化を生み、新たな価値を創造する機会を与えている。硬直した関係の中での孤立した自立から、それぞれの長所やできることを活かしあうなどの相互協力、相互依存としての自立の概念へのパラダイム・シフトを提起している。「頼む」という行為を特別視するのではなく、普段の人々の生活の中でおこなっていることと同じ行為として「発見」し、「頼む」ことを通して人々の交流、繋がりを取り戻すことを試みている。

自立ってなんだろう。
人に迷惑をかけないこと?
いつも頑張り続けること?
なんでも一人できちんとできるようになること?
自分でできることは自分ですること?
一人でできることがよいこと?
できないことは悪いこと?
自分でできることを頼むことはズルいこと?
自分でできないことを頼むのはもうしわけないこと?
(中略)
なんでも一人でやろうとしたら、
人に頼むことを忘れてしまった。
頼みたいことを言葉にしないでいたら、
気持ちが胸につまってしまった。
(中略)
頼むことは日々のくらしのなかにたくさんある。
人に道を尋ねるのも、頼むこと。
美容院で髪型を伝えるのも、頼むこと。
レストランで注文するのも、頼むこと。
食事に誘うのも、頼むこと。
(中略)
思い切って頼んでみたら、
人と一緒に生きることができる。
私は自立の一歩を踏み出した。
新しい道が見えてきた。

(八巻,2006,p80-83)

自立が価値ある規範とされる社会の中で、東日本大震災以降、人々の「繋がりが大事」というメッセージがメディアやボランティアの中で叫ばれ、見直されている。硬直した関係の中の孤立した自立から、相互依存の自立へとのパラダイムを変換することで、豊かな人間関係への再構築が可能と思われる。そういった関係性の構築に難聴者が自立していくことで寄与できるであろう。

第2節 難聴者にとっての自立生活運動の概念の必要性

(1)力の剥奪モデルと難聴者の置かれた状況

本論における分析枠組みの1つは、フリードマンの「力の剥奪モデル」を難聴者の社会的におかれた状況に適用したものである。どのようにして社会的な力への基盤が「剥奪」されているであろうか。そして難聴者の自立生活モデルが必要か、論じる。

図3-1 フリードマンの「力の剥奪モデル」
(「社会的な力の基盤へのアクセス不足」としての貧困)

ジョン・フリードマン(1995)p.115 フリードマンの「力の剥奪モデル」より抜粋

フリードマンの「力の剥奪モデル」では世帯経済が単位の基礎となるが、難聴者の自立生活モデルでは個人を単位と考える。そして「貧困」を「孤独」に置き換えて、力の基盤へどのようにアクセスが制限されるのか、社会モデルの視点で分析する。

①防衛可能な生活空間

防衛可能な生活空間は「親しく助け合える都市の近隣社会の中で、安全で恒久的な足場」(フリードマン1995, p.116)と定義できる。難聴者が周囲の人とコミュ二ケーションが取れないということは聴力の問題と思われるかもしれない。しかし、筆談を依頼しても、必要性の理解不足のためにやってもらえない、あるいは面倒くさがる態度をとられるということが1つのアクセス制限となっている。福祉制度を利用して、難聴者が要約筆記を活用して他者とコミュニケーションを取ることは可能であるが、現在の福祉制度の利用は手帳を持った人たちに限られる。そのため手帳を持たない難聴者や、難聴者とコミュニケーションを取りたい健聴者が、要約筆記利用を望んでも、要約筆記を利用することはできず、社会基盤へのアクセスから排除されることになる。アクセスの排除によって、家庭や近隣社会の中で親しく助け合える関係性の構築が制限され、安全で恒久的な足場が脅かされる。

②余剰時間

社会的な力への基盤の中で二番目に価値があるとされる余剰時間であるが、それを決定する変数の一つの例として通勤時間が挙げられている。もし通勤途中で人身事故による電車運遅延が発生した場合、音声によるアナウンスしかない。そのため難聴者は何が起きたかわからず、状況が把握できないために不安になるだけでなく、勤務先に正確な情報を伝えることができない。周囲に聞くなり、筆談を求めて応じてもらえば良いが、他の乗客も落ち着かないだろうから、対応してもらえる可能性はかなり低い。ホームであれ車内であれ、文字で事故情報が得られるなどのインフラ整備が必要なのである。保健医療へのアクセスも同様である。病院の配慮がないと、診察に呼ばれても気づかず、後回しにされることがある。このようにして余剰時間の確保に制限が発生する。

仮に余剰時間が十分であったとしても、字幕のない映画、コミュニケーションが取れない地域社会などそこに参加がしにくい。アクセスしにくいために余剰時間を有効に使えない。可能な範囲での選択しかなく、機会の最大化が求められる。

③知識と技能

教育や技能へのアクセスは必要不可欠なものである。難聴者が学校教育を受ける際に十分な情報保障や配慮を受けられない場合、知識の習得に制限を課せられる。技術習得としてOJT(On the Job Training;仕事中,仕事遂行を通して訓練をすること)があるが、研修での情報保障や指導員、監督者と円滑なコミュニケーションが取れない場合、知識・技能習得への大きな制限となる。

④適正な情報

ここでは意味ある情報へのアクセスが重要視されている。Bで述べたように教育の機会のおけるアクセスの問題だけでなく、一般的な生活の中では、テレビ番組に字幕が増えたとはいえ十分ではない。教養のためのDVDにも字幕がないなど、難聴者にとって意味ある情報へのアクセス制限は多い。特に災害時は顕著である。東日本大震災や福島第一原発事故が起きたとき、NHKのニュースなどでは字幕が僅かにしかなく、生命が脅かされる状況である。

⑤社会組織

フォーマルやインフォーマルな組織へのアクセスは、機会集合の最大化を図り、意味ある情報や相互支援など人生の豊かさへの機会と捉えられよう。しかし、コミュニケーションの難しさから難聴者は組織への参加に遠慮しがちであり、障害受容ができていなければ、障害を隠そうとするので組織へ所属することはストレスになる。障害を受容したとしても,自己信頼の回復のレベルにまで到達しえないと、要約筆記などのコミュニケーション支援を利用し、他者に筆談や、聴能に合わせたコミュニケーションの依頼は難しい。そうなれば組織へのアクセスも難しいのである。難聴者が安心して参加できる場が当事者組織だけではさみしすぎる。また、当事者団体へ参加することのメリットとして、以前は生活を豊かにする情報やイベントの情報を得られることであった。しかし最近ではインターネットの普及により必要な情報が簡単にアクセスできるようになり、その点では当事者組織の魅力が薄れつつある。むしろ、他の人と平等に、一般的に、社会組織に参加するニーズが大切になっている。

⑥社会的ネットワーク

水平的な関係の豊かさを問題にしている。障害(impairment)故にコミュニケーションの難しさから関係作りに困難があるのは事実であるが、Dでも示したように、障害の受容レベルや社会資源の活用能力によってアクセス制限が増大する。

⑦労働と生計を立てるための手段

農業よりは自営業、自営業よりは企業勤務の順にアクセスが難しくなる。江戸時代には視覚障害者には座頭などの制度があった。幕府によって労働生産手段の機会が提供されていた。しかし聴覚障害者に対して救貧制度がなかったことを考えると、アクセスの難しさは低かったと思われる。農業などの自営業で生計を立てられれば良い。しかし、多くの難聴者は会社勤務であり、第2章第3節でも記述したように職場で孤立し、継続して働くことが困難になるケースもある。あるいは孤立し、仕事が与えられないなどの差別から、能力給の賃金体系の中では収入を増やしていくのも難しい。独立を支援する社会的環境もほとんどないのが現状である。利益を最大の目的とする企業の中では、要約筆記などの情報保障はコスト増とみなされ、採用の時点で敬遠されるのである。

⑧資金

純貨幣資産へのアクセスに制限があるとすれば、それは企業での評価制度に大きな原因がある。企業組織の中でうまくコミュニケーションが取れないことにより、仕事に対する意欲の低下、仕事の減少や組織内での孤立が生じる。能力主義賃金体系が一般的な現在では出世が望めないため、賃金による純資産へのアクセスが制限されるのである。

これまでの制限例をみたように、社会モデルに立脚してみると様々な制限により力の基盤への機会が奪われていることがわかる。アクセスできない状況は、「貧困」と「孤独」が同時に成り立つ。これらの制限を排除していくことを目指すのが難聴者の自立生活モデルである。

(2)補聴器、人工内耳の限界

人工内耳とは補聴器が使えないほど重度な感音声難聴の耳に最終手段として選ぶものである。人工内耳手術を受けてみて効果がなかったらまた補聴器に戻るという選択はできない。「人工内耳を選択する前に、最新の高性能は補聴器を最大限に試してみても効果があがらなかったのかどうかを確認しておく必要がある」(大沼,2012,p.57)。補聴器を最大限に試す方法として補聴器販売店から借りて試聴することも可能である。しかし試聴期間が1ヶ月程度だとしたら充分だろうか。音を必要とする生活場面は、日常生活ばかりではない。映画、音楽、演劇などの趣味、出張や旅行、冠婚葬祭、講演会やセミナーなど、環境が変われば音の量や、騒音などの環境音も変わる。声の反響も変わる。こういった生活環境の変化に応じた補聴器のフィッティングが必要であり、環境の変化に応じて最適なフィッティングをする必要がある。また、借り手としての心理も働き、「お借りして汚してしまっては申し訳ない」、「もし壊れたら弁償が大変」といった心理も働く。複数ある補聴器を同時に試聴して最適な一つを選択するのも現実的ではない。

さらに購入するとなると、高性能補聴器は片耳1台だけでも40万円もかかる。言葉を明瞭に聞き取り、環境音などの方向性やバランスを聞く必要があることから、両耳装用が奨められている。両耳装用すれば80万円はかかる。旧自立支援法の日常生活支援事業の補装具支給の中で、補聴器の耐用年数は5年とされている。その点で人工内耳は健康保険が利く(9)ため、入院費用なども含めて13万円程度と施術した方から聞いたことがある。補聴器の性能の限界よりも、経済的な限界から人工内耳を選択することもある。大沼(2012,p.57)は「補聴器の効果がないと決め込んで補聴器のフィッティングや活用訓練を安易に諦め、残存保有する聴力を使ってコミュニケーションすることを断念してしまった聴覚障害者には人工内耳の効果は十分に期待できない。補聴器が使いこなせなかったのと同様、人工内耳も使いこなせないことが予想されるからである」と指摘している。

では、リハビリテーションを積極的に受けたら、聞こえの問題は解決するだろうか。筆者の周囲の人工内耳装用者でも、手話や要約筆記を利用して会議に挑んでいるのがほとんどである。このことについて大沼(2012,pp.57-58)は「現在、人工内耳を装用した時の音場聴力検査の結果はほぼ25デシベル(以下、?)近くまで補償されるほどの効果が認められている。WHO(世界保健機関の難聴程度の分類において聴力正常者の平均聴力レベルが25?以下とされていることを考えれば、人工内耳による音の検知がいかに優れているかが分かる。例えば術前の聴力レベルが120?以上の全聾や最重度の難聴であっても、人工内耳装用時の聞こえのレベルは25?になる。しかしそれよりも比較的軽い場合、たとえば術前には80?の難聴であっても人工内耳装着時の聞こえのレベルは同じように25?になる。つまり聴力が重い聴覚障害者であればあるほど聞こえの回復幅が大きく、逆に難聴者の程度が軽いほどその効果は小さい」という。

しかし、この指摘では、あくまでも音を検知することに人工内耳のメリットを強調しているが、言葉を聞き取れない、聞き分けができない点の改善には言及していない。「まず人工内耳手術適応には、難聴の程度以外に、失聴時期と失聴期間とが重要な判断基準となる。もっとも人工内耳の効果が期待しやすいのは、中途失聴あるいは3〜4歳以降の失聴で、しかも失聴期間が短いうちに人工内耳を装用できた場合である」(大沼2012,p.58)。つまり誰もが人工内耳によって他者と対等なコミュニケーションが可能になるわけではない。また大沼は音声言語を獲得しないうちに失聴してしまった聴覚障害者の場合でも、軽度の難聴者が日常生活で遭遇する聞こえの不自由さを経験すると指摘している。人工内耳の装用効果を高めるリハビリテーションとそのプログラムも十分ではないうえに、家庭や学校の教育環境にも課題があるわけだ。特に療育や教育において見落としがちなのは、音が聞こえても、言語能力の増進は別問題であることだ。

人工内耳の装用により聴覚の回復は人それぞれである。装用者の多くは軽度から中等度の難聴の人と同じような聞こえの不自由さを経験する。リハビリも必要になる。医療モデルに立脚した専門家によって、健聴者に近づけようとするリハビリによる社会統合が試みられるとしたら、難聴者としてのアイデンティティの危機が発生する可能性がないとは言えない。聞こえの程度が曖昧になり、アイデンティティや権利意識が弱い場合、自分が必要とする支援、つまり聞き返しや筆談が求めにくくなる。

ところが、アクセシビリティやインクルージョンという理念のもと、個人のみに過度な努力を要求しない支援が前提になった場合、本人が気づかないうちに「異化」&「統合」という路線に組み入れられることになる。そしてそれがテクノロジーの進歩によって健常者にもほとんど気づかれないような形で行われた場合、「わたしは障害者である」という意識を明確に持つことは難しくなる。その結果かえって、自分自身が必要とする支援を意思表示する力、交渉する力を身につけていくのに、今よりも時間がかかることになる可能性がある。(中野,2012,p207)

人工内耳を装用するにしても、完全に健聴者のレベルになれず、難聴者としてのニーズを持つのであれば、中野が指摘するように意思表示する力、交渉する力が必要になる。

(3)福祉サービスの限界と新たな可能性

第2章第3節(2)で江東区の事例を述べた。難聴者が自由を求めて社会に参加していくには要約筆記が必要不可欠である。しかし、国連障害者の権利条約に基づいて、他の者との対等を求めても、実際に福祉サービスによる要約筆記派遣では限界がある。そのため自分が必要とするニーズを満たすために別の形のサービス提供を受けていく必要がある。例えば、ボランティアなど他の財から提供を受けることである。その例として、各大学が聴覚障害者の支援方法として学生ボランティアによる要約筆記を提供している。筆者が在籍する日本福祉大学にもあり、集中講義時にこの制度を活用して授業に参加した。

大学といった公的な機関だけに限らない。筆者は、2000年頃から特定非営利活動法人開発教育協会の会員としてイベントに参加している。当初は要約筆記もつかない状況であった。当時、派遣は東京都の事業であり、参加費を取るイベントには派遣が認められなかった。そのため、スタッフと相談して手探りでボランティアの力を借りて、要約筆記による情報保障の形を整えてきた。参加を可能にするために要約筆記だけでなく、ワークショップのファシリテーターも、ワークショップの参加者も、参加者として協力を呼びかけ、ボランティアによる要約筆記でも難聴者が参加できる形を整えてきた(巻末付録資料参照)。それまでの公的派遣の要約筆記は、主に難聴者の会議や講演会での情報保障を前提に方法が研究されてきた。しかしワークショップという学習スタイルには現行の要約筆記の技術では追いつかない。グループワークなどで難聴者が議論に参加できないケースが発生する。開発教育協会での取り組みは、こうした問題の解決となり、基本姿勢である「参加」の重要性を関係者に示すことに繋がった。

日本のNPOやNGOが障害者の参加に門戸を大きく開いていくこと、要約筆記などの情報保障を用意することは、組織の基本的姿勢として問われる。旧自立支援法によって障害者個人が福祉サービスを受けて自由に参加できるようになったとはいえ、派遣制限の限界があることには変わりはない。それ以上にNPO・NGOが門戸を開かない、情報保障を用意しないということ自体に、筆者は、障害者が「排除されている」と感じてしまう。財源の乏しさから主催者が「福祉サービスを利用して参加してください」とは言えないだろう。相互の関わりが求められる。特に開発を担う国際協力NGOにこういった基本姿勢が問われるのと同時に、難聴者側にも開発のプロセスとして団体への働きがけが必要になってくる。

また、筆者はアジア障害者問題研究会への参加も、研究会修了後の交流会は、他の参加者にボランティアで依頼して交流を楽しんでいる。主催者の中西由起子氏が、こうしたボランティアの力を借りて一緒に時間を楽しむことを提案してくれた。次節で述べるが、障害種別を超えた交流の必要性が、こうした経験に基づいている。

