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「「女性運動」の奪還――生活の主体として抑圧に対峙する立場性の再定位」

村上 潔 2012/11/25
社会文化学会第15回全国大会 於:デザイン・クリエイティブセンター神戸(旧国立生糸検査所)
http://japansocio-culture.com/taikai/15.htm

last update: 20121126

■報告要旨

 本報告は、ひとことで言えば、現在の日本の「古くて新しい」女性運動の意味を確認し、その評価を試みるものである。
 「古くて新しい」というのは、「主婦/母親」役割を積極的に受け入れた女性たちが運動主体である状況を指した表現である。戦後日本の、いわゆる母親運動、消費者運動、生協運動、環境運動では、主に「主婦/母親」が主体となっていたのは周知のとおりである。ただ、そうした主体性は、1980年代以降、女性学/フェミニズムによって批判的検証に晒され、徐々に、「主婦/母親」を主体とした女性運動は、「性別役割を固定化する本質主義」であり、ある意味「反動的」であるという認識が定着していった。
 それが、いわゆる「3・12」――2011年3月12日の原発事故による放射能公害「以後の状況」を的確に捉えることを目的として、矢部史郎氏が提起したキーワード――以後、「主婦/母親」が主体となり、それを前面に出した取り組みが、日本全国で自然発生的に生まれてきた。まずはこのことの意味をしっかりと考える必要がある。また、こうした状況に対して、従来どおりの本質主義批判で警鐘を鳴らすフェミニズムの側からの反応も散見されるが、それが意味があることなのかどうか、そうした「アプローチ」自体が適当なことであるのかも、考えなければならない。
 以上が本報告の問題意識である。次に本報告の視座を少し提示しておく。
 まず注目しておきたいのは、彼女ら――「主婦/母親」という立場での女性運動の主体――がもっとも重視しているのは、「暮らし」・「生活」の防衛だということである。この点は、まったくもって「古い」性質であり、普遍的な問題意識といってよいかもしれない。では、これはたんに数十年間と何も変わらない運動なのだろうか? そうではない。そこには、いったん「失った」女性運動のメイン・イシューを、「取り戻す」という意味があると、報告者は考える。彼女らは、そのために、フェミニズムによって意図的に奥に押し込められた運動の「立ち位置」を、再び引きずり出して、再活用しているのだ。「暮らし」・「生活」と、「主婦/母親」。それは、「女性の社会進出」、「女性の能力の活用」といった、いまの国家・企業社会による、そしてまた同時にフェミニズムによる問題設定とは相反するものである。こうしたことを確認したい。

【参考文献】
LeBlanc, Robin M, 1999, Bicycle Citizens: The Political World of the Japanese Housewife, University of California Press.(=2012,尾内隆之訳『バイシクル・シティズン――「政治」を拒否する日本の主婦』勁草書房.)
松本麻里,2011,「原発と再生産労働――フェミニズムの課題」,Japan - Fissures in the Planetary Apparatus,(2012年7月25日取得,http://www.jfissures.org/2011/11/28/nuclear-energy-and-reproductive-labor-%E2%80%93-the-task-of-feminism/).
篠原雅武,2012,『全‐生活論――転形期の公共空間』以文社.
矢部史郎,2012,『3・12の思想』以文社.

*以上は『社会文化学会第15回全国大会報告集』9頁に掲載。

■当日の資料

◆報告に使用したパワーポイントのデータをPDF化したもの→【こちら】


*作成:村上 潔
UP: 20121112 REV: 1126
フェミニズム (feminism)/家族/性…  ◇生存学創成拠点・成果  ◇全文掲載
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