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尊厳死法(終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案)の制定に反対する
(声明文)

社団法人全国委脊髄損傷者連合会
NPO 日本せきずい基金 2012/03/22


  いわゆる尊厳死法についてであるが、「終末期の医療における患者の意思の尊重」が前面に謳われている。ここで、本法案の定義で「終末期」とは、『患者が、傷病について行い得る全ての適切な治療を受けた場合であっても回復の可能性がなく、かつ、死期が間近であると判定された状態にある期間をいうもの』とある。
 しかし、
1.「適切な治療を受けた場合」とあるが、誰が「適切な治療を受けた場合」と判断するのか?言い換えれば、リスボン宣言(患者の権利に関する世界医師会(WMA)リスボン宣言)の原則としての患者が「良質の医療を受ける権利」を、医師が十分に行使できたと誰が判断するのかである。
 ⇒ 現実問題として、判断しうる人はいない。
私事であるが、怪我をして当初の急性期に3度、医師からあと数時間の命ですからと家族・親戚に集合命令がかかった。また、怪我をして1週間後に、気管切開をされて人工呼吸器を装着されていた。
 このような、私事と照らし合わせたケースを想定すると、途中で医師が「適切な治療をした」また「回復の可能性がなく、かつ、死期が間近」と判断したとして、怪我する以前に私が「延命措置の差控えを希望する意思を書面」にサインしていたら今の私は存在しない。

 このように、「延命措置の差控え」とは、終末期であるとの判断が医師に委ねられるとしたら、真に最善の良質な医療が医師によって、病院によって医療水準に差異が常に存在する(すべての医師、病院が最高・最善の水準にあることは不可能である)限り、結果としては殺人である。
 即ち、この法は、リスボン宣言の「良質な医療を受ける権利」を医師が、患者に全うさせようとすれば、「適切な治療」の判断を下せる人はいない。


2.「回復の可能性がなく」の判断は、医師でも困難であり、経験則に基づいた推定程度であろう。としたら、経験則に基づいた推定で治療を差し控え、死に至らしめたとすると、たとえ同意文があろうともこれは殺人であろう。また、同じくリスボン宣言の1.「良質の医療を受ける権利」のa、c、d、.f 項に反している。特にf項「患者は継続性のある医療を受ける権利を有する。医師は医学的に適切なケアが一貫性を保って患者に提供されるよう他の医療提供者と協力する義務を負う。医師は、患者がそれに代わる治療の機会が得られるような適切な支援と十分な配慮をすることなしに、医学的に必要な治療を中断してはならない。」の中断であり限りなく殺人である。

3.「死期が間近である」との判定の後、蘇生した事実は、私の事例を待たずとも多数報告されている。死期が間近であるとの判定は、誰にもできない。

 以上のように、本法案の大前提である定義「終末期」の規定そのものが現実的に無理があり、終末期と判断できる人(医師)は存在しない。存在するとすれば、リスボン宣言を無視あるいは違反し、患者を死へ誘導する者(医師)である。この場合、殺人罪に問われるであろう。
 従って、当団体としては、本法案に反対する。
                                    以上

 [PDF版]

UP: 20120404 REV:
安楽死・尊厳死 2012  ◇全文掲載 
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