HOME > 全文掲載 >

「ニーチェにおける病気と健康について」

大津留 直 20130128 『現代思想』41-02(2013-02),青土社

last update:20130412

ニーチェにおける病気と健康について
大津留 直


1.フュシス
 われわれは時折不図したことで、例えば、今、目の前にある木を、そのただ 在るという輝きにおいて、経験することがある。そして、その稀有なる瞬間に おいて垣間見たことが、われわれの一生を、そこへと到達するための修行とし て決定づけることとなる。こうして、われわれは、詩人(芸術家)、あるいは、 思索者として出発する。そこで、われわれが経験するものの輝きは、しかし、 ほとんど、あらゆる言語や表現手段を越えたものであると同時に、われわれ一 人ひとりに、独自の表現を迫るものである。
 この経験を私自身は、「あはれ」と呼びたいのだが、まさに、その同じ経験 を、古代ギリシアの哲学者たちは、「フュシス」と呼んだ。そのフュシスをハ イデッガーは、「アウフゲーエン(昇り来ること)」と訳している。このギリ シア的な言い方を踏まえて、ニーチェは「力への意志」と呼び、リルケは「純 粋な昇華」と呼び、ハイデッガー自身は「現前者の現前」と呼でいる。
 「力への意志」と言うと、先ずは、人間のことが問題になっていると考えら れがちであるが、ニーチェの場合は、決して、そうではなく、むしろ、世界そ のものの成り立ちを可能にしている原理だと考えられている。そして、彼は、 まさに、世界そのものの成り立ちを可能にしている原理が「力への意志」であ るという経験にわれわれが到達するためには、彼が「すべての価値の価値転換」 と呼ぶ、われわれ人間のあり方そのものの変革が必要だと考える。それは、確 かに、強調されても、し過ぎないほど緊要なことではあるのだが、しかし、そ れと同時に、この「価値転換」に留まっていては、世界そのものが「力への意 志」だという経験に対して己を開くことがむしろ妨げられるのではないかと思 われるのである。
 なぜなら、ニーチェが言う「すべての価値の価値転換」とは、われわれがそ れを措定せずには、世界に対して向き合うことが出来ない最高価値を立てなが ら、立てた端から次々に転換してゆくことであり、このわれわれの思惟の作業 のただ中にあっては、われわれは、決して、力への意志としての世界に開かれ ることはあり得ないからである。これは、ニーチェ自身が、『ツァラストラは かく語りき』においてわれわれの思惟の三段階として、比喩的に叙述したこと、 つまり、「駱駝・ライオン・子供」という思惟の発展形式に対応している。つ まり、立てられた価値をそのまま受け入れている段階が駱駝であり、「すべて の価値の価値転換」の遂行によって、すべての最高価値を次々に打破してゆく 段階がライオンであり、力への意志としての世界に己を開いてゆくのが子供の 段階である。<注1>
 ところが、ニーチェの現在残っている著作、特に、その精神が正常であった 時期に公刊された著作を読むかぎりにおいては、「すべての価値の価値転換」 があまりにも前面に出てきているため、それを越える段階にいるニーチェはわ れわれにはなかなか見えて来ない。現に、ハイデッガーは、「すべての価値の 価値転換」からニーチェの思惟における「根本語」を主観主義的に解釈し、そ の思惟を「最後の形而上学」として批判している。ここには、実は、そのこと によって、ハイデッガー自身の『存在と時間』における思惟を自己批判するこ とによって乗り越えようとする彼自身の意図が隠れているのだが、それはここ での主題ではない。
 「子供」の段階にいるニーチェがかすかに見えてくるのは、例えば、『この 人を見よ』に出てくる次の詩においてである。

先頃、私は、鳶色の夜に、
橋のたもとに佇んでいた。
遠くから唄が聴こえてきた。
それは、金色の雫となって湧きあがり、
震える水面を遠ざかっていった。
ゴンドラの群よ、ともし灯よ、音楽よ、
陶酔して、唄は夕闇へと流れ去って行った...

私のたましいは共鳴する竪琴の弦となって、
目に見えない手に触れられ、
ひそやかに、一つのゴンドラの唄を歌っていた、
とりどりの幸福に打ち震えながら。
誰か、私のたましいが唄うのを聴いていただろうか。 <注2>

この詩が暗示しているように、ニーチェにとって、「力への意志」とは、究極 的には、例えば、ヴェネティアの夕べの海に唄のように、寄せては返す波のよ うなものであり、われわれ人間の魂は、その波に共鳴することによって、初め て「力への意志」になり得るものと考えられていたのではないかと思われる。 したがって、ハイデッガーのように、「力への意志」を「すべての価値の価値 転換」から主観主義的にのみ解釈し、規定しようとすることには、究極的には やや無理があるように思われる。ただし、ハイデッガーは、「力への意志」を もっぱら人間の生の原理として解釈しているわけではなく、むしろ、「存在者 としての存在者」の本質の規定として解釈している。しかし、それが「主観主 義的」であると言われるのは、そこに「人間の意志」の構造が秘かに持ち込ま れているからである。しかし、最晩年のニーチェにおいては、むしろ、この詩 にあるような、世界としての「力への意志」に共鳴する弦になりきり、それを 唄うことに、ニーチェの生涯の修行の核心があったと見る方が自然であるよう に思われるのである。