こういった実績が作れるのも、社会に参加できるからであり、周囲には必ず理解者がいるからである。同時に障害当事者が権利意識をもっているからである。

求められる福祉サービスについて、久野・中西(2004,p169)は「自立生活のような権利概念を基礎にしつつサービス提供を指向する混合型のアプローチである。権利指向を基礎に置きながらも、他者に対してその遂行を要求するだけでなく、まず自らが必要なサービスを作り出し、その提供の仕組みの制度的予算的保障を政府に求めていく」と指摘している。福祉サービスは、最終的には国家が保障すべきものだが、その限界も明らかだ。政府や行政のみでなく、当事者が主体となる新たな方法を見出さないかぎり、難聴者の社会参加の可能性は拡がらない。

(4)求められる地域社会への関わり

難聴者の運動は、主に全難聴による国に対しての運動と、都道府県レベルでの難聴者団体がそれぞれの都道府県において、福祉の拡大や向上を目指して運動してきた。身体障害者福祉法でも手帳の認定は各都道府県知事が認定するものと規定されている。

ところが2006年、自立支援法が成立し、それまでの要約筆記派遣は厚生労働省のメニュー事業から区市町村の事業へと移管された。このことにより、これまで都道府県レベルで要望してきたものが区市町村レベルでの事業の継続へと要望が変わっていった。これによって発生する課題は第2章第3節(2)で述べた通りである。例えば東京都であれば、これまでは東京都に対して要望してきたものが、62区市町村へ要望していかなくてはならなくなった。しかも、区市町村の事情によって障害者基本計画に盛り込まれる内容も異なる状況が出てきた。都内でも区市レベルでの難聴者の組織は存在するが、ほとんどが親睦を目的とした組織である。

全難聴は、「聞こえの保障」を実現するために組織強化を急いでいた。「生きるために多くの不幸せな同障者の幸せを築き上げるために、前向きの革新の道をとる以外に残された道はない」(入谷・林,(2013),p.133)とあるように、革新の手段として組織強化を急がなければならなかった。国へ要望を訴え続けた。その結果として要約筆記派遣のメニュー事業や文字字幕放送の実現、著作権改正といった成功が導かれた。しかし、2006年の自立支援法施行により、福祉サービスのほとんどが区市町村レベルに移管され、区市町村レベルでの運動が必要となっていった。その結果、区市町村レベルでのリーダーの必要性が新たに顕在化した。それまで組織強化を図ってきたものの、リーダー養成という課題は見落とされていたのだ。そのため区市町村レベルでの運動体としての組織も力も無に等しい状態である。

また、福祉の向上はしたとはいえ、難聴者はアイデンティティの獲得が難しく、障害受容や、自立生活運動のピア・カウンセリングのように自己信頼の回復といった自由の拡大を求める支援を全難聴は実施してこなかった。そのため健常者に同化しようとして、健常者の世界の中での下位文化の意識のままとなっていたのである。

(5)聴覚障害者の自立生活センター

2013年11月12日、筆者は兵庫県西宮市にある聴覚障害者自立生活センターLIC(Life Is Communication)を訪問し、代表の山岸かな子氏に面談した。LICは日本で最初の聴覚障害者が運営する自立生活センターで、2010年6月に発足した。彼女も難聴者である。LIC設立のきっかけとしては、彼女が他の障害者の介助者として働き、介助の一環で行政に働きがける車いすユーザーの権利擁護活動を垣間見ていたことであった。彼女は介助している障害者から、何故聴覚障害者は運動をしないのかを問われた。そこで車いすユーザーと聴覚障害者との間にあるサービスの「格差」を痛感し、運動の必要性を感じたのであった。山岸氏は「聴覚障害者は手話や要約筆記があるところに行く。自分で交渉して情報保障をつけてもらうという考え方がない」と指摘する。さらに、ある財団から助成を得ていても、聴覚障害者が「どこに使っていいか、わからない」という悩みがあるようであった。

事業内容の大きな特徴としてはパーソナル通訳がある。通常の派遣での社会サービスは手話通訳か要約筆記しかない。しかし、ここでは復唱による通訳、電話通訳など、聴覚障害者の多様なニーズに合わせた通訳派遣を実施している。復唱通訳は、例えばセミナーなどで要約筆記や手話通訳ではなく、隣に通訳者に座ってもらい、講師が話した内容と聴覚障害者の耳元で復唱して理解を助ける通訳である。この他に文字起こし・字幕付与のサービス提供、権利擁護、行政との交渉、各種相談、ピア・カウンセリング、講演などの啓発活動、パーティなどの居場所作りを実施している。特に西宮市は、病院などへの派遣しか認めず、しかも月1回程度しか認めていない。交流などの場には認めず、西宮市の聴覚障害者は機会集合の最大化(p3l22参照)が十分に図れていない状況にある。

さらにLICでは、行政による福祉サービス以外に、聴覚障害者が自立できる機会を増やす必要を認識している。要約筆記の養成が課題で、厚生労働省が示した102時間の要約筆記者養成カリキュラムとは別に独自に養成している。そのカリキュラムは14時間と短い。しかし、山岸氏は「短い時間でも派遣可能にしたい。入口のところでなんとかしたい」と語ってくれた。

第3節 難聴者のエンパワーメントのための理論

(1)医療モデルから社会モデルへ

医学的に難聴、特に感音性難聴の治療は困難である。聴力や聴能を補う方法としては補聴器がある。技術革新も進み、とくにデジタル補聴器の開発により、その人の聴力に合わせて聞こえを改善してきた。また、人工内耳は、1980年第以降、急速に普及していった。

しかし、こうした補聴器や人工内耳による聴覚補償は、障害を聴覚という機能そのものをみており、機能を改善することで障害問題が解決できるという考えに基づいている。しかし、補聴器を装用しても、人工内耳を装用しても、聞こえが回復せず、他者や社会と関われていないのが現状である。いくら高性能な補聴器を装用しても人工内耳を装用しても、健聴者並には聞こえない、聞き取れない。故に授業やセミナーに参加しても理解できないのである。機能を回復させて社会参加を可能にするという点では、ある意味では社会の側面から捉えていると言える。しかし、果たして聞こえないことだけが障害なのか。「この医学モデルは『社会の不利』として社会的側面をとらえつつも、その原因は機能障害であるという線形帰結モデル的な見方によって、結局は障害の本質を心身機能という領域に押しとどめ、障害者が直面している最大の課題である不平等や差別を障害として読み解くことを十分にはなしえなかった」(久野・中西、2004,pp71-72)とあるように、医学モデルでは聞こえの障害を十分に捉えていない。

他方、社会モデルは医療モデルを批判することから始まった。「『社会参加の機会が平等で、差別がないかどうか』という見方を基礎にすることで、『社会』そのものを見る対象とし、不平等で差別的な社会の構造や制度、人々の態度を障害と捉え、不平等な社会(障害のある社会)を平等な社会(障害のない社会)へとすることを目標とする」(久野・中西、2004,p72)としている。その社会モデルの事例として久野・中西は自立生活運動を挙げている。

福祉サービスの限界は予算に限らず、制度の面でも問題がある。それは健聴者が聴覚障害者とコミュニケーションを取りたい場合に健聴者本人が手話通訳や要約筆記などの福祉サービスを活用できないことである。健聴者側にも支援が必要なのである。医療モデルだけで障害を見ていたら、社会の中にある課題の本質に気づかないのである。

(2)ケイパビリティ・アプローチとエージェンシー

筆者の考える「難聴者の自立生活」は、中西が定義した障害者の自立の定義を援用している。中西の研究では「『地域で平等な機会が与えられる』という要素も『障害者の自立』の概念に付け加えたい。その理由は社会に参加していくためには教育、就労、交通機関、建築上のアクセス、社会の障害者の受け入れ体制などの環境整備などの、機会の保障が充分にされることが必要であるためである」(中西,2006,p.7)として社会が平等な機会を提供することを主張している。その背景をなすのがセンのケイパビリティ・アプローチであり、「Sen(Sen 1999、p25,210,233)は、福祉の基準となるのは、富や所得のような手段ではなく、また幸福といった主観的結果や効用でもなく、多様な生き方を実質的に可能とする選択肢の広がり(ケイパビリティ)であるとしている。そこでは、形式的な『機会の平等』ではなく、ある人が自らの価値あるとする生き方を実際に実現できるための社会的な条件がどれだけ整えられているか、その機会集合の大きさこそが問題である。筆者の言う機会の平等とは、Senが唱えるように、機会集合の最大化が個々人にされることが前提となる」(中西、2009,p.7)。

筆者はさらにセンのエージェンシー概念を定義に加えたい。その理由は、単に社会に機会集合の最大化を図る開発プロセスを要請するだけでなく、次節に述べるフレイレの問題提起型教育やそのコミュニケーション方法と対話を必要とするからである。社会モデルにおける障害の一つに「人々の態度」がある。機会の不平等だけでなく、人々のコミュニケーションに対する無意識、それは繰り返すのが面倒くさいとか、聞こえて当たり前の世界の中での難聴に対する理解の乏しさ、存在の無視に対抗していくためである。エージェンシーとは、たとえ個人の福祉が実現されなくとも、社会において価値あると思う目標のために主体的に行動することである。これを地域で実践することで、豊かな繋がり、人々の協働による豊かな地域社会生活とQOL(生活の質)を向上させていくことができるのである。

(3)フレイレの意識化

難聴者の自立生活モデルにおいては、フレイレの意識化とその実践としての対話が重要になってくる。中西(2009, p.21)は「ファシリテーターと対話することによって、人々が持つ知や考え方を正しくないものとして本人自身が気づき、改めていく『対話型アプローチ』が取られるが、自立生活センターでは同様に、『ピア・カウンセリング』の手法がとられる。この中では障害を持つピア・カウンセラーが対等な関係で本人の自立の過程に寄り添い、本人が気づかなかった障害の持つ意味を社会の抑圧や差別がそれをもたらしていることに気づかせることによって、本人の自立の意欲を高めていく」と、自立生活運動の中でのフレイレの位置づけを説明している。

さらに「難聴者の自立生活モデル」では、上記の課題提起アプローチに加えて、フレイレの「人間存在論」が重要な意味を持ってくる。難聴者が社会の中で、聞き返しや筆談によるコミュニケーションを図ろうとするとき、相手には大きな声を発すれば聞こえるという思い込みがあり、大きい声で応えてくる。しかし、それは逆効果で、響きすぎること、周囲を驚かせてしまうことがあり、さらに、見下されているという劣等感を難聴者は感じるのだ。あるいは、相手によっては面倒ということで嫌な顔をされたり、無視されたり、断られることがある。威圧的な態度で言ってくる人もいる。そういったことを何度も経験するので、難聴者は次第にコミュニケーションを取る意欲をなくし、社会から離れていってしまう。単に誤解しているだけの相手にも、説明する気持ちが湧いてこないのだ。ここで理解しておくべきことは、こういった抑圧的な人は、他の所で他の難聴者に対しても同様の行動を取りかねないことである。これに対して、難聴者がフレイレの「人間存在論」を知っておくことは、自身にも社会にも変化を与える力になる。

 もしかすると逆説的にきこえるかもしれないが、じっさいには抑圧者の暴力にたいする被抑圧者の抵抗のなかにこそ、かれらの愛の意思表示gestを見ることができるのだ。被抑圧者の反逆行為は、その原因となった抑圧暴力と同じように、多かれ少なかれ暴力的なものになるが、にもかかわらずこの被抑圧者の行動は、意識的にか無意識的にか、愛の行為のはじまりともなりうるのである。
 抑圧者の暴力は、被抑圧者が人間として存在することを禁圧するものであり、そうである以上、この暴力にたいする反撃は、人間であることへの権利を求める渇望に根ざすものと言わなければならない。
 抑圧者は、他人を虐げ、抑えつけたからといって、だからといって人間として存在できているわけではない。被抑圧者は、みずからが人間として存在するためのたたかいのなかで、他者を抑圧して蹂躙する権力を抑圧者から剥奪し、それによってかれらの人間性をも回復していく。抑圧を行使するなかで失われていったかれらの人間性を、だ。(里見(2010)pp.84-85)

そしてフレイレはこう付け加える「被抑圧者は自らの人間性を取り戻す過程で(そこに人間性を創造する道があるのだが)、抑圧者に転じてはならず、むしろ両者の人間性の回復者とならなければならない」(フレイレ、パウロ(小沢・楠原他訳)(1979)p.17)と戒める。

(4)構造的暴力としての障害者問題

ヨハン・ガルトゥングは、構造的暴力の概念を打ち出し、平和を2つの概念で説明した。一つは単に戦争などの直接暴力のない「消極的平和」であり、もうひとつは、直接暴力だけでなく差別や貧困のある状態を解決していく「積極的平和」である。

障害者の権利条約では、合理的配慮の不提供を差別と定義している。差別を黙認せず、改善を試みていく、積極的平和構築が求められていく。開発学や平和学の立場からは、障害者の権利条約の実践と普遍化は望ましい社会構築に繋がっていくであろう。

しかし、難聴者が直面する健常者とのコミュニケーションにおいて、筆談を要求し、断られたらそれは差別になるのだろうか。日常生活のありふれたところで、筆談が必要になる状況はたくさんある。このとき、人々が筆談に応じるかどうかは、本人の良心によるものであり、法が支配、介入する場面ではない。これを差別と判断するのは難しいし、差別とするならば両者の関係はギクシャクしてしまう。難聴者が地域社会から、より一層排除される恐れがなくはない。一般の人々の対応までもが合理的配慮の対象となるなら、筆談を要求するのも権利であり、断るのも権利である。お互いが依存し合って対等な関係が理想であるが、現実は難しい。しかし、そういった要望が通る社会が望まれ、そのための文化や環境を変えていくことも意識しておきたい。したがって、筆談を要望して理由如何にかかわらず断るのは差別ではないが、障害を理由に対話せずに無視するのは差別である。

健聴者にも難聴者のこうした要望に応えられないことで苦しむ人もいるだろう。そうしたときには第3者の支援が必要になる。

法が関与、介入しない、人々の良心に判断が委ねられる場面において、積極的平和の構築を、エージェントとして実践していくことは、フレイレの非人間から人間化への対話行動とも繋がっている。

第4節 難聴者の自立生活モデル

前章までみたように、難聴者運動は難聴者の社会参加のために、要約筆記などの通訳や補聴援助システムの普及など障害の医療モデルに基づくものから、社会モデルの視点へと運動が展開されてきた。自立支援法の成立により要約筆記派遣事業は区市町村の事業と移管され、地域レベルでの運動が求められるようになってきた。また、福祉予算には当然ながら限界がある。難聴者が生活していくうえで、すべてにおいて情報保障がつくことはあり得ない。むしろ、社会モデルでアプローチするということは、行政に対して施策の充実や予算の拡大だけでなく、差別に気づいていない一般社会に対して発信することを通して、文化的側面から社会変革していくことを意味する。そのためのモデルが「難聴者の自立生活モデル」である。このモデルは仮説的に以下の5つの構成要素を持つ。

(1)ピア・カウンセリング

難聴者の自立生活モデルの中で最も重視したいのがピア・カウンセリングである。障害の受容から自己信頼の回復へ向かい、難聴者としてのアイデンティティを持ち、必要な支援について意思表示していくためには欠かすことのできない、重要なものである。

難聴は目に見えない障害ゆえに、他者との関係作りが困難である。精神的なダメージが大きく、また精神的な支援を必要とするからである。ピア・カウンセリングの定義については、「ピア・カウンセリングは障害を持つカウンセラーが同じ障害を持つクライエントに行うカウンセリングである。しかし、一般のカウンセリングと全く違うところは、ピア・カウンセラー自身は専門家ではなく、受け手のクライエントである障害者と対等な関係を持つ仲間として、話を十分聞いてあげる存在」(中西、2009、p11)と規定される。

ピア・カウンセリングの必要性として、「施設や親許に長くいると、用事を頼むときに相手の顔色を伺う習性が身についてしまい、卑屈で相手にいつも不満で、自分自身の問題点に気づこうとしない。これは長年生きる知恵として施設や親許で本人が獲得してきた生活技術でもあるので、本人の考え方が変わらなければ解決の道はない」(中西、2014、p38)と指摘されている。これはなにも生活介助を必要とする身体障害者のみでなく、聴覚障害者もまた、相手の顔色を恐れて筆談や聞き返しを求めることができず、曖昧にしてしまう点と同じである。コミュニケーションの成功体験が乏しいために、相手を理解するということはどういうことなのかを理解できないでおり、このままで良いのだと判断して、問題に気づかないのである。

