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「ふくしま」で見棄てられた人たち――スロープがついていても使えない仮設住宅

佐藤 ひろ子(前中野区議会議員/立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程) 2011/09
『マスコミ市民』2011-9:38-42(特集:脱原発とメディア) [PDF] (4,829K bytes)
http://masukomi-shimin.com/


 1.「被災地障がい者支援センターふくしま」でボランティア

 東日本大震災による大津波で福島県沿岸部の市町村も甚大な被害を被り、さらに原子力発電所の事故により福島県内の障がいをもつ者も大変な状況におかれた。福島県の障がい者関係団体が連絡を取り合い、県内の被災した障がい者の支援を行うために、「JDF被災地障がい者支援センターふくしま」(以下「支援センター」と略)を4月に発足させた。支援センターはこれまでに、被災地域の障がい者作業所、避難所などを回り、被災した障がい者の安否確認や物資の支援、相談活動に取り組んでいる。福島県郡山市にあるこの支援センターで、2011年7月11日〜14日までの4日間、私は、社会人学生として一緒に大学院で学んでいるIさんと共にボランティアをした。
 7月13日、東京の新宿区は0.057マイクロシーベルト/hだが、郡山市は0.93マイクロシーベルト/hと東京に比べ20倍近くも放射線量が高い。しかし、街を歩く人はほとんどマスクをつけていない。私もマスクをつけることがはばかられた。街は何事もな<0038<かったように人々が行き交う。しかし、心の中は放射能汚染の不安でいっぱいだと思う。

 2.私たちはモルモット

 浪江町の原発から20キロ圏内の警戒区域内にある小規模作業所「アクセスホームさくら」を、避難先の二本松市で再開するための物資運びを手伝った。作業所の移転先の二本松市も放射線量は低いとは言えない。支援センターのAさんは物資を載せた車を運転しながら、「逃げるたってね、2 0 0 万人もの福島県民全員が逃げるところなんてないですよ。私たちはモルモットだと思っています」と話した。Aさんには小学生のお子さんがいて奥さんも福祉施設で働いている。施設の利用者を捨てて仕事を捨てて逃げるわけにはいかないと言う。車の窓の外には米どころ福島の美しい青田が広がっていた。「農家は米を作るしかないですよね。食べてもらえず補償を要求するだけになるとむなしいですが」Aさんは言った。
 「アクセスホームさくら」の再開先の民家の隣にある店で、郡山市の「共働作業所にんじん舎」の卵や二本松市の障がい者就労施設「なごみ第2」で作った豆腐など、県内の作業所で作ったものを売っていた。卵と豆腐を買って、豆腐はその場で食べた。福島県産の大豆を使った手作り豆腐は、お醤油がいらないほどおいしかった。しかし、障がいのある人たちの仕事にも放射能の影響が不安をもたらしている。
 共働作業所にんじん舎では、養鶏や農作業をやっている。その畑でも高い放射線量が検出されたそうだ。「このままでは、安全を謳ってきた作物を育てることができない、仕事ができない」と「にんじん舎」のBさん達は「F- 787プロジェクト」を立ち上げた。「ふくしま菜の花プロジェクト」と読むのだそうだ。土壌のセシウムを取り込む菜の花やひまわりを育てて、汚染された<0039<土地の浄化と作業所の新たな仕事おこしをしようという取り組みである。シンボルグッズとしてカンバッジやストラップづくりなどを行う。ひまわりの種をアレンジしたストラップの試作品づくりを少し手伝った。ストラップの台紙には「ふくしまはねがいます あなたのふるさとがいつまでもうつくしくあることを」と書かれていた。

 3.避難所に取り残されていた車いすの青年

 郡山市にあるコンベンション施設「ビックパレットふくしま」には、全域が警戒区域に指定された富岡町や、警戒区域と30キロ圏内の緊急時避難準備区域にある川内村などから、当初約2000人の人たちが避難してきていたそうだ。私が行った7月13日は400人くらいに減っていて、子どもたちの姿はなく年配者の姿が目立っていた。ダンボールの囲いが広いホールや廊下に点在していた。さながらダンボールハウスが点在する東京の公園の様だった。今回の津波と原発事故で帰る家を失った人々は10万人をくだらないと言われている。
 ビックパレット屋内にある放射線量の電光掲示板はこの日0.11マイクロシーベルト/hを示していた。同じ日の郡山市役所屋外の放射線量は0.93マイクロシーベルト/h、川内村は0.4マイクロシーベルト/hで、この数値を見る限り原発から約50キロ離れている郡山市の方が川内村より放射線量が高いのだが、富岡市と同じく川内村も郡山市のビックパレットに役場機能を移し全村避難してきていた。
 ビックパレットのロビーにいた車いすの青年に声をかけた。富岡町の自宅は原発から近く、家も家族も津波に流され姉が亡くなった。本人も津波に飲み込まれて大怪我をして歩けなくなったそうだ。病院から退院したが帰る家がなく避難所に来た。仮設住宅を申し込んだが抽選にはずれたそうだ。先日、知り合いの人の仮設住宅を見せてもらったが、家の外は砂利で車いすで近づくのは難しく、入り口や部屋の中は段差があり、抽選に当たったとしても車いすの状態ではとても住めないと不安がっていた。仮設住宅の建設はすすんでいるが、車いす利用者やお年寄りが避難所に取り残されていた。

