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避難指定区域から避難した方へのインタビュー

2011〜2012

last update:20120305


■浪江町・知的障害者

地震の前は浪江町で一人暮らしをしていました。デイサービスで老人介護の仕事をしていました。
地震の際は利用者と近くの小学校に避難しました。その後すぐに連絡がつかなかった利用者の方と一緒に職場で一泊しました。
次の日の朝に原発が爆発したと聞いて、事業所ごと40人がバス1台と車3台くらいで移動しました。
最初は対馬に避難しろと言われたので対馬市地域活性化センターに避難したのですが、どんどん人が集まってきたので郡山の職場の知り合いのところにお世話になることになりました。そのあと猪苗代の入所施設に1週間か2週間ぐらいとまりました。仕事場の知り合いのもちもので使っていない一軒家が二本松のKにあると聞いて、3月19日に20人でうつりました。その1軒屋には1週間ぐらい過ごしましたが、やがて全員解散することになりました。デイサービスの利用者の方はご家族が引き取ってくれました。自分は飯館の実家に帰りました。その時は、仕事が再開できるかわからなくて不安がありました。
でもしばらくして1か月ほどしたら放射能が流れていたので(避難をしなければならなくなりました)。飯館では姉が通っていた就労継続B型の事業所で手伝いをしていましたが、働いていたデイサービスの代表から電話があって、一緒にくるか飯館の就労継続B型の事業所の人と一緒にいるかどうするかときかれました。
飯館の事業所の人たちは(千葉県にある)鴨川青年の家に行くことになっていました。仕事的なことをしたいので、仕事先の人と一緒にいた方がいいと思いました。それで、デイサービスの代表といっしょに二本松の一軒家に戻って職場の同僚の家に泊めさせてもらうことになりました。姉とはずっと離れていたので離れるのはさみしくなかったです。
(青木:お父さんお母さんはどこに避難したのですか?)
今電話番号が分からないので、どこに行ったか分からないです。
今は、Sセンターの近くの仮設住宅が当たったので、9月の終わりごろからそちらに移っています。10月3日に働いていたデイサービスも二本松で再開することになったので通勤のために移ることになりました。
(2012年2月18日のフィールドノートより)


■南相馬市・身体障害者

3月11日地震の時は小高区の作業所にいました。家に車で送迎してもらって2日間くらいは家にいました。原発が爆発した(3月12日)ので兄ちゃんとと一緒に7人で福島市へ逃げた。13日の夜7時くらいかな、家から福島へ、お兄ちゃんが運転する車で逃げました。兄が(仕事から)帰ってきて避難するといった。...ただ、避難したくはなかったのね。でも、お兄ちゅんが行くべといったから、ついついいっちゃった。
はじめはおばさんの家にいました。2日くらい。(3/13-14)家族は1か月ぐらいいて。俺はトイレが普通のトイレで入れなかったので心配して(失敗して?)、兄貴らが「前ちょっといたところ※にお世話になりにいこうや」といわれていったんです。それで、結局3/14から8/31まで。
 ※この方は4歳から34歳までずっと入所施設にいた。6年前に自宅の改築を機に自宅に戻り家族との生活を始めた。
(青木:その時はどんなこと考えてはったのですか?)
早く地域(小高区)に戻りたかった。...自由に歩けるから、こっちは。入所施設は前いたからちっとは落ち着いて暮らしていたけれど、まるであそこ変わっちゃったから。病院かなと思ったの、俺、はじめ。病院で暮らしているかなと思ったんだ、あそこにいて。働ける人も少なくなっちゃったからだと思うんだけど。動ける人があっち(入所施設)にいなかったから、病院にかわっっちゃったのかなと思った。
(青木:あそこ、作業所もありますよね。そこには行ったのですか?)
行かなかった。(作業所の方は)やらせてくれなかった。(それは)避難民だからかなと思ったけれど。ただ扱っているだけだと思ったから。(沈黙)日中はずっと(自分の)部屋にいたり、土曜日とか日曜日とかには自由に表に行ってSATYで買い物したりして。SATYまで車いすで...(笑って)1時間半。(最初は入所施設にいるのは)大体1週間ぐらいかなとおもって。我慢していたんだけど。結構長くなっちゃった。7ヶ月。
(青木:(支援センターの人)たちと(一緒に青木が)お邪魔したのは5月でしたね。あの頃はどんな気持ちでいらしたんですか?)
しんどかった。(入所施設では)あまりしゃべる人がいなかったから、そんなにその頃は。一回は(支援センターの人)の家に泊まりに行って。これからのこともいろいろ考えて手伝ってくれるっていったから、自立に関してとかいろいろなこと。
今自分の気持ちはこっち(南相馬)でももう自由に、仮設からも出たい。暮らしたい。一人暮らしをしたい。今考えてるの、それ。(作業所の人)とも話してるんだ、それは。ただ、こっちの方の人ら、考えが遅いのね。のんびりだから。だから役場も対応が遅いし、仮設にスロープつけるのにも3か月くらいかかっちゃったんだよ。
(青木:今住んでいる仮設にはスロープなかったんですか?)
うん、なかった。そして、普通の人のところにはスロープついていて。どういう風に決まっているのかわからないの。役場の方の人らが分かっていて、そんなことわかっているはずなのにやってくれなかったから困っている。7月ごろ役場に直接電話して、仮設にスロープ付けてくださいっていっておいたんだけど、全然伝わっていなかった。
あとね、トイレも車いすの幅しかない。なかったもんだから、ポータブルトイレを買って使っている。車いすの幅しかないんだもん。入れない。手すりがあっても小さいから使えなかった。風呂も扉が内側開きで困っている。大工さんに頼んでとってもらって入っている。
(青木:風呂の扉なしで?)
うん。カーテン、くるくる回すやつ(ロールスクリーン)をつけてもらって、あと風呂桶の高さも高かったからこういうやつ(椅子の高さ)の台を作ってもらって風呂の高さと同じく床を高くしてもらって風呂に入っている。
(青木:電動(車いす)はどうしたのですか?)
仮設の外でビニールシートかけてある。帰ってきてからは1回も乗ってない。外にあんまりいかないから。仮設の中に入ったら自由に外に行けない。おろしてもらうのももう嫌だから。
(青木:?)
玄関にスロープがついているんだけど、(玄関の段差に)スロープを付けると扉が占められない。玄関のところにこれくらいの段差があって、そこからスロープを直接つけたままではないから自由に表にもいかれない。
(青木:充電はできるんですか?)
(首を振る)できない。だいたい2ヶ月くらいしてない。外に置きっぱなしで、ビニールかぶせてある。
(2011年10月27日のインタビューより)
※その後、作業所と被災地障がい者支援センターふくしまが動き、すぐそばの古い家屋を改装中です。もうすぐ一人暮らしができるようになります。

*作成:青木 千帆子
UP: 20120305 REV:
全文掲載  ◇災害と障害者・病者:東日本大震災  ◇被災地障がい者支援センターふくしま 

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