ピア・カウンセリングの効用としては、「ピア・カウンセリングによって自分の障害が自分の身体的欠損ではなく、社会の側の障害者を受け入れる態度や偏見のために普通学校や企業に就職できないことや、街の建物に階段があったり、公共バスに段差があったり、電車の駅が橋上にあってエレベーターが設置されていないために乗れないことから障害が発生することに気付いていく。介助を受けることはこれまでは家族に迷惑のかかる罪であると認識していた障害者がピア・カウンセリングを受けること、介助は社会が提供する義務をもっており、障害者は介助を要求する権利があるのだということに気づき、介助を使って自由に外出することを肯定的に受け止められるようになる。このような精神的な自立ができた障害者は家族のもとを離れ地域の中で見知らぬ他人の介助者に介助を受けながら、自立生活センターの支援で地域生活が可能になる精神的な基礎を確立していく」(中西、2006、p11)とされている。

難聴者がピア・カウンセリングを受けて精神的自立を達成できると、たとえば大学の講義に際して、ボランティアの要約筆記に対しても遠慮せず活用でき、大学や国、行政に対して権利として情報保障の必要性を求めていくことができる。企業においても必要なコミュニケーション支援を求め、満たされることで自らの能力を発揮する機会も増える。公共交通に対しては緊急時に文字などで情報が他の者と等しく得られ、適切な避難行動や連絡(例えば会社への連絡)ができる。つまり、ピア・カウンセリングを通して精神的な自立が可能になれば、社会の側にあるバリアを取り除き、一般の人々がもっている障害に対する差別や偏見に気づきを与えることが可能なのである。一般の人々も、自分の中にある偏見に気づき、自らを人間化していけるのである。

(2)自立生活プログラム

自立生活プログラムは、ピア・カウンセリングによって精神的な自己確立をした障害者が、地域の中で障害者として暮らしていくための日常生活上のノウハウを獲得する研修である。難聴者の場合、手話を学んでコミュニケーション手段を増やすことはもちろん重要だが、ピア・カウンセリングによって権利に気づいたとしても、その権利を一方的に主張してしまい、関係を悪化させ孤立してしまうことがある。

こうした課題に対するコミュニケーションスキルを磨き、良好な関係の構築、通訳や協力者の有無、欲求の充足など、円滑な生活力を身につけていくものと位置づける。難聴者が自立生活を達成するには次の8つの能力が必要と考える。

①目標設定

②自己認知

③健康管理

④手話通訳や要約筆記について

⑤家族関係

⑥金銭管理

⑦アサーティブネス

⑧性について

上記8つのプログラムの要素はヒューマンケア協会が発行する『自立生活プログラムマニュアル第三版』(1997)を参考にして考案した。

①の目標設定は、「普段の生活の中では、目標設定(ゴールを立てること)はなにげなくなされ、ほとんど意識されることも有りませんが、阻害された状況に長い間置かれてきた障害者にとって、改めて目標を問い、また立てることは非常に意義のあることです」(ヒューマンケア協会,(1997),p.6)。ただ漠然と過ごすより、目標を立てて主体的に生活して行くほうが充実する。小さな目標でも良いので、実践を積み重ねていくことで自信もついてくるであろう。

②はピア・カウンセリングの補強である。自分が得意とするコミュニケーション方法を曖昧にせずに明確に認識する。その上で、コミュニケーションを成立させるために相手のコミュニケーション方法を確認し、どうすればお互いにコミュニケーションが取れるか、考えていく。これによって新たなコミュニケーション手段の必要性を認識し、①の目標設定と合わせて自己啓発へ促していける。また、緊急時(急病、災害)の対応方法を予め学習しておくことも重要である。

③健康管理は障害の原因や程度を理解し、他者に説明できることである。筆者も障害を受容し始めたころは自らの障害について説明できず、もどかしい経験をした。それは同じ経験をしたものであれば共感をもって「なんとなく」「感覚的に」理解できるかもしれない。しかし、自分で説明できない限りは相手にも理解されない。基本的な知識を持ち、説明できることが重要である。

④は手話通訳や要約筆記など、会議やセミナーなどで必要なときにどう確保するか、機会集合の最大化を図るために必要なスキルである。前提として、ピア・カウンセリングによる自己信頼の回復が必要になる。福祉サービスの活用から支援してくれる仲間を見つけ、増やしていくことをねらいとする。

⑤の家族関係は、ヒューマンケア協会(1997、p37)では、「長年、家族に依存した生活を余儀なくされてきた障害者にとって自立生活に向かうに当たって家族関係を見直し、どういった関係を新たに作り上げたいのかを知ることは、自立生活により確かなサポートを得るために重要です」としている。家族から自立するということは、たとえ家族であっても全く違った人格同士であることを認識し、自分で考えたことを自分で決定、責任を持つことを意味する。関係が煩わしいからといって一人暮らしをするのではなく、話し合いを通してお互いが自己決定することの大切さを学ぶ。しかし、話し合いがまとまらず止むを得ない場合は家族と離れて一人暮らしをし、自己決定によって充足した人生が送れることを示すのも有効であろう。

⑥の金銭管理は、自分の財産を管理することを学習のねらいとする。仕事による収入だけでなく、障害程度によっては障害基礎年金や区市町村が支給する障害者手当、自動車税の減免など、現金資産を確保する情報を得るだけでなく、自己実現のために計画的にどう運用するか、経済的な自立を実現するために学習する。普段の消費生活についても見直すきっかけになる。

⑦のアサーティブネスは、相手を傷つけずに、自分のニーズや権利を満たすコミュニケーションスキルである。権利を侵害されたとき、怒りを相手にぶつけてしまいがちだが、攻撃するのではなく、問題が解決できるように、ピア・カウンセリングで得た自己信頼を持って相手と上手にコミュニケーションを取るスキルを磨く。また、筆談などを要求したときに相手が断ることもある。それも相手側の権利として認めつつ、どう自分のニーズを満たしていくかを探ることも含める。

⑧の性について、ヒューマンケア協会((1997 )p.61)では「障害を持つゆえに恋愛や結婚に恐れを抱いている障害者は少なくありません。恋愛や結婚を含む性が、特に障害者の場合は語ることさえはばかれるという状況が依然としてあり、自立生活の中で、性的存在である自己をとりもどすことは、非常に大きなチャレンジとなることでしょう。性に関するマイナスのイメージを取り払い、その重要性を正しく認識し、豊かなセクシャルライフを送る手掛かりとなる」ことをねらいとする。ネットが普及し性の情報も簡単に入手できるようになり、性に対する恐れも薄らいできたと思われる。しかし、それによって語り合うこともが少なくなることが懸念される。

(3)権利擁護

ここでいう権利擁護(アドヴォカシー)には、代弁するという意味は含まない。障害者本人によるセルフアドヴォカシーを意味する。権利が侵害されたときに、共に闘ってくれる仲間がいること、あるいは侵害された仲間に寄り添って共に闘っていくことを想定している。

難聴者組織は、主に都道府県レベルで組織されている。しかし2006年から始まった自立支援法では、要約筆記などの派遣事業が都道府県から区市町村の事業に移管された。このことにより区市町村レベルでの運動と権利擁護が必要となり、難聴者として社会参加の機会を維持していくためには、仲間を支援し、区市町村レベルで組織化していく必要に迫られているのである。第2章第4節で江東区の事例を述べたが、その事例からもわかるように区市レベルでの運動や権利擁護活動が必要になってきている。

(4)障害種別を超えた交流

障害を超えた交流の必要性は、上記の権利擁護とも関連するが、障害者が仲間として共に行動するためにお互いの理解と必要なニーズが何であるかを理解する必要がある。そしてそれが災害時の協力にも繋がっていくであろう。ほかの障害から学ぶことで、社会にどのような障壁や、コンフリクトがあるのかを知ることができる。何よりも自分の中に内在する他の障害者に対する差別心を解消していくことになり、差別と闘っていく力になるからである。

(5)自己と社会を変革する意識

難聴という障害を、医療モデルで捉え、補聴器、人工内耳で聴能を補うには限界がある。一方では、手話を学び、ろう社会の一員として生きる道もある。しかし、一般社会の中で生きたいと考える難聴者は多いはずである。それを可能にするためには社会モデルに立脚して、差別の根源は聴力以上に社会の無理解、人々の対応であると認識し、そこへアプローチしていく必要がある。

そのひとつとしてシステムアドボカシーがある。難聴者運動は、要約筆記というシステムを産み出し、難聴者の社会参加を可能にしてきた。しかし、第2章第3節で述べたように、江東区の事例ではあるが要約筆記の利用数時間はろう者の手話と比較して非常に少ない。その理由として、手話を学んだ難聴者がピア同士で完結していることが考えられる。もう一つは社会参加を諦めたか、要約筆記などの行政サービスを知らないと考えられる。だがしかし、仮にサービスの有無を知っていたとしても、自立の概念がないかぎり、サービスの受け手である自分自身を肯定できず、それを利用して社会参加することには繋がらない。

ピア・カウンセリングで自己信頼を回復し、自立生活プログラムを通して聴覚補償とコミュニケーションスキルを高め、社会資源を利用するだけで終わるなら、医療モデルの障害者観でしかなく、生きるための技術を身につけたに過ぎない。自分が社会資源として社会モデルに立脚して社会参加していくためには、フレイレの思想が必要になってくる。「人間が世界を変革することを通じて自らを変革する過程の一モメントである」(ガドッチ、1993、p116)というように、地域社会の変革を意識しなくてはならない。難聴者に対して繰り返して話し、筆談に応じるのは、多くの人にとって面倒な作業であることには間違いない。しかし、それを理由に難聴者を排除する行為に繋がるのであれば、その人は他の場所や他の障害ある人にも同様に差別するであろう。つまり、こうした「面倒な作業」は、フレイレのいう「非人間化から人間化へ」と繋がる機会でもある。こうして自分の周囲から地域社会の関係性を変え、構造的暴力の状況を積極的平和へと変えていくことで、難聴者が社会貢献できるのである。積極的平和を構築することに最大の価値を置くことによって、自分のニーズを満たすこと以上に、主体的な行動そのものが、自己選択、自己決定を意味する自立であり、本人の人格的成長を促すと考える。

主に重度四肢障害者の視点から確立された自立生活モデル」(略して一般モデル))と、その特殊解としての「難聴者の自立生活モデル」の相違は、①フレイレの理論援用に関して、一般モデルでは問題提起アプローチ、意識化に重点を置くが、難聴者の自立生活モデルでは「人間存在論」を追加した。さらに②ガルトゥングの「構造的暴力論」を援用し、「積極的平和」へ難聴者がエージェントとして関わることに重点を置いている。③社会参加の方法では一般モデルでは重度障害者が自立生活センターの運営を通して社会参加、社会変革を目指すのに対し、難聴者の自立生活モデルでは難聴者個人が社会、特に地域社会への参加を目指している。④経済的視点に関しては一般モデルでは重度障害者が事業を生み出して経済的な財を得るのに対し、難聴者の自立生活モデルでは、難聴者は身体を使って働くことができるので、難聴者が企業で働いて経済的な財を得て自立していくことを念頭に置いている。


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第4章 フィリピンにおける聴覚障害者をとりまく状況

第4章では主に事前調査や2004年以降に参与観察によって見聞した2つの地域での聴覚障害者の状況を記述する。

事前調査は2014年7月2日から8日間、本調査におけるインフォーマントの選定、調査協力を得ること、仮説を検討するための情報を収集することが目的であった。

筆者がフィリピンにおいて聴覚障害者と関わるきっかけとなったのは、2004年11月の訪問である。第1章で述べたが、友人に誘われてラグロハイスクール(Lagro High Schoolの聴覚障害者に出会ったのが最初であった。その後2009年1月に訪問した。この時はラグロハイスクール)の他にケソン市にあるLINKセンターというNGOを訪問した。ここでは手話通訳の派遣や1対1の対面による聴覚障害学生への学習支援の様子を見学した。翌年の2010年10月にはパンガシナン州ダグパン市を訪問し、DSWD(社会福祉開発省)のAVRC(職業リハビリテーションセンター)を見学させてもらった。2012年11月には聴覚障害者を支援するNGOであるFDWHCC(Filipino Deaf Women’s Health and Crisis Center)を訪問した。さらにラグロハイスクールで聴覚障害学生に対して、コミュニケーションや生活の状況を知るために簡素な質問調査の協力を得た。2013年7月4日にバレンズエラ市にあるフィリピンの自立生活センターLIFE HAVENを訪問し、代表のアブネル氏(Abner Manlapaz)に面談した。フィリピンにおける自立生活運動の状況をヒアリングすることと、ピア・カウンセリングを受講した聴覚障害者を紹介していただくことだった。こうしてフィリピンの聴覚障害者の理解を深めてきた。

第1節 フィリピンにおける障害者支援施策

フィリピンの障害者施策は、1992年に制定された通称「障害者のマグナ・カルタ」(Magna Carta for Disabled Persons共和国法.7277)がある。アジアでは比較的早い段階で障害者の法案が成立したことで評価されている。

 障害者のマグナ・カルタは、障害者のリハビリテーション、自己開発、自立、社会のメインストリームへの統合、そしてその他の目標を提供する法律と定義できる。この法は障害者をフィリピン社会の一員とし、彼らの全面的幸福や社会統合への国家の十分な支援、社会での同様な権利、政府への関心事としてのリハビリテーション、国家による障害者の福祉促進の際の民間部門の役割の認識と民間部門との協力、障害者の尊厳の主張と推進、社会統合を阻止する全ての障壁の除去を、原則としている。マグナ・カルタは次のような点を強調している。 <略>
 この法律で障害者の全面的な社会統合が政府の責任とされ、フィリピンの障害者はもはや福祉の対象者ではなく、やっと人間としての権利がみとめられることになった。(中西、(1996),pp160-163)

2004年には障害者のマグナ・カルタ第8章(共和国法.9442)が改正された。その実態としては以下のような状況である。

これまでフィリピンの高齢者に対して適用されていたホテルやロッジなどの宿泊施設、レストラン、映画館・コンサートホールなどの公共の文化・娯楽施設の利用、公立・民間の医療期間での診察や検査、公共の海上・航空・陸上交通機関での料金の20%割引が導入された。この割引措置を民間依存で行なおうという、言わば政府財政からのそう大きな負担なしで障害者の貧困削減を行おうという制度である。しかしながら、この割引制度も一般社会への周知が遅れていることに加え、制度を享受できるために必要な新障害者身分証明書の発行も地方自治体依存のため、遅れている。現在も政府関係の部署のほか、障害者団体を通じて、周知が図られているところである。(森(2010)「障害者差別と当事者運動〜フィリピンを事例に〜」小林昌之編『アジア諸国の障害者法』(p.187))

物理的バリアフリーにかかわる多くの規定がある一方で、聴覚障害者に関する条項は、ほとんど規定されていない。フィリピンにおいては聴覚障害者に関してはほとんど法律の中では権利としては保障されていないのが現状である。

第2節 調査地概要

 第2節では、第5章で述べる本調査の調査地となったパンガシナン州ダグパン市、マニラ首都圏ケソン市の聴覚障害者の概況について述べる。

 フィリピンの行政組織は、4つの階層から成り立っている。マニラ首都圏(National Capital Region)のみ州には該当しない。州の下位に市、または町があり、さらにバランガイという地区で構成されている。バランガイの長は選挙によって選任される。

図4-1 フィリピンの行政組織の構造

(永井史男・船津鶴代編(2010),pp49-52を基に筆者作成)

(1)パンガシナン州ダグパン市

(1)パンガシナン州ダグパン市 パンガシナン州ダグパン市はルソン島北西部に位置し、マニラ首都圏から高速バスで約6〜7時間の位置にある。パンガシナン州の人口は約265万人(2007センサス)、4つの市と44の町( municipalities)1,364のバランガイで構成されている。面積は536,818ヘクタールで、ほぼ愛知県に匹敵する大きさである。南シナ海に面し、リンガエン湾に臨んでいる。

(1)パンガシナン州ダグパン市

図4- 2 パンガシナン州の位置

出典:http://en.wikipedia.org/wiki/Dagupan

図4- 3 ダグパン市の位置

出典:http://en.wikipedia.org/wiki/Pangasinan

第二次世界大戦で日本軍はリンガエン湾に上陸し、ここからマニラに進軍した。パンガシナン州やその北部にあるラ・ウニオン州では、旧日本軍による住民への蛮行が行われた。筆者は1993年8月の埼玉YMCAのキャンプで、この地域に住む戦争体験者から当時の出来事を聞く機会があった。フィリピン人の若い人たちは口にはしないものの、残虐行為があったことを歴史の授業だけでなく、祖父母から聞かされている。恨みや反日感情を持つ人も少なくはなく、日本人がこの地で調査するとなると危険と背中合わせになる。だが、YMCAなどのNGOが交流を続けて友情と平和を構築してきたことも、開発を考えていく上では重要である。

