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「パネルディスカッション 障害者権利条約下におけるコミュニケーション支援の課題」

近藤 幸一・高岡 正・立岩 真也・松本 正志・三宅 初穂 2011/07/22
坂本 徳仁櫻井 悟史 編 20110722 『聴覚障害者情報保障論―─コミュニケーションを巡る技術・制度・思想の課題』,生存学研究センター報告16,254p. ISSN 1882-6539 pp. 223-249

last update:20110728


第三部

第13章 パネルディスカッション 障害者権利条約下におけるコミュニケーション支援の課題

近藤幸一・高岡正・立岩真也・松本正志・三宅初穂

 立岩:それでは、後半の質疑応答、討論を始めさせていただきます。立岩です。
 4人の方からたくさんの話をうかがうことができました。今だいたいこんな感じになっているんだなということを皆さまもわかったと思うし、私も学ばせていただきました。
 この何十年かの間に、手話にしても、要約筆記をはじめとする方法にしても、進んできたことは間違いないと思うんです。いろいろなことがやられてきた。だけれども、足りないというか、そういう状況はやはり依然としてある。今までのように少しずつ進めていく、「前に」ということを続けていけば、やがては何とかなるものなのか。それに加えて、何かこう一工夫・二工夫、何か考えないといけないのか。そんな関心が私自身もありますし、皆さんにもあると思います。
 ようやくというかなんというか、手話が一つの言語であるということは、きちんと話を聞きさえすれば「うん」と言わざるをえない。「それはそうだろうな」っていうことにはなってきているだろうと思います。で、そういった人たちが一方におりながら、しかし、そういう方法でコミュニケーションするのではない聴覚障害者の人たちもまたたくさんいる。それはほんとうに多様なかたちでいる。最初のご報告で高岡さんがおっしゃったことです。そうすると、いろんなことをいろんな形でやらなければならないというふうになる。それは当然だとして、具体的に、どういう方向から攻めていったらいいのか。そんな感じで話をしていきたいと思うんです。で、しばらく私から話をさせてください。
 最初の挨拶の時も申し上げたように、今のところ、私が勤めている先端研と略する研究科には聴覚障害の人がいません。ただ他方で、このぐらいのサイズの会議だとか、あるいはもっとたくさんの人が集まる学会の大会であるとか、そういう場合には、今日のように手話通訳の方、要約筆記の方にも来ていただいて、なんとかなるというか、なんとかするというかたちになってきた。
 ただ、それにしても今の現実としては限界がある。私も関係しているところだと、障害学会という学会が一つあって、そういった学会の場合は、これはその学会の使命というか、必須の条件として、やらざるを得ないから、やっている。では、他の学会でそこまでというか、そのぐらいはというか、やっているところがあるのか、と考えると、そう多くはないですよね。だけれども、そのつもりがあって、お金もいくらか用意できて、そしてまあそこそこの大きなサイズの集まりであれば何とかなる。ただ細かに分科会に分かれている場合はどうか。また、一人学生が来て、授業を受けたいんだけどもどうしようか、ということになったら、どうしようか。全部一人ずつ通訳者配置して、でよいのだろうとは思います。ただ、他にもないだろうかと。
