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「キリスト教、及びキリスト教会の中での障害(者)理解について」

堀越 喜晴 20130320 「障害受容」について/から考える研究会 第4回報告,
於:名古屋駅近く貸会議室

last update: 20131021


2013年3月17日 障害受容学会発表レジュメ
「キリスト教、及びキリスト教会の中での障害(者)理解について」
堀越喜晴


1. 聖書の中の障害者に関する記述から(資料I

 (1) 旧約聖書、レビ記の場合: 「汚れた者」として
 (2) 新約聖書、福音書の場合: 主に治療、癒し、「奇跡」の対象として
 (3) イエスが奇跡を行うとき
  a. 関わる: 相手の中の信仰、望みを注視する(コミュニケーション。頑なな人、故郷の人々には、奇跡は起こ
  せない)
  b. 憐れむ: スプランクニゾマイ(ギリシャ語、「腸する」)
 (4) イエスの見解
  a. 神の国はあらゆる圧迫(障害を含む)から解放された世界である(資料I 参考A.
  b. 因果応報(罪の結果としての災難)の否定(資料I 参考B.
 (5) パウロの見解: 弱さを誇る → 障害を「恵」と観る可能性(資料I 参考C.

2. 「『障害は恵か?』を問うシンポジウムより

 (1) 開催のきっかけとなった金沢淳の意見(骨子、以下同じ)(資料II
  我々障害者の中には、「障害は神からの恵だ」などと言って悦に入っている者がいる。嘆かわしい不見識と言
  わざるをえない。いったい聖書のどこにそんなことが書いてあるのか。旧約聖書のレビ記には、はっきりと「障
  害は穢れであり、障害者は穢れているから神に供え物を捧げてはならない」と書かれているではないか。その
  穢れを奇跡によって取り除き、完全な人間にしてくださったところにイエスの愛があり、それこそが恵なのであ
  る。
 (2)呼びかけ人、橋本宗明の意見(資料III
  障害は、明確に神からの恵である。ただしその恵は、当事者がそれを神からの恵として受け取ったときに成立
  する。神はどこまでも善の方であり、被造物もまた全ては善である。しかし人間は、神から特別に賜った自由
  意志を逆手にとって神から逸脱してしまった。そのために生じた、いわば引き裂かれた神の愛の傷のようなも
  のが、すなわち悪である。障害とは、そのような悪が特定の人に現れた現象の一つであると考えられる。これ
  を神からの賜物として受けるときに、その傷は恵へと聖変化するのである。
 (3)呼びかけ人、阿佐光也の意見(資料III
  障害も、またあらゆる事故や不幸も、神からの恵などではない。もしそれらが神の御計画だと言うならば、神と
  はとてつもなく意地悪で不条理な方だと言わざるをえなくなる。どだいこの世界も、また人間も、不条理と苦悩
  に満たされている。神は、自身人となってそれらの全てを身に負おうと決意された。それがすなわちイエスの受
  肉である。イエスにおいて神は人の世のあらゆる苦しみを舐め、そして挙句の果てに十字架上で壮絶な死を
  遂げた。それゆえに私たちは、どのような苦しみのうちにあっても、それをつぶさに経験されたイエスを信じ、
  傍らに実感することにより、慰めを受け、苦しみから解放される。そこにこそ神の愛があり、それこそが恵なの
  である。
 (4)呼びかけ人、堀越喜晴の意見(資料III
  障害それ自体は、恵とはいえない。むしろ、いわば恵への招待状であると言える。問題は「障害は恵か」では
  なく、「障害を恵とするか」であろう。

3. キリスト教神学における障害(者)のとらえ方

 (1) 伝統的なキリスト教神学の場合: アウグスティヌス、トマス・アクィナス以来の伝統的なスコラ神学、またル
  ター、カルヴァンなどのプロテスタント神学にあっては、いずれもおそらくこの問題は取り上げられなかったか、
  あるいは少なくとも当事者不在で論じられていたであろう。
 (2) 1970年代以降のいわゆる「所有格(属格)の神学」の場合: 当事者ないし関係者の視点からの問いかけ
  がなされるようになった。
  a. 熊沢義信の「障害者の神学」
  ・障害者は自らの障害によって、この世に存在する不条理・不合理・不幸の根を暴き出し、それにより自ら主
  体的にこの世を(万民にとっての)御国へと近づけていく役割を神から与えられている(障害者の行動に、神の
  御業が現れる)
  b. 同、「障害者神学」
  ・否、主体は障害者ではない、神ご自身である。神は障害者を弱き者、無能力な者としてこの世にお遣わしに
  なったのだ。世界よ、この人を見よ!そしてその中に、己自身の罪深さ、不条理性、不幸を見つめるがよい。
  (障害者はその存在そのものによって神を証している)
  c. 清水ちょう子の「代理苦難論」
  ・障害者は、本来私が受けるべき苦しみ、痛みを、私に代わって受けてくれているのだ。ちょうどイエスが十字
  架を負って私の罪を贖われたように。
  (これらの問題提起に対して、プロパーのキリスト教神学ははたして向き合おうとしているだろうか?)