言語は英語とフィリピノ語が、学校教育を通して広く使用されている。パンガシナン語(Pangasinan、イロカノ(Ilocano)、ボリナオ(Bolinao)などの方言がある。

ダグパン市は人口約15万人で31のバランガイで構成されている。面積は4,008ヘクタール。大きなショッピングモールはないが、スーパーが点在している。学校や病院といった施設も多く見られる。職業リハビリテーションセンターなどの国の施設もある。 2013年11月の事前調査では、City Social Welfare Developmentと特別支援学校のLa Sttleを訪問した。2014年の本調査ではCSWDでインタビューを希望したが、担当者とコンタクトが取れないために断念し、AVRCの友人を介して難聴者を紹介して頂いた。

(2)マニラ首都圏ケソン市

ケソン市はマニラ首都圏近郊では比較的新しくできた市である。第二次世界大戦後の独立時に大きく貢献し、共和国初代大統領となったマニュアル・ケソンの名に因んでいる。1948-1976年までの旧首都である。また、マニラ首都圏の中では最も面積の大きい市であり、首都マニラ市の4倍、16,620ヘクタール。人口は約3,179千人(2,012年度推計、世帯数は706千)、142のバランガイで構成されている。

図4- 4マニラ首都圏の位置

図4- 5 マニラ首都圏地図

出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A9%E9%A6%96%E9%83%BD%E5%9C%8F
図4-3は一部筆者加工

第3節 マニラ首都圏ケソン市の聴覚障害者の状況

(1)聴覚障害者の教育現場

マニラ首都圏では、主にケソン市の教育施設での事前調査を実施した。ケソン市北部にある公立のラグロハイスクール(Lagro High School)、市の南部に位置し、フィリピン大学や公官庁がひしめく立地にある私立のミリアム大学付属ろう学校(Miriam College Southeast Asian Institute for the Deaf) である。

ラグロハイスクール

ラグロハイスクールは生徒数が6,000人以上のマンモス校である。学年(1〜4年)毎にSPED(特別支援教育)のクラスがある。この学校のSPEDには聴覚障害者のみが在籍している。初めて訪問した2004年のときは、1学年1クラスの中に健常の学生と聴覚障害学生が混じって構成されていた。手話のできる教師が科目を担当し、科目に手話のできる教師がいない場合は手話通訳がつく。しかしこのとき、手話通訳者が不在だった。聴覚障害学生は、おそらく何も理解できないまま、ただ単に授業に出席していたと思われる。

2009年訪問時は、授業における手話通訳などには変化は見られなかった。英語の授業では通訳が不在だったため(2004年)、配布された英単語クロスワードパズルを解いていた。前回もそうなのだが、座席が聴覚障害の学生たちは聴覚障害学生たちで固まり、健常者は健常者で固まるのである。なにも授業だけに限らず、聴覚障害学生は孤立した印象である。

1つだけ変化が見られた。それは校舎とは別に離れ家があり、1日に1限のみ、手話の授業が設置されていた。2学年ずつクラスを編成して聴覚障害者だけが学んでいたのである。主任教員によると、手話を教えるのは学生だけでなく、放課後には保護者にも教えているという。こういった教員の個々の努力が見られた。

2012年にも変化が見られた。健常者と聴覚障害学生が一緒だったクラス編成は、聴覚障害者のみのクラスに変わっていた。しかし、1つの教室に1〜4年までの聴覚障害学生が、簡素なパーティションで仕切って授業が進んでいた。教員は一人しかおらず、他の学年の授業は手話通訳者が教えている状況だった。なお、この学校で使われる手話はフィリピン手話ではなく、アメリカ手話である。皆がアメリカ手話を理解できているわけではない。小学校によってはフィリピン手話で授業をしているところもある。同じ手話でもそれぞれの手話言語があり、こうした問題がフィリピンには存在する。

ミリアム大学付属ろう学校(Miriam College southeast Asian institute for the Deaf)

ミリアム大学は修道会系の女子大で、裕福な家庭の子女が通う大学である。小学校と高校のろう学校を運営している。2013年11月に2つのクラスを見学させて頂いた。1つ目の授業は3年生のクラスだった。わずか3人だけの少人数であった。手話のできる教師が、手話と口形をはっきり、比較的ゆっくり明瞭に話しながら、教科書以外にパワーポイントにシナリオを文字化したスライドを使いながら効果的に授業を進めていた。

ここで利用されている手話は、フィリピン手話でもなく、アメリカ手話でもない。SEE(Signing Exact English, 英語対応手話)であった。日本語対応手話と同じく、英語の語順に合わせて英語の手話単語を当てはめる表現方法である。何故SEEなのか、担当教師に聞いてみたところ、社会に出たとき、英語が必要になり、例えば買い物などでお店側の人が手話ができなくても、携帯電話のテキストを利用して文字で表現してコミュニケーションが取れる。英語ができることで仕事を得て社会で活躍できるからだという。

もう一つのクラスは1年生で数学の授業だった。授業の進め方は3年生と同様で、手話、口話がしやすいように、ゆっくり、はっきりとした口形で話し、パワーポイントを利用して授業を進めていた。この数学の先生は中途失聴者である。学生のときに病気で失聴し、そのあと手話を覚え、教員資格を取ってミリアム大学で教えている。彼女の授業の様子からは、とても充実して仕事ができている様子であり、生徒たちも楽しそうに授業を受けていた。

筆者にとってもこうした十分な情報保障があることは、安心して授業が受けられるし、非常に羨ましいと思う。また中途失聴した教員のように、中途失聴したとしても職場にコミュニケーションの障害(Disability)の理解があり、コミュニケーションが保障される環境は、その人の能力が発揮できることを明らかである。

(2)女性聴覚障害者を支援するNGO

2011年11月に、ケソン市カミアス(Kamias)にあるFilipino Deaf Women`s Health and Crisis Centerを訪問した。カミアスは、フィリピンを代表するTV局や興行歓楽地であるティモッグ(Timog area)に隣接している。繁華街の中にこぢんまりとした教会集会所の一室に事務所がある。代表者は不在であったが、代表者の夫が対応してくれた。ここでは、性暴力を受けた女性の聴覚障害者を支援している。彼によると、性暴力を受けた女性が、そのショックで聴力を失うケースが多いという。センターではCBRを取り入れ、暴力を受けて失聴した女性たちが塞ぎ込むことなく、社会に復帰できるように、暴力からエンパワーメントを支援している。プログラムとして、カウンセリングや手話の講習、ワークショップなどを実施している。暴力を受けた女性だけでなく、他の女性聴覚障害者が暴力から身を守るためのワークショップなども開催している。しかし、残念ながら2013年7月の本調査の時点では活動が停止している。代表にコンタクトが取れていないが、リーダー活動され、ダスキンアジア太平洋障害者リーダー育成事業で来日した女性とコンタクトが取れ、活動が停止していることが確認できた。理由については明らかにされていない。

第4節 パンガシナン州ダグパン市の聴覚障害者

ダグパン市には3つの障害者関連の施設や事務所がある。1つはDSWD(Department of Social Welfare

And Development,社会福祉開発省)管轄のAVRC Area1 Vocational Rehabilitation Center、職業リハビリテーションセンター)、大統領府直轄の組織のNCDA(National Council on Disability Affaires,全国障害者問題協議会)の地域組織であるPDAO(Person with Disability Affaires Office)、ダグパン市によって運営されているCSWD(City Social Welfare Development,市社会福祉開発センター)がある。事前調査は2011年11月にAVRCを訪問した。視覚障害者は鍼灸やマッサージの職業訓練を受け、車いすユーザーなどは縫製を学んでいた。二人ほどいた聴覚障害者は、特に職業訓練はしておらず、売店での手伝いをしていた。所長から聴覚障害者へのプログラムを提供したく、情報交換をしたいと要望を受けた。

ところが2014年7月、本調査のために再度訪問したときは、大きく変わっていた。視覚障害者や車いすユーザーの職業訓練の内容には変化はなかった。肝心の聴覚障害者は、フラワーアレンジメントやヘア・デザイナーの職業訓練を受けていたのである。また手話を学習するコースも設けられていた。ここで使われている手話はフィリピン手話であった。2011年訪問時とは所長もスタッフも変わっていた。

2013年11月にはCSWDを訪問した。ここではリハビリテーションやピア・カウンセリングが実施されていた。プログラムの責任者はKAMPI代表のJosephine氏が担っていた。日本ではピア・カウンセリングは障害者当事者がカウンセラーとなって進められる。Josepineも歩行に障害を持つ障害者であるが、ここでは時々しかピア・カウンセリングは実施しておらず、そのほとんどが心理療法士の職員が担っているという。

ピア・カウンセリングを受講した若いろう者に会うことができた。彼はダグパンで聴覚障害者の組織を作りたいと語っていた。本調査においても協力したいと申し出をするほど積極的であった。

ここで使われていた手話は、AVRCとは違ってUniversal Sign Languageであった。Josephine氏によればUniversal Sign Languageの方が簡単だからだという。

次にLa Setteという私立の特別支援学校の小学校を訪問した。ここで4人の聴覚障害学生が学んでいた。それぞれの年齢が異なり、5歳から17歳までが一つの教室で学んでいたのである。特に17歳の男子学生はろう者であったが、両親はカタールに出稼ぎしていた。当初は普通学校に通っていたようだが直ぐに学校を止めている。そして彼は、手話をまったく知らなかった。La Settleに来て初めて手話を学んでいるという。

第5節 難聴者に対する職場における排他性

ケソン市のショッピングモールSMNorth地下1階のフードコート入口付近に化粧品を販売するブースがある。難聴の女性が販売を担当している。彼女は補聴器を装用しているが、ほとんどLip Readingで接客している。同僚ともLip Readingでコミュニケーションを取って仕事を進めている。

2014年7月6日の本調査で、難聴者グループのメンバーと待ち合わせした際に、彼女と接する機会があった。彼女から仕事上の問題を聞くことができた。会社から貸与された名札をお客様に見せるように言われている。その名札には「Deaf」と記載され、手話を主なコミュニケーションとする「ろう者」としてお客様に見せるように指示されているとのことだった。しかし、彼女が言うにはDeafではなく、話せるし、Lip Readingができる。Deafの名札をみせたらお客さんは手話が必要と勘違いして引いてしまう。お客様とのコミュニケーションには自信があるという。そのことを上司に伝えても理解されず、Deafの名札を付けるよう、強制されているとのことだった。しかし彼女は上司がいないとき、名札は外している。
図4-6 名札の写真

第6節 ラグロハイスクールでの聴覚障害学生の状況

2012年11月のフィリピン訪問時に、ラグロハイスクールで特別支援学級の聴覚障害学生たちを対象に、授業や生活でのコミュニケーション状況を知るために、調査票による調査を実施した。質問票は巻末付録に掲載した。      

集計の結果として、まずは学年別男女別の人数、平均年齢、手話の経験年数を集計した。手話の経験年数は、調査表に手話を学び始めた年齢を質問しており、現在年齢から差し引いた年数で計算している。聴覚障害学生は全部で34人在籍しており、21人から回答を得た(61.7%)。

手話の平均学習年齢が7年から8年とある。3年生の中には最長で13年の経験がある学生もいれば、わずかに1年しかない学生もいる。他の学年をみても、6年近い経験差が出ている。

問1ではいつごろから聞こえなくなったのかを聞いてみたところ、有効な回答が少なく、「赤ん坊のときの病気で」が1人、「時々きこえない」が2人、他は「わからない」や無回答であった。
表4-1 対象者の学年別属性、手話経験年数

問3では手話を習い始めたのは何歳からかを聞いた。便宜上年齢階層を分けて集計してみた。76.1%がハイスクール進学前に手話の学習を始めている。


表4-2 手話開始年齢

〜9歳

10人

47.6%

10〜12歳

6人

28.5%

13〜15歳

2人

9.5%

16歳〜

3人

14.2%

問4では家族とどのようにコミュニケーションしているかを聞いた。家族のうち、誰かが手話で話すという生徒は7人(33.3%)だけであった。主任教師が家族に対しても手話教室を開いているように、家族に対してのコミュニケーション学習の支援が必要と思われる。


表4-3 家族とのコミュニケーション方法

問4)家族とのコミ手段

人数

割合

家族の誰かと手話

7人

33.3%

口話、家族が、手話ができない

8人

38.0%

読話

2人

9.5%

不明、無回答

3人

14.2%

問5では買い物などの日常生活で困ったことはありますかと聞いた。多少のニュアンスの違いはあるが、便宜上、回答を5つに分類して集計した。


表4-4 日常生活のトラブル

問5)買い物など日常生活のトラブル

人数

割合

家族とコミが取れない(手話ができない)

5人

23.8%

何もない

6人

28.5%

辛い人生

6人

28.5%

ある(具体的な事例は未記入)

2人

9.5%

不明

2人

9.5%

問6では補聴器を持っているかを聞いたところ全員「持っていない」と回答があった。一人だけ持っているが壊れたという回答があった。


表4-5 意見や要望など

問7)意見、要望など

人数

割合

聞こえるようになりたい

10人

47.6%

話せるようになりたい

1人

4.7%

補聴器がほしい

7人

33.3%

その他

3人

14.2%


第5章 「難聴者の自立生活モデル」の検証

第1節 調査方法

(1)調査日程

 2014年7月2日から7月9日の日程で現地フィールドワークを実施した(表5-1)。


表5-1 調査日程

日付

内容

対象者(表5-3参照)

インタビューの場所

7月2日

成田→マニラ→パンガシナン

 

 

7月3日

AVRC(10)見学、インタビュー

A

YMCA of Pangasinan,Inc

7月4日

移動、パンガシナン→ケソン市

 

 

7月5日

インタビュー、ディスカッション

B,C

Life Haven(Valenzuela City)

7月6日

インタビュー、ディスカッション

D(午後)
E,F(夕方)

SM North(Quezon City)

7月7日

インタビュー、ディスカッション

G
H,J

Miliam College
Colleg of Sint Benilde

7月8日

佐藤神父訪問


S1〜S5


Lagro High School

7月9日

マニラ→成田

 

 

(2)調査方法

フィールドワークは2つの方法で実施した。1つは半構造インタビューである。前章で仮説的に提示した「難聴者の自立生活モデル」(以下「モデル」と略す)の5つの要素を確認するために、それぞれに対応する指標を設け、質問項目を予め用意した。これらの中からインフォーマントの状況に応じて選択、質問した(表5-2)。

もう一つは絵を使って、どう思うかをディスカッションした。絵は日本で難聴者がよく直面する問題を描いてある(図5-1、図5-2)。この絵を使って、ディスカッションを通してフィリピンの状況を知り、どのように認識するのか、どういった対応方法がフィリピンでは取られるのか、日本との違いを明らかにすること、質問では得られない指標の確認をすることを目的に実施した。


表5-2 モデルの構成要素、指標、質問

モデルの構成要素

指標

質問

1)ピア・カウンセリング

 

 

 

 


障害受容

障害を受け入れていますか。

 


自己肯定

障害者で良かったと思うことはありますか、

 



障害者で嫌だと思うことは何ですか。

 

 

 

自分を肯定していますか。

2)自立生活プログラム

 

 

 

 

①目標設定

目標を持っている

夢や目標を持っていますか。

 

 

 

自己実現のために何か計画を立てていますか。

 

②自己認知

自分のコミュニケーションニーズを説明できる

自分のコミュニケーション手段は何ですか。

 


自分が望むコミュニケーション手段を依頼できる

自分の聞こえ方を他者に説明できますか。

 



聞き返しや筆談を求めても、相手の断る権利を認めていますか。

 

③健康管理

自分の障害の内容と程度を説明できる

医学的な知識はありますか。

 


心理的特徴を理解している

孤立しやすいことを認識していますか。

 



障害のことで知りたいことを調べていますか。

 

 

災害時の対処方法を用意している

緊急事態(急病、災害)のときの対処方法を知っていますか。

 

④手話通訳や要約筆記

通訳の依頼ができる

通訳の依頼方法を知っていますか。

 


協力してくれる友人が近くにいる

友人に通訳して助けてくれる人はいますか。

 



通訳のボランティアを探していますか。

 

⑤家族関係

家族から経済的にも精神的にも自立している

一人暮らしをしていますか。

 


家族とのコミュニケーションがある

家族とは互いに自立していますか。

 

 

 

家族とのコミュニケーションはどうしていますか。

 

⑥金銭管理

自分の財産を管理、運用をしている

毎月の収入と支出を把握していますか。

 

⑦アサーティブネス

ニーズを掘り下げ、感情のコントロールができる

感情のコントロールはできますか。

 


対人関係の問題解決力がある

自分のニーズを掘り下げて考えていますか。

 

 

 

対人関係でトラブルになっても解決できますか。

 

⑧性について

性欲のコントロールができる

HIV,AIDSの知識はありますか

 

 

 

性についてオープンに話し合えますか。

3)権利擁護


自分の権利を意識している

 

 

 


仲間と共に行動ができる

権利を侵害されたときに相談できる仲間がいますか。

 


相談できる場所を知っている

同障者が権利を侵害されたときに支援しようと思いますか。

 

 

 

活用できる制度、有益な情報を啓発していますか。

4)障害を超えた交流

 

 

 

 


他の障害者を差別しない

他の障害者の友達がいますか?