 今日の午前中に報告されたアミボイスという装置というかソフトを使った試みについても、私としてはそんな思いがあります。そしてそこで明らかになったのは、このまま使えるようなものではない、ということであったわけです。
 ただ、それは事実その通りだとして、ここからがお話したいことなんですが、次をどう考えるかが大切だと思うのです。私が今一つ思っているのは、そしてこれは障害学の教えだと言ってもよいと思うんですが、その不出来なものに「健常者」の側が、少なくともその側も、付き合うというやり方もあるということです。まだソフトは未熟だ、機械は未熟だ、けれども、そういったものを使いながら、他方の健常者、健常者社会の側が工夫して、相手、ここでは聴覚障害者の側に合わせるというやり方もあり得ると思うんです。
 たしかに今の性能のソフトではすごくタイムラグがでるわけです。今日最初に話した櫻井さんは、私の授業につきあってくれて、そのソフトを試してみてくれたんですけども、それを見てても、なかなか前途多難だなとは思うんです。そしてスピードだけのことじゃないんですね。滑舌が悪い私のような人が話すと認識率が落ちるといったことがある。では、私がしゃべるのを誰かが代わりにリスピークするっていう、結局人を一人増やすというやり方になるのか。けれどもそういうそれなりに大きな仕掛けを作るんではなくて、例えば私が少し、口の動かし方とかを練習して、そして、タイムラグが生じるんであれば、私自身がその画面を見ながら、「あ、だいたい表示し終わったな」と思ったら、次のセンテンスに進むっていうやり方もありだと思うんです。機械を使いながら、喋っている側が何か工夫をして、スピードを落としたりしていけば、私とその機械の二人三脚で少なくともスクリーンやディスプレイに映していく、そういう方法というのも一つにあるのではないかなと思うんです。
 すみません。長くなりました。いろんな工夫の仕方があるだろう、その場合に、いくらか発想を変えてみるとか、別の可能性がないか考えてみる、そんなことがいろいろとできるのではないか。そんなことをお話したくて、長くなってしまいました。
 さて、質問というか、お話を聞いていきたいと思います。ではどんなふうにこれから歩んで行こうかっていう、基本的にそういう話をしていきたいと思います。そして、お話ししていただいた順番通りではなくて、いろんな形の順番でお話ししていただこうと思います。
 一つは、今日、3番目にお話をしていただいた松本さんにお伺いしたいのですが、遅々とした歩みというか、だんだんと物事が進んではいる。だけれども、誰もが思うようにまだまだです。そういう中で、法律としてですね、「情報コミュニケーション法」という法律をつくり、実施することによってですね、状況を変えていこうというお話が一つあったと思います。それは現在構想中ということで、まだその具体的な像は松本さんたちの間でも確定はしていないのかもしれません。ただ、お話ししていただけるのであれば、今のところ何を、どういう形で、保障させるというか獲得していくというか。どういった法律にしていこうとなさっているのか、まずそのことをお伺いしたいと思います。よろしいでしょうか。

松本:情報コミュニケーション法を作るという発想は、先ほどもお話をしましたけれども、障害者の総合福祉法の中の基本的な考え方は、法の機関という部分があるわけですね。それにコミュニケーションが入った場合に、利用者として一部負担をしなきゃいけない。収入に応じて、負担しなきゃいけない。そこから切り離すという発想がまず生まれました。コミュニケーションというのは福祉サービスの範囲ではなくて、あらゆる生活の場面にきちっと、聞こえる人と同じような立場に立てるように意見交換をして、話が出来るように保障されるべきだ、というのが基本にあるわけですね。
 具体的な、いまの進行状況というのは、まったく進んでいないというのが現状です。2年前の12月の暮れになるんですが、そういうことを掲げていこうという話が出たばかりで、そういう段階から言えるのは、あらゆる分野で手話通訳をどう具体的に、必要な場所に保障していくのかということがあるわけですけれども、そこまで煮詰められていない。理念が、さきほど言ったことが出発したという段階です。

立岩:ありがとうございました。これは余計な補足みたいなところもあるかもしれませんけれども、「福祉サービス」という言葉をどの範囲で使うかということで、人によって捉え方が違うのかもしれません。ある種の恩恵として与えられるものというそんなイメージも確かにあります。そして、現在の法律ではそのサービスを使うと負担が生じる。そういうものでもあるのも事実です。ただ、人によってはというか、考え方によっては、サービスを受け取ったら、必ず負担が、相応の負担がついてくるものでもないと考えることはできる。そして福祉サービスというものを、与えられるというか、恩恵として、それから生活の限られた場面だけに使うことであると考えずに、もっと普通の、権利として使えるものだと考えるのであれば、これからのコミュニケーション支援、コミュニケーション保障というものが、福祉サービスの中にあるのか外にあるのかという議論は、もしかするとあまり生産的ではないのかしれないという感想も一つ持ちました。これから非常に重要な立法に向けての活動が始まると思いますので、期待して、というか、関心を払っていきたいと思います。
 それでは、少し話を移して、働き方ということが4人のお話の中にいろんな形で出てきたと思います。順番は特にどちらからでもいいんですけれども、4番目にお話ししていだたいた、近藤さん。近藤さんは聴言センター(京都市聴覚言語センター)の所長さんであり、私たちの企画にもずいぶんたくさんこれまで通訳を派遣してくれたセンターで働いておられる方でもあります。で、近藤さんはその派遣というやり方と、雇用というやり方があって、派遣というやり方がこれこれしかじかうまくいかなくなっているというご指摘をなさったと思います。それはそうなんだろうと思うんですけれども、他方の雇用っていうものを考えた場合に、それがどういったイメージになるのかということを、もう一段具体的に話していただければと思うのです。
 今現在のところでは、一定以上の利用が見込めるというか、そういった公共機関ですね、そういったところに、点々とそういったことができる人を配置する。それがかつては500人であったものが今1000人を超えて、というお話だった。そういう、各所各所に、手話ができる人、手話のコミュニケーション手段が取れる人を配置するという形で、雇用を増やしていく、同時に利用を増やしていくという、そういうふうに考えてよいのか、あるいは他のやり方があるのか。
 たとえば、私は身体障害の方の介助のことしか知らないわけですけれども、そしてそれを安易に当てはめるということはしてはいけないことだとは思うんですけれども、たとえば、そういう身体系の介助を仕事とする人たちは、どこかの事業所に登録して、そこに雇用される形をとって、必要なところに出て行く。そういう雇用の形も一方ではあるわけですよね。その仕事は基本的には人に対するもので決まった場所にいるわけではない。人はいろんな場所に行きますし、行きたいですから、その必要に応じようとすれば、そういうやり方もよかろうとも思うわけです。そういったことを踏まえたうえで、今後の、手話通訳者、手話通訳者だけに限らず要約筆記も含めてですけれども、働き方というか、あるいは働く場所といいますか、そういったことの展望というか、あるいは、こうあってほしいというあたりを、お聞かせ願えればと思うんですが、近藤さん、いかがでしょうか。

近藤:はい。私のレジュメの次の2ページ、3ページにかかわることなんですが、まとめて言いますと、雇用の問題についてはですね、ひとつは行政の窓口ですね。これは聴覚障害者が住民として、福祉サービスなり住民サービスを受けるときの基本としてコミュニケーションが必要であるということからですね、行政の窓口にそういう機能を持たせる必要がある。これについては、福祉サイド、福祉の窓口だけではなくて、全ての窓口にそういう機能を本来は持たせるべきだろうということからですね、いま全国手話通訳研修センターというところで、京都の嵯峨野にありますけれども、手話検定というものをやっています。これ1級からあるわけですけれど、たとえばその手話検定の2級以上、あるいは準1級以上の会話能力を持つ人をですね、窓口に配置する。これは雇用しなくても、全員に協力をするということで可能ではないかなということが1点。それから、公的な機関ですね。様々あると思うんですが、特に医療とか教育の場面においてですね、これまでの派遣方式ではなくて、雇用型、つまり手話通訳の資格を持った人を採用する。もしくは、職員を養成して手話通訳の資格を取得して頂く。そういう拠点拠点にそういう方を雇用していくという考え方があります。
 それから、福祉窓口にはさきほどご説明しましたように契約型の福祉ということからして、相談支援の部分には、やはり専任の手話通訳士を配置すべき。これは、たとえば介護保険の包括支援センターなんかはですね、職員基準の中に、精神保健福祉士ですとか社会福祉士ですとか、そうした資格要件を書き込めば、一定可能なわけですね。そういう意味での対処、というふうに考えています。
 
立岩:ありがとうございました。今お話くださったのは非常に大切なことで、これは他の介助と少し違って、別の人を立てない、話をするその人自身ができるようになればよいという方向ですよね。今既にそこにいて、言葉を使う仕事をしている人が、プラス一つとか、プラス二つの言葉ができるようになってもらう。そういう方向の話でした。現任教育、今現在いろんな仕事に就いている人に、対応能力を高める、そのための仕組みを提供するという、ご提案というか、今そういうふうに進めようとしてるというお話であったと思います。
 これは一つ、大きな方法として、今現在もそうですし、これから模索されることであると思います。それで、それを具体的にどう増やしていくか。言葉を覚えるというか、コミュニケーションの手段を一つ余計に獲得するというのは、私なんかのことを考えると、とても大変なことだと思います。すると、そうしたことを習得する人になにかいいこと、オマケ、報酬というか、そういうものをセットにするというやり方というのが一つ、必要なのかな、あるいは有効なのかな、ということも思った次第です。
 次に、人の働き方というか働かせ方という意味では同じなんですが、要約筆記のことで長年やってこられた三宅さんにおうかがいしたいんですけど。おっしゃったようにことの始まりとして、またとくに他に長い時間働くという意味での仕事があるわけではなくて、そういう意味ではわずかでも時間的な余裕のある、性別でいえば女性が、最初はまったくお金なく純粋にボランティアという形で関わってきた要約筆記という世界がある。それがいくらかは認識され、いくらかはお金もつくようになってきたわけだけれども、しかし基本的な構造というか形というものはそんなに大きく変わってはいない。
 では、お金を取らずというのと違う形の、それこそ雇用というような枠組みの中に入れていくのか。そうした方がよいかどうかということと、できるかどうかということはまた別のことですけれども。僕は三宅さんの御報告を、これからどういう形態でということを、考え考え、お話しされたとお聞きしたんですけれども、要約筆記に関わる人たちの働き方というか、あるいはその社会の側から言えば、働いてもらい方というか、そういうことについて、見込みというか、希望というか、あるいは両方、お話しいただければと思うんですが、よろしいでしょうか。

三宅:三宅です。
 見込みも希望もとっても難しいんですが、まず、いま近藤さんが言われたような、例えば行政の職員が手話が出来るといっていいのか、手話が出来る人が職員になるといっていいのか、そういう部分と、やはり要約筆記というのはかなり違いがあると思うんですね。で、それは最初に私がお話しした時に表で示しましたけれども、つまり、行政の窓口に難聴の人が来て、何かをやり取りするというときは、これは筆談なんですね。で、実は手話が、手話でやり取りをするのと、手話通訳をする、というまあ2種類があるわけですよね。直接のコミュニケーションと、コミュニケーション支援。で、要約筆記というのは、コミュニケーション支援だけなんですね。直接なやり取りの筆談に関しては、もちろん良い筆談のやり方とかはあるんでしょうが、何か学ぶとか、何か新しい知識を得るというか、学んでやることではない。そういうことも含めて考えますと、要約筆記に関して雇用という形はかなり難しいだろうと思います。当然のことながら、例えば行政にいらっしゃる手話のできる方が、窓口に聞こえない人が来たときに、その人は手話で通じなければおそらく書いて下さるだろうと思うんですね。そういう意味では、いわゆる手話の設置みたいな状況とは、かなり違ってくる、という点で雇用というのは難しいだろうというのが1点。
 それからもう一つはですね、要約筆記に関して言うと、いわゆる個人の利用ですね。病院に行くとか、こうしたいとか、個人の利用に関しての要約筆記というのは、実は、私のところは割と多いんですが、地方ではかなり少ないというふうに聞いています。ようするに、難聴者の集まりのところに行くと、手書きであれパソコンであれ、要約筆記が付いているというような利用の仕方。で、その辺を考えてみますと、やはり登録という今のやり方に、問題がないわけではないんですけれども、やっぱり雇用というところにすぐ結びつく、というのはかなり難しいだろうと、私は現実の問題として思っています。
 ただ、やはりその状態と、やはりその難聴の方たちが集まるところで、そのいろんな状況を知って支援をする。書くという問題だけではなくてね。その辺をやっぱり整理をしていかないと、登録制度派遣制度の中で求めても、どっちつかずになってしまうだろうと。私はまあこれは全要研でいえばというふうに思わないでいただきたいですが、私はそういう意味では、要約筆記というのを登録して派遣をするという、そこの部分に関して言えば、縮小していいだろうと。そして、やはりもっともっと一般の方たちの中に、難聴であるということを、どういうふうにサポートしていくのかという、そのあたりをわかっていただく。ちょっとした時に筆談をする、あるいは口をはっきり開けて話す。文字を使うことを中心に考えるという方向に、やっぱり要約筆記というのは進むだろうと。
 それからこういう、いまのような、全員たくさんの方が集まっている場面、これは、おそらく、ほとんどがパソコンになっていくと思います。その時に、さっき申し上げたような、事前に用意をする字幕なのか、その場の通訳であるんだったら、きちんとやっぱり技術を高めないといけないし、そこの指導を確立しなければいけない。そのあたりで、ちょっと働き方という意味で言うと、正直なところ、これは職業になるという話ではなくて、やはり非常に中途半端な言い方ですが、今の段階でいえば、ある程度その時間を待ってられる人に頼らざるを得ない、というふうに思っています。

立岩:ありがとうございました。どういう形でコミュニケーションをするのかということに対応してというか、やはり人の出方というか、あるいは離れ方というか、変わる、あるいは変わらざるを得ない。ざっとまとめるとそういう括りの話でもあったわけですが、そこでですね、今回一番最初にお話していただいた高岡さんにお伺いしたいのは、高岡さんのおっしゃったのは、皆さんその聴覚障害者というと、全然聞こえなくて、手話を言語としている人たちと思われるかもしれないけれども、そうでない人の方がずっと数が多くて、何百万人という数の人たちがいるとおっしゃった。それはまさにその通りだと思うんですね。そしてその部分に、これまで日が当ってこなかったというか、そういう状況がおかしい。それがその条約、あるいは国内法の整備の中で、もっとなんとかなっていくべきだし、その方向に、自分たちはやっていく。そういうお話だったと思うんですが、そうやって、幅っていうか、大きさというものがどんどん大きくなっていって、そして高岡さん自身がおっしゃるように、必要なもの、どういうやり方がよいのかということも、生まれながらなのか、途中なのか、少し聞こえるのか、全然聞こえないのか、その他もろもろによって変わってくるといった場合に、そういうものに応じた対応というのも多様になるべき、あるいはならざるを得ないだろうと思うんですけれども。それをある種の社会サービスというか、あるいは福祉サービスと言っても気にならないなら福祉サービスというものの中にですね、どういう形で落とし込むのか、例えば法律とか制度というものを作っていくのか。そのあたりについて、いまお考えのことを、あるいは全難連のほうで取り組まれていることとか、そういったものがあれば、おうかがいしたいと思うんですが、高岡さんいかがでしょうか。

高岡:高岡です。いまちょっとスライドを映してもらってるんですけど、難聴者への支援をどうするかということで、3つ考えたんですね。
 1つは、情報保障が社会の中で広くいきわたる、情報バリアフリーの生き方ですね。今テレビは、字幕放送がかなりついている。10年前はほとんどなかった。でも、放送法を変える運動をして、その結果、非常に字幕放送が増えてきた。そういった情報のバリアフリー、どこでも必要な時にいろんな情報が受けられる社会にする、それが一つです。
 2つ目が、コミュニケーション支援ですね。これは通訳を使った支援もあると思いますし、音声認識とか、事前に作った字幕とかですね。人による支援ですね、通訳と言う形の支援が必要だと思います。
 3つ目に、何が必要かって言うと、社会生活力。社会生活力の獲得、向上が必要だと思うんですね。で、社会生活力というのは何かって言うとですね、実はそれはリハビリテーションインターナショナルという組織で、1986年に定義されているんですけれども、様々な社会状況の中で、自分のニーズを活かして、一人ひとりに可能なもっとも豊かな社会参加を実現する権利を構築する力を身につける。つまり、自分が自分の権利を求める、そういう力を身につける、ということですね。自分の身体的、知的、精神的な力を、発揮できる力を身につけること、これが社会生活力というんですけれども、これが必要だと。社会が、情報バリアフリーになって、通訳もどこでも派遣されるといった時に、肝心の難聴者自身が、自分はそれを使っても良いんだ、使う権利があるんだ、ということを知らなければ、宝の持ち腐れっていう、変な使われ方をしても、それはおかしい、こういうふうに変えてほしい、ということが言えない。
 実は今日、座ってるやつと字幕の位置がどうかということが、パネルディスカッションの前で意見の交換があった。結果的に、こういう形でしか出来ないということになったんですけれども、自分はこの方法が良いんだって言うことを、言えなくてはいけない。言っても良いんだ。言うことが、より高いレベルの自分に対する情報保障、コミュニケーションの獲得につながるんだということを、一人ひとりが理解してないと、いけないと思うんですね。
 で、次お願いします。ここに自分で書いたんですけどね、難聴者が真ん中にいるわけですけれども、難聴者に何が必要かっていうと、一番下の方に、「1番、コミュニケーション支援」と書いてありますね。これは、あの、要約筆記、手話通訳などのコミュニケーション通訳。
 2番目が、「相談支援」ですね。これは、近藤さんも言われた相談支援事業と同じなのか少しずれとるのかわかりませんけれども、難聴者が社会参加する、あるいは何かをしようとしたときに、必ずいろんな壁にぶつかるわけです。私自身が、補聴器を買いたいんだけど、どこで買えばいいか、といった疑問が浮かぶときに、それについて相談できる場所を知らないといけないし、そのことについて的確に教えてくれる、中立的な支援センターが必要だと思うんですね。
 3つ目が当事者支援。つまり、聞こえない人、聞こえなくなった人が、自分の言いたいことを言える、自分の聞きたいことを聞きとる、そういう力を身につける、先ほどの社会生活力を身につける、といったことと近いんですけれども、英語なんかでいうと、「empowerment」って言いますね。当事者に対するエンパワーメント。これがないとですね、いくら社会環境を良くしてもですね、本当にいい形で使われないんです。
 それから、4番目が、「義務奉仕員」って書いてますけれども、社会の中で、難聴者の問題、聴覚障害者の問題を知っている人、広辞苑では「手話奉仕員」ですね。それから、要約筆記では、いま要約筆記っていう通訳と奉仕員とを兼ねてますけれども、社会の中で聞こえない人の問題を広く広めていく。あるいはわかっている人がいろんなところにいる。もし聞こえない人が出た時に、あるいは聞こえない人のことが話に出た時に、的確に、あそこに行くと良い診察が受けられる、あそこに行くと良いサービスが受けられる、ということを知っている人を社会の中で無数に広げるということ。
 5番目が情報バリアフリーなんですね。で、このうち、1,2,3,5番は合理的配慮。で、4番の聞こえない人の問題を知っているというのは、合理的配慮というよりも社会の中の理解。障害者を差別しない理解という観点で、広げていくもの。こういった形の支援が、必要だと思っています。
 それから、ちょっと補足すると、コミュニケーション支援なんですけれども、コミュニケーション支援というのはですね、実は聞こえない人に対する支援ではない。聞こえない二人と、みなさんとの間のコミュニケーションを支援する。私と松本さんを支援しているんじゃないんです。私が、この場で話されていることを理解しなければ、皆さんにきちんとした意見を言えないわけです。ですから、コミュニケーョンが双方向だって言うのは、両方に役立っている、という意味でもある。
 だから、コミュニケーション支援、通訳を利用したときに、聞こえない人だけが費用を負担するというのはおかしい。やっぱりここにいるみんなが負担すべきだ。あるいは社会が負担すべきだ。という考えが、私たちにはあります。
 ただ、コミュニケーション支援はコミュニケーションの場における支援だと言ったときに、それが今障害者福祉制度の中で、あるいは一般社会の中で、そういうことが本当に理解されるかどうか、理解されるにはどうしたらいいか、というのはちょっとまだ、課題だと思っています。はい。

立岩:ありがとうございました。最後にお話しになったことは、他の方々も今回かなりおっしゃったことだと思いますけれども、基本的に確認しておくべき大切なポイントだと思います。2人の間でコミュニケーションする時に不便なことがあって、そのために何か手立てを講ずる。それは、AさんのためでもあるしBさんのためでもある。でも、それをどこか理解を間違ってしまっていて、Aさん、つまり具体的には聴覚障害者のためである。で、新たな負担がどうとかこうとかっていう話を私たちはしてしまうことがあるんだけれども、それはちゃんと考えれば、基本から間違っている。このことの確認といいますか、これは非常に重要なことだと思います。それが一つです。
 それから最初の方でうかがったのは字幕のことでしたけれども、例えば字幕放送だと、いっぺん仕掛けができてしまえば、利用が増えていくにつれて、ひとり一つあたりのコストが下がっていくという種類のものであるわけですね。規模の経済とかという言葉もありますけど、複製可能で、ひとりに使える同じものを別の人にも使えることもある。
 私が少し関わっている視覚障害の人たちのことでいえば、彼らは墨字が読めない、だけど、聞いたり、あるいは拡大して読むことはできるので、テキストデータというか、コンピューターで読めるデータにすればいいんです。だけど、これまでそれがおおっぴらにできないということがあって、一人ひとりの人間が誰か、ボランティアであるとか、お金を払って頼んで、自分が読みたい本のデータを入手する。だけどまた別の人が同じ本を読みたくなったら、また全然別経路で、同じ手間をかけてもらって、そのデータを手に入れる。今まで著作権法の絡みがあって、そういうふうにしかやってこられなかったんですね。それが今年変わって、もっと、例えば図書館、大学の図書館が責任を持って、それをやる、やるべきである、やってもいい、ということになりました。そしたらいったんデータができてしまえば、それを2人で、3人で、4人で、もっとたくさんの人で使うことができる。そうすれば、1回あたりのコストは下がっていくんですね。そういったものも、この世の中には、数えていけばけっこうあるんです。で、字幕とかというのもそういった種類のメディアというか、そういったものなんですね。それから、さきほどのアミボイスっていうソフトも、これは内容のコピーではないんだけれども、あるやり方でやっていけるということになれば、同じ手間で同じものを使っていくことができる。で、それがどこまでこれからやっていけるのかなっていうのが、今日最初の報告に関わる部分だと思います。
 ただですね、コミュニケーションというのは、それをどんなに進めていっても、最終的にはというか、1対1で、その場その場でするからよいという部分がある。だから最終的には、もうこれからやっていったら、もうそれは午前中の坂本さんの話のなかに出てきたけれども、どこかで腹をくくって、いまの何倍もお金を使ってやってくっていう覚悟ですね。それを実定法というか、法律の中で書き込む、そういったことを一方で追求する。しかし、しかしではなくて、同時にですね、これはもっと楽な方法がある、簡単な方法がある、割安な方法がある、それはそれでやっていくということもまた追求していくべきだろうと思います。一方でそうやって楽になっていけば、一個一個の、個別の部分、個別性の高い部分に、よりその多くの資源を使うこともまた容易にはなっていくだろうと。

 さて30分までというふうにいちおうなっておりますが、私はもう十分に喋りましたし、プログラムにある私の話の時間なんてのはいらないんで、あと30分の時間は使うことができます。質問に対して非常に手短に答えて下さった方もいましたし、そうでない方もいらっしゃると思います。ということで、各自、喋り足りないところがあるかと思いますので、それは最後に短くいくつか、順番にお話ししていただくとしてですね、今日は長い時間ここにお集まりいただいてここに参加して下さった方々の中から、いくつもは取れないかもしれませんけれども、質問といいますか、壇上にいらっしゃる方に聞きたいということがありましたら、手を挙げていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
 では、後ろから2番目の、黒い服を着た。

質問者A:(質問が聞き取れず、通訳が入る)。
(通訳)ありがとうございます。西宮から来ました。近藤さんにお話を聞いていて、手話通訳者を、行政のいろんなところに置くということは、たしかに、通訳者の身分保障になると思います。でも、その通訳者の雇用の仕方、雇用の形は、聴覚障害者にとって、必要としている性質ではないと思います。何というか、不十分。生活の場面になった時に、コミュニケーションが出来ないという問題が残ると思います。そういう問題があるということを、ちょっと言っておきたいなと思いました。
 あと、高岡さん。高岡さんのお話についてですけど、たしかに通訳者がいるということは、聞こえない人だけの利益になるのではなくて、聞こえる人にとっても利益になることです。聞こえない人と、聞こえる人とをつなげるには、通訳の仕事が必要というのは、それは確かにそうだと思います。でも実際にサービスとして考えた場合に、どう考えても、聴覚障害者が利用者となると思います。聞こえる人が、利用者になるということは、ちょっと考えられないなあと思いました。質問というか、私の感想です。ありがとうございました。

立岩:ありがとうございました。近藤さんにということで、いまの質問というか、提起は、役所というか公的機関の場所場所に通訳のできる人がいる。それはそれでよかろう。しかし、そういう場所だけで生活しているわけではない。生活のもっと様々な場面において、手話なら手話のできる人を必要とする。とすれば、その場面で、必要な手話の通訳の提供というものがあってほしい。そういう意味で言えば、それだけでは足りない。そこんところはどうなのかというご質問と私は受け止めました。いかがでしょうか。

近藤:私の説明が足りませんでした。もちろん現行行なわれている派遣制度が、要らないと言っているわけではありません。派遣制度ももちろん必要ですし、もっと言えば、手話の市民的な広がり、いわゆるボランティアの方々の存在ももちろん必要です。ただ現行ではですね、そういうボランティアの方々や派遣制度に本来拠るべきではない様々な通訳なり専門的な支援を含めて、そういった方々の肩にかかってしまっているという問題がある。ここをやはり改善していかなきゃならないということです。それが私の言いたかったことです。

立岩:ありがとうございました。そうですね、派遣されるというかたちの人が雇用されるということがあると思っていて、その話を続けたい気持ちもあるんですが、先ほどからご質問の方がいらしたので、そちらを優先したいと思います。

質問者B:先ほどの、Aさんの質問というか、意見がありましたが、先ほどからずっと気になっていることです。病院であるとか、公的機関、役所とか、そういうところで、人が働くことを保障しようとしているけれども、それぞれの聴覚障害者の日常の生活にずっと寄り添って、必要な通訳、支援をとても必要とされていると前から思っています。
 それがどういう形で出来るのか、奉仕員とか□□□どういうものであればよいのかということを、ここでお話を聞かせていただいて、改めて感動いたしました。
 質問ですが、いままで国連であるとか、どこかの国の講演であるとかで各国に行かれた人もいると思うので、今日本で、情報保障について思うこととか、法制度の議論ということについて、他の国ですでにやられていることで、参考になることがあるかどうか、韓国については松本さんからはお話はありましたけれども、それ以外の国について何かあれば、教えて頂きたいです。

立岩:はい。今のご質問は、特に誰ということではなくて、我々の社会、我々の国は、これまでこんな形で進んできた。けれども、もっと別の形もあり得るんじゃないか。それは、いまBさんの発言の前半でいえば、一人ひとりの生活の場面で、コミュニケーション自体のために人がついていく。そういう形もありうる。例えばそういうことに関わって、いまの日本のやり方、仕掛けとは違うやり方というものがどこかにある、知っている、ということであれば教えてほしいという質問だったと思います。これはどなたでもけっこうですので、何か有用なといいますか、情報があればと思いますけどいかがでしょうか。
 はい、どうぞ。

松本:松本です。私の知っている範囲ということですが、ウガンダ――アフリカの――、スペインと、ニュージーランド、という、いまいったような国は、言語法というものが作られている。手話が言語であるという法律がすでに制定されているという情報があります。他、近藤さん何か知っていますか。

近藤:今日資料を持ってきていないので不正確な話になってしまいますが、今年度、私どもの会で、雇用における情報保障の問題の企業に対する調査をしました。で、それと関わって、諸外国にですね、10カ国ぐらいですけれど、世界の通訳者組織がありまして、そこにアンケートをメールで送ってですね、集約している最中です。その中で一つ思うのは、先ほど生活の場面での通訳の保障ということを仰いましたが、ヨーロッパとかですね、カナダもそうですけど、向こうは、通訳のシステムが外国語通訳と同じような登録システムなのです。簡単に言えば自営業ですね。自営業のシステムなんです。それを雇いあげるのはですね、いろんな各国の違いがありまして、聴覚障害者当事者が雇いあげる場合と、機関ですね、例えば働いている会社であれば企業が雇いあげる場合と、公的機関が雇いあげる場合と様々な例があるようです。詳しいことは――いい加減な話は出来ないんですが――その時の費用はですね、フィンランドでしたかね、国の規定がありましてね、例えば研究機関で働く聴覚障害者の場合は、ほとんど無制限に利用して、その分のお金は国が保障するとか。あるいは分野によってね、保障する時間に制限を設けていたりとかいうような違いはあるのですが、そういう費用をですね、公的に保障する、あるいはアメリカ系、カナダなんかはですね、自己負担も含めて負担すると。そういう制度で、活用しているということの回答が来ています。これもう一回きちっと整理したものをまたお出ししたいと思います。
 実は、先ほどの障害者の推進改革会議の中でもですね、ダイレクトペイメントの制度を使ったらどうかという話もちらっと出てはいるようです。ただこれが、日本の通訳制度になじむのかどうかというのは、いまのところ私は大変疑問だと思っております。

立岩:ありがとうございました。本来であれば、研究者が、各国の制度の在り方をちゃんと調べて、比較可能なものにして、あるいは利用可能なものとして提示するっていうのが重要な仕事の一つであろうと思いますけれども、どこまでできているんだろうかと。
 ただ、いま、たとえば言葉にもされましたダイレクトペイメントっていう仕掛けにしても、メリットもデメリットも両方あるんですけれども、