 4.バリアフリーの仮設住宅は1軒もない

 支援センターのボランティアとして、仮設住宅のバリアフリー調査をIさんと一緒に行った。阪神淡路大震災の時の反省から孤立化を防ぐため、仮設住宅には被災し<0040<た市町村ごとにまとまって入居できるようになっている。被災自治体が県に仮設住宅の設置地域と戸数を要望し、県が業者を公募して建設し、管理は被災自治体が行っている。例えば、郡山市には3ヶ所の仮設住宅の団地があるが、郡山市は福島県に土地を貸しているだけで、県が仮設住宅を建設し、管理は富岡町や川内村などの市町村が行っている。現地に行く前に、福島県といくつかの市町村に電話取材をした。以下、その中から少し紹介する。
 ○福島県 仮設住宅は県が設置しているが、バリアフリーになっている住宅は1軒もない。要望があれば個別に改修工事をする。
 ○大熊町 1団地につき1割にスロープがついている。トイレは段差がない住宅もあるが車いすが入れる幅がない。風呂場には段差がある。医療機関は場所によっては遠いところもある。店からは離れているが、団地の中に仮設店舗があるところもある。
 ○広野町 入り口をスロープにするか風除室にするか選ぶことができる。靴置き場がないのでスロープを断り風除室を希望する人が多いので、スロープは作らないようにしようと考えている。2DKのトイレには段差がないが風呂場にはすべて段差がある。歩いていけるところには店はない。
 電話取材でわかったことは、バリアフリーの仮設住宅は1軒もないこと、スロープを設置した仮設住宅もあるが風呂場にはすべて段差があること、病院や店から遠いことである。

 5.何のためのスロープか

 実際に郡山市にある仮設住宅に調査にでかけた。80歳代のご夫婦のお宅におじゃました。川内村から避難してきたそうだ。玄関は風除室がついていて段差がある。伺ってすぐに、ご主人のところにデイサービスのお迎えがくる。お風呂場を見せていただく。浴槽に洗面台がつきだしていて狭く、段差が20センチ以上もある。ご主人は足があがらずお風呂に入ることができないので、週3回のデイサービスで入浴しているそうだ。
 スロープが設置されている仮設住宅に住む、川内村から避難してきた年配の父子に住み心地を聞いた。2人も車いす利用者ではない。スロープがあるせいで雨が入るので困るとのこと。仮設住宅住民と行政の話し合いが集会室であったので、スロープをやめてほしいと要望した<0041<と言う。障がいのある人がスロープ型に入居しているわけではないので、スロープ型が不評をかう。かといって、スロープ型に障がいのある人が住むのも難しい。
 スロープが設置された仮設住宅に、身体障がいのある20歳代くらいの息子とご両親が住んでいるお宅にうかがう。原発から数キロのところに家があり帰れないそうだ。先日までビックパレットにいた。一回目の抽選に外れて、二回目にようやく仮設住宅に入ることができた。息子さんは歩行が困難で、外は車いすを使っているが家の中では這っている。部屋の境目に3センチくらいの段差があり、お風呂の段差もひどく、這うと足が擦り傷だらけになる。お風呂はどうしょうもない。浴槽のところについている洗面台がじゃまになり介護が大変でこのまま住み続ける自信がないとのことだった。外も住宅の周りに砂利が敷き詰められていて、車いすで動くのは大変である。ビックパレットにいた車いすの青年が「仮設住宅が当たっても住めない」と言っていたが、その通りの状況だ。家の中もバリアフリーにしなければスロープ設置の意味がない。せっかく1割の住宅をスロープ付きにしているのだから、家の中もバリアフリーにつくるべきだ。少なくとも、風呂場の段差をなくし、浴槽に突き出した洗面台の位置をかえるだけでも住みやすくなるのではないか。

 6.手すり一本も時間がかかる

 県は要望があれば個別に改修工事をすると言っていたが、できるのだろうか。田村市に仮設住宅について取材に行った時、実際にあった事例を紹介してくれた。手すり一本つけるのも改修工事となるため、住む人が市町村に改修工事の依頼をすると、市町村が県に申請を上げ、認められれば県が業者に発注して手すりの設置工事となり、市町村に決定権がないため、手間や時間がかかるという話だった。住む人のニーズに合わせて、素早く対応することができない。
 ニーズに合わせた仮設住宅の建設や改修を早急に行うために、国や県の指示で動く従来型の政策決定を改め、市町村が決定権を持ち、住む人のニーズに寄り添った仮設住宅を建設できるようにするべきだと思った。しかし、制度が変わるまで待ってはいられない。自治体がすぐ動いて、動いた結果の要求を県や国にしていくしかない。


UP: 20111027 REV:
佐藤 ひろ子  ◇災害と障害者・病者:東日本大震災  ◇東日本大震災:本拠点の活動関連  ◇Archives  ◇全文掲載 
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