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「はじめに ――素朴で実用的な目的」

中村 雅也 2013 「視覚障害教師たちのライフストーリー」
2012年度立命館大学大学院先端総合学術研究科博士予備論文

last update:20131117


■はじめに ――素朴で実用的な目的

 2012(平成24)年5月3日午後、神戸市のラッセホールに日本全国から40名近い視覚障害教師たちが集まった。全国視覚障害教師の会創立30周年記念式典が行われたのである。全国視覚障害教師の会は、1981(昭和56)年5月3日、大阪市内のマンションの一室に数名の視覚障害をもつ教師、元教師、教師志望者が集まったことから始まる(後藤 2007)。ほとんどの都道府県で教員採用試験の点字受験には門戸が閉ざされており☆1、在職中に中途失明した教師は退職を余儀なくされた時代であった。それから31年、現在では教員採用試験の点字受験制度も整えられつつある。また、中途失明した教師もリハビリテーション訓練を経て教壇に復帰することが珍しくなくなった。全国視覚障害教師の会の会員も100名を超えている☆2。
 記念式典では、全国視覚障害教師の会の30年を振り返るシンポジウムが行われた。会の発起人や代表を務めた会員から、発足の経緯や当時の視覚障害教師をめぐる状況が語られ、現在では会員のほとんどに知られていない歴史が伝えられた。また、現在とは異なる社会状況や労働環境での視覚障害教師の教育実践が語られ、会員の多くが歴史の中での自らの教育実践の位置づけを確認した。記念式典を企画した役員会は、30年に及ぶ視覚障害教師の歴史を振り返り、その教育実践を確認して広く共有することの重要性に鑑み、このシンポジウムを実施した。参加者からは、シンポジウムでの話は自分の教育実践に活かせる貴重な情報だったという感想が聞かれた。全国視覚障害教師の会の中でも、まだまだ語られるべきことが語られておらず、知られるべきことが知られていない。教師としては依然として非常なマイノリティである視覚障害教師にとって、他の視覚障害教師の経験は希少で価値の高い情報なのである。知りたい人がそこにおり、その情報をもっている人もそこにいる。しかし、個々の情報を蓄積し、共有することは簡単ではない。
 筆者もかつては視覚障害教師であった。1992(平成4)年に徳島県公立学校教諭として新規採用され、県立盲学校に赴任した。翌1993(平成5)年、盲学校に広報宣伝パンフレット「ご存知ですか?全国視覚障害教師の会」が届いているのを目にした。当時、弱視であった筆者はすぐに入会し、その年の8月に新潟市で行われた同会の夏季研修大会にも参加した。筆者は大学4年次から4年間、数府県の教員採用試験を受験していた。当時は受験願書提出時に健康診断書の提出が求められていた。筆者の視力は0.3程度であり、それが明記された診断書を提出することはかなりの危惧があった。当時、教育委員会の内規に教員の欠格事項として視力の規定があるとされていたからである☆3。実際、ある県では、2次試験の後に視力を再検査して診断書を提出するように指示があった。診断書を再提出したが、採用試験の結果は不合格であった。このような教員採用試験での経験から、筆者は視覚障害者が教職に就くことには大きな壁があることを感じていた。他の視覚障害をもつ教師は、このような壁をどのようにして乗り越えているのかを知りたかった。そして、これから教職を目指す若い視覚障害者のために何かしたいとも思っていた。それが筆者が全国視覚障害教師の会に入会した動機である。
 その後、筆者は2002(平成14)年に徳島県立学校教諭現職のままで、奈良県の教員採用試験を受験した。このとき、障害者を対象とする試験が実施されており、筆者もこれに出願した。視力がかなり低下していた筆者は、受験時の配慮を教育委員会に申し入れた。別室での受験、試験時間の延長、マークシート記入の補助など、申し入れのほとんどが許可された。10年余り前に教員採用試験を受けていたころとは、障害者の採用試験に関する事情は随分と変化していた。翌2003(平成15)年に奈良県公立学校教諭として採用され、県立七条養護学校に赴任した。その後、視力が急激に低下し、墨字☆4の読み書きができなくなったため、2005(平成17)年4月から1年間休職し、日本ライトハウス視覚障害リハビリテーションセンターで訓練を受けた。当時、リハビリテーション訓練を受けるための休職制度はなく、眼疾への医療上の必要ということで休職を取った。2006(平成18)年、復職と同時に奈良県立盲学校に転任した。ここでも、重度の視覚障害をもちながら教師の職務を遂行するには多くの困難があった。教師としての知識や経験はあるのに、障害のためにそれを発揮することができない。障害を保障するための機器類の整備や人員の配置を教育委員会に求めたが、予算措置は全くなされなかった。筆者は盲学校や養護学校での勤務の中で、多くの障害をもつ子どもたちとふれあってきた。同じ障害者という立場から特有で独自の役割を果たしてきたとも自負している。だが、授業や生徒指導も思うようにこなせない中で、そのストレスから筆者は抑うつ状態となった。そして、うつ病により休職した。しかし、休職中にうつ病の症状は軽減しても、復職すればまた同じストレスにさらされることになる。視力回復の見込みはなく、障害を保障する条件整備も期待できない。再び教師として生き生きと働くことは考えられず、2008(平成20)年3月を以て筆者は教職を辞した。
 筆者のこのような経験もほとんど知られてはいない。では、知られる必要はないかというとそうでもない。視覚障害をもつ教師や教師志望者にとって、教員採用試験、休職とリハビリテーション訓練、職場環境と教育委員会交渉などの情報は重要な関心事である。全国視覚障害教師の会の研修会や交流会でも、しばしばこれらの情報を求める声があがる。会員からは個々の経験が語られ、情報交換が行われる。筆者も、20年間、会の活動に参加し、度々、自分の経験を語ってきた。知りたい人が現れる度に、同じようなことを何度も繰り返して語ってきた。語られたことは、大抵、その場にいる人にしか届かず、すぐに消え去ってしまう。知りたい人に広く行き渡り、共有され、蓄積されることは難しい。そして、やがて知っている人も忘れてしまい、語られることもなくなり、知られるべきことも知ることができなくなってしまう。
 視覚障害教師たちの経験は、少なくとも現在の視覚障害教師たちと今後の教職を志し、教職に就き、教職を続けようとする視覚障害者たちには貴重な情報となる。現在の視覚障害教師の仲間たちと後に続く人たちのために、30余年の視覚障害教師たちの経験を記録し、蓄積し、発信することはなされたほうがよい。しかし、それはまだ十分にはなされていない。筆者はそれができる立場にあり、やってみたいとも思う。
 視覚障害教師たちから語られることは、個人的な経験に過ぎないかもしれない。しかし、それを通して社会的問題を浮き彫りにすることはできる。視覚障害教師の労働を保障するための環境や、健常者の教師とは異なる子どもたちへの教育的影響は、他のさまざまな障害をもつ教師たちにとっても重要な関心事であろう。「障害者の雇用の促進等に関する法律」には事業主が雇用義務を負う障害者の雇用率(法定雇用率)が定められている。都道府県等の教育委員会の法定雇用率は、2012(平成24)年現在、2.0%であるが、未だ達成されていない教育委員会も多い☆5。さらに、2013(平成25)年4月からは2.2%に引き上げられる。このことは、障害者の教職への従事を後押しするだろうし、今後も障害者教師が増えていくことが期待される。そして、先達としての視覚障害教師たちの経験は、これからの障害者教師の当事者、雇用者、同僚、児童・生徒など、多くの関係者に確かな方向を示す道標となるだろう。
 本稿の素朴な目的は、視覚障害教師たちの経験を書き残し、それを知りたい人たちに伝えることにある。しかし、知りたい人たちが何を知りたいのかは、まだよくわからない。従って、本稿では、筆者が知りえた情報をなるべく多く盛り込むことにした。いろいろな話題を羅列しているが、あまり統一性はなく、それぞれの話題についての深まりもない。それは、ひとえに筆者のインタビューの稚拙さと筆力のなさによるものである。しかし、資料集的な実用価値はあるだろうし、‘素朴な目的’にはある程度かなったものになっていると思う。ただし、本稿は論文として発表するものであり、個人的な思いにとどまっていることはできない。それを超えて、社会的な意義に射程を広げる必要がある。そのことについて、次の章で考える。

