ケアラーたちの本当の顔
児玉 真美 201108 月刊介護保険情報,2011年8月号
last update:20120117
ケアラーたちの本当の顔(児玉真美訳)
え、ケアラーたちの本当の顔? それがケアラーズ・ウィークのテーマなの……って?
うん。まぁ、聞かない方がいいかもね。知らない方がいいと思うよ。ケアラーの本当の顔がどういうものか、ちょっとでも知ったらビビっちゃうから。とはいっても、きっと分かんないとは思うけどね。だってケアラーって、目に見えないんだもの。
あ、ボクが言ってるのは、給料をもらっている介護者のことじゃないんだ。制服を着て働いているような人たちなら、ちゃんと目に見えるからね。ボクが言っているのは、自分でも思いがけない時に、気が付いたら、いつのまにかケアラーになっちゃってた……っていう人たちのこと。
ボクたちケアラーは制服なんか着ないし、休憩時間もオフの日もない。選択の自由も研修も給料もない。見た目は他のみんなと全く同じさ。実際、ボクたちはみんなと同じ人間なんだけどね。だから、誰も気づかない。ボクたちがもう前とは別の存在になってしまったってことに。
もう1つヘンなのは、ボクたち自身にも自分が見えないってこと。どういうことかというとね。誰かのケアをするのは、なにしろずっと全力投球だから、そういうのを長く続けていると、いつのまにか自分がどういう人間なのか、前はどういう人として生きていたかってことを忘れ始めるんだよ。自分がこの先どういう生き方をしたいかという夢だって、もちろん頭から消えてしまう。そんなふうに自分自身を見失っていくってわけ。
透明な存在――。それがボクたち。まぁ、それでいいのかもね。だってボクたちの本当の顔をみんなが見ることができたら、頭の中で何を考えているかまでバレてしまう。そんなのは知って愉快なものじゃない。
本当のことを言うと、人によって早い遅いの違いはあるけど、ケアラーをやっていると、たいていの人はどこかでプッツンくるんだよ。みんな、外には見せないけどね。外から見れば、介護に疲れているとか、まったりしているとか、もう諦めきってるみたいに見えるかもしれない。ま、概してボクたちって、愛する人を介護する心優しい人っていうイメージだよね。だから全然だいじょうぶ、てな感じに見えたりもして。で、ある日突然、プツンといっちゃう。そうなると、もうダメ。でも、そういう時でも、たぶんボクたちは家の中でこっそりプツンいってて、そんな自分を外に見せたりはしない。
だから外の世界の人には分からないみたいだけど、ボクたちは最初からケアラーだったわけじゃないんだよ。ボクたちだって外の世界の人と全く同じ人間で、生まれつき介護に向いているからケアラーをやっているというわけじゃない。他に選択肢がないから、やっていくしかないだけで。
ここんところがケアラーの弱みだよね。やるしかないことだから、ボクたちはそれなりに立派にこなしていく。だから、ほら、ケアしている相手を殺しちゃうケアラーなんて、滅多にいない。辛いのは、ボクたちがあれもこれも黙々とこなしながら、そんな生活に満足しているように見えてしまうこと。もちろん、そういう人もいるよ。でも、そうじゃない人だって沢山いる。
だからケアラーズ・ウィークがあって、そのテーマが「ケアラーの本当の顔」ってわけ。
もし君がケアラーだったら、こんなことは言われなくても分かってるだろうけど、もしも君がケアラーじゃなかったら、ちょっと考えてみて。君だって、いつかケアラーになる日がくるかもしれない。その確率は案外に高い。だから、これだけは知っておいて。ケアラーだからって聖人じゃないんだよ。ケアラーは君なんだ。
原文は以下のサイトに。
carersweek.org