 


障害者としての仲間意識がある

他の障害者と共に運動しようという気持ちはありますか。

 

 

 

非障害者とも積極的に交流していますか。

5)自己と社会を変革する意識

 

 

 

エージェントの意識がある

差別状況に対して批判的に立ち向かおうと思いますか。

 

困難に立ち向かえる

Win-Win(相互利益の思考)での協力を優先していますか。

 



抑圧者にも可能性があると信じ、対話を試みる気持ちはありますか。

 

 

 

組織化にあたりリーダーシップを発揮したいと思いますか。

図5-1 職場の会議

図5-1は「Helping Health Workers Learn pp.1-16 EDUCATION OF AUTHORITY :putting ideas inの絵にヒントを得て、筆者が手を加えたものである。元となった絵を本論文で利用することについては原著者のDavid Wernerから承諾を得ている。

図5-2 昼食・休憩時間の会話

図5-2は河野浩之「ビジネスイラスト素材集」から2つの絵を合成して作成したものである。

調査時の状況について説明する。文中に出てくるA〜H、J、S-1〜S-5は次項(3)調査対象者を示している。

7月3日の午後はAに対して、パンガシナンYMCAの事務所にて、インタビューを実施した。Aの妻が同伴した。筆者が英語(音声)でインタビューし、インフォーマントには英語で答えてもらい、YMCAボランティアリーダーのLigeralde Shi Enに、パソコンを使って英語で文字通訳して頂いた。事務所には4人のみで、静かな環境の中で実施した。Aは筆者の友人が紹介してくれた難聴者である。初対面の緊張感の中で質問を投げかけた。後半は絵を使ってディスカッションした。ディスカッションではお互いがオープンな気持ちになってディスカッションすることができた。

7月5日は、マニラ首都圏バレンズエラ(Valezuera)市にある自立生活センターのLife Havenで実施した。BとCの二人のインフォーマンントの他にLife Haven代表のアブネル(Abner Manlapaz)氏、事務局長のジュン(Jun)氏が同席した。二人とも下肢障害の車いすユーザーである。アブネル氏とは1年内に3回も会っており、ユーモアを交えて柔らかい雰囲気の中でインタビューができた。インタビューは筆者、または通訳の内田夏樹氏を介して英語で質問し、Lodel Laurelがアメリカ手話に通訳してインフォーマントにインタビューした。インフォーマントはアメリカ手話で回答し、Lodelが手話を英語に、内田氏が英語を日本語に通訳した。英語から日本語は主に音声、時々ノートテイクで対応していただいた。手話通訳はLife Haven代表のアブネル氏に手配いただいた。

7月6日は、午後からケソン(Quezon)市のモール・SM Northの日本食と韓国食のファストフード店2階でDにインタビューを実施した。前日に通訳してくれたLodelが、通訳の仕事仲間とインフォーマントを紹介してくれた。周囲は2組の家族連れで、騒音はさほど気にならなかった。二人とも気さくなフィリピン人で直ぐに打ち解けた。インタビューは筆者が、あるいは通訳の内田氏を介して英語で質問した。通訳のJun Sevillaが英語をアメリカ手話とフィリピン手話でインフォーマントに通訳した。インフォーマントは手話で答え、Junが英語に、内田氏が英語を日本語に通訳した。インフォーマントは時々ノートに英語で筆記して質問に答えてくれた。

夕方からSM Northのフードコートに移動し、7人の難聴者グループと合流した。ファストフード店に移動して食事を取りながら談話をした。時間が20時を過ぎてしまい、交通事情の関係で4人が帰宅、2人の難聴者E、Fと手話通訳のCristel Pantigが残った。インタビューはモール内のコーヒーチェーン店に移動して実施した。筆者が、あるいは通訳の内田氏を介して英語で質問し、インフォーマントは音声で理解、ときどき手話通訳を介して理解し、音声英語で答えた。内田氏が英語を日本語に通訳した。

7月7日午前中は、ミリアム大学でGにインタビューをした。Gはその日は1日中授業があるため、お昼休みの限られた時間に実施した。筆者が、あるいは通訳を介して英語で質問した。インフォーマントは、音声か、Lip Readingで理解、途中からGの同僚の男性教員が手話通訳に入り、アメリカ手話で通訳した。インフォーマントは音声英語で答え、内田氏が日本語に通訳して実施した。

午後のラサール大学College of Sint Benilde(以下、CSB)ではHとJにインタビューした。CSBは聴覚障害者を主な対象とした私立の高等教育を実施している。前日に通訳してくれたJun SevillaがCSBで通訳として勤務しており、大学内でのインタビューの許可を取り付けてくれた。彼の妻もCSBの教員であり、通訳者である。J はダスキンアジア太平洋障害者リーダー育成事業で来日し、日本手話を学んでいる。筆者は日本語対応手話のため、指文字を多用しての会話となった。Jが筆者の手話能力に合わせながら丁寧に学内を案内してくれた。こうして暖かいもてなしを受けながら気持ちよくインタビューに挑むことができた。インタビューは筆者が日本語対応手話で質問し、Jが日本語対応手話をフィリピン手話に通訳、インフォーマントはフィリピン手話で回答し、Jが日本語対応手話に通訳した。時々内田氏とJunの妻に補助していただいた。Jとはディスカッションのみだが、日本語対応手話で、ジョークを交えてのインタビューとなった。

7月8日の午後はケソン市郊外にあるラグロ・ハイスクール(Lagro High School)を訪問した。突然の訪問だったが、過去にも訪問して主任教員と会っているためか、インタビューを気軽に許可してくれた。生徒たちは授業を終えて帰路に向かうところだった。友人のパトリック(Patrick Hernadez.Jr)が生徒たちに筆者を紹介してくれた。彼は少しだけアメリカ手話ができる。生徒たちも気軽に応じてくれた。ここではろう3人、難聴2人の学生とディスカッションを試みた。筆者が音声英語でファシリテートし、同校のSPED教師が手話で生徒たちに通訳、あるいは手話を英語に通訳し、パトリックが英語で筆記通訳をした。

7月5日から8日までのマニラ首都圏における日本語―英語の通訳で協力頂いた内田氏は College of Social Work and Community Development University of the Philippines在籍で、文字通訳も合わせて対応していただいた。2013年7月の日本福祉大学フィリピンスクーリングで講義やフィールドワークでの要約筆記ボランティアとして支援していただいた経験があり、安心して通訳と情報保障の依頼ができた。友人を通して得られた今回の協力は、友情を大切にするフィリピンならではのことである。なお、筆者は補聴器装用以外にFM補聴援助システム(11)を活用した。

(3)調査対象者

調査対象者は以下の通りである(表5-3)


表5- 2 モデルの構成要素、指標、質問

性別 年齢 障害の程度/失聴時期 学歴 職業 方法
インタビュー 絵を使った討論
A 44 右耳失聴 高卒 テーラー 個人 個人
B 42 ろう 大学 グループ グループ討論
C 40 ろう 大学中退
D 36 ろう/7歳 大学卒 教員 個人 個人
E 40 大学在学中 大学卒 パートタイム グループ グループ討論
F 33 難聴 大学卒 公務員
G 35 中途失聴/在学中 大学卒 教師 個人 個人
H 30 ろう/10歳 大学卒 手話研究者 個人 個人
J 38 ろう 大学卒 大学職員 なし 個人
S-1 18 ろう
高校生 なし グループ討論
S-2 20 ろう
高校生
S-3 24 難聴
高校生
S-4 20 難聴
高校生
S-5 21 ろう
高校生

AからHまではモデルを検証するための質問を投げかけ、また絵を使ってディスカッションを試みた。J,S-1からS-5までは絵を使ってのディスカッションのみである。「モデル」は働いている難聴者を意識しているため、高校生に対してはモデルの直接適用は難しい。そこで、彼らが社会や生活に対してどのような認識を持っているのか、本音を探ってみたものである。裕福層から中産階級がほとんどであったため、インフォーマントの幅を広げる意味で、公立高校の生徒に協力していただいた。 BとC,EとFは少人数グループの形で行った。

なお、BとCはピア・カウンセリングを受講している。そのためピア・カウンセリングの受講者とそうでない方々とでは質問内容も多少異なる。

質問とディスカッションの順番も工夫をこらした。A、BとCは最初に質問をし、そのあと絵を使ったディスカッションという手順を踏んだ。D〜Hは最初に絵を利用したディスカッションを実施した。その理由としては、絵によるディスカッションから入ったほうが、お互いの経験からコミュニケーションするため、障害者同士の対等な関係が構築できるからである。そのためモデルを検証するための質問も、適切な選択肢を選べるだけでなく、緊張感がほぐれているため、和やかにスムーズに回答が出てくるなどの効果があった。

第2節 調査結果 :インタビューとグループ討論

(1)ピア・カウンセリング

第2節から第6節までは、モデルの各指標についての質問から得た回答を記述する。

まず、ピア・カウンセリングの効果としては、「障害を受容」と「自己信頼の回復」であるが、これらのレベルを表5-4のように定義した。

「障害受容」とは、自分自身を障害者と認めつつも、アイデンティティとしては脆弱な状態とする。例えば、経済的なメリットがあるため、渋々障害者手帳を取得したという消極的な障害受容から、例えば知的障害者が画家になるとか、障害そのものを否定しないが、ある意味自己欺瞞とも見られる程度までを障害受容のレベルと位置づけたい。

他方、「自己信頼の回復」とは、自分の障害を素朴に受け止め、かつそれを価値あるものとみとめ、アイデンティティが獲得できている状態と位置づける。


表5- 4 障害受容と自己信頼の回復

自己肯定の指標

程度、位置づけ

障害受容

消極的受容、障害を否定しないがアイデンティティが未獲得

自己信頼の回復

積極的肯定、障害者としてのアイデンティティが確立し、障害そのものを社会にアピールできるレベル

「モデル」においては、自分自身で人生を切り拓いていくためには、自己信頼の回復のレベル到達までを求めている。しかし、そこに到達するまでには経験と対話を通しての気づきが必要であり、時間がかかるものでもある。

それぞれのインフォーマントに対して、障害を受容しているか、障害者でよかったと思うことを聞いてみた。BとCはピア・カウンセリング受講者であり、カウンセリングの効果などを聞いてみた。

筆者:障害を受け入れていますか。

A:障害は受け入れている。それは運命(fate)だ。もう一度聞こえるようになって他のひとたちとコミュニケーションできるようになりたい。
D:障害を受け入れている。神の意思として受け入れ、障害とともに生きていく。
G:聞こえないことは不便だが、受け入れている。

筆者:障害者で良かったと思うことはありますか。

A:仕事も持てたし、妻と会うこともできた。テーラーの学生のときに出会った。以前は米作をやろうと思っていた。
H:よく眠れるようになった。

B・C(ピア・カウンセリング受講者)

筆者:ピア・カウンセリングを受ける前と受けた後では変化はありましたか。

B:ピア・カウンセリングが好きじゃなかった。
C:男性は大丈夫だろうけど、女性はシェアすることは恥ずかしい。自分のことをシェアするのは恥ずかしい。他の人が自分の人生のことを誰かに話し、噂話をしているのが怖いと感じる。
B:たくさん学んでいい気持ちになった。

筆者:社会に参加したくなりましたか。

B:もっといろいろな人と関わりたい。聞こえる人は(私を)無視しがち。手話で会話できないから。コミュニティであれば手話で参加ができる。お互いに助け合うコミュイティを作っていきたい。
C:他の人たちと良い関係を作っていきたい。

(2)自立生活プログラム

①目標設定

筆者:夢や目標は持っていますか。

A:仕事をよくしたい。ミシンが2つしかなく、もっとお金を稼ぎたい 。目標を達成するためにはもっと働かなくてはいけないと思っている。一人では達成できないこともわかっている。幸いなことに必要なときには支援が受けられている。
D:自分の家族とデフ・コミュニティをサポートする。家族については、他の兄弟たちがサポートしないので自分がサポートしている。
H:平等な権利を獲得することと、農業のビジネスを成功させたい。
B:デフ・コミュニティを強くしたい。活発にしたい。お互い助け合って、他のコミュニティともた据え合いたい。
C:いろいろな障害をもっている人と交流、友だちを作りたい。自分を強くして高めていく。自分も社会の一員。聞こえないからといって役に立たないと、社会の一員だから一人の良い市民として深めていきたいし、社会に参加し貢献したい。家族をサポートしたい。

②自己認知

筆者:主なコミュニケーション方法は何ですか。 聞こえなかったときはどうしていますか。

A:主なコミュニケーション手段はスピーキング。相手が一人のときは音声で。会話が始まる前に聴覚障害(hearing impairment)であることを説明している。
もし他人が話していることが理解できなかった場合は難聴であることを説明して、理解できなかったときは繰り返してお願いするか、1つの文や単語は無視している。仕事のためほとんど家の中で仕事をしている。
病院にいきたいときは一人で病院へ行っている。時々息子を連れて病院へいく。携帯を使って文字入力してもらってコミュニケーションをとっている。

筆者:筆談、手話を求めて断られても、相手にも権利があると思いますか。

H:Lip Readingで会話できる。問題を感じたことはない。
お店にいって声かけられる。デフというと引かれる。差別が嫌。コミは問題ない。しゃべると聞こえると思われるので、喋らない。

筆者: 一般の人とコミュニケーションはどうしていますか。

C:筆談。携帯でテキスト入力してもらう。
B:同じ。書いて説明するのは難しい。文章で書いてもわからない。相手によって絵を使う。子どもに字は難しい。

筆者: 気軽に応じてくれますか。

B:みんな気楽に応じてくれる。

筆者: 日本では難しいし、厳しい。

アブネル:フィリピン人は本当に優しい。しかし、問題はある。車いすユーザーにとっては建物のバリア。人に頼めば助けてくれる。しかし、時間が無駄だと感じる。リフトのニーズはある。
助けを求め続けることで、自分が助けてもらえないと何もできない人と思ってしまう。他の人に対するメッセージにもなってしまう。
助けてもらえるけど、それはいいこと。しかし、助けてもらわないといけないという環境を変えていかないといけない。

B:助けてもらいたくない。助けてもらうことは嫌。自分も生産性がある。自分も助けることができる。
C:両親は仕事をしてほしいと思っている。いろいろな仕事に応募したが断られて、何が問題なのだか・・・。
B:仕事がない。デフなので断られる。

アブネル:新しい法律ができて、100人以上の事業所は1%、PWDを雇用しなくてはならない。DSWDが奨励している。PWDが作ったものを政府が買う。政府の製品の10%はそこから買う。待つのではなく、アクションしていかねばならない。

③健康管理と緊急事態

筆者:災害の備えはどうしていますか。

C:何もしない。
B:防災訓練は参加した。

アブネル:日本で洪水はあるの。

筆者:(中野区と杉並区で豪雨による冠水の事例を説明。行政が緊急避難放送者を巡回させたか、聴覚障害者には伝わらないこと、NHKでは緊急時の字幕放送の不備があることを説明した。)

筆者:緊急事態の対処方法を知っていますか?

