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『ろう者の言語権について』

クァク・ジョンナン 20150611
研究紹介
[English]

last update: 20150615

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 ろう者の言語権とは、日常生活でろう者が使用する手話言語に関する権利を基本的人権とする概念のことを意味します。日本でのろう者の言語権は1995年にろう者の木村晴美と聴者の市田泰弘が『現代思想』に発表した「ろう文化宣言」をはじめとする「日本手話」を認知させようとした動きと深くかかわっています。「ろう文化宣言」は、「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である」(木村・市田1995=2000: 8)という文章からはじまります。「ろう文化宣言」は、「ろう者が日常生活でもちいる手話」を「日本手話」と呼び、「日本手話で学ぶことができないろう教育」や「日本手話で手話通訳を利用することが困難であること」を強く批判しました。「ろう文化宣言」は、日本語とは異なる文法体系をもつろう者の手話のみを「日本手話」と呼び、音声言語を話しながら手話の単語を並べる「日本語対応手話」と区別したため、「日本語対応手話」を使用する難聴者や中途失聴者などの反発を招きました。しかし、ろう者が日常生活で使用する手話言語への権利をとりあげた「ろう文化宣言」は、多くのろう者・聴者に影響を与えました。
 その影響を受けて、2002年、「全国ろう児をもつ親の会」は、ろう児とろう者の母語は日本手話であり、母語である日本手話で教育を受ける権利を主張する「ろう児の人権宣言」を発表しました(全国ろう児をもつ親の会編2003)。また、2003年5月27日には、全国各地のろう児とその親107人が、日本弁護士連合会に人権救済申立を行いました。申立の趣旨は以下のとおりです。

―日本手話をろう学校における教育使用言語として認知・承認し、ろう学校において日本手話による授業を行う。
―文部科学省は、ろう学校において日本手話による授業を実施するため、各ろう学校に、日本手話を理解し、使用できる教職員を適切に配置し、そうではない教職員については日本手話を理解し、使用できるようにするための定義的・継続的な日本手話研修を行うものとする(全国ろう児をもつ親の会編2004: 296)。

 日本のろう教育はこれまで聴能訓練と読唇を中心とする聴覚口話法が支配的でした。しかし、すべてのろう児が聴覚口話法に成功したとは言いがたいのが実情です。実際、多くのろう児の間では手話が使用されてきました。しかし、ろう学校に勤務している教師の多くは聴者であり、手話でどの程度コミュニケーションがとれるのかについては、個人差が大きくあります。その結果、教師と生徒が十分に意思疎通できないという問題が発生しました。また、聴覚口話法によるろう教育を受けたろう者のなかには、十分に学ぶことができなかったと主張するろう者もいます。ろう児の人権救済申立は、このようなろう教育の状況を人権問題としてとりあげ、わかることばであるろう者の手話で学ぶ権利を訴えました。
 ここで、記しておきたいのは、ろう者の言語権は日本手話だけを強調する権利ではないことです。ろう者の言語権は、ろう者の第1言語である手話を教育言語として使用し、日本語の読み書きを第2言語として教育するバイリンガルろう教育を受ける権利を訴えています。言語権は、少数言語話者が少数言語を使用する権利だけでなく、少数言語話者が社会参加・統合において不可欠な多数言語を学ぶ権利をも含んだ概念です。ろう者の言語権もそれと軌を一にします。これまで日本の公教育では、日本語だけによるモノリンガル教育が実施されてきましたが、ろう者の言語権は、その「単一言語主義」を批判的に捉える「多言語主義」とも言うことができます。
 その延長線で、考えないといけないのは、日本手話と日本語の読み書きによるバイリンガルろう教育が、すべての聞こえない・聞こえにくいひとの言語的ニーズに応じた概念ではないということです。聞こえない・聞こえにくいひとのなかには、日常生活で日本手話をもちいるひともいれば、日本語対応手話を使用しているひともいます。また、補聴器などをつけて、音声言語を主に使っているひともいます。さらに、状況や会話をする相手によって、コミュニケーション方法を変えたりもします。これらの状況をふまえると、日本手話をはじめとすつコミュニケーション方法の優劣を論じることは避けるべきです。なぜなら、言語権は、言語の権利ではなく、それを使っている人の権利だからです(木村護郎クリストフ2010)。つまり、日本手話によるろう者の言語権が保障されないといけないのは、日本手話がれっきとした言語であるからではなく、日本手話を用いてろう教育を受ける権利がこれまでのろう教育では十分に保障されてこなかったからです。したがって、ろう者の言語権をめぐる主張や議論は、聞こえない・聞こえにくい人のコミュニケーションを保障するための権利の一部として位置づけることができると私は考えています。

参考文献
木村護郎(きむら・ごろう)クリストフ2010「日本における「言語権」の受容と展開」『社会言語科学』13(1): 4-18
木村晴美(きむら・はるみ)、市田泰弘(いちだ・やすひろ)[1995] 2000「ろう文化宣言」現代思想編集部編『ろう文
  化』青土社: 8-17
全国ろう児をもつ親の会編2003『ぼくたちの言葉を奪わないで!――ろう児の人権宣言』明石書店
全国ろう児をもつ親の会編2004『ろう教育と言語権――ろう児の人権救済申立の全容』明石書店


*作成:小川 浩史
UP: 20150614 REV:20150615  
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