【注釈】
☆1
『障害の地平 第17号』(視覚障害者労働問題協議会 1981)には次の記述がある。「昨年十一月、視覚障害者雇用促進連絡会議が、全国四七都道府県と九政令都市(広島市を除く)の教育委員会に対して実施したアンケート調査によれば、現在公立学校教員採用試験の点字による受験を認めているのは宮城・栃木・埼玉・東京・神奈川・千葉・大阪・広島・横浜市・神戸市の八都府県二市である。ところがその中には「千葉県のように『点字試験は行うが採用はしない』という妙なところもあった。」と「点字毎日」の記者を呆れさせる程の回答を、平然と寄こしているものも含まれているので、厳密には七都府県二市、九つの教育委員会が受験を認めているだけである。」(p1)
☆2
全国視覚障害教師の会会員名簿(2011年5月8日現在)によると正会員は103名、そのうち現職教員が72名、退職者、教職志望者などが31名である。現職教員の校種の内訳は、小学校6名、中学校10名、高校13名、大学3名、盲学校30名、養護学校・特別支援学校10名である。ただし、会員の情報は最新のものに更新されていないところもあった。
☆3
『障害の地平 第11号』(視覚障害者労働問題協議会 1980)によると、1979年7月18日に視覚障害者労働問題協議会は、視覚障害者の普通校教員採用問題で東京都教育委員会と第1回交渉をもっている。このとき提出された要望書には、「(2)そのためには少なくとも、貴教委の内部規定『視力〇、七以上であること』を撤廃していただきたい。」という項目がある。これに対する東京都教育委員会の回答は、「(2)視力制限規定について―この基準は授業中に教師が健康管理ができ、また生徒一人一人を分別しうるという基準から定めたもので、日本学校保健会(眼科部)でも、妥当なものとされている。教育委員会でこういった推移にも従わなければならない。」というものだった(p4-7)。この記述から、1979年当時、東京都教育委員会は教員採用に際して視力0.7以上という内部規定を設けていたことがわかる。
☆4
点字に対して、視覚で認識する手書きや印刷した文字のことをいう。普通の文字のことであるが、触覚的な点字も視覚的な普通文字も対等な文字であることを含意した表現である。
☆5
『平成24年障害者雇用状況の集計結果』(厚生労働省 2012)によると、法定雇用率を達成しているのは、都道府県教育委員会は47機関中24機関、市町村教育委員会は74機関中61機関である。未達成の都道府県教育委員会は、北海道、青森、岩手、宮城、福島、茨城、栃木、埼玉、東京、新潟、山梨、長野、静岡、三重、滋賀、鳥取、島根、山口、福岡、熊本、大分、宮崎、鹿児島の23教育委員会 である。



*作成:小川 浩史
UP: 20130722 REV: 20131117
視覚障害  ◇盲ろう(者)  ◇障害者と教育  ◇全文掲載
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