HOME > 全文掲載 >

「【著書を語る 484】『主婦と労働のもつれ』」

村上 潔MURAKAMI Kiyoshi) 20120805
『書標――ほんのしるべ』405(2012-08): 2-3
*『書標』は〈ジュンク堂書店〉のPR誌

Tweet
last update: 20200217


 「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という、有名な言葉があります。なるほど、至言でありましょう。
 ただ私は、それに引きつけて、ひとつ余計なことを考えついてしまうのです。
 「人は主婦になるのではない、主婦に生まれるのだ」。なにをばかなことを、と思われるでしょうか。でもこれは、けっして悪ふざけで言っているのではないのです。
 一人の自立した女性が、二五歳や三〇歳になって、突然主婦になる(されてしまう)のではありません。近代以降の社会においては、〈女〉という枠内に割り振られた存在は、社会に捕捉されてしまった時点ですでに〈主婦〉なのです。「自立した女性」というモデル自体が虚構だ、と言ってしまってよいかもしれません。
 〈主婦性〉とは、一部の主婦業をする女性たちのみがもつ特性ではありません。〈主婦的状況〉とは、〈女〉総体に課せられる抑圧と、〈女〉をとりまく諸力によって構成される全体状況を指します。ですから、「主婦を一人の女性として解放しなければ」などという無意味な課題は、設定するべきではないでしょう。
 また、やっかいなことに、主婦性は、より始原的な〈おんな〉性と少なからず重なりあう要素としてあります。したがって、近代を否定する云々という話ですっきりできるわけでもないのです。なんとももどかしい問題です。
 七〇年代・八〇年代の一部の(ウーマン)リブの女たちや、またそれ以前の一部の女性思想家たちは、そのことをはっきりとわかっていました。だから、その困難さをスタートラインにして、なんとか〈女たち〉の独自の存在のありかたを現前化させようと模索しました。でもそうした貴重な営みは、悲しいことに――「自立した女性が……」という物言いの裏で――ほとんど忘れられてしまいました。いや、もしかしたら最初から知られなかったのかもしれません。よくある話です。
 それが、「女たちが……」という問題の立てかたを誰もがほとんどしなくなった現在になって、皮肉にも、この〈おんな〉性と主婦性の本当の意味が、広くリアルに直感的に理解されるようになったのかもしれない、そう感じるようになりました。何が嘘で、何に踊らされてきたのか、女たちがしっかりと把握し始めた。自△2/3▽分たちの力は何に規定されていて、そのなかで自らの力を行使するとはどういう行為・形態を意味するのかを、明確に認識し始めたのです。そして、労働・消費・家庭など、生命・生活にまつわる諸要因の価値体系を、共同で、大胆に変化させようとしている。
 それは「3・12」(矢部史郎『3・12の思想』〔以文社〕)以降の状況と言ってよいのかもしれませんし、「女性の貧困」の主体的問題化(二〇〇八年)以降、と捉えたほうがよいのかもしれませんが、いずれにせよ、この国家と世界的な資本の枠組みが、〈女〉という存在をどうしようとしているのか、完全に露呈してしまった。多くの女たちはそれを感じとった。その土壌のうえでは、働いていようがいまいが、子育てしていようがいまいが、自らの主婦的状況をどう自律的に生き直すのか、自らの主婦性をどう転用するのかが課題となります。主婦という身分であるかないかで何かを分け、別々の路線を走らせようとする、無駄で不正義な「公共事業」に心を惑わされるような前提条件は、もうとっくに失われているのです。その事実が、やっと目に見えるようになった。
 多くの女性が企業社会で働く(ようになる)ことで喜ぶのは、労働力をタダ同然で使いたい人たちと、女にモノを買わせて儲けたい人たちと、より多くの税金をとりたい国家です。自らの主婦性・主婦的状況を自覚的に生きる土台とする女が増えるということは、そうしたシステムを揺るがす要因となります。なぜなら、主婦性を何にも動員しないかたちで、主婦的状況を自律的に生きる女たちの実践というのは、これまで社会がほとんど経験したことのない出来事だからです。上記のシステムは、主婦性を市場に動員し、主婦的状況を個々の女の内に押し込めることで成り立ってきました。主婦性を自ら(=女たち)のために用い、主婦的状況を「開いて」いく流れは、それとまったく逆のものです。「3・12」以降は、確実に、そうした実践が(全国各地で)増えていますし、増えていきます。したがって、未知の変化が起こります。
 では、どのようなことが起こるのでしょうか。これまで、社会における「女性の働きかた」についてさんざんものを言ってきたような人たちには、何もわかりません。いちばん先を見通しているのは、当事者の〈主婦〉たちです。それはたしかです。そしてそれは、まちがっても、嘆くべき状況ではないでしょう。
 「人は主婦になるのではない、主婦に生まれるのだ」――主婦に生まれてしまったのなら、徹底的に主婦として生きてやりましょう。

『主婦と労働のもつれ』洛北出版・3,360円


*作成:村上 潔MURAKAMI Kiyoshi
UP: 20200217 REV:
全文掲載
TOP HOME (http://www.arsvi.com)