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「福祉避難所」成立の経緯

青木 千帆子・権藤 眞由美
20111001-02 障害学会第8回大会 於:愛知大学
http://www.jsds.org/jsds2011/jsds2011-home.html
災害と障害者・病者:東日本大震災

last update:20120203

  1 目的
 本報告ではまず、阪神淡路大震災後の被災障害者に関する取り組みをたどり、東日本大震災において「福祉避難所」が隔離・収容型施設としてあらわれるまでのプロセスを確認する。「福祉避難所」とは、1995年阪神淡路大震災の時におきた問題を解決するために設置されることになった避難所である。続いて、東日本大震災発災直後から「福祉避難所」へたどり着くまでを障害者がどのように過ごしてきたのかをふりかえる。そして、介護の必要な高齢者・障害者も避難できるように避難所の体制を整えようとする「福祉避難所」が、現実には介護の必要な高齢者・障害者だけを集めてひとところに収容する施設と化してしまっていることを指摘する。

  2 方法
 本報告は、文献調査、フィールドワーク調査、インタビュー調査によって構成される。文献調査では、1) 2011年3月11日以後東日本大震災に際して被災した障害者に関する新聞報道、2) 1995年以後朝日新聞・毎日新聞・読売新聞に掲載された「福祉避難所」に関する新聞報道、3) 1995年以後「福祉避難所」に関して交わされた国会での議論、4) 関連省庁により公開された資料を分析対象として採用する。フィールドワーク調査、インタビュー調査では、第一報告者・第二報告者が2011年4月17日〜20日、5月14日〜27日、8月28日〜9月3日の間「被災地障がい者支援センターふくしま」の活動に参加した際にとったフィールドノート、及びインタビュー記録をもとに構成される。

  3 「福祉避難所」成立の経緯
 「福祉避難所」とは介護の必要な高齢者・障害者も避難できるように体制を整えた避難所のことをいう。1995年に起きた阪神淡路大震災の際、「災害関連死」が相次いだのを教訓に設置されることになった。「災害関連死」とは、災害の発生時に直接その災害で亡くなるのではなく、介助が行き届かない避難所での生活において死亡することをいう。阪神淡路大震災の際は死者数の1割以上が災害関連死したといわれており、「災害弱者対策」が1995年10月の災害対策基本法見直しの際に課題として盛り込まれることになった(衆議院本会議, 1995)。
 有賀(2007)の指摘によると、2001年の防災白書において「災害弱者」とは次のように定義されている(★1)。
 
 災害弱者とは、防災行政上は災害時要援護者ともいい、災害時、次の条件に一つでも当てはまる人を指す。
・自分の身に危険が差し迫った時、それを察知する能力がない、または困難な者。
・自分の身に危険が差し迫った時、それを察知しても適切な行動をとることができない、または困難な者。
・危険を知らせる情報を受け取ることができない、または困難な者。
・危険を知らせる情報を受け取ることができても、それに対して適切な行動をとることができない、または困難な者。

 90年代には「福祉避難所」という言葉はあまり使われていない。高齢者・障害者の入所施設を指して「災害弱者施設」という言葉を用いている議論が大半である。今回分析対象とした文献の中で最初に「福祉避難所」という言葉を用いているのは、1997年1月18日の読売新聞である。
 
厚生省は近く「災害救助マニュアル」をまとめ、都道府県などに通知する。障害者らのため社会福祉施設を専用の避難所にする「福祉避難所」、仮設住宅の標準仕様を高齢者向けに無段差にする、などを検討中。(1997年1月18日読売新聞)
 