2.「病気の価値」
 さて、ここでわれわれは、ようやくニーチェの公刊された著作や手紙におけ る病気と健康についての思索の解釈に着手することが出来る。なぜ、このよう な長い前置きが必要であったのかと言えば、やがて明らかになるように、彼の 公刊された著作のあちこちに散らばった、病気と健康についての思索は、まさ に、「すべての価値の価値転換」へと向けてなされており、彼の思惟をその遂 行へと向かわせた原動力として、彼自身を生涯にわたって悩ませた彼の病気に 感謝するとさえ言われているからである。
 しかも、ニーチェによって発見され、思索された病気と「すべての価値の価 値転換」とのこの密接な関係は、その後、フランスにおけるジョルジュ・カン ギレムの『正常と病理』やミシェル・フーコーの『狂気の歴史』、そして、ジ ル・ドゥルーズによる「管理社会」批判などの思索者的な仕事を決定的に可能 にするなど、まさに、それ自身、現代における「生政治」批判にとって、根源 的な衝撃力をもった思想であることを、われわれは決して忘れてはならない。
 しかしながら、これらの「生政治」批判にもかかわらず、われわれは、今日 ますます、資本による「生政治」的管理と遺伝子を含めたわれわれの生の新優 生主義的な再構成に、否応なく巻き込まれている。例えば、遺伝子技術は、「治 療の進歩」の名のもとに、われわれの「倫理的な」躊躇を骨抜きにしながら、 更新され続けている。しかも、ニーチェの根源的な批判精神が、「生政治」批 判への萌芽を兆していたと同時に、われわれの社会の根幹をなす民主主義と弱 者への「同情・共苦」に破壊的な批判を加えていることを思うとき、われわれ はある根源的な困惑を憶えることを告白しなければならない。この困惑におい て、われわれにはもはや、ある意味で、「負けるが勝ち」を決め込むしか残さ れていないように思われる。それは先ずもって、まさに、最初に指摘したよう な芸術と思索の修行にたち帰り、「何が本当にあるのか」を問いなおし、問い 続けることによって、われわれの精神を鍛えなおすことを意味するであろう。
 ところで、ニーチェの思索が、今概観したような根源的な衝撃力を備えてい ることは、その思索が持つ「文学的な」華々しさとは裏腹に、ある哲学的な徹 底性を備えていたことを意味する。まさに、その哲学的な徹底性において、ニ ーチェの思索は、ワーグナーやショーペンハウアーに多くを負っていたにもか かわらず、何と言っても彼らをはるかに超えていたこと認めざるを得ない。そ の徹底性とは何かを前もって言うことが許されるとすれば、それは、一貫して 「表象」の批判であった、ということであると私は思う。それは、いかなる「表 象」であるにせよ、表象は、表象されるものを、その当の表象と同じ位置へと 引き下ろしてしまうという指摘において、一貫していたと思われる。そして、 ニーチェは、彼の表象批判の徹底性と一貫性を、実は、彼が生涯にわたって断 続的に悩まされた病気から来る苦しみに負っていることを自覚していたのだと 思われる。したがって、ニーチェの思索をわれわれなりに追いつつ思索する試 みは、同時に、表象されたニーチェ像からの適切な「距離」を作り出す試みと ならなければならない。
 彼の病気が何であったのか、という医学的な究明にはここでは立ち入ること はできない。ただ、彼自身が告白しているように、彼は幼時より、時折、厳し い頭痛と吐き気に悩まされていたらしい。そして、その病症は、一八七六年頃、 バーゼル大学での講義に堪えることが出来ないほど、重症化したのである。そ れは、彼が『人間的な、あまりに人間的な』の草稿を執筆していた時期と重な る。その『人間的な、あまりに人間的な』の第一巻第五章のアフォリズム289 は「病気の価値」と題が付けられていて、次のように言われている。

病床に横たわっている人間は、いろいろ考えさせられるうちに、実は、 普段、彼の役職や仕事、あるいは、彼の人々との付き合いにおいて病気 であるのであり、それらを通して、自分自身についての思慮・分別を失 っていたことに気付かされるのだ。彼は、病気が彼に強要する閑暇から この叡智を獲得する。<注3>

