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「終章 まとめと考察」

中村 雅也 2013 「視覚障害教師たちのライフストーリー」
2012年度立命館大学大学院先端総合学術研究科博士予備論文

last update:20140619


目次

1.時系列による整理
2.どんなサポートがどのようになされたか
2-1.物的サポート/2-2.人的サポート/2-3.職務配慮(授業時数軽減)
3.障害はどのように意味づけられるか ――教育という文脈と生徒との関係性の中で
3-1.学習指導にまつわる‘効能’/3-2.生活指導にまつわる‘効能’/3-3.障害者教師の存在意義 ――効能性と差異性(3-3-1.障害理解教育を促進する障害者教師/3-3-2.‘生きた教科書’としての障害者教師/3-3-3.教師集団の多様性を構成する障害者教師)
4.課題と展望



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終章 まとめと考察

1.時系列による整理

 前章までに視覚障害教師6名のライフストーリーを詳細に見てきた。本章では個々のライフストーリーを一定の観点から見返し、整理と考察を試みる。まず、本節ではそれぞれのライフストーリーに語られたできごとをクロノジカルな時間軸に沿って整理しておく。それぞれの教師のライフイベントの時間的な前後関係や絡み合いが明確になり、ライフストーリーの理解が一層深まるだろう。
 最初に語り手である6名の視覚障害教師の誕生年と2012年4月1日現在の年齢を確認しておく。年齢の高い順に並べると、三宅先生が1929(昭和4)年生まれの83歳、長井先生が1935(昭和10)年生まれの76歳、松田先生が1940(昭和15)年生まれの71歳、楠先生が1944(昭和19)年生まれの67歳、山口先生が1949(昭和24)年生まれの62歳、有本先生が1954(昭和29)年生まれの58歳である。ちなみに筆者は1965(昭和40)年生まれの46歳であった。
 三宅先生が兵庫県川西市立小学校に教諭として新規採用された1960(昭和35)年以降のできごとを年代に沿って概観してみよう。同じ1960(昭和35)年、長井先生も新潟県の私立高校教諭として新規採用されている。3年後の1963(昭和38)年、松田先生が広島県立高校教諭に新規採用される。同年、後に楠先生と有本先生を高校の教壇に立たせるために尽力した本間先生が大阪府立盲学校の教頭に就任している。当時、三宅先生は晴眼、長井先生と松田先生は弱視だったが、教員採用試験などで特別な配慮を受けることもなかった。1964(昭和39)年、楠先生が大阪府立盲学校専攻科理療科に入学し、ここで本間先生と出会う。1967(昭和42)年、楠先生が点字受験ではじめて龍谷大学に入学する。
 1970年代に入って、高校と中学校で全盲の教師が誕生する。高校の非常勤講師となった楠先生と中途失明から中学校に復職した三宅先生である。1970(昭和45)年、大学4回生になった楠先生は大阪府教育委員会に教員採用試験の点字受験を申し入れるが拒否された。翌1971(昭和46)年、藤野先生に大阪府・市が特例として点字の教員採用試験を実施した。藤野先生はこれに合格するが、教諭として大阪市立盲学校に新規採用されたのは2年後の1973(昭和48)年9月であった。1972(昭和47)年、大阪府教育委員会が正式に点字教員採用試験を実施する。これが全国ではじめての点字による教員採用試験だった。楠先生はこれを受験するが不合格となる。藤野先生もこの採用試験を再度受験している。同年、本間先生が大阪府立盲学校の校長に就任している。1973(昭和48)年、楠先生は大阪府立高校定時制で英語科の非常勤講師に採用される。日本ではじめて全盲の高校教師が誕生した。同じ1973(昭和48)年、有本先生が点字受験で同志社大学に入学している。同年、司法試験の点字受験が認められている。1977(昭和52)年3月、三宅先生が緑内障の手術後失明する。同年4月から休職し、日本ライトハウスで1年間のリハビリテーション訓練を受ける。同じ1977(昭和52)年、山口先生が東京都立高校教諭として新規採用されている。翌1978(昭和53)年4月、三宅先生は中学校に復職する。中途失明後、中学校に教壇復帰したはじめてのケースとなる。この頃、三宅先生が視覚障害教師の先達である楠先生に連絡を取り、交流がはじまる。1977(昭和52)年3月に大学を卒業した有本先生は、2年間の大学の聴講生を経て、1979(昭和54)年、大阪府立盲学校の非常勤講師に着任する。同年の大阪府教員採用試験を点字で受験し、大学4回生のときから数えて4回目の挑戦で合格する。点字受験が正式に実施されてからはじめての合格者だと考えられる。翌1980(昭和55)年1月、大阪府立盲学校で非常勤講師から教諭に切り替わり、新規採用となる。