 ここで報じられている「災害救助マニュアル」とは、1997年に厚生省内に発足した災害救助研究会での議論をまとめたものである。翌年このマニュアルに基づき、社会福祉施設を障害者のための「福祉避難所」として設置するよう通達が出されている(厚生省・災害救助研究会, 1998)。
 1998年に栃木・福島県豪雨により福島県にある社会福祉施設からまつ荘が土石流により被災したのを機に、1999年7月の災害対策特別委員会では「災害弱者関連施設」の防災対策に関する調査実施が提案される(参議院災害対策特別委員会, 1999)。そしてこの調査に基づき、国土交通省の予算により「災害弱者施設」の防災対策が進められるようになる。以後、「災害時要援護者」という言葉も行政用語として用いられるようになっていく。
 2004年には中越地震が発生する。この際、初めて「福祉避難所」が開設される。しかし、効果的には機能せず、自動車の中で過ごす被災者にエコノミークラス症候群が多発するなどの問題が多く報道された。このことを受け、2005年3月には「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」が策定され、同年9月からは「災害時要援護者の避難支援に関する検討会」も発足する。2006年には「災害時要援護者の避難支援ガイドライン(内閣府, 2006)」が改訂され、災害時に「福祉避難所」としての機能を果たす社会福祉施設を、各市町村があらかじめ指定しておく取り組みが広まり始めた。
 2007年には中越沖地震が発生する。中越沖地震では新潟市・柏崎市・仮羽村に7カ所の「福祉避難所」が開設された。しかし、この際も開設の遅れ、被災者への周知の不徹底といった問題があり、その利用率は6割弱にとどまる。一方で、特別養護老人施設などは緊急入所希望者が殺到した(2007年7月24日毎日新聞)。
 度重なる災害とその都度得られる教訓を受け、2007年には「避難支援プラン全体計画」の策定が2009年を目標に掲げられ、2008年には「福祉避難所設置・運営に関するガイドライン(厚生労働省, 2008)」が策定される。2009年4月に実施された厚生労働省の調査によると、全国の1777市町村と東京23区のうち、「福祉避難所」を指定している市区町村は429ヶ所(23・8%)である(2009年12月6日毎日新聞)。また、2010年3月の衆議院災害対策特別委員会の会議録によると、「避難支援プラン全体計画」の進捗状況は全市町村のうち40.2%であるとされている(衆議院災害対策特別委員会, 2010)。東北三県では、宮城県で177カ所、岩手県で74カ所、福島県で37カ所が「福祉避難所」の事前指定を受けている中(★2)、2011年3月11日に東日本大震災が発生した。

  4 事例:発災直後から「福祉避難所」にたどり着くまでの被災障害者の動き
  4.1 入所施設利用者の場合
 では、東日本大震災において「福祉避難所」はどのように機能したのであろうか。ここでは例として、福島県双葉郡富岡町にある社会福祉法人福島県福祉事業協会の施設「東洋学園」の動きを紹介する。
 まず、地震発生翌日の2011年3月12日、入所の児童・生徒と20〜50代の大人計250人がバスで避難し福島県双葉郡川内村にある同法人の施設に入っている。しかしその日のうちに政府の避難指示の範囲が広がったため、夜中に再び移動。一次避難所になっていた川内村の小学校の体育館に到着。しかし、突然の環境の変化に大きな声を出したり、落ち着きを失ったりする子どもが相次ぎ「一般の人と一緒の避難所は無理」と考え、13日には学園が所有する福島県田村市の通所施設に移る(2011年3月29日朝日新聞)。
 しかし、40人定員の施設に250人が避難したため様々な困難が生じ、29日の晩に23歳の男性がてんかんの発作を悪化させ死亡する(2011年6月16日毎日新聞)。4月5日には同法人が運営する障害者支援施設「あぶくま更生園」の入所者ら114人、7日には東洋学園の入所者95人が千葉県鴨川市の県立鴨川青年の家に移動。11日には同法人の別施設の入所者68人が、11日までに各施設の職員96人も千葉県鴨川市に移り、施設機能の大半を移転させることになる(2011年4月7日東京新聞)。避難先では11歳の女児が事故死する(2011年4月27日毎日新聞)など、避難生活の困難さがうかがわれる。

  4.2 通所施設利用者の場合
 次に、福島県でCILを営む法人Iとその作業所Wに通所する共に脳性まひ者であるSTさん・SKさん夫婦の動きを紹介する。
 まず、地震発生当日、SKさんは一人で自宅にいた。揺れに驚いてドアを開けて玄関に出ていると、外出先から夫のSTさんが帰宅する。その後揺れが収まるのを待って近隣の公民館に行くが、公民館は壊れているため使用できず、同地区の小学校に向かう。しかし、小学校の体育館も危ないということで外に出ていたところ、所属する法人Iのスタッフが様子を見に来、その後再び迎えに戻って来たスタッフの車に乗って3kmほど離れた障害者福祉センターにたどり着いた。当時、「福祉避難所」がどこにあるかという情報を法人Iのスタッフらは認識しておらず、逆に法人Iの側から市に障害者福祉センターを「福祉避難所」にしてほしいと依頼している。法人Iとしてもヘルパーを十全に派遣できる状況ではなかったので「ヘルパーなしに生きられない人はここ(障害者福祉センター)に来てください」と半ば脅し気味に集まってもらったとスタッフの一人はふりかえる。この「福祉避難所」には法人Iに所属するメンバー約30人と同世帯家族、そして2名の高齢者世帯も避難してきていたという。障害者福祉センターは3週間ほどで「福祉避難所」としての役割を終え、現在メンバーは全員自宅に戻っている。(2011年8月30日のインタビューより)

