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「ユートピア的な叛乱の大義――現実と理念をめぐるジジェクの問い」

箱田 徹 20130906 『図書新聞』第3125号

last update:20140203


※スラヴォイ・ジジェク『2011:危うく夢見た一年』長原豊訳、航思社、2013年の書評

 金融資本主義への統制と国家の再分配機能を強化し、福祉国家を維持するという主張に現実性があるのか? この問いは、ジジェクにおいて、つねに反語だ。その対抗軸は、むろん「共産主義」である。
 ただし、その「答え」以上の問いが、本書にはある。「現実」とは何か、という問いだ。
 この二年あまり、内外の多くの知識人が、東日本大震災や福島原発事故を語った。だが、本書のジジェクは一言も触れないし、日本語版序文にも言及がない。「二〇一一年」というジジェクのフレームに、日本での出来事は入らないのだろう。
 だがそのことが、彼の論調を、かえって鮮明にしている。二〇一一年は、本書のカバーに配置された数々の写真が示すように、世界各地の人々が、新たな夢を自覚的に見始めた年だと、ジジェクは捉える。
 以来、現在も世界各地で続発する叛乱は、個別具体的な問題への解決が、グローバルにしか解決できない、グローバルな革命情勢の到来を示しているのだ(「楽園でのトラブル」『ロンドン・レビュー・オブ・ブックス』二〇一三年六月二八日号も参照)。だとすれば、グローバルな情勢との関係で、日本の状況を考えることもできるだろう。
 現代日本での、資本のグローバルな反応は、たとえばこうだ。同一価値労働同一賃金という、左翼の要求を、「グローバル企業」の経営者は「年間百万円の生活」と読み換える。TPPでは、オープンな市場の実現のためのクローズドな協議、という議論がまかり通る。成長と再分配、アカウンタビリティと透明性が、民主的な統治の原理だという、リベラルな資本主義の建前は、あっさり無視される。
 アベノミクスの有効性に疑問符が増しても、原発再稼働と九条改憲に反対が多くても、選挙では自公政権が勝つ。これは、マルクスのフランス三部作を踏まえ、現代の小農とジジェクが呼ぶ、プロレタリア化を恐れた、ミドルクラスの反動的な動き、でもあるだろう。
 事実、大都市や郊外、都心回帰で潤う地域では、「第三極」への支持が定着した感がある。このとき「再分配」とは、一%の人の富に手をつけず、九九%の人の乏しい持ち分の奪い合いを指す。
 現情勢を把握するための「理論」を、という姿勢が、本書では前面に出る。ただそれだけに、個別の議論には、無理も感じられる。たとえば、ランシエールは、「分け前がない者の取り分」を指摘し、メンバーとして数えられない人々の側から代表制批判を行うが、この議論を、〈全〉はつねに剰余を含むから、政治や政治家は「すべて」を代表することは出来ず、そこに階級闘争(と人種差別)の契機がある、と敷衍するあたりなどは、ちょっと怪しい。
 しかし本書には、そうした部分を補う勢いがある。革命的主体の可能性をめぐる考察だ。それが明確に表れるのは、「チャンスを生かさない者は愚かであり、その命運は後で咎められる」という文言から始まる、中東とアラブ世界の叛乱を論じた第Y章だ。
 中東資本主義の中心地、ドーハの美術館に所蔵された、中世ペルシアの丸皿に刻まれたこの文句が、かの地の発展を支える貧しい移住労働者に、別様に解釈される可能性を想像してはどうか、とジジェクは言う。己にも、悲惨な現状を転覆させるチャンスがつかめる、こう読む労働者がいてもおかしくないのだと。
 こうした読みは「革命的」であり、主体の世界との関係を一変させる。自己と他者との関係の根本的な断絶と、あらたな結びつきという動きは、ジジェクが言うように、キリスト教の「愛」にも読み取れるだろう。
 人々は様々な理由で街頭に出る。だが、理念なり、社会構想が、参加者に次第に明らかにならない街頭行動は、決して革命に至らない。では、どのようにして革命を? ジジェクは「参加者すべてが共有できる、普遍的で肯定的なプロジェクト」たる共同闘争を提起することを掲げ、それを「共産主義」と呼ぶ。
 こうして本書の「危うく夢見た」というタイトルの意味が明らかになる。抗議者は「夢想家」ではない。「強欲な猛獣」たる金融資本主義の馴致という、「悪夢」から醒めたのだ。だからこそ、中途半端な抵抗、改良主義的態度、代案の対置はやめるべきだ、こうしたジジェクの主張は、フーコーのイラン論も彷彿とさせる。
 なるほど「非現実的」な主張かもしれない。だが「社会的なもの」の議論に見られるように、社会を分析する概念と、社会を構想する理念との混同が至る所で起きている。
 とすれば、現実的とされる主張の現実性を問い直し、理念とはなにか、という原理的な問いを掘り下げるべきではないのか。
 二〇一一年以降の情勢は、叛乱とはつねに「うまくいっていた」はずの社会で、目の前にあるはずの現実を裏切って、突如生じることを示した。やはり理論は、主体のユートピア的な力量が作り出す、「現実」に遅れるのだろうか。
 こうした現実に忠実であり、かつそれを作り出す、理念を探求することの重要性を、本書は再確認させてくれる。
(立命館大学専門研究員、社会思想史)

※以上は執筆者のPCに保存されている校了時の原稿です。


*作成:箱田 徹
UP: 20140203
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