これは、まさに、彼のような病状の病者にとっては、ごく自然な吐露であり、 ここには「すべての価値の価値転換」という彼のその後の思索の根幹をなす思 想が、非常に分かりやすい形で言い表されている。しかも、このアフォリズム からは、この吐露が、実は、すでに、周りの人々の彼への同情に対する反発か ら発せられていることが直接感じられるのである。つまり、周りの人々は、病 気が無価値であり、一義的にネガティブなものであるという前提から、そのよ うなネガティブな状態に陥った彼に対して、同情するのであり、彼自身もその 病気の初期には、そのことで思い悩んでいたにちがいないのだ。しかし、彼の 心には、そのような同情に対する反発が芽生え始める。それは、おそらく、人 間が誰しも持っている矜持のなせる技であろうと思われる。
 そして、そのように、かつての彼自身も含めた「普通」の人々の「表象」か らは、一義的に価値があり、ポジティブな状態である「役職や仕事、あるいは、 周りの人々との付き合い」において、忙しく立ち働いていた状態において、実 は、自分自身に対する思慮・分別を失っていた、つまり、その意味での自己喪 失に陥っていたことに気付かされてゆくのである。まさに、そのことに気付か せてくれるという意味で、「病気が彼に強要する閑暇」が彼にとっては、今や 逆に、価値があり、ポジティブなものになるのであり、そこで抱かせられる思 いさえ、今や、彼にとっては「叡智」であるということになる。このような病 床における思いの逆転のうちに、ニーチェの「すべての価値の価値転換」とい う思想の原型があるのであり、まさに、病気がこの思想の原型を提供してくれ るという意味で、彼は彼の病気に「感謝」さえするのである。
 病気が一義的にネガティブであるとする普通の「表象」に反発する病者の矜 持、それはわれわれならば「命の焔」とでも呼びたいものであるが、そこに、 ニーチェは、おそらく、「力への意志」を発見したのであり、更に、そこから、 その命の焔としての「力への意志」が人間のみではなく、あるとしあるすべて の存在者に内在し、まさに、それを「命」として生きているのだという発見に 到るのであろう。その意味では、ニーチェはまさに、彼の思想の根幹を彼の病 気に負っていると言うことが出来る。しかし、逆に言えば、ニーチェにおいて は、病気が、はじめから「すべての価値の価値転換」という視点から経験され ているのだと、言えないであろうか。

3.「大いなる健康」
 病気は、断続的にニーチェを襲ったから、彼は、比較的健康な時期と、病気 に悩まされる時期を交互に経験する形で人生を送ったらしい。しかも、病気に 悩まされる時期が何年間も続くこともあったようだ。そのような重い病気が漸 く去って、再び健康に近い状態になれたときの、彼の熱狂に近い悦びは想像に 難くない。しかし、同時に、再び病気が彼を襲ってきたときの落胆も想像に難 くない。そんなとき、彼はしばしば自殺することさえ考えたようだ。そのよう な起伏の多い人生から彼の哲学世界は紡ぎだされていることは、彼の作品から も直接感じ取ることが出来る。まさに、そのような起伏ある人生に、彼の哲学 は多くを負っていることを彼は自覚してもいたのであった。実際、彼が「健康」 と呼ぶものは、そのような回復期に健康に近づきつつある状態のことであった。 そのような時期の経験される「健康」が彼によって「大いなる健康」と呼ばれ るのである。なぜなら、その時期において経験される「健康」こそが、その本 来の固有な輝きにおいて経験されるからである。健康が普通の状態になってし まった時には、人は再びその日常に埋没してしまい、健康であることはもはや 意識に昇らず、したがって、その輝きにおいては経験されることはないからで ある。
 この「大いなる健康」において、ニーチェにとって最も重要なことは、そこ において、ある「力の余剰」が感じられることである。この力の余剰において、 人は、新たな冒険への勇気と悦楽が湧いてくるのである。ニーチェにとって、 このことが重要であるのは、この新たな冒険への力の余剰が、「すべての価値 の価値転換」における新たな価値の措定と創造に格好のモデルを与えるからで ある。

病気は、このような病的な孤独、このような試みの数年という沙漠であ り、認識の手段と釣り針でもある。しかし、われわれは、その病気から すると思いもよらないあの激烈な、湧きあがるような確かさと健康さに やがて到るのだが、病気の状態からその健康までには、遠い道のりがあ る。その健康とは、まさに、成熟した自由さである。しかし、それと同 時に、自己制御と心の調教でもあり、多くの反対方向へ向いた思惟方法 への道を許す状態でもある。しかし、その精神の成熟した自由さに到る までには、遠い道のりがある。病気から健康への途上には、精神が自分 自身の道に迷ってしまい、恋をして、どこか片隅で陶酔したように座り 込んでしまう危険がわれわれを待ち受けている。その危険を排除するの は、まさにあのあり余る豊かさであるのだが、その内的な包容力と許容 力に到るまでには、遠い道のりがある。まさに、彫刻的で、快癒に導き、 写し取り、再製する諸力のあの過剰な充実こそが大いなる健康の徴であ るのだ。その過剰な充実は、すなわち、試みに向かってゆけと、冒険す るよう自らを誘うことを特徴としている。その過剰な充実は、まさに、 そのような冒険を許す危険な権限を自由精神に与えるのである。しか し、病気の状態から、その充溢に到るまでには、遠い道のりがある。<注4>

