障害学は、「障害を分析の切り口として確立する学問、思想、知の運動である。それは従来の医療、社会福祉の視点から障害、障害者をとらえるものではない。個人のインペアメント(損傷)の治療を至上命題とする医療、「障害者すなわち障害者福祉の対象」という枠組みからの脱却を目指す試みである」(長瀬 1999: 11)と説明される。障害学で重要なのは、障害を軽減したり克服したりするものとして捉えるのではなく、障害を抱えた人たちが社会で生きていくためにはその社会がどうあるべきかという視点である。この障害学の視点にこそ社会モデルと医学モデルの本質的な違いがある。
社会モデルが最初に提示されたのは、マイケル・オリバーの「Social Work with Disabled People(『障害者とともに歩むソーシャルワーク』)」だった(Oliver 1983)。ここでオリバーが主張したのは、ディスアビリティこそが障害者を抑圧しており、ソーシャルワーク実践の目標を障害者個人の適応から社会的障壁の除去に転換していくことだった。オリバーの障害理論は、「隔離に反対する身体障害者連盟」Union of the Physically Impaired Against Segregation(UPIAS)による二元的定義を基礎としている。UPIASは、障害をディスアビリティとインペアメントとに二元的に分解して定義した。インペアメントは身体の欠損などによる個人の機能的制限として、ディスアビリティを社会的障壁による活動の制約としてそれぞれ定義した。このように身体面と社会面とを明確に分離した上で、ディスアビリティをインペアメントを持つ人間に対する社会的抑圧の問題であると主張した。このUPIASの主張は、オリバーの「Politics of Disabled(『障害の政治学』)」で、さらに理論的に展開されていく(Oliver 1990)。オリバーはディスアビリティの原因となる「社会的抑圧」をイデオロギー的側面と制度的側面にわけて障害者を排除するメカニズムを説明し、ディスアビリティの問題は身体にあるのではなく、障害者を排除する社会にあることを示した。こうしてオリバーによって障害問題の社会的責任が理論的に根拠付けられ、社会モデルが成立した。
このオリバーの社会モデルはジェニー・モリスやリズ・クロウなどの女性障害学者たちから提起された疑問によってその理論的射程が広げられた。彼女たちは、オリバーの社会モデルを前提とした上で、そこでは触れられなかった身体の問題も含めてディスアビリティの問題だと主張したのである。彼女たちは、社会的障壁がすべて除去されたとしてもインペアメントにまつわる個人的苦闘や、インペアメントとも異なる個時間の障壁があることを自らの経験から指摘し、インペアメントをも含む社会モデルを生み出した。ここでようやくイギリス障害学において、身体の問題(インペアメント)やそれに基づく個人的経験が社会モデルの理論の射程に含まれたのである。
他方、アメリカにおける障害学では、こうしたインペアメントも含む社会モデルが早くから注目されていた。アメリカ障害学がディスアビリティも問題として着目したのは、社会的抑圧ではなく障害者に対する偏見だった。アメリカの社会モデルでは、ディスアビリティの問題を健常者社会の支配的な価値観による「観念的障壁」として捉えてきた。アメリカの社会モデルは、イギリス障害学でオリバーが主張した社会モデルには含まれなかった身体の問題(インペアメント)もそれに基づく個人的経験も、初めから理論の射程に含んでいた。こうしたイギリスとアメリカの社会モデルに倣えば、社会モデルの意義やその理論の射程には、インペアメントに伴う個人的でインフォーマルな苦悩も含まれると考えられる。
日本の障害学は1990年代に入って輸入されるかたちで形成されてきた。しかしイギリスやアメリカの障害学で議論されてきた多くの問題は、日本でも1970年代の障害者運動の中で主張されてきた。とりわけ1975年の神奈川を中心とする「青い芝の会」による障害児殺しの母の減刑嘆願を批判する運動は、そのことを象徴している。この減刑嘆願運動に反対する運動で求めたのは、障害者をあってはならない存在として否定する社会、すなわち障害者に対する社会的抑圧と差別からの解放である。そして同時に障壁としての「家族」からの解放でもあった。
[文献]
Crow, Liz, 1996, “Including all our lives; renewing the social model of disability” Reprinted in: Morris, Jenny ed., Encounters with Strangers: Feminism and Disability, London: Women’s Press, 206-226.
星加良司,2007,『障害とは何か──ディスアビリティの社会理論に向けて』生活書院.
石川准,1999,「障害、テクノロジー、アイデンティティ」石川准・長瀬修編『障害学への招待──社会、文化、ディスアビリティ』明石書店,41-65.
野崎泰伸,2011,『生を肯定する倫理へ──障害学の視点から』現代書館.
Oliver,Michael, 1983, Social Work with Disabled People, London:Macmillan.
Oliver, Michael, 1990, The Politics of Disablement, London: Macmillan. (=2006,三島亜紀子・山岸倫子・山森亮・横須賀俊司訳,2006,『障害の政治──イギリス障害学の原点』明石書店.)
杉野昭博,2007,『障害学──理論形成と射程』東京大学出版会.
立岩真也,2002,「ないにこしたことはない、か・1」石川准・倉本智明編『障害学の主張』明石書店,47-87.