H:先週、防災訓練があった。基本的な知識はある。
他の人についていって、安全な場所へ逃げる。誰かに何が起きているのか聞く。
フィリピンでは他人に聞きやすい文化がある。

④手話通訳や要約筆記について

筆者:手話通訳や要約筆記派遣の依頼方法を知っていますか。

A:要約筆記はいらない。ほとんど理解できている。常識もあるし、Lip Readingも使っている。わからないときは携帯やメモをお願いしている。

アブネル:通訳派遣団体がありお金がかかる。複数ある。アジャストが難しい。
通訳を探している間に仕事が健聴にいってしまう。通訳の専門性は低い。

B:日常的なコミュニケーションは問題ない。病院、会社などには壁が多い。
D:通訳が必要になったときは学校に依頼する。それかJunに依頼する。
Jun(通訳者):応じる。

筆者:Junが仕事中や忙しいときはどうするのですか。

D:友だちに依頼する。

筆者:セミナーなどで通訳がつかない場合はどうしていますか。

H:手話通訳がつかない時はパンフレットをもらって理解する。わからないところは質問している。

⑤家族関係

筆者:家族とのコミュニケーションはどうしていますか。

B:家族(両親)と暮らしている。家族とのコミュニケーションは筆談している。
C:家族(両親)と暮らしている。コミュニケーションは筆談している。時々、手話を少しだけ使う。
E:コミュニケーションがない。学校のことしか話さない。
F:母は手話ができる。父とは口話で。母と妹に手話を教えた。
G:父は何もできない。母は指文字ができる。妹は少し手話ができる。冗談を言って笑っているとき、誰かが説明してくれるわけではない。自分から何を言っているのかを確認している。
H:声やジェスチャー、指文字で。

⑥金銭管理

C:親からお金をもらってやりくりしている。
B:PWDのコミュニティからいくらかもらう。親からも少々。かしこく使うことを心掛けている。

⑦アサーティブネス

筆者:感情のコントロールはできますか。

D:時々できない。悪いことを言ってしまう。取っ組み合いになることもある。
H:コントロールしようとするけど、怒る。
ニーズを理解してもらえない。ニーズが満たされないのが原因だ。怒るのは自分の権利だ。
B:できる。自分がからかわれているときはできない。
C:怒っているときはできない。からかわれた時はできる。
B:子どものときはいつもケンカしていた。父親がそれはよくない、無視するように、と。気にしないようにしている。平和のほうがいい。
C:19歳のとき、外でからかわれ、親が出かけないようにすすめ、家にいるようになった。

筆者:自分のニーズを掘り下げて考えていますか。自分が怒っている原因を考えていますか。

B:自分自身に問いかけて考えている。
C:(母との喧嘩で)母の意見を尊重するようにしている。
怒ったときはお祈りをする。プレッシャーや嫌なこと、問題が起きたとき、友だちと出かけて、高まった感情を変えるようにしている。
お祈りするとき、問題が解決できる力をくださいと祈る。

筆者:対人関係でトラブルになっても解決できますか。

B・C:できる。

⑧性について

筆者:HIVの知識はありますか。

B、C、D、Hに聞いてみたが、C以外は皆、あると答えた。

筆者:性についてオープンに話し合えますか。

B:できる。
C:できない。
D:オープンに話し合える。顔を合わせたほうが話しやすい。ネットだと難しい。相手との信頼関係次第。

(3)権利擁護

筆者:権利を侵害されたときに相談できる仲間はいますか。

B・C:はい。
E:いない。逆に助けたい。

筆者:同障者が権利を侵害されたときに支援しようという気持ちはありますか。

B・C:はい。
E:やりたい。

筆者:今、されていることは何ですか。

E:活動的にやっている。

筆者:人間として、情報保障があることは当然だと思うし、求める権利はあると思うが、どう思いますか。

F:手話通訳が足りない。
E:Respectされていない。TV、ニュースや映画に字幕がない。

(4)障害を超えた交流

筆者:他の障害者と交流したいという気持ちはありますか。

B、C、Hに聞いてみた、3人とも交流したいと答えている。

(5)自己と社会を変革する意識

筆者:社会を変えたいと思いますか。

D:はい。でも時間がかかる。
G:もっと良くなるなら。自分を高めて社会が良くなるなら、それに協力したい。

筆者:社会を変えたいと思いますか。

B:どういう社会ですか。デフの社会ですか。

筆者:社会全体。デフの社会を変えることによって世界全体を変える。

B・C:変えたい。

筆者:具体的にどんなアクションを起こしたいですか。

B:デフのコミュニティを強くし、問題解決力をつけたい。
C:障害に限らず、社会が誰に対しても平等になるように社会を変えたい。視覚障害者に対しても必要なサポートが得られるようにしていきたい。

筆者:社会を変えたいという意識はピア・カウンセリングを受ける前からもっていましたか。

B:1973年から考えていた。小学校に入って勉強を始めたときに社会を変えたいと思った。4歳のときに施設へ預けられた。何故家族から離れなければならなかったのか、何かがおかしいと感じ始めた。社会を変えたいという気持ちが強くなった。
C:お母さんは手話が少しできた。少ししかできないから難しい。手話は独学で学んだ。

アブネル:文法的な手話を学んでいない。

B:小学校は普通学校へ。聴覚障害者は一人だけ。コミュニケーションができない。自分に自信がない。何を考えているか、まわりが理解できなかった。
先生が1対1でカウンセリング。ガイダンスカウンセリングで1対1で話し合った。
C:病気がちで学校を休みがちだった。

第3節 調査結果 (6)絵を通して対話から状況を読み解く

筆者:同じ経験はありますか。どうして参加しなくて良いと言っていると思いますか。

B:この人はやりたくないのだと思う。上司の意見を聞きたくない。ミーティングに出たくないと思っている。
能力で選別している。プロジェクトには入りたい。

筆者:参加したいけど、会社の中では言いにくい。これは日本の伝統的な会社の組織風土です。筆者は前職ではミーティングに参加できた。補聴援助システムを用意し、周囲も聞こえているか、心配しながら会議を進めてくれた。会社組織によって違いがある。
どうすれば社会は会社を変えていくことができると思いますか。

B:最初のメンバーに従ってルールができる。必ずしも自分たちに合っていない。
ルールが合っていないとき、ロールモデルとして変える働きが必要。
ルール自体があっていない。ルールを変えてみんなに良いルールを作って。
政府が良いルールを作って誰もが弾かれないルール作り。
働きがけ。自分が感じていることを政府に働きがける。
C:会社の中でグループを作ったらいい。何人にも声を発信していけば上司も考えるようになる。何人もが発信していけば力が強くなる。一人では弱い。
労働者の権利。会社の中で差別はあるべきではない。平等であるべき。

筆者:同じ経験はありますか。

D:(会議には)聞こえる人と聞こえない人がいる(ろうのための学校のため、手話で会議をしている)。

筆者:難聴のために通訳を用意しますか。

D:用意する。手話ができる先生が対応。パワーポイントもつく。

筆者:日本人はどうすべきだとおもいますか。

D:ちゃんと言うべき。

筆者:仕事上で困ることはありますか。

D:私の学校では問題ない。他の学校や会社では問題が多い。人事など問題を扱う部門があるので、そこに言うべき。
JUN(手話通訳者):難聴の方が難しい。コミュニケーションが取りにくいから。専門家を理解者にしたほうが良い。

筆者:同じ経験はありますか。

E:ある。3年前に経験した。通訳がいないから会議に参加できない。
セミナーに参加したかったが、通訳がつかなかった。会社にDeafが少ない。

筆者:会社に手話の手配を要求した?

E:通訳の用意ができない。難聴が(私)1人、4人がDeaf。私が彼女たちの通訳をやらされる。
難聴なので時々わからないときがあるが、話し手に訊く。
平等であるべき。入れていない気がする。
健聴で同じ通訳が私の信念に対抗してくる。この通訳が私にいじめてきて、Deafのための通訳になっている。通訳は会社では位置が低い(評価されない)。
社外でセミナーがあった。会場が番号制で一番前に座らせてもらえなかった。会社から派遣されたのにレポートが書けなかった。

図5-2

筆者:同じ経験はありますか。どうしていますか。

A:時々、笑われる。自分は彼らが何を話しているかわからないから。こういった場面に出くわしたとき、その場から離れる。嫌だとは思わないけれども、聞こえるようになって他人と良いコミュニケーションが取れるようになりたい。知っている人なら紛れ込む。もし知らない人同士なら時々無視している。

筆者:同じ経験はありますか。どう思いますか。どう対応していますか。

B:自分の悪口を言っているのではないかと感じる。
一緒にいても自分のことが理解できないし。
同じデフの人たちを選びます。

筆者:必ずしも自分の家の近くにデフの人たちがいるわけではないでしょ。

B:一人でいることを考える。一人で静かなところで勉強します。
C:私はむしろこの人の中に入って、出かけたりする。出かけたり、感情を共有したり、友だちになったりしたい。

筆者:理解してほしいと思いますか。

B:コミュニケーションをとって。それが一番難しい。
C:理解してほしいし、理解したい。

筆者:同じ経験はありますか。どうしていますか。

D:だいたい一人。時々中に入ってみる。時々受け入れてもらえる。受け入れてもらうまで(頑張る)。難しい問題。
難聴との関係作りでなく、デフとの関係作り。楽しくなりたい。
デフでサポートしてくれる人を見つけるのも良いかも。

筆者:日本ではデフと難聴があまり良い関係ではないこともある。ろうが、手話が下手といって難聴を見下す。

D:フィリピンも同じ。フィリピンでは難聴がデフを見下す。

筆者:同じ経験はありますか。どうしていますか。

E:高校では一人だけ難聴だったので。
F:難聴の友だちは誘ってくれるけど、健聴の友だちは誘ってくれない。

筆者:参加したいと思いますか。

E:したい。教会の集まりのとき、補聴器が壊れた。自分の意見や考えを言いたいし、広めたい。参加したい。
F:参加したい。
パーティがあると言われれば参加する。Lip Readingやジェスチャーでわかる。独学でLip Readingを学んだ。

筆者:もし、Lip Readingできない難聴者が参加したいと言ってきたらどうしますか。

F:書く。時間がかかっても対応する。

筆者:同じ経験はありますか。

G:地域ではある。みんな状況の理解に乏しい。

筆者:説明しましたか。

G:説明した。病気のことと一緒に説明した。話せるので理解してもらえる。

筆者:同じ経験はありますか。

J:フィリピンも同じ。
遠慮する。状況によっては違う。
権利意識はある。筆談か手話を求める。

筆者:同じ経験はありますか。

全員:Yes、排除されたり、孤立されたりした。
S-1 何もできない、くやしいし、悲しい。
3人が友だちなら、グループに参加できるように話かけてみる。
S-5:諦める

筆者:どうして諦めるの。助けてくれる友だちはいますか。

S-5:はい、普通の人のように(特別視せず)助けてくれる友だちはいます。友だちが彼らに話してくれる。
S-1の友だちは手話がわかる。彼女の友だちは彼らに話してくれる。
S-2:グループに加わるのは遠慮する。

筆者:もし、可愛い女性だったら。

S-2:何もできない。ただ見ているだけ。
一同:え〜!!
S-1:彼女は友だちに男の子と話せるように彼女(可愛い女の子)を助ける。
S-3:経験がある。健聴の男の子が、私の友達の助けを借りて言い寄ってきた。

筆者:社会を変えたいと思いますか。

全員:Yes

その他のインタビュー内容

筆者:仕事で一番大変なことは何ですか。

G:言葉の手話が足りず、自分で作っている。

筆者:どうやって手話を学んだのですか。

G:ミリアム大学で。手話のコースがある。学生として学んだ。

筆者:教員資格はどうやって取得しましたか。

G:UPで1つ不足。教員免許試験は受けていた。
専門職の資格がフィリピンでは必要で、ミリアムで修士をとった。
MCでは通訳は自分で雇う。クラスでわからないときに手話通訳を雇う。

筆者:どうやってここまでエンパワーメントできたのですか。
G:他の人が支援してくれた。耳が聞こえないだけで目標を持って努力している。聞こえないことに不便はあるが、受け入れている。

第4節 結果の考察

(1)ピア・カウンセリング

ピア・カウンセリング効果の指標となるのは、障害受容と自己肯定である。今回のインタビューではフィリピンの人たちは、概ね障害を受容し、自己信頼の回復レベルまで自己肯定できていると言える。Aに関しては「聞こえるようになりたい」と漏らしているが、仕事も持てたし、妻とも出会えたと肯定的に受け止めている。目標設定の項目では仕事を良くしたいという目標をもっている。おそらく、コミュニケーションが円滑にいかない、楽しめないという点があるのかもしれない。図5-2のディスカッションの時、「友人によくからかわれた」と語ってくれた。

インタビューの冒頭では、本人が答えるのではなく、妻が代弁していた。筆者が「本人に聞いている」と言ってしまい、多少雰囲気がまずくなってしまった。なぜ、自分で答えないのだろうか。上記のいじめの経験がある半面、妻との信頼関係の深さを物語っているのかもしれない。

気軽に聞き返えし、筆談や携帯でのテキスト入力依頼できる環境がフィリピンにはあることが分かった。

(2)自立生活プログラム

①目標設定

ほとんどが何らかの目標をもっている。家族のサポートやコミュニティを強くしたいという回答が目立った。家族や友人を大切にするフィリピンの文化にそった目標を持っている。この目標が親睦の範囲内なのか、差別と闘うためにコミュニティを強化したいのかは個人差があるが、モデルの構成要素(3)の権利擁護では十分に明らかにできなかった。しかし、(5)の自己と社会を変革する意識では、皆が変えたいと回答している。家族やコミュニティの幸せを通して、社会変革を無意識的に実践しているのかもしれない。

②自己認知

(1)ピア・カウンセリングのところでも同じであるが、聞き返しや筆談を気軽にお願いできる環境にあることから、日本のように遠慮したりする必要はさほどなさそうである。しかし、高校生とのディスカッションでも明らかになったが、排除されることもあれば、友人が助けてくれる環境でもある。逆に余計なお節介を受けて、自分のニーズとは異なった配慮を受けることもあると2013年11月の事前調査時にアブネル氏が強調していた。そういうことも考えられる。

日本ではLip Readingだけではコミュニケーションが難しい。ここで注意したいのが日本では聴覚障害者にとって「わかる」と、健聴者の「わかる」には差異があることだ。聴覚障害者の「わかる」は、中途半端でも曖昧でもわかれば「わかる」と言い、健聴者にとって「わかる」とは完全にわかること、あるいはそれに近いレベルである。この違いを相互に認識する必要がある。特に職場ではこういった「わかる」の認識のズレからくるトラブルが多発しやすいのではないだろうか。棚田(2013、p168)はろう者が障害者の中でも離職率が高いことの理由を、聴覚障害者問題研究会の研究内容として聴覚障害者(被雇用者)と雇用者の言い分の隔たりを指摘している。前者が「仕事がつまらない」、「低賃金である」ことを理由にしている。これに対して後者は「話し合いが十分にできない」ことをあげている。「雇用者はコミュニケーション不足を感じる一方で、被雇用者はコミュニケーション不足が起因していることをダイレクトに訴えていないことがわかる」と指摘している。またLip Readingは日本では「口話」や「読話」と言われる。棚田はさらに、斎藤宏(2012)(13)から引用して、「読話の説明として「口の形を読み取ることであり、聴覚活用と口の形から発話内容を理解することができる。ただし、100%理解できたとは言えず、90%は推測によってたまたま言い当てたというレベルである」と付け加えている。日本語と、英語やタガログ語は、母音や子音の数も形も違う。よってフィリピン人たちのLip Readingがどこまで正確なのかは不明である。

なお、助けを求めることと、合理的配慮を求め対等なコミュニケーションを求めることは別物である。障害を理由に排除されている状態から公平、平等を求めるのが合理的配慮であり、それは権利の要求である。

③健康管理

Cは、防災の備えは何もしないとしているが、BとHは防災訓練に参加している。情報保障がついたのかどうかは不明であるが、Hが答えているように、周囲の様子を見ながら、他者に質問などして参加している。フィリピンには依頼しやすい文化があると回答している。フィリピンでは、訓練時でも、実際の災害でも、孤立することは少なさそうだ。

④手話通訳や要約筆記

日本の場合、難聴者の会議参加を支援していくことから要約筆記が普及していったことは第2章で述べた。フィリピンの場合、難聴者の組織がないこともあり、要約筆記は普及していない。ほとんどないと言っていいかもしれない。しかし授業などでノートテイク派遣年(14)はある。

今回の調査では、ろう者のための大学に勤務している場合は、常に情報保障の確保がでるだけでなく、通訳者や手話ができる友人がいるため、サポートできる人を見つけやすい。アブネル氏のように自立生活センターを運営している立場の人であれば、どこに依頼すれば良いかという情報をもっている。 絵(図5-1)を使ってのディスカッションの中で、Eは「通訳がいないから会議に参加できない。セミナーに参加したかったが、通訳がつかなかった。会社にDeafが少ない。」と回答している。筆者が彼女に「会社に情報保障の依頼をしたか」と質問したのに対し、「通訳の用意ができない。難聴が(私)1人、4人がDeaf。私が彼女たちの通訳をやらされる。」と回答している。彼女は会社に対して情報保障を依頼している。その点では要望はできている。しかし実現はできていない。