これを逆に言えば、「大いなる健康」はニーチェによって初めから、「すべて の価値の価値転換」における新たな価値の措定と創造に対する格好のモデルを 提供するべく、構想されていたと言うことが可能である。病気は、人に確かに、 「すべての価値の価値転換」が可能ではないかという「認識の手段と釣り針」 を与えはするが、それが新たな価値の措定と創造という次の段階を生むことは、 病気そのものにとっては思いもかけないことであったのだ、とニーチェは言っ ているが、この過程そのものが、すでに、「すべての価値の価値転換」から構 想されていることは間違いないように思われる。
 このように言うのは、実は、かなり重度の脳性麻痺という全身障害を負って いる筆者にとって、病気、あるいは、障害は、もちろん、上に述べたような「価 値の転換」としても経験されていることは間違いないのではあるが、それ以前 に、それとは異なる或る相で経験されているように思われるからである。それ は、まさに、「訓練」、または、「修行」という相である。なぜなら、私のよ うな障害者が先ずもって、自分自身の障害に出会うのは、上に述べたような、 普通の表象への反発という場面ではなく、むしろ、単なる歩行や発語、着替え や排尿・排便において、普通の人よりも時間がかかり、その不便さに苦労して いるという経験であり、このような些細なことでも、同じ作業を何度も繰り返 す訓練を経てようやく出来るようになるのであり、それが出来るようになると きに味わう悦びは、それだけに大きいという経験なのではないかと思われるか らである。
 このような修行の苦しみや悦びにおいて経験されることは、その集中度にお いて、まさに「あはれ」と呼べるものであり、この「あはれ」がそれとして経 験されるとき、われわれはすでに詩人として出発している。まさに、その集中 度において経験された「あはれ」にこそ、実は、上に述べた「矜持」の揺籃が あるのではないかと思われる。そこに芽生えた矜持によってのみ、普通にネガ ティブなものとして表象された病気のポジティブな「価値」を価値の転換を通 して発見するということが初めて可能になるからである。
 このように言ったからといって、私は、病者や障害者が、その病気や障害を 「克服」するために、修行・訓練すべきだ、などと言っているのでは決してな い。そこが難しいところなのだが、「修行・訓練」が「すべきもの」と言われ た途端に、それは、病者や障害者を抑圧する権力の側の発言へと変貌している 危険があるからである。「すべきもの」とはっきり言わなくとも、病者や障害 者にはそのように聞こえてしまう場合もあることを人は肝に銘じておく必要が ある。しかし、そのようなことの起こる場面よりもずっと身近なところで起こ っている障害や病気との付き合いは、すでに「修行・訓練」という意味合いを 帯びているように思われる。

4.「禁欲主義的理想」
 こうして、われわれは、すでに、ニーチェの『道徳の系譜学』の第三章の主 題である「禁欲主義的理想」についての論考へと移行している。というのは、 この「禁欲主義的」と普通、日本語に訳されているasketischは、ギリシア語 のaskesisから来ているのであり、askesisは、まさに、「修行・訓練」を意味 しており、もともと古代ギリシアでは、「禁欲」という意味はなかった、ある いは、そのような意味合いは薄かったのである。
 ニーチェにおいて、病気は「すべての価値の価値転換」という視点から見ら れていた。この視点から、病気は、『人間的な、あまりに人間的な』において は、まさに、「すべての価値の価値転換」が起こる出来事の原型として高く評 価されていた。『この人を見よ』においても、次のように、条件付きで、病気 が「すべての価値の価値転換」を促進する可能性が指摘されている。

典型的に健康な人間にとっては、病気であることは、生きることへの、 より多く生きることへの力強い刺激剤でさえあり得る。<注5> (強調はニー チェ)