4. キリスト教会、一般信徒の障害(者)理解:
  一般社会におけるそれと基本的に変わりないが、世間一般に持たれているステレオタイプなキリスト教のイ
  メージとも相まって、障害を持った成員には、しばしばなんとも屈折した生き辛さを感じさせることになる。

 (1)ステレオタイプな障害者像
  a. 無能型
  b. エイリアン型
  c. セイント型
 (2)そこから来る役割関係の固定化
  a. 門前払い
  b. 授益者対受益者
  c. 大目に見られる
  d. 大目に見させられる
  e. 小さめに見られる
  f. プライバシーの軽視ないし無視
  g. ダンディーな障害者?
  (堀越喜晴、『バリアオーバーコミュニケーション―心に風を通わせよう―』(サンパウロ出版、2009年)より)
 (3) キリスト教会ゆえの反応
  a. 奇跡を求めよ
  b. 障害者は、その障害のゆえに神に近い
  c. 障害者は、すでに罪を許されている
  d. 障害者は、健常者に勝って神から深く愛されている
  e. イエスは障害者のためにこそこの世に遣わされた
  f. 障害者に奉仕することは、すなわち「天に宝を積む」ことである

  引用: 「キリスト教的な社会福祉間には、世界の予見性、社会的位置の宿命性を強く前提した上での弱者への働きかけという思想が流れていなかっただろうか。弱者を放置している自らや社会に対する自己批判はなされても、弱者を産み出している自らや社会に対する自己批判はなされてこなかったのではないか。障害者の置かれた状況を自分のこととして受け止めるというとき、それは自分ではない誰かによって齎された障害への苦難への共感という文脈を超えるものではなかったのではないか。もちろん、弱者が現に放置されている歴史の中で、キリスト者の社会福祉実践が持った意義について真っ向から否定しようという意図はない。また、障害の意味付けという実存に関わる問題に直面した障害者やその家族にとって、現に存在する不遇な地位についての説明を与えてくれる思想や宗教が大きな意味を持ったことは確かであり、現在においてもその意義を否定すべきではないと考える。しかし、愛と正義が前面に掲げられる福祉実践を通じて障害者にその働きかけの客体としての社会的地位が割り振られていることが、障害者の無力化の一つの要素を構成したという潜在的機能についても、社会学・障害学は小点を当てることになるのだ。」 (星加良司「障害学とは何か」、『福音と世界』2006年2月号pp. 12〜17、新教出版)

5.個人的な体験から(資料III

 (1) 私の楽観的障害者観
 (2) キリスト教入信以前
 (3) 入信の間接的な原因としての視覚障害
 (4) フィリピンでの衝撃的な体験

6.現在の時点での私の見解(資料III、拙稿の特にIII.,IV.参照)

 (1) impairmentとしての障害は、どこまでも欠損である(少なくとも、その全てを「神の御意志」とは断じられない)
 (2) しかし、神は必ずその障害と共に歩む道をも備えている
 (3) 我が子の幸せを願う父(ないし、親)としての神のイメージ: 神はその道を自力で選ぶことを(腸がちぎれる
  ほどの熱情を持って」願っている(資料I、参考D.
 (4) 障害と、イエスの言う「タラントンの例え」との類比(資料I、参考E.): 与えられた(あるいは、身に負ってい
  る)このタラントンを利活用して善き実を結ばせるか(すなわち、恵とするか)、あるいは土に埋めたままにして
  おくか(すなわち、恵としないか)は、その人に委ねられている
 (5) 同様に、教会という共同体内にあって、障害者はタラントンに例えられる: その人を、その障害をも含めて
  人材・人財として活かすか、あるいは本人不在のステレオタイプに埋没させることにより、あるいはせっかくのタ
  ラントンをただに飾り物にしておくことにより、その価値を無効にしてしまうかは、正にその教会に委ねられてい
  る
 (6) しかし、この事情は一人障害者にまつわる固有の問題ではない。誰もが神から与えられたそれぞれのタラ
  ントンに関して、同様のchallengeを神から受けている。すなわち、誰しもがchallengedなのである。ここにおいて
  初めて、障害(者)に関わる神学と、他の神学との間に、コミュニケーションの可能性が生まれるであろう。



*作成:小川 浩史
UP: 20131021 REV:
「障害受容」について/から考える研究会  ◇医療/病・障害 と 社会  ◇全文掲載
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