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「楠敏雄氏と障害者解放という思想」

中村 雅也 20140701  『追悼 楠敏雄――その人、その仕事、その思想』楠敏雄・偲ぶ会実行委員会,pp.60-62.

last update:20141011

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立命館大学大学院先端総合学術研究科立岩研究室 中村 雅也

 私は障害者解放運動のことをほとんど知らない。自身が障害者であり、過去に障害児への教育を仕事とし、現在も障害にまつわる諸事象を研究しているので、障害者解放の思想に触れる機会はあったし、今もある。全国障害者解放運動連絡会議の集会をのぞきにいったり、機関誌やいくつかの関連刊行物に目を通したりしたこともある。しかし、漫然と眺めていたに過ぎず、障害者解放運動やその思想について何かをいうことなど到底できない。
 今回、楠敏雄氏の追悼集に寄稿させていただくことになり、「楠敏雄・偲ぶ会―その人、その仕事、その思想―」のサブタイトルに沿って、「その思想」というテーマをいただいた。私が拙稿(中村 2013)で楠氏へのインタビューをライフストーリーとして紹介しているからである。だが、これは楠氏が1973年に大阪府立天王寺高等学校に英語科講師として着任するまでの経緯とその後の教師生活について記述したものである。障害者解放運動の先駆的実践者としての楠氏は知られているが、教師という側面についてはほとんど記されたものがなく、あまり知られていない。その意味で、この小論は楠氏が自ら教師という一面を語った記録として貴重だが、逆に障害者解放運動についてはほとんど触れられていない。
 楠氏には、1970年代後半から現在までに、『季刊福祉労働』や『部落解放』をはじめ、さまざまな刊行物に、確認できるものだけでも50を超える論考がある*1)。前期には障害者差別と解放運動についての論考が多く、後期には時代の要請にともなって障害者の権利と自立という観点を全面に打ち出すものが見られるようになる。教育については、1979年の養護学校義務化阻止闘争から一貫したインクルーシブ教育の思想が展開されている。だが、それらをすべて咀嚼し、その思想を検証する力量など私にはない。
 そこで、この追悼文を書くにあたり、楠氏の2冊の代表的な著作を改めて読み返した。1冊は『「障害者」解放とは何か――「障害者」として生きることと解放運動』(楠 1982)、もう1冊は『自立と共生を求めて――障害者からの提言』(楠 1998)である。
 1982年に発行された『「障害者」解放とは何か』は、それまでに楠氏が雑誌に書かれたものをまとめ、加筆したもので、楠氏の思想的遍歴と「障害者」解放運動の理論的背景を確認することができる。この中で楠氏は、自らの「障害者」としての自覚と「障害者」解放運動へのめざめについて記している。1967年に大学に入学したころの楠氏は、自分は他の盲人とは違うというエリート意識と「目あきなんかに敗けるものか」というコンプレックスの裏返しのような「ツッパリ」意識の固まりだった。そんな楠氏に、ある重度の脳性まひ者が、あんたは「障害者」としての自分の生きざまをさらけ出して生きているかと問いかける。この言葉に大きな衝撃を受け、楠氏は「障害者」としての自覚にめざめるのである。そして、自分自身の弱さから逃げないこと、常に差別の現実と向き合うことを闘いの原点に持ち続けることになる。
 その後、狭山差別裁判糾弾闘争を通して出会った部落解放運動と、在日韓国朝鮮人に対する差別・抑圧を問題とした入管闘争という二つの反差別運動に参加することによって、楠氏は「障害者」解放運動の基本的考え方を獲得する。「障害者」解放とは、「障害者」をその「障害」から解放するのではなく、「障害」を理由とした差別から解放するという思想である。「障害」自体の軽減、克服を目指したり、物質的保障の要求だけに終始するような運動とは根本的に異なるものである。
 楠氏は「障害者」解放の意味を大きく3点にまとめている。1点目は、「障害者」自身が自分の生涯(原文のまま引用)を堂々と主張して生きていく、そして自立を勝ち取っていくということ。2点目は、「重度障害者」の生き方に触れることを通して、周囲の人たちの人間観、生き方を変えていくこと。3点目は、そうした「障害者」自身の自立と「健常者」の変革を通して、利益中心の社会、人間をふるいわけていく社会、そういった社会を変えていくこと。「障害者」の生き方、闘いを通して、社会そのものを変えていく、それが「障害者」の解放であるし、人間の解放にもつながると考えるのである。
 1998年に発行された『自立と共生を求めて』の中で、楠氏はそれまでの30年に及ぶ障害者解放運動を、70年代は告発の時代、80年代は地域の時代、90年代は当事者主体の時代と分類している。社会状況の急激な変化の中で、障害者解放運動の方法も変化している。しかし、楠氏は、「私自身も揺れ動いていることは否定できない」としながらも、「私の基本的な立場は変わったわけでない」と明言する。1991年発行の「埼玉社会福祉研究会」設立準備会機関誌「通信」に掲載された楠氏へのインタビューでも、「障害者解放運動という原則は変わらないけれど、それを実現する手段は変えていかないとね」という発言が見られる。ぶれのない理論的基盤に立脚しながら、現実に応じた柔軟な変化ができる根っからの実践者だった。このインタビューの最後は次のような楠氏の言葉で締めくくられている。「そういう泥くさい、汚いことを抱えた人間が、いろいろ集まってやっていくことが、ほんとうの意味での解放運動だと思うんです」。私の手に余る「その思想」というテーマについては、これぐらいでお茶を濁させていただく。
 私が楠氏と出会ったのは1990年代の中頃、私が駆け出しの教師として何もわからず右往左往していたころだった。楠氏も発起人の一人である全国視覚障害教師の会*2)の研修会でお会いし、同和教育の研究授業で障害者差別を扱いたいことを相談した。当時の楠氏のお住まいと私の実家がたまたま近所で、後日、駅前の喫茶店まで数冊の書籍を持って来てくださり、いろいろと教えていただいた。
 その後、長い間、お会いする機会もなかったのだが、私が2009年に大学院に入り、再び研究の相談などでお会いする機会をいただくようになった。今となっては、本当に貴重な時間をいただいたと思う。時折ご自宅のマンションを訪ねることがあったが、ベランダに鳥かごを置き・小鳥をかわいがっておられた。目に代わってこの世の中を把握してきたその耳を、小鳥のさえずりでなごませていたのだろう。しかし、楠氏は小鳥の世話をすることそのものに楽しみを見出していたのではないかとも思う。世話を焼くこと、面倒を見ること、他の者のために何かをすることが好きな、そんな人だった。
*1)立命館大学生存学研究センター関連のウェブサイト「arsvi.com」内の楠氏の情報ページ(http://www.arsvi.com/w/kt11.htm)参照。
*2)全国視覚障害教師の会ホームページ(http://jvt.lolipop.jp/)参照。

【文献】
楠敏雄,1982,『「障害者」解放とは何か――「障害者」として生きることと解放運動』柘植書房.
楠敏雄編,1998,『自立と共生を求めて――障害者からの提言』解放出版社.
楠敏雄,1991,「楠敏雄さんに聞く 4」『「社団法人埼玉社会福祉研究会」設立準備会機関誌「通信」』56: 59-63,(2014年7月1日取得,http://yellow-room.at.webry.info/201402/article_6.html).
中村雅也,2013,「第1章 楠敏雄先生のライフストーリー」『視覚障害教師たちのライフストーリー』2012年度立命館大学大学院先端総合学術研究科博士予備論文,(2014年7月1日取得,http://www.arsvi.com/2010/1300nm2.htm).






*作成:小川 浩史
UP: 20141011 REV:  
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