ここでは、病気が「すべての価値の価値転換」を促進する可能性には、典型的 な健康という条件が必要なのであり、その条件が欠けている場合には、病気に は、逆に「すべての価値の価値転換」を阻害する、あるいは、それを中途半端 に終わらせる可能性があることが示唆されているわけである。まさに、この逆 の視点から、『道徳の系譜学』では、病者を健康者から隔離する必要性が説か れている。それは、病者が、健康者にとって、「すべての価値の価値転換」を 完璧に遂行する上での「最大の危険」であるからだと言われている。この場合 の病者とは、いわゆる、「すべての価値の価値転換」を中途半端に終わらせる 病理的な病者のことなのである。このような病者、あるいは、弱者の典型が、 ニーチェにとってのキリスト教徒であった。キリスト教徒は、意志によって措 定された価値は、もはや、この世では実現され得ないことを知っているという 意味では、「すべての価値の価値転換」が遂行された意志の形態を持っている わけであるが、あの世である天においては、実現されることを信じているとい う意味においては、「すべての価値の価値転換」が中途半端な形で終わってい る、とニーチェは考えている。そして、なぜ、このような意志の形態が生まれ てきたのかを歴史的に辿る「道徳の系譜学」の試みにおいて、彼はあの「禁欲 主義的理想」という概念を持ち出すのである。
 「道徳の系譜学」において叙述される歴史には、しかし、ここでは表明され ていないにもかかわらず、すでに、ニヒリズムの克服は、実はそのニヒリズム を極端にまで推し進めることによってのみ可能である、という思想が前提され ており、その歴史はこの意味でのニヒリズムの克服を目的するものとして構成 されているのである。それは、「なにも意志しないよりも、むしろ、無を意志 する方が好ましい」<注6> という『道徳の系譜学』の最後の言葉が顕著に物語ってい ることである。この標語に表わされた思想を、中途半端に終わらせることなく、 どこまで徹底して推し進めたか、ということに、ニーチェの諸思想への評価が 掛かって来ているのであり、まさに、そこに、ニーチェがショーペンハウアー やワーグナーにもの足りないものを感じる真の理由があったのである。そして、 キリスト教も、実はただ、その観点から評価されているだけなのである。
 そこで、ニーチェが先ず立てるのが、「騎士的・貴族的価値評価法」と「僧 侶的価値評価法」との区別であった。「騎士的・貴族的価値評価法」は、まさ に、騎士や貴族の力強さを前提にしており、その力強さの階梯において、何よ りも、自分自身を高く評価し、その自己評価に裏付けられた公正さで他を評価 することを特徴とする。それに対して、「僧侶的価値評価法」は、彼らの弱さ、 無力さを前提として、その弱さのゆえに、自分自身を憎んでおり、その憎しみ の中で、神を介した屈折した方法で自己と他者を評価する。つまり、彼らは、 その弱さのゆえに神から愛されているのだといういわば逆説的な形で、自己を 義とみなし、他者を「背神者」として否定する。ニーチェによれば、「騎士的・ 貴族的価値評価法」は古代ギリシアに特徴的な評価法であるのに対し、「僧侶 的価値評価法」はユダヤ人に特徴的な道徳であり、そこで初めて、道徳に「奴 隷蜂起」が持ち込まれたと言われる。ここに「奴隷道徳」が誕生する。
 つまり、「騎士的・貴族的価値評価法」では、私は強く、美しいがゆえに神 に愛されていると言われるのに対し、「僧侶的価値評価法」では、私は弱く、 醜いがゆえに、神に愛されていると言われるのである。ここにニーチェは「す べての価値の価値転換」を見るわけであるが、私は、ここに、日本仏教におけ る自力と他力との対立を思い起こさざるを得ない。そして、この表面上の対立 にもかかわらず、両者に共通する宗教的経験の事実があったにちがいないと考 えざるを得ないのである。ニーチェのように、その両者の対立にばかり思索を 集中していると、例えば、西田幾多郎において強調されるようなその両者に共 通する宗教的経験の事実が見えて来ない危険があまりに大きいと思われてなら ない。それは、まさに、私がこの論考のはじめに指摘した「修行の経験」に連 なるものであるにちがいない。それは、ニーチェがあまりに、「表象の破壊」 に集中しすぎたために、逆にその表象の虜になっている危険であり、それゆえ に、その表象の根底にある根本経験には思い至らない危険であった。
 西田幾多郎は、その最晩年の論文『場所の論理と宗教的世界観』において、 キリスト教における宗教的経験の根幹が、パウロによる『ガラテヤ人への手紙』 のなかの「最早われ生くるにあらず、キリスト我が内に在りて生くるなり」 (2.20)という言葉に集約的に表現されていると言い、そこに自力・他力の対 立を越えた仏教の宗教経験の事実と共通したものがあることを強調している。 そして、その同じキリストがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の「大 審問官」の物語においては、沈黙したままでいるにもかかわらず、大審問官を ぎくりとさせている個所を引用しながら、そこにこれからの宗教経験の在り方 をなすであろう「内在的超越」<注7> が垣間見られていることを指摘している。ここ には、キリスト教における宗教経験の事実が、実は、あらゆる表象や「すべて の価値の価値転換」を越えたものであると同時に、実は、すべての人間に内在 的なものであることが暗示されていると思われる。
 ニーチェによれば、現在のニヒリズムはキリスト教に起因する。しかし、西 田のこの最晩年における論文には、そのようなニーチェ的な洞察は問題とさえ なっていない。そして、西田には、キリスト教が、実は、ギリシアの多神教や その他の地域でのいわゆる土着宗教を徹底的に抑圧して世界宗教としての地歩 を確立してきたこと、そして、それがどのような内的な機構から行われ、そこ からどのような歪みが生まれたかなどについての洞察にも欠けていると言わざ るを得ない。西田によってなされたキリスト教における宗教経験の事実につい ての洞察において、それがあらゆる表象や「すべての価値の価値転換」を越え たものであることが暗示されているとすれば、そこには、むしろ、キリスト教 自身から現在のニヒリズムを超克する可能性があることが示唆されていると読 み取ることが許されるであろう。われわれが現在におけるニヒリズムに哲学的 に取り組んでゆかねばならないとすれば、キリスト教における一見相矛盾する かに見えるこの両側面、つまり、ニヒリズムを歴史的に引き起こした面と、ニ ヒリズムを超克する可能性があるという面を同時に真摯に学んでゆく必要があ る。
 ニーチェがなぜあれほどまで執拗にキリスト教を批判したのか、つらつら考 えるに、そこには、初期のキリスト教徒たちがギリシアの多神教やその他の土 着宗教を徹底的に抑圧したことによって生まれた心性の歪みについての、ゲー テやヘルダーリンから受け継いだ鋭い洞察があったと考えられる。もちろん、 この洞察がニヒリズムへの洞察と結びついたところに、ニーチェの思惟の特質 があることは確かなことである。
 それはともかく、この「僧侶的価値評価法」においては、強者である他者に 対する憎しみが支配的であるにもかかわらず、その憎しみがその他者に対する 直接の行動としては現れず、ただ、屈折した自己正当化として現れると考えら れている。この心理状態をニーチェは、ルサンチマンと呼んだ。したがって、 この自己正当化は、強者にたいする直接行為なき「復讐」なのである。そして、 弱者、あるいは、病者に対して、彼らのはけ口のない憎しみをこの直接行為な き復讐を通して和らげてやると呟くのが、禁欲主義的僧侶であり、それは、ま さに「禁欲主義的理想」を説教することを通して行われる、とニーチェは考え る。禁欲主義的僧侶自身も弱者に属することはもちろんであるが、彼らは、彼 らの説教を通じて弱者たちを支配し、その支配を自分たちのために保持しよう とするかぎりにおいて、彼らの説教によって彼らの苦しみが和らげられること を期待する聴衆である底辺の弱者よりは弱くない弱者である。
 『この人を見よ』において、ニーチェは次のように、彼の病気とルサンチマ ンとの密接な関係について述べている。