日本では手話通訳も要約筆記も法律で保障されており、制度活用して自由を獲得し、社会資源として友人やボランティアを活用することが可能ではある。フィリピンでは制度こそないものの、友人やボランティア、NGOの活用が可能であり、「手話通訳・要約筆記を得られる」という、自立生活の一要素は満たされている。

⑤家族関係

一人暮らしをしているろう者や難聴者とは出会わなかったが、家族をサポートしたいとの答えが目立った。それでも実際には家族から多少の金銭的支援を得ている例が目立った。コミュニケーションについては、ほとんどが簡単な手話、筆談、Lip Readingでの対応となっている。話し相手も母親が目立つ。生みの苦しみを味わう母親ならではの愛情とも思える。しかし、父親とのコミュニケーションについてはほとんど触れられなかった。

指標としては家族からの自立であり、難聴者がどういった家族関係でありたいか、それを実現できる状況を見るものであり、コミュニケーションの壁はあるものの、Dが目標設定の質問にて、「他の兄弟がサポートしないので、自分がサポートしている」との回答から、家族を支えたいという思いは実現できている。あるいは実現へ向けて努力していることがインタビューから見られた。

⑥金銭管理

質問がほとんどできなかった。しかしBが言うようにわずかながらも得られた現金資産を大切に管理しているという回答は得られた。

⑦アサーティブネス

インタビューの結果では、感情コントロールの難しさはそれぞれが持っている。筆者が怒っている原因を考えていますか、との質問に対してBは、「自分自身に問いかけて考えている」というように、感情をコントロールしようとする努力は見られる。お祈りをして冷静になろうという努力も見られた。なかには自らのニーズが満たされないことが原因であると、怒りの原因も理解している。

⑧性について

筆者は、JICAとDPIのアフリカ障害者の10年リーダー養成プログラムの中で、アフリカの障害者からHIVの話を聞いたことがある。それによると、例えば南アフリカでは言語がいくつかあり、TVなどを通してHIV予防の啓発が行われている。英語を言語としないマイノリティには、情報が得られないということだった。TVには字幕も手話もなく、聴覚障害者には情報は伝わらないのである。

フィリピンでは性暴力も多く、第4章でもFDWHCCのことを紹介したが、性暴力によって精神的ショックから失聴する女性も多く、その支援団体もある。

1990年代に米軍基地のあったスービックにて、米兵や外国人からの児童性暴力を防ぐために、プレダ・ファウンデーションを立ち上げ、ストリートチルドレンを保護し、国際的な枠組みで防止を試みた、アイルランド出身のシェイ・カレン神父が活躍した。この一連の運動にも見られるように、フィリピンでは女性や子どもが性暴力のターゲットになりやすい風潮がある。

今回のインタビューでは、男性はみなHIVの知識はあると答えたのに対し、女性のCはないと回答している。男性にはオープンに話し合える環境はあるようだ。これに対して女性には、性について話し合う場は少ないと思われる。FDWHCCの活動があるように、女性の性については、抑圧する状況がある。プログラムとして性についての話し合いの場を儲けることは有効であろう。

(3)権利擁護

BとCはろうコミュニティがあり、相談できる仲間もいるだろう。Eは難聴者であり、フィリピにおいて難聴者の組織は出来始めたばかりである。しかし、何も同障者だけが仲間でないし、地域の中で健聴者であっても「仲間」と呼べる人が必要である。特に緊急災害時に助けてくれるのは近くの他人であり、自分が助けることができるのも近くの他人である。

②の自己認知に関する質問でHが「Lip Readingで会話ができる。問題を感じたことはない」とあるように、個人的なコミュニケーションには問題なさそうだが、お店に行ってデフとわかると引かれるなど、差別が存在する。職場の問題に対しても、一人では力が弱いが仲間が集まれば力が強くなると認識している。

他方、高校生のインタビューでは、聴覚障害者と健聴者の間でコミュニケーションがうまくいきそうもないとき、手助けをすると回答している。

難聴者に限っては組織が立ち上がったばかりであり、まだ組織的な、具体的な権利擁護はみられない。しかし個人レベルでは難聴者組織を立ち上げ始めたことからもわかるように、権利擁護は達成できていると言える。

(4)障害を超えた交流

B,C,Hの3人から「交流したい」という回答があったように、肯定的な回答だった。しかし、その回答は、ほとんどが希望として語られたものだった。具体的にできている事例を聞き出せなかったが、ほとんどがろうコミュニティを強化したいと答えている。またDは難聴者がろう者を見下すとコメントしている。Bは、最初はろうコミュニティに拘っていた。アブネル氏が、障害を超えて運動、要望したほうが良いと話したあとに、肯定的な回答に変更している。

Cは日本の職場の問題で、会社で仲間を増やしたほうが良いと言っている。筆者の職場では聴覚障害者は一人しかいないと説明すると、他の障害者でも良い。仲間を増やしたほうが良い、とアイディアを出してくれた。

Dのコメント「フィリピンでは難聴がデフを見下す」とあるように、障害者間で多少の差別は存在する。ここで重要になってくるのが(5)の自己と社会を変革する意識である。フレイレの意識化をモデルの基礎をなす枠組みとしたのも、このためである。被抑圧者と認識する障害者が、抑圧者に変わってしまうこともあるからだ。

(5)自己と社会を変革する意識

図5-1を使った質問の回答から、Eが会社で通訳がいないために「会議に参加できない」「平等であるべき」などから判断しても、調査対象者のほとんどが、差別があることを意識し、公平、平等を強く望んでいる。ハイスクールの生徒たちは、社会を変えたいかという筆者の質問に対して、全員が「変えたい」と回答している。しかし、Gのように、「もっとよくなるなら」、「自分を高めて」という条件付きも見られた。Cは「障害に限らず、社会が誰に対しても平等になるように社会を変えたい。視覚障害者に対しても必要なサポートが得られるようにしていきたい」、と明確に、かつ、他の障害者へのサポートの必要性も含めて、社会を変えたいという意識を持っている。

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第6章 考察と結論

第1節 インタビューの再考 

第5章ではフィリピンにおけるインタビューを詳述した。その結果を日本の障害者運動のリーダー2人に共有し,コメントを頂いた。以下ではその内容を紹介し、インタビュー方法の再考について記述する。

2014年11月28日に東京都障害者福祉会館にて、全日本難聴者・中途失聴者団体連合会(以下、全難聴)相談役の高岡正氏にインタビューを実施した。高岡氏は1994年に全難聴理事長に就任し、2014年までの19年間にわたって,要約筆記者養成カリキュラム策定、TV字幕付与と普及、著作権法の改正など、多岐にわたって難聴者の福祉向上に尽力されてきた。また、1991年から2011年まで、東京都中途失聴・難聴者協会理事長として、都内の難聴者の福祉向上や東京都との交渉に当たってきた。インタビューの内容としては、筆者がモデルとその背景をなす理論について説明し、モデルとインタビューの結果についての批評と可能性を伺った。

まず、このモデルの見通しや方向性がわかりにくい点の指摘を受けた。難聴者の障害特性として、難聴者は気づきや自覚に欠けること、難聴者が他の難聴者と出会うことによって自覚しはじめること、そういったことから、モデルに第一のステップが必要と指摘を受けた。例えば、障害を負ったばかりの難聴者に対するサポートの必要性である。さらに、「一般的な難聴者は意識も低く、知識もない。ピア・カウンセリングの存在も知らない。権利も学んでいく必要がある。そのための政策が必要だ」、と指摘頂いた。フィリピンでのインタビューについても、インフォーマントは友だちがいる人たちに限定されていたとの指摘があった。

次に、2014年12月6日に八王子市にて、自立生活運動のリーダーである中西正司氏にも、高岡氏と同様のインタビューを実施した。中西氏からも、当モデルには明確な方向性が見えないと指摘を受けた。「コミュニケーション障害は明確なターゲットがない。車いすユーザーならエレベーター設置を要求するなどの社会変革目標は明確であり、ろう者も手話を要求するなど明確である。難聴者や視覚障害者は他の障害に比べて難しい」という内容である。さらに、「ターゲットを明確にすることや、何故、自立生活運動が必要なのかを、もっと明確にした方が良い。ろう者のように必要なコミュニケーションを周囲に要望できるエンパワーメントが重要でしょう」と、筆者の中にまだ弱かった認識を再確認させられた。フィリピンにおけるインタビューではこの確認が弱かった。

インタビューに同席していた中西由起子氏が「(字幕や要約筆記などの)社会サービスを受けるだけでは難聴者は障害受容や自己確立まではいかなかったのでしょう」と念を押された。

これらのコメント受けてインタビュー調査を振り返ってみると、質問事項に自分が発信したニーズとは異なった対応をされた場合はどうするかを、質問するなり、絵にしてディスカッションすればもっと「難聴者の自立生活モデル」の有効性が見えたかもしれない。

限界点としては、障害を受容しきれていない難聴者に出会えず、インタビューすることができなかった点である。ほとんどが、インフォーマントが様々な紹介を通して出会っている。つまり、それはインフォーマントが聴覚障害者として自己認知し、聴覚障害者として他者と接している。だから、他者も彼・彼女を聴覚障害者として認知しているからこそ、筆者に紹介が可能だった。自覚していない聴覚障害者を、誰も知ることはない。そのためインタビューでは、障害受容できていないインフォーマントは含まず、調査の客観性が足りないかもしれない。障害を受容した聴覚障害者に偏ってしまった。調査の前にある程度の予想はできていたものの、実際に無自覚な難聴者と出会うのは困難であった。その他、日本に住んでいる筆者がフィリピンへ出向き、限られた時間の中でインタビューをし、十分なデータを集めることも難しかった。

第2節 フィリピンにおける難聴者の状況と自立生活運動の可能性

インタビューの随所で見られたが、Aは「理解できなかったときは繰り返してお願いする」、ろうであるBとCは「筆談。携帯でテキスト入力してもらう」、Jは「筆談か手話を求める」との回答に見られたように、フィリピンでは聞き返しやすく、筆談を求めやすい文化があることがわかった。しかし、自立生活運動のリーダーであるアブネル氏が指摘するように、フィリピン人が優しいだけに余計なお節介で終わってしまうという懸念もある。これに対しては、ピア・カウンセリングと自立生活プログラムのアサーティブネスが、ニーズを満たすためにはどのようなコミュニケーションを取ったら良いか、解決への糸口が見つかると思う。

さらに、Dの「フィリピンでは難聴者がデフを見下す」、Hの「お店に行って声かけられる。デフというと引かれる。差別が嫌だ」という回答があったように、ろう者に対しては根強い差別があることもわかった。それは第4章第5節でも詳述したが、難聴者がLip Readingでコミュニケーションが取れるにも拘わらず、会社が「Deaf」と表記された名札着用を命じていることなどからも難聴に対する理解が弱い、。

権利擁護に対する意識も、Bの「デフ・コミュニティを強くしたい」、Dの「デフ・コミュニティをサポートする」、との回答からもわかるように、ろうコミュニティを強くしたいと語っている。権利擁護の意識もしっかりと見られる。

他方、「障害を超えた交流」では、Dは「難聴者がろうを見下す」と話しているように、障害者間の相互理解が不十分である。 両者の間に必要な通訳をつけて、相互理解を目的にした交流が必要だろう。

「自己と社会を変革する意識」では、差別がある状況の中で、ハイスクールの生徒たちは、筆者の社会を変えたいかという質問に対して、全員が「変えたい」と回答している。さらにCは「障害に限らず、社会が誰に対しても平等になるように、社会を変えたい。視覚障害者に対しても必要なサポートが得られるようにしていきたい」と明確に変革したい意識を持っている。差別に対してフィリピン人は強い正義感を持っている。

フィリピンでは、何故、要望しやすい文化があるのだろうか。フィリピン人のホスピタリティは有名であり、そこに魅了される外国人は多い。

2つの側面から考察してみた。1つは時間感覚である。エドワード・T・ホール『文化としての時間』(1983)は2つの時間感覚があるとしている。一つはモノ・クロニックである。主に日本などの先進国の人たちの時間感覚であり、単一的で直線的であるとする。彼らにとって時間は1回限りの感覚である。例えば、誰かと待ち合わせしたとする。そのとき、誰と合うかよりも、何時何分に会う、という「時間」が重要なのである。

これに対する時間感覚として、ポリ・クロニックがある。フィリピンはその代表である。彼らにとっての時間感覚は、複合的で回帰的な感覚である。同様に待ち合わせをしたとき、何時何分に会うことよりも、「誰」と会うかが大切なのである。

こうした時間感覚から、フィリピン人には焦りがないことが要望しやすいのかもしれない。

2つは男性の正装であるバロン・タガログにみられるように、スペイン植民地時代から、抑圧から上手に生き延びてきた英知がホスピタリティとして表れているのではないだろうか。バロン・タガログはパイナップルやバナナの繊維から織った布地で作った男性の正装である。特徴としては布地が薄く、下着が透けて見えるのである。常夏のフィリピンにおいて、通気性が良くて涼しく見える。しかし、実際に着てみると蒸し暑い。なぜ、透けて下着を見せるのか。それは当時、支配者だったスペイン人に対して、武器を持っていないことを証明し、忠実さを証明したからではないだろうか。Roots of the Barong Tagalogによると、スペイン統治者が自分たちと現地人を区別するために着用を要求した。そして、現地人を下位の身分の印として、ベルトの下にバロン・タガログを押し込むことを禁じた。さらに武器を隠すことができないように透明の布地の使用を要求した。さらに、窃盗を防ぐためにポケットをつけることも禁じた。こうして統治者の要求に応える一方で、バロン・タガログの前部に卓越した技術の刺繍のデザインを施していった。これが植民者の抵抗の象徴となっていったと紹介されている。こうしたスペイン統治からの抑圧に耐えながらも、要望にはきちんと対応し、自分たちのアイデンティティを見失うことなく、さらに工夫を凝らして独自の文化を発展させながら抵抗してきた。つまり、相手の要求や要望を柔軟に応じ、そこへ自分たちの価値を付け加えて対応する方法が生まれていったと推測する。そのため、依頼に対して感謝して返すという美徳があるのかもしれない。聴覚障害者たちが意識化できていない抑圧の歴史や状況があるとしたら、ピア・カウンセリングやフレイレの理論を取り入れた「難聴者の自立生活運動」は彼らに気づきを与え、柔軟に応じながら自分の中にあるニーズを顕在化して、価値を与えて社会に返していくのかも知れない。フィリピン人たちは、「難聴者の自立生活プログラム」を自分たちで、自分たちの良さを前面に出しながら、自分たちに必要なプログラムを作り上げていくだろう。

第3節 「難聴者の自立生活モデル」の再検討

高岡氏は、全難聴にしても、各都道府県の難聴者団体にしても、個人の自己選択と自己決定という、主体性と自由を支援する政策がなかったという問題意識については、筆者と同じくして持っている。高岡氏も独自に個人を支援する計画を内々で考えているとのことであった。そして、このモデルの可能性について、「情報バリアフリーは少しずつ進歩した。しかし難聴者は情報バリアフリーだけでは救われない」、と語った。ろう者にいたっては、手話言語法制定の機運が高まっており、その流れの中で既存の難聴者組織の現状に対しては強い危惧を感じているようだ。

高岡氏は、特に高齢者の支援が必要と主張する。「『難聴者の自立生活モデル』は障害者総合支援法(旧自立支援法)の事業に組み込めば、実施できる。そこから個別支援事業に変えていくことで、実施の可能性はある」とコメント頂いた。ただし、「難聴者の特性として他の障害者と一緒にというのは無理がある」と批判も頂いている。そのため「段階に分けて、第1段階にピア・カウンセリングと自立生活モデル、第2段階に権利擁護などに分けた方が良いのでは」とアドバイスも頂いた。  インタビューを振り返って、無自覚な難聴者をどう取り組むかという課題は確かに残っている。多くの難聴者は、自立生活運動は、介助を必要とする障害者の運動、という先入観を持っている。そのため、それが難聴者の間に「難聴者の自立生活モデル」を広めていく際の壁になる。東京都では難聴者の手話講習会があるが、手話に抵抗を持つ難聴者には、仲間と出会う機会が少ない。さらに、悩みを抱えた難聴者が相談する場所が少ないという現状がある。そうした中で筆者は特定非営利活動法人東京都中途失聴・難聴者協会で、職場のコミュニケーションや防災などの難聴者に特有な問題をテーマに掲げて、気軽に話し合える「コミかるカフェ作ろう!」という「場」を提供している。こうした気軽に話し合えて、出会いのある「場」を提供していき、ピア・カウンセリングに繋げていくことも、1つの方法である。  高岡氏の言うように「難聴者の特性として他の障害者と一緒にというのは無理がある」ゆえに、自立生活を「段階に分けて実施する」ことは、場合によっては適切かもしれない。しかし、それはプログラムの進め方という個別具体的な問題であり、分けることによって、筆者はモデルの理念が薄らぎかねないことを懸念する。難聴者が、他の障害者と共に活動することに無理があることは、筆者も承知している。かといって、難聴者同士で固まっては、これまでのように同障者同士のコミュニティで完結しかねない。そうなると、自分たちが置かれた状況を客観視することもなく、意識化に繋がらない。社会の中で難聴者が被抑圧者のままとなりかねず、何よりも難聴者が自らの中にある「抑圧者」に気づかないままとなる。