 1980年代に入ると、楠先生や三宅先生の前例に倣うように、全盲の新規採用者や中途失明からの復職者が後に続くようになる。これらの視覚障害教師たちのつながりから、全国視覚障害教師の会が結成される。1978(昭和53)年9月、松田先生は内臓疾患のため休職する。翌1979(昭和54)年8月に障害者問題総合誌『そよ風のように街に出よう』の第0合が発行される。雑誌の情報から、松田先生は創刊にかかわっていた楠先生を知る。そして、楠先生の授業を見学し、楠先生の紹介で三宅先生の授業も見学する。1980(昭和55)年、復職し、高校定時制に転任したのを機に視覚障害を公表して働きはじめた。1981(昭和56)年5月、三宅先生の呼びかけで視覚障害をもつ教師など数名で会合をもった。これには、楠先生、松田先生、有本先生も参加しており、全国視覚障害教師の会へと発展していった。呼びかけ人である三宅先生が代表となった☆1。同年は、「完全参加と平等」をテーマにした国連の国際障害者年である。1981(昭和56)年、長井先生は網膜はく離により失明し、1983(昭和58)年3月まで休職する。1982(昭和57)年、有本先生が大阪府立盲学校から大阪府立高校に転任する。同年、点字受験で教員採用試験に合格した高田剛先生も大阪府箕面市立中学校に英語科教諭として新規採用されている☆2。点字受験で教員採用試験を突破し、全盲で高校の教壇に立つことになった有本先生をマスコミも取り上げた。新聞で報道されたこのニュースを休職中の長井先生が知ることになる。長井先生は有本先生に手紙を書き、全盲で復職するための情報を求めた。有本先生を通じて、三宅先生や他の視覚障害教師とのつながりもできた。これを力に、1983(昭和58)年、長井先生の復職が実現する。1986(昭和61)年3月、楠先生は13年間務めた非常勤講師を辞職する。同年、点字受験で教員採用試験に合格した藤本恵司先生が兵庫県神戸市立高校に英語科常勤講師として採用されている。1987(昭和62)年、『心がみえてくる――普通校における視覚障害教師の実践記録』(全国視覚障害教師の会 1987)が刊行される。1989(平成元)年3月、三宅先生が定年退職を迎える。
 1991(平成3)年、山口先生は視力低下のために休職し、国立身体障害者リハビリテーションセンターに入所した。同年、点字による国家公務員試験が実施されている。翌1992(平成4)年、山口先生は復職する。同年、長井先生が全国視覚障害教師の会第2代代表に就任した。1993(平成5)年、筆者が全国視覚障害教師の会に入会した。1994(平成6)年、点字受験で教員採用試験に合格した馬場洋子先生が兵庫県神戸市立高校に英語科教諭として新規採用されている。1996(平成8)年3月、長井先生が定年退職を迎える。それに伴い、同年、長井先生に代わり松田先生が全国視覚障害教師の会第3代代表に就任する。1997(平成9)年、『目は見えなくとも教師はできる――視覚障害教師たちはいま』(三宅 1997)が刊行される。1998(平成10)年、有本先生が2校目の高校に転任する。同年、点字受験で教員採用試験に合格した河合純一先生が静岡県浜松市立中学校に社会科教諭として新規採用されている。
 2001(平成13)年3月、松田先生が定年退職を迎える。それに伴い、前年の2000(平成12)年、松田先生に代わり有本先生が全国視覚障害教師の会第4代代表に就任する。2002(平成14)年、1期2年間の任期を終えた有本先生に代わり、山口先生が全国視覚障害教師の会第5代代表に就任する。同年、点字受験で教員採用試験に合格した南沢創先生が栃木県宇都宮市立中学校に音楽科教諭として新規採用されている。翌2003(平成15)年、点字受験で教員採用試験に合格した山本宗平先生が大阪府立高校に英語科教諭として新規採用されている。2005(平成17)年、山口先生が復職後2校目の高校に転任する。2007(平成19)年、『教壇に立つ視覚障害者たち』(全国視覚障害教師の会 2007)が刊行される。同年、点字受験で教員採用試験に合格した大胡田裕先生が静岡県立高校に英語科教諭として新規採用されている。2009(平成21)年、有本先生が3校目の高校に転任する。同年、点字受験で教員採用試験に合格した大前雅司先生が和歌山県橋本市立中学校に社会科教諭として新規採用されている。2010(平成22)年3月、山口先生が定年退職を迎え、4期8年間勤めた全国視覚障害教師の会代表を退任する。同年、点字受験で教員採用試験に合格した江口大輔先生が神奈川県鎌倉市立中学校に社会科教諭として新規採用されている。


…第2項以下は未掲載…



*作成:小川 浩史
UP: 20130730 REV: 20131117, 20140619
視覚障害  ◇盲ろう(者)  ◇障害者と教育  ◇全文掲載
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