ルサンチマンからの自由、ルサンチマンについての啓蒙においても、私 が結局、どれ程、私の長期にわたる病気に対して感謝の義務を負ってい るか、それを誰が知ろうか。問題は、まさに単純ではない。人は、それ を、自分の身体に残っている力からと同時に、その弱さから自ら体験し なければ、到底分らないであろう。病気であること、病弱であることに 対して、そもそも、何かが正しいと看做されなければならないとしたら、 それは、その状況では、本来の本能的な治癒力、つまり、人間の中の自 衛本能、武具使用の本能が粉々になっているということである。われ われはそこからどうやってぬけ出したらよいか見当もつかない。一体、 どうしたらよいのか分からない。何ものにも抵抗できない。すべてがわ れわれを傷つける。人間と物とがあまりに互いに浸透しあって、接近し ている。それらの体験があまりに深くわれわれを射貫き、その記憶は膿 を持った傷口なのだ。そもそも、病気であることは、それ自体、一種の ルサンチマンなのだ。...ルサンチマンは、病者にとってそもそも、禁止 されたもの、それ自体なのであり、病者にとって悪そのものなのであり、 しかも、残念なことに、彼の自然な傾向でもあるのだ。<注8> (強調はニー チェ)

ここには、ニーチェ自身の病気の経験が、いかに深くルサンチマンとかかわっ ていたかが印象深く語られている。特に、最後の部分には、ルサンチマンがい かに病者自身にとって、屈折したものであり、まさに、そのことによって、い かに否応なく、病者の内面に累積してゆく感情であるかが、如実に語られてい る。それは、ルサンチマンが、復讐を目指していながら、それを直接行動にお いてはできない、つまり、そもそも、それが病気によって禁止されているから である。そこに、この感情が病者にとっていかに自然なものであるかと同時に、 彼の内面にそれがいかに鬱積し、あたかも、螺旋を描くかのように、累積して いくものであるかということに対する理由があるのである。