  5 考察
 以上、「福祉避難所」成立の経緯と、発災直後から「福祉避難所」にたどり着くまでの被災障害者の動きを紹介した。最も着目すべきはいずれの事例においても、まずは近隣にある一般の避難所に避難した点である。しかし、一般の避難所で生活することができない重度障害者は何らかの形で避難先を転々とせざるを得ない状況に追い込まれ、移動の度に介助者や支援機器・設備の有無、そして生命の危険に直面することになった。
 また、法人Iの運営者側も利用者側も、「福祉避難所」がどこであり、介助の必要な障害者がどこに逃げるべきかということはあらかじめ知らされていなかった点が指摘されよう。福島県における「福祉避難所」に関する取り組みは、報道を見る限り先進的なものであり、37カ所の社会福祉施設だけでなく、旅館ホテル組合とも協定を結び県下全域をカバーしていると報道されている(2010年11月23日朝日新聞)。しかし、福島県でCILを運営している法人Iには、いまだに「福祉避難所」がどこであるかを知らされていない。(この原稿を書いている現在も、東日本大震災以前に指定されていた「福祉避難所」がどこであるかということを調べてほしいという依頼を受け、情報を探しているが見つけられずにいる)。
 そもそも「福祉避難所」は、阪神淡路大震災の際に辛酸を味わった当事者やその支援者から提案されたものであった。そこで想定されていたイメージは次にあげるようなものであった。

当事者の意見を取り入れるべきだという、行政への呼び掛けであると同時に当事者と支援者への啓発」(2006年11月24日毎日新聞)
本来は地域の人と同じ避難所に逃げるのがベスト。「福祉避難所」では一般の人と動線が重ならないので、出来れば皆と一緒に行ける避難所を障害者対応にしてもらえれば(2006年11月26日朝日新聞)
「要援護者が自分で決めればいい」[…]過ごしやすい施設を選んで仲間と一緒に自治体に申し入れ、指定してもらえば、行政側も効率よく支援できるはずだ。(2007年10月17日朝日新聞)」

 つまり、ここで提案されていることは、被災した障害者や高齢者が他の健常者家族や地域の住民とともに避難することができるよう、災害時に避難所となる身近な公共施設や学校建屋の障壁を取り除くことであった。提案されている「福祉避難所」は、決して車で移動しないとたどり着けないような街はずれにあるものでもないし、他の人々と切り離された特別な枠に囲い込むことを求めるものでもない。
 ところが、東日本大震災において被災した障害者が直面した現実は、施設から施設への、あるいは地域から施設への移送とたらい回しであった。支援にあたった者が次々に口にした言葉は「障害者がいない」である(例えば水谷,2011; 白石, 2011)。とりわけ重度障害者の姿が、どの避難所に行っても見当たらなかった。発災後1か月を過ぎて支援者らは、市街地から片道2-3時間を要する人里離れた大規模福祉施設に避難している重度障害者の姿を見出していく(権藤・青木, 2011)。
 以上、本報告では阪神淡路大震災後の被災障害者に関する取り組みの結果、東日本大震災において「福祉避難所」が隔離・収容型施設としてあらわれるまでのプロセスを描いた。介護の必要な高齢者・障害者も避難できるように避難所の体制を整えようとする「福祉避難所」は、結果的に介護の必要な高齢者・障害者だけを集めてひとところに収容する施設として現れた。一般の避難所は不変のまま、介助を必要とする重度障害者・高齢者の避難先や居場所だけが変わったのである。
 このような結果となった背景は、3「福祉避難所」成立の経緯にて報告した「福祉避難所」をめぐる議論の言葉づかいから明らかであるように思う。そこには、「災害弱者」のあまりにも個人モデル的な定義、その延長にあるとても脆弱で保護の対象であるとされる障害者像、そしてこの社会で能動的に生きていることを想定されていない障害者の生のイメージが根付いているのである。

