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公開インタビュー「人工呼吸器をつけた子の親の会〈バクバクの会〉の成り立ちと現在」
「第二部 バクバクっ子による報告」佐藤有未恵さんの発表原稿

佐藤 有未恵 20110727 

last update:20110823

公開インタビュー「人工呼吸器をつけた子の親の会〈バクバクの会〉の成り立ちと現在」 佐藤有未恵さんの発表原稿


 佐藤有未恵です。大阪市西区からきました。24歳です。私は、ウエルドニッヒホフマン病で、生後3カ月半から24時間人工呼吸器を使って生活しています。生後3カ月から、3歳になるまでずっと入院生活を送っていましたが、その後ポータブルの呼吸器といっしょに家に帰り、在宅生活になりました。幼稚園・小学校・中学校は地域で過ごし、高校も普通校を受験しましたが、定員割れしていたにもかかわらず不合格になったので養護学校で過ごしました。高校卒業後は、5年間、大阪市立大学生活科学部の科目等履修生として週1日女子大生をしていました。そのほかは生活支援施設に通所したり、ヘルパーさんと自分のしたいように過ごしています。音楽聞くのが大好きで月1回くらいはライブに行ってます。他にはショッピングやガールズトークも大好きです。昨年の7月、23歳になったときから、念願の一人暮らしを始めました。
 私が経験してきたことや現状で、おかしいと思ったこと、困っていることを話したいと思います。

<教育について>
 まず、教育の場面についてです。
 私は大阪市の小中高で過ごしましたが、大阪市には「看護指導員派遣制度」というのがあり、看護師が医療的ケアの必要な子のいる学校を巡回して教員にケアの仕方を研修したり、アドバイスしています。そのおかげで、かかわってくれる教師は吸引や経管栄養などのケアはできるようになります。けれども、親の付き添いに関しては「何かあったら困る」と言って、学校内での親の待機を求め続けられました。ケアは教師が全部してくれていたので、学校で親に会うことはほどんどありませんでしたが、ずっと学校内待機をしていた親は疲れて、わたしはすごく怖い目にあったことがあります。夜中に呼吸器の回路に結露が溜まり過ぎて息ができなくなり、アラームがなっているのに、母は爆睡して気づいてくれず、苦しくて苦しくて、本当に怖かった。やっと母が起きてくれ対処してくれましたが、あと少し気づくのが遅かったら、やばかったと思います。学校で何もなくても、家で夜中にこんな苦しい危ない目にあってるのに、家で何かあるんはええんかって思いました。なんども学校や教育委員会と話をしましたが、付き添いがなくなることはありませんでした。
 今も呼吸器を使っている子がたくさん通学していますが、やはり親の付き添いを求められるケースがほとんどです。学校で「何かあるかもしれない」のはどの子もおなじで、医療的ケアの必要な子だけが付き添いを求められるのはおかしいと思います。また、付き添えない親の子は学校に行けません。

 もうひとつは、高校受験についてです。
 私は障害のある生徒のための特別配慮の受験で、別室でパソコンを使って養護担任に介助してもらい受験することができました。けれども点数が低かったのか、定員割れをしていたのに不合格になりました。かなり落ち込みました。でも浪人するのはいやだったので養護学校に行きました。
 高校は義務教育じゃないから誰でも普通校にいけるわけじゃないっていうことやそうですが、なんで?って思います。小中と普通校で高校からしかたなく養護学校にきてる子も多いです。
 私は幼稚園・小学校・中学と地域で過ごしたので、友達といろいろ話したり、勉強したり運動したり、がやがやうるさかったり、泣いたり笑ったり、いろんなことが起こるのが当たり前だったけど、養護学校は、生徒と同じぐらい教師がいて、静かで平和すぎる感じでした。なんか学校っていう感じとは違う感じがしました。
 小学校から高校まで12年間ここで過ごすのはきついやろうなぁと思いました。

<養護学校と普通校について>
 まず、人数がぜんぜん違う。私の場合、養護学校のクラスメートは5人でした。先生は生徒とおなじくらいたくさんいてます。それと遠い。バスで30分かかった。
 養護学校の友達で、卒業後をすごく心配している子がいた。小学校から12年間、ずっとあの中にいたら、外の世界へ出るのは怖くなると思う。いつもおんなじメンバーで、それも人数が少ないし。普通校は、人数も多いしいろいろな子がいてたから、友達関係でいやなこともあるけど、感激したり助けられたりもいっぱいあった。だから、私は卒業後も怖くはなかった。普通校に行ってると、近所を歩いていても、友達や知り合いに会う。でもずっと養護学校に行ってたら、近所を歩いても知らない人ばかりなんだと思う。
 普通校の先生も養護学校の先生も、ケアの上手さはぜんぜん変わらなかった。養護学校やから、わたしのことを理解できやすいってことはなかった。むしろ、養護学校で、医療的ケアの必要な最重度って他の子と違う扱いをうけるのが、びっくりしたし余計いやでした。
 成人式のときに、式はあんまりやったけれど、式の後に友達と同窓会状態で、写真を撮りまくって楽しかったけど、近所の養護学校に行ってた子は、式が終わったら一人ですぐに帰って行った。さみしそうでした。
 これから学校を選択しようとしてる子がいたら、ぜったい普通校を勧めます。養護学校での12年間はかなりきついと思うから。普通校で、たくさんの友達といやなことも楽しいこともいっぱい経験できる方がいいです。

<今の生活で>
 私は去年から一人暮らしを始めました。
 けれども現状は週2回を自分の家で過ごし、残りはまだ実家暮らしです。重度訪問介護の支給時間が400時間しかもらえてないことと、ヘルパーさんが不足しているからです。私のケアにはいつも二人必要なので、完全に一人暮らしをするには1400時間ほどの支給時間が必要です。けれども大阪市は、予算がないとか、私一人だけにたくさんの支給時間をあげられないとか、吸引はヘルパーに認めるが呼吸器をさわるのは認められないのでヘルパー派遣時間にはあたらないとか、いろいろ理由を言っていますが、どれも納得できません。今月も支給時間をオーバーしたので、78000円事業所に支払いました。障害者年金と特別障害者手当をもらっていますが、月にすると約10万円です。このまま自己負担金を払い続けていくと、わたしはすぐに破産するでしょう。
 ヘルパーさん不足については、私のように医療的ケアの必要なひとを断る事業所が多いこと、また重度訪問介護はあまり儲からないのか、引き受けても長時間は入ってもらえなかったり、事業所自体がヘルパーさん不足で困っていたり。私の場合、ヘルパーさんに入ってもらっても、ケアができるようになるまでに伝える時間が必要なので、余計大変です。
 このままでは、完全に一人暮らしできる日がくるのか不安になります。

 私は、ただ自分のしたい生活がしたいだけです。
 けれども、いつも何をするにも、すんなりといかない事が多いです。
 学生時代は学校と話をしないといけなかったり、遊びに行くときも交通機関の人にごちゃごちゃ言われることもあるし、今は区役所や市役所に行って話をしないといけません。話をして伝えることにはだいぶ慣れてきましたが、正直めんどくさいし疲れます。
 でも、伝えてわかってもらえるように、これからもやっていきます。





*作成:八木 慎一
UP: 20110823 REV:
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