5.「表象された平等」と修行における平等
 さて、ニーチェは、当時において、弱者と病者のルサンチマンが最も典型的 に表れている現象を、社会における人間の平等という概念と、その政治的組織 化としての民主主義に見ている。「平等」に対する嫌悪は、ニーチェにおいて はほとんど本能的であるように見える。例えば、『善悪の彼岸』の第二章44節 <注9> において、ニーチェは、彼の当面の対話の相手として「自由精神」を仮構した。 その「自由精神」とは、まさに、彼が未来においてその出現を期待すると同時 に、「すべての価値の価値転換」を通して、未来における価値を冒険的に措定 するという二重の意味で、「未来の哲学者」であることをニーチェは強調する。 その際、その自由精神は、当時、まさに、特に、ヨーロッパとアメリカの国々 において、「平等」と民主主義を標榜して、流行となっていた「自由思想家た ち」とは、逆の構造を持った精神であることが言われている。それは、それら の「自由思想家たち」が、ユダヤ・キリスト教から無批判に受け継いだ「平等」 という価値から、合理主義的理性によって「民主主義」や「進歩」を表象し、 構想しており、したがって、その表象において、すでに、われわれの生を「平 板化」するからである。ニーチェによれば、彼らに最も欠けているのは、彼ら 自身の孤独である。なぜなら、そのような孤独においてのみ「すべての価値の 価値転換」が起こり得るからである。したがって、彼らの思索は、人間一般に 対して「善良」であり、徹頭徹尾「表面的」であることを特徴とする。それに 対し、ニーチェの仮構する「自由精神」は、すでに、それらの価値が自己を無 価値化していることを見抜いているのであり、その意味で、「意地悪」であら ざるを得ない。しかし、彼の「意地悪」は、まさに、彼があまりに深く人間を 愛しすぎたゆえであることを、われわれは、彼の全著作から感じ取らないであ ろうか。ともかく、彼の思索はここ、「平等」と民主主義をめぐる思索におい ても、「すべての価値の価値転換」に貫かれていたことは認められると思われ る。
 現代の民主主義は、ニーチェの生きた十九世後半に比べて、例えば、世論操 作の技術が格段と進歩しており、その形骸化は増す一方であるように思われる。 かとは言え、民主主義に代わる政治形態は、未だに全く見えてきていない。そ んな中で、民主主義に対してどのような態度を取るべきかが、われわれ思索者 にとって困難な課題の一つであり、特に、テロリズムとの関係において、解決 され難いアポリアを含んでいるように思われる。つまり、民主主義はその根幹 において、少数意見に対する寛容が生きていなければ成り立たない、と同時に、 テロリストという少数者に対しては寛容ではあり得ない、という原理的なアポ リアがあるように思われる。そこには、まさに、民主主義とその基礎である、 社会における人間の平等が、われわれの近代的・合理主義的理性によって表象 され、構想されたものであるという問題が潜んでいる。この平等概念に風穴を 開け、そこになんとか新鮮な風を送り込むためには、ニーチェの批判は何と言 っても、避けては通れない思索であると言わざるをえない。
 そこで私は夢想するのである。例えば、私が初めに引用したニーチェがヴェ ネティアの海に寄せた詩には、実は、近代的・合理主義的理性によって表象さ れたものとは全く異なる平等概念が潜んでいるのではないか、と。それは、ま さに、あの詩の最後の行に詠われた問いかけを真剣に受け取るとき、立ち現わ れる思想なのだ。もちろん、あの最後の詩節には、先ずは、私の魂の唄など誰 が聴いていようか、という孤独が表明されていると思われる。そして、その孤 独において、「すべての価値の価値転換」が遂行されることをニーチェはしば しば称揚してきたわけであるが、しかし、そのような孤独が称揚されればされ るほど、そこにはその唄を聴いてくれている誰かに対する期待も大きいのでは ないか。そして、あの問いかけがなされる相手である誰かは、彼の魂の唄を聴 くと同時に、究極的には、そこに、海自身が歌う唄を聴いていなければならな いのではないか。もし、そのような人がいたならば、唄い手とその人との関係 は、究極的には、ただ、海の唄を聴くことによってのみ結ばれた関係であり、 その他には、何の拘束力もない関係である。ここには、近代理性によって表象 された「平等」とは異なる平等概念が示唆されているように思われる。もちろ ん、この平等概念によって、近代的平等概念を塗り替えるなどということは不 可能であろう。そうであるとしても、この平等概念によって、近代的平等概念 を、その基礎から補い、その失われつつある生気を取り戻すことは可能である と同時に、緊要の課題でもあるように思われる。
 このことを荒唐無稽と思われる向きもあるかもしれないが、実は、われわれ はすでに、これに似た補完概念を、しかも、わが現行憲法において持っている のである。それは、まさに、「国民の総意」という概念である。この概念は、 いかなる民主主義的な制度としての投票によっても担保されていない。それは、 むしろ、われわれ国民一人ひとりの「詩的構想力」に訴え、それを活性化する よう促している。これは、わが国の「うた」が、実は、政治による統治と深く かかわってきたことと無関係ではない。しかし、「うた」は、上からの統治を 容易にしているだけではない。むしろ、「鬼神をも和らげる」と言われている ように、国民の最下層、あるいは、制度の埒外の不安や不満、悦びや生活感を 汲み上げ、政治に反映させる作用をも果たしてきたのであり、これからも、一 層、そのような作用を果たしてゆくことが期待される。まさに、「まつりごと」 という日本語には、政治と詩とのこのような結びつきが示唆されているのでは ないか。しかも、ここには、テロリズムに対して必ずしも不寛容にならない民 主主義の可能性が隠されているとさえ思われる。
 「うた」は遊びであり、その主人公は、われわれ人間であると同時に、むし ろ、それ以上に、八百万の神々であり、山川草木であり、天地であり、「力へ の意志」と「永劫回帰」を唄う海である。ニーチェにおける思惟は、究極的に は、このような「遊び」に向けられていたように思われる。したがって、筆者 は、「力への意志」を、弱者を抑圧する強者の権力意志や、そのような権力者 による命令といった人間的な現象から解釈するのではなく、究極的には、まさ に、それ自体、「唄」であるような集中度(「あはれ」 )<注10> を持った現在化と して理解する。そして、「永劫回帰」とはまさに、そのような「自分自身を産 出する芸術作品」であり、「芸術家なき芸術作品」<注11> としての世界・宇宙が歌 う唄のリズムに他ならない。