これらを踏まえて、「難聴者の自立生活モデル」では、差別や抑圧と闘う理論を背景にしてきた。しかし第3章第2節(5)で述べたLICの経験と比較すると、このモデルには、仲間を集めて組織化していくこと、組織を立ち上げて運営していくプロセスがほとんどない。従って本モデルの構成要素(2)の自立生活プログラムの中で、仲間を集めて組織化していくこと、事業を生み出していくことの2つの活動要素を加える必要がある。理由は、第2章第3節で、筆者が江東区で福祉サービスとしての要約筆記派遣の制限を受けたように、地域社会の中で難聴者の機会集合の最大化を図っていくためには、行政に対して、福祉サービスの拡大や更なる利便性を求めていかねばならない。このとき、「難聴者の自立生活モデル」の第3の構成要素である「権利擁護」だけでは不十分である。地域社会の中で、一緒に行動できる仲間が必要である。しかも、単に人を集めるだけではなく、組織として意見をまとめていくマネジメント力も求められる。それらを可能にするマネジメントのプログラムを組み込みたい。

また、LICでは手話通訳や要約筆記といった既存のサービス提供だけに留まらず、それぞれの難聴者のニーズに応じた「復唱」などのサービスがあるように、「難聴者の自立生活モデル」でも、多様なサービスを提供していくことが望ましい。様々なサービスを提供していくことは、高岡氏が懸念している高齢難聴者対応にも繋がっていく。介護が必要になった高齢難聴者にはどう対応するか、そうした社会不安に対して高齢難聴者のニーズに対応したサービスを提供することで、問題解決に繋がると思われる。こうした事業を創出していくことで、新たな雇用創出にも繋がる。なにしろ、企業の中で、差別を受けて能力が発揮できず、無理解によって孤立してしまった難聴者が、十分な情報保障が得られる環境を作りながら、自分のアイディアで事業を作ることが可能になる。フィリピンの高等教育機関で、十分な情報保障を受けた聴覚障害者が自立し、仕事を楽しんでいることからも、先ずは情報保障を得られる環境を作れば、事業も創出しやすいだろう。

「ピア・カウンセリング」の導入は、日本でもフィリピンでも必要である。「自立生活プログラム」に関しては、日本では上記のLICのモデルから学ぶように、仲間作りや多様なニーズに応えていく事業を生み出すプログラムを追加したい。「権利擁護」は、日本では「障害を超えた交流」と一緒にまとめた方が良いかもしれない。区市町村レベルでの組織化が必要だが、同時に他の障害者と交流しながら学びあえる環境にしていく必要がある。「自己と社会を変革する意識」は、フィリピンでのインタビューでは「公平」や「平等」という言葉が多いに聞かれたように、権利について学習するプログラムが必要だろう。それは高岡氏も「権利について学ぶ必要がある」と指摘している。モデルの構成要素としては問題ないが、どう実現していくかが課題である。障害を受容する基盤がフィリピンと比べて弱いため、ピア・カウンセリングと連動して自らと社会を変革していく意識を醸成していく必要性を強く感じる。

第4節 まとめと結論

本研究は、「難聴者の自立生活運動」の骨格を「モデル」として築くこと、「モデル」を分析の視点としてフィリピンの難聴者の状況を明らかにすることを目的とした。

第2章では、難聴者運動の概略を述べた。ろう者とは異なる難聴者の独自の組織化過程をたどり、それを可能にした要約筆記が、難聴者のニーズに応えるべく、話し手、書き手、聞き手の3者による共同作業として概念化されたことに触れた。そして、難聴者が直面する課題として、障害受容とアイデンティティ確立の難しさ、福祉サービスの限界、職場におけるコミュニケーションの課題を述べた。

第3章では既存の自立の概念に疑問を投げかけ、その呪縛からの解放を試みた。その上で「難聴者の自立生活」として、中西(2009)が明示した自己選択、自己決定をして機会集合の最大化を図っていく「障害者の自立生活」の定義に、難聴者のコミュニケーションニーズを社会に発信していくこと、と定義づけた。そしてフリードマンの「力の剥奪モデル」を活用して、「貧困」を「孤独」に置き換えて、難聴者がディス・エンパワーメントされている状態を明らかにした。さらに、医療モデルの代表としての人工内耳を取り上げ、その限界を明らかにした。そうした日本での経験から、モデルの理論枠組みとして、社会モデル、センのケイパビリティとエージェンシー、フレイレの意識化と人間存在論、ガルトゥングの構造的暴力論を援用して、「難聴者の自立生活モデル」を構築し、提起した。このモデルは(1)ピア・カウンセリング、(2)自立生活プログラム、(3)権利擁護、(4)障害を超えた交流、(5)自己と社会を変革する意識、の5つの構成要素を持つ。さらに(2)の自立生活プログラムでは、難聴者の自立を可能にするために、①目標設定、②自己認知、③健康管理、④手話通訳や要約筆記、⑤家族関係、⑥金銭管理、⑦アサーティブネス、⑧性について、の8つの活動要素を持っている。

これまで重度障害者一般を対象に主張されていた自立生活モデルから見て、難聴者の自立生活モデルでは、当事者による自立生活センター運営を中心とした介助サービスや障害種別を超えたサービスの提供はない。しかし、自立生活プログラムの中で手話通訳や要約筆記といった既存の福祉サービスを活用する力をつけること、またアサーティブネスを身につけて相手を傷つけずに自らのニーズや権利を満たしていくプログラムを取り入れること、さらに、「自己と社会を変革する意識」により差別と闘う基礎を作るという3つの点で、難聴者対応としての独自性がある。

第4章では、2013年の事前調査で得た知見を中心に、フィリピンでの調査地の概要と、聴覚障害者の状況について記述した。主な状況として、1つの地域で複数の手話が使われていること、学校教育の中で手話学習歴に差があること、それらによって差別が生じてしまう状況を述べた。また、ろう者も難聴者も一括して「Deaf」の名札着用を強制されていることなどの差別事例を紹介した。

第5章では、難聴者の自立生活の度合いに関する2014年本調査の結果を分析した。パンガシナン州ダグパン市にて1名の当事者に、マニラ首都圏ケソン市とマニラ市にて13名の当事者に対するインタビューとグループ討論を行い、「難聴者の自立生活モデル」の可能性について調べた。その結果、ほとんどが障害を肯定的に受け止めている。それぞれが目標を持っており、むしろ家族やデフ・コミュニティをサポートしたいという回答が目立った。家族や周囲を大切にするフィリピン人らしい目標を持っている。社会に目を向けると、聞き返しや、筆談してもらいやすい文化がある。その理由として、「循環する時間」の感覚があることで時間に縛られないこと、おそらくバロン・タガログの歴史に込められたように、抑圧者からの暴力に対して、柔軟さと独自の価値を付け加えることでより良いものに変えて生き抜いてきたこと、これらがフィリピン人のホスピタリティとなっているのではないか。聞き返しや筆談を求めやすい文化があることによって、情報保障がない防災訓練にも社会参加ができている。しかし一方、そういった環境があるにも拘わらず、買い物などではLip Readingでコミュニケーションが取れるのに、手話を必要とするろうと見なされると、店員が引いてしまうという差別が存在する。手話通訳や要約筆記の派遣は、要求や依頼はできているものの、企業などでは実現できていない。だが、聴覚障害者を対象とした私立の高等教育機関では十分な情報保障が確保され、第4章第3節と第5節で紹介した公立のハイスクールと比較すると、大きな格差が見られる。また第4章第3節で紹介したFDWHCCの事例や、HIVに関する質問から、女性に対する性暴力があり、難聴の女性たちはかなり抑圧されている印象であった。しかし、フィリピンの聴覚障害者たちは不公平、不平等には敏感である。

以上のような調査の結果、差別や抑圧と闘う「難聴者の自立生活運動」はフィリピンでも有効だと思われる。

第6章ではインタビュー調査を振り返り、本論文の目的に対応する知見をまとめた。仮説的に提示した「難聴者の自立生活モデル」の検証結果として、その必要性と改善点を明らかにした。改善点としては、仲間を集めて組織化すること、難聴者のニーズに応じた事業を可能にするプログラムを追加することである。

社会にある不公平、不平等を「障害」として捉え、自立生活モデル、ケイパビリティアプローチ、エージェンシー論、問題提起アプローチ、人間存在論、構造的暴力論を用いて構築した「難聴者の自立生活モデル」は、少なくともその骨格はできたと評価できる。日本とフィリピンとでは、それぞれ国の事情に違いがあるし、日本国内でも状況は異なる。しかし「障害」を社会の側に存在するものととらえた上で、それぞれの地域で主体となる難聴者が、それぞれの方法で差別と闘っていく際の一定の指針として、本論で提起した「難聴者の自立生活モデル」は有益であると確信する。

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森壮也(2006)『開発問題と福祉問題の相互接近〜障害を中心に〜』アジア経済研究所

八巻香織(2006)『こじれない人間関係のレッスン〜7daysアサーティブネス〜』太郎次郎社

山口利勝(2003)『中途失聴者と難聴者の世界〜見かけは健常者、気づかれない障害者〜』一橋出版

山本正志(2005)『ことばに障害がある人の歴史をさぐる』文理閣

ローゼンバーグ、マーシャルロー(2012)『NVC〜人と人との関係にいのちを吹き込む法〜』日本経済新聞社

和田信明,中田豊一(2010)『途上国の人々との話し方〜国際協力メタファシリテーションの手法〜』みずのわ出版

Marie Therese A.P. Bustos, Abner N. Manlapaz(2013) Incorporating Disability in the Conditional Cash Transfer Program

Sandy Niemann,Devorah Greenstein,Darlena David(2004) Helping Children Who Are Deaf, The Hesperian Foundation

Werner、David Disabled Village Children A guide for community health workers, rehabilitation workers, and families

Werner、David Asian Health Institute(AHI) Nagoya Japan, 1 Nov

URL

江東区 「第3期江東区障害福祉計画」http://www.city.koto.lg.jp/kusei/keikaku/kotoshogaikeikaku/66329/file/6mokuhyouchisyougaihukusikeikaku.pdf 2014年12月19日参照

厚生労働省「筆記者の養成カリキュラム等について」http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/sanka/dl/shien03.pdf 2014年12月13日参照

mber 2009 Towards health in the hands of people~progress in the last thirty years, and new challenges ahead”新光会 http://shinkokai.info/history/  2014年11月8日参照

新光会 http://shinkokai.info/history/  2014年11月8日参照

全日本ろうあ連名 厚生労働省へ「改正障害者雇用促進法に基づく差別禁止・合理的配慮の提供の指針の在り方に関する研究会」の報告書に対する要望書を提出  http://www.jfd.or.jp/2014/10/24/pid12699  (2015年1月21日参照

みみより会 http://www8.plala.or.jp/mimiyorikai/mitinori5.html 2014年11月8日参照

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図表一覧

3-1

フリードマンの「力の剥奪モデル」

4-1

フィリピンの行政組織の構造

4-2

パンガシナン州の位置

4-3

ダグパン市の位置

4-4

マニラ首都圏位置

4-5

マニラ首都圏地図

4-6

名札の写真

4-1 

対象者の学年別属性、手話経験年数

4-2

手話開始年齢

4-3

家族とのコミュニケーション方法

4-4

日常生活のトラブル

4-5

意見や要望など

5-1 

調査日程

5-2

モデルの構成要素、指標、質問

5-1

職場の会議

5-2

昼食・休憩時間の会話

5-3

インフォーマントの属性とインタビュー方法

5-4

障害受容と自己信頼の回復

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巻末付録

Questionnaire


Kumusta ka ! My name is Yoshibumi Fukuda from Japan. I have a hard of hearing. I will be in the out of university international social development course in April. My theme of research is how to be independent of living? So I want to know the situation of the Philippine hearing person with disability for a future study,. Would you please cooperate to my study..

Q1)  It was heredity, or how long did you not hear the hearing loss?


Q2)  Please tell me the current hearing ability.
      Ans    Left:           dB       Right:           dB


Q3)  How old have you begun to learn the sign language from?


Q4)  How's the communication with the family doing?


Q5)  What is it to be troubled in everyday life such as shopping?


Q6)  Do you have a hearing aid?
    If yes, can you listen other voice well ?


Q7)  If there are an opinion and a demand, please write it freely.

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【開発教育協会/DEAR】

ボランティア・スタッフの皆様へ

要約筆記実施のてびき

「要約筆記」とは、手話を使わない聴覚障害者に音声情報を文字にしてリアルタイムに伝えるためのコミュニケーション支援方法です。情報を正しくリアルタイムに伝え(下図の最初の部分を補う)難聴者方の参加を保障します。要約筆記は難聴者の参加を保障するのみでなく、難聴者と健聴者との円滑なコミュニケーションを支援し、全ての人の参加を保障してくれるものです。

要約筆記の役割=正しい情報をリアルタイムに伝える

情報を得る

情報を得る

思考・判断

思考・判断

意見・行動

意見・行動

「教材体験フェスタ」では、ボランティアに要約筆記をお願いしていることから、情報を正しく伝達するために講師や参加者、スタッフなど全員の協力が必要になります。開発教育は「参加」の重要性を強調するため、全員で協力しながら全員の学びの場をつくることが適切と考えこうした方法をとっています。

要約筆記に当たっては、下記のことを伝え、確認してください。

参加者に:


講師に:


要約筆記者:


2)要約筆記の際に準備するもの


3)当日(ワークショップ前)


4)ワークショップ時


出典:開発教育協会/DEAR

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(1) 財団法人とちぎYMCA「タラと世界を考える会」が主催者である。1985年の国際青年年に始まった。2014年8月現在までにほぼ毎年1回実施している。 > 本文へ

(2) マニラ首都圏Caloocan City Tala(カローカン市タラ) > 本文へ

(3) マニラ首都圏の自立生活センターLife Haven代表のAbner Manlapaz,フィリピン障害者連合会KAMPI(Katipunan Ng Maykapansanan sa Pilipinas,Inc.)代表のJosephine。De.Veraから2013年11月のプレ調査時に確認した。 > 本文へ

(4) 実際に聴覚を活用する能力 > 本文へ

(5) 言語習得の臨界期は3歳前後といわれているが、仮説であって確定しているものではない > 本文へ

(6) 集団補聴システムで、マイクで拾った音声信号を磁波に変えて補聴器に内蔵されたコイルに伝え、補聴器内で音声信号に変える。これによってノイズを軽減させ、聞きやすくする。 > 本文へ

(7) たとえば、「病院へ行きます」→「通院」 > 本文へ

(8) この資料の中では調査の実施機関、対象人数などの説明がなされていない。集計については質問事項の回答を割合で結果を示している。 > 本文へ

(9) 1994年から健康保険が適用されるようになった > 本文へ

(10) Area1 Vocational Rehabilitation Center DSWD(社会福祉開発省)の施設の1つ。 > 本文へ

(11) 主に話し手と聞き手に距離がある場合や雑音の多い場所で利用する補聴援助システム。補聴器にFM受信機を装着し、話し手がFM送信機を持って話す。FM電波を利用して交信することにより直接補聴器に音声を届け、雑音をカットする。 > 本文へ

(13) 山本章子/斎藤宏/松山智/南村洋子 パネルディスカッション『再考「人工内耳と向き合って」』ろう・難聴教育研究会会報32(通巻4134)2012年12月 > 本文へ

(14)  ケソン市にあるLINK CENTERで実施している。ここでは手話通訳派遣以外にチュートリアルによる学習支援をしている。 > 本文へ

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UP:20150403 REV: 20150405, 20160311
世界  ◇全文掲載
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