以上の考察からわかることは、日本の死刑執行方法の変遷は、死刑執行を担う者、あるいは死刑執行に立ち会う者が、いかに受刑者と物理的/感情的距離を広げるかを模索した結果であったことである。そこでは受刑者の苦痛はまったく問題にならない。受刑者の苦痛の軽減が、物理的/感情的距離を広げること、すなわち殺人への抵抗感の減退には直結しないからである。さらにいうなら、絞首刑を130年以上存置したことは、今までもずっとこれでやってきたのだから、という慣習法的な正当性を構築し、それによって倫理的距離が広がっているとさえいえるかもしれない。つまり、日本は現在、殺人への抵抗感が極めて低い状態で死刑執行を存置している可能性がある。法社会学者のDavid T. Johnsonは日本がなぜ死刑を存置しているかについての9つの仮説を提示しているが(Johnson 2011)(19)、そこにアメリカ合衆国とは異なる形で変遷してきた、日本の特異な死刑執行方法の事情を加えることがてきるのではないだろうか。
[注]
(1)内閣府大臣官房政府広報室, 2010, 「基本的法制度に関する世論調査」(http://www8.cao.go.jp/survey/h21/h21-houseido/index.html アクセス日:2011年4月25日)。ただし、内閣府調査の質問項目は偏りを生む可能性のあるものだとの指摘もあり、実際に質問項目を変えて調査すると、死刑存置に賛成する比率は60%となった(山崎 2011:92)。しかし、それでも過半数以上は死刑存置に賛成なのが実情である。もっとも、たとえばフランスが死刑廃止に踏み切った当時も62%は死刑存置に賛成であったことは付記しておく。
(2)森巣博, 2003, 「死刑制度の廃止を求める著名人メッセージ」(http://homepage2.nifty.com/shihai/message/message_morisu.html 最終更新日:2003年3月3日)。また、以下でも森巣は再び同じ提案をしている。阿部・森巣・鵜飼(2006:230-234)、森巣(2009:116-118)。森巣の名は出ていないが、森巣と同様の提案をしているものとして大澤(2009)。
(3)ティモシー・エヴァンズ事件とは、1950年に死刑になったティモシー・エヴァンズが、1953年に無実だったと判明した誤判事件。この事件と、2年後に明らかになったもう1つの誤判事件をきっかけに、イギリスは死刑廃止へと踏み出すこととなった。
(4)誰が押したか分からなくする装置は、後述するとおり、死刑執行人の数を増やすものでしかない。森巣はそのこともわかっているがゆえに、「一見」という留保をつけているのだろう。
(5)Justia.com, 2004-2011, “In re Kemmler, 136 U. S. 436 (1890)” (http://supreme.justia.com/us/136/436/case.html アクセス日2011年8月12日).これは合衆国憲法第8修正条項「残酷で異常な刑罰」の禁止とほぼ同じ内容をもつ、ニューヨーク州憲法について争われたケムラー裁判の合衆国最高裁判決である。同判決における残酷の定義は、100年以上に渡って多くの裁判で引証されている(Moran 2002=2004:303)。
(6)Death Penalty Information Center, 2011, “State by State Database” (http://www.deathpenaltyinfo.org/state_by_state アクセス日2011年8月12日).
(7)AFP BB News, 2011,「米国で20年ぶり死刑執行をビデオ撮影、残虐性検証のため」(http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2815220/7538798 アクセス日 2011年8月12日)
(8)この定義でいえば、カフカの「流刑地にて」で描かれる馬鍬は、残酷な刑罰の格好の例といえるだろう。馬鍬とは12時間かけて囚人の体に判決を刻みこむ死刑執行方法のことである。
(9)AFP BB News, 2009, 「米国で薬物注射の死刑に批判再燃、オハイオ州の執行失敗で」(http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2650248/4724891 アクセス日2011年8月12日)
(10)同上。
(11)同上。
(12)AMAが1992年に提示した、死刑への医学的参加についてのより詳細な立場表明については、Ferris & Welsh(2004=2009:67)を参照。
(13)日本語訳では心理的距離となっているが、ここではemotionalをより直訳に近い形で訳しなおしている。
(14)それゆえ、Grossman(1995=2004)の続編、『「戦争」の心理学──人間における戦闘のメカニズム』では、社会のために人間を殺さざるを得ない人々をいかにサポートし、よりよい「戦士」を生み出していくかということが模索される(Grossman 2004=2008)。しかし、この問いの立て方には大いに疑問がある。そのことについては稿を改めて論じたいと思うが、櫻井(2011)で示したことが、殺人についての私のスタンスであることはここに言明しておく。
(15)さらにGrossmanは素手による距離の先に性的距離(Sexual Range)を置いているが、その距離では殺人への抵抗というより、殺人から興奮や快楽を得るという、少し位相がずれた話となっている。そのため、本稿では性的距離についてはひとまず置くこととする。
(16)押丁とは看守の助手のような役職であり、現在では廃止されている。
(17)監督大島渚、1968年。
(18)ある死刑についてのイベントで、近年は死刑執行の場面を死刑執行指揮者から見えないようにするためのカーテンが設置されたという情報もあったが、真偽が確認できないため、ここでは脚注にて示唆するだけに止める。ただ、この情報が事実であった場合、死刑執行指揮者と死刑囚の間に物理的距離が生じ、死刑執行指揮者の殺人への抵抗感が緩和されることになっているといえる。
(19)法社会学者のJohnsonによれば、なぜアメリカ合衆国が死刑を存置しているかについての研究は盛んになされているが、日本における同様の研究はほとんどない。そのため、Johnsonは、日本が死刑を存置し続けるのはなぜか、についての研究の呼び水として(Johnson 2011: 140)、以下の9つの仮説を提示した。すなわち、【I】歴史的解釈として、【1】戦後の占領期に逸した機会、【2】(保守的な)自民党の長期支配、【3】地政学的強み、民主的安定性、法的自足による日本の特異性、【II】外在的解釈として、【4】アメリカの死刑存置が付与する正当性、【5】韓国との関係、【6】アジアにおける地域連合の貧弱性、【III】内在的解釈として、【7】死刑に対する大衆の支持、【8】贖罪と人権に関する日本文化の特質、【9】大衆迎合的刑罰主義、厳罰化、被害者を満足させる必要があるとの認識の9つである。これらの仮説の検討は、別稿で行ないたい。
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