6.結語
 ニーチェにとって病気は、実に、彼を「大いなる健康」へと導いてくれる「短 い習慣」であった。彼の生涯にわたって、繰り返し彼を襲ってきた病気のお蔭 で、彼はしばしば彼の精神的な危機を乗り越え、彼の思索を深めてきたのであ った。彼の言う「大いなる健康」は、決して、病気を排除するのではなく、む しろ、彼にとって肝要な仕事を、それに集中すれば、成し遂げることを妨げな い程度に「病気であること」であったのだ。
 それに対して、私にとって、病気、あるいは、それに起因する障害は、まさ に、私の生涯にわたって絶えず付き合い続けるであろう「長い習慣」なのであ る。
 病気は、このように、それぞれの病者において、様々な様相を帯びて現れる ものと思われる。しかも、病気は、その人生に対する「価値」を問う以前に、 われわれの生をすでに刻印づけ、それとの付き合いにおいて、さまざまなこと を学ばせられるものの一つである。というのは、「健康な」普通の状態では意 識化されないことが、病気においては、意識化され、よりはっきりした輪郭を 持ってわれわれに迫ってくることがしばしばであるからである。こうして、わ れわれは、病気を通してより自覚的に生きる可能性を得ることがあるのである。
 ところが、ニーチェの思惟は、はじめから、価値の問題、そして、畢竟、ニ ヒリズムの克服の問題によって導かれていたため、『人間的な、あまりに人間 的な』において病気は、「すべての価値の価値転換」の原型として把握される。
 しかし、『道徳の系譜学』においては、病気そのものにルサンチマンという 性格があるとされ、病者は健康者より隔離されるべきだと考えられるようにな る。それは、病者は、健康者の価値評価に引きずられて、自らを健康者より劣 ったものとする傾向があるからである。すると、病気自体が、その健康者への 屈折した、つまり、直接的行動を取らない憎しみとなるのである。しかし、そ れは、病者が、もともと健康な、「すべての価値の価値転換」を貫徹させる意 志によって導かれていないためである。ニーチェ自身のような、典型的に健康 な意志の持ち主は、病気になっても、そのルサンチマンという性格に引きずら れることなく、したがって、「病理的」にはならないと『この人を見よ』では 言われている。
 しかし、私のような生まれつきの障害者にとって、障害との付き合いは、す なわち、その障害によって不便になっている生活の些細な場面において、繰り 返しの訓練を通して、出来る限り、不便でないようにしてゆくことにほかなら ない。それは、必ずしも、健常者の生活に近づくことを意味しているわけでは なく、ただ、私固有の仕方でその生活の些細なことが出来るようになればよい だけであり、それでもできないことは他者に手伝ってもらうことが含まれてい ることは勿論である。
 このような繰り返しの訓練を、アスケーシス(修行)と呼ぶことが許される ならば、そこには、「すべての価値の価値転換」とはちがった、さらに身近な 病気、あるいは、障害の把握の可能性が開けてくるように私には思われるので ある。
 しかも、この把握には、このような修行を、詩作(芸術)と思索の修行へと 深化させてゆく道がおのずから開けているように思われる。そして、それは、 「すべての価値の価値転換」には閉ざされながら、隠されていた、隠されなが ら、実は、それを導いていたニーチェ自身の詩作と思索の道に連なってゆく。

Sämtliche Werke, Kritische Studienausgabe (= KSA), hrsg. von Giorgio Colli und Mazzino
Montinari, München, Berlin, New York 1980
Menschliches, Allzumenschliches I und II (=MAI,II)
Also sprach Zarathustra (=AZ)
Jenseits von Gut und Böse (=JGB)
Zur Genealogie der Moral (=GM)
Ecce homo (=EH)

―――――――――――――――

1. AZ, KSA, Bd. 4, S. 29-31
2. EH, KSA, Bd. 6, S. 291
3.MAI, KSA, Bd. 2, S. 234
4.MAI, KSA, Bd. 2, S. 17-18
5.EH, KSA, Bd. 6, S. 266
6.GA, KSA, Bd. 5, S.412
7.西田幾多郎全集第十一巻 岩波書店1949年。p.371-464.
8.EH, KSA, Bd. 6, S. 272-273
9.JGB, KSA, Bd. 5, S. 60-63
10.「あはれ」は普通、受動的な詠嘆と解されているが、ここではむしろ、 ものがわれわれの心において顕現する集中度と解したい。この顕現は、したが って、芸術、特に、詩歌において経験される。
11.Vgl. Nachgelassene Fragmente 1885-1887, KSA Bd. 12, S. 119





*作成:小川 浩史
UP: 20130412 REV:
全文掲載  ◇フリードリッヒ・ニーチェ 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)