  6 引用文献
有賀絵理 2000「災害弱者の避難方法と課題」『茨城大学地域総合研究所年報』40:77-85.
権藤眞由美・青木千帆子 2011「被災地障がい者支援センターふくしまの活動」グローバルCOE「生存学」創成拠点国際プログラム 於京畿大学ソウルキャンパス http://www.arsvi.com/2010/1107gmac.htm(最終アクセス日 2011年9月13日)
厚生労働省 2001 「大規模災害救助研究会報告書について」http://www.mhlw.go.jp/shingi/0104/s0417-1.html(最終アクセス日 2011年9月13日)
厚生労働省 2008 「福祉避難所設置・運営に関するガイドライン」http://www.sago-octagon.com/menu02/images/hukusihinanjo.pdf (最終アクセス日2011年6月15日)
厚生省・災害救助研究会 1998 「大規模災害における応急救助のあり方」http://homepage3.nifty.com/n-kaz/iinkai/honbun.htm(最終アクセス日 2011年9月13日)
葛本知里・大西一嘉2009「7154 大災害時の福祉避難所に関する研究(福祉避難所と集落の防災・リスク,都市計画)」『学術講演梗概集. F-1, 都市計画, 建築経済・住宅問題』: 377-378.
水谷真 2011「障害者は避難所に避難できない――災害支援のあり方を根本から見直す (特集 連帯、再生へ――負けない東北・負けない日本)」『地方自治職員研修』44(7):32-35.
内閣府 2011 『防災白書』財務省印刷局 http://www.bousai.go.jp/hakusho/h23/index.htm (最終アクセス日 2011年9月13日)
内閣府 2001 『防災白書』財務省印刷局 http://www.bousai.go.jp/hakusho/h13/hakusyo2001.html(最終アクセス日 2011年9月13日)
内閣府 2006 「避難時要援護者の避難支援ガイドライン」 http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/k_32/pdf/ref1.pdf(最終アクセス日 2011年9月13日)
災害対策基本法 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S36/S36HO223.html(最終アクセス日 2011年9月13日)
衆議院本会議 1995 第134回国会衆議員本会議会議録第8号(平成07年10月20日)
衆議院災害対策特別委員会 1997 第140回国会衆議員災害対策特別委員会会議録第3号(平成9年11月27日)
参議院災害対策特別委員会 1999 第145回国会参議員災害対策特別委員会会議録第5号(平成11年7月30日)
白石清春 2011「被災地障がい者支援センターふくしまの活動を通して感じたこと」http://www.arsvi.com/o/s-fukushima.htm#18(最終アクセス日 2011年9月13日)
衆議院災害対策特別委員会 2010 第174回国会衆議員災害対策特別委員会会議録第2号(平成22年3月11日)http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kaigiroku.htm(最終アクセス日 2011年9月13日)
衆議院厚生労働委員会 2011 第177回国会衆議員厚生労働委員会会議録第12号(平成23年5月11日)http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kaigiroku.htm(最終アクセス日 2011年9月13日)
  新聞記事
「[阪神大震災 再生への道]第13部 3年目の課題(6)災害救助(連載)」『読売新聞』(1997年1月18日)
「障害者市民防災提言:私ぬきに決めないで 大阪のNPO、防災・支援15項目を提言」『毎日新聞』(2006年11月24日)
「災害時の障害者サポートは地域との連携大切 シンポに80人 大阪・東淀川区/大阪府」『朝日新聞』(2006年11月26日)
「大特集V」『朝日新聞』(2007年10月17日)
「中越沖地震:利用進まぬ福祉避難所 7カ所に設置、定員の約半数−−説明、周知が遅れ」『毎日新聞』(2007年7月24日)
「福祉避難所:災害に備え街再点検 安心の場、指定後押し−−大阪・城東区」『毎日新聞』(2009年12月6日)
「福祉避難所:震災15年…指定進まず 自治体4分の1のみ」『毎日新聞』(2009年12月6日)
「大規模災害時の宿泊確保へ協定 県と旅館ホテル組合 /福島県」『朝日新聞』(2010年11月23日)
「福祉避難所の開設急務 要介護の被災者ケアを」『読売新聞』(2011年3月15日)
「知的障害の子ら200人、避難先転々 職員「もう限界」」『朝日新聞』(2011年3月29日)
「東日本大震災:県がいわき市をサポート、物資輸送や給水車派遣/神奈川」『カナコロ』(2011年3月31日)
「避難転々 鴨川で新生活」『東京新聞』(2011年4月7日)
「福島第1原発:11歳避難女児が水死 千葉・鴨川」『毎日新聞』(2011年4月27日)

  7 注釈
★1報告者も2001(平成13)年度版防災白書を確認したが、このような記述は見当たらなかった。
★2「福祉避難所」の事前指定数に関するデータは文献によって異なる。例えば宮城県で177カ所、岩手県で74カ所、福島県で37カ所というのは、177回国会衆議員厚生労働委員会会議録12号(平成23年05月11日)に基づくデータである。2009年12月6日の毎日新聞では「岩手35カ所、宮城36カ所、福島59カ所」と報じられている。2011年3月15日の読売新聞では、「岩手で5、宮城で14、福島で11」と報じられている。


*作成:青木 千帆子
UP:20110921 REV:20120108, 0203
全文掲載  ◇災害と障害者・病者:東日本大震災  ◇被災地障がい者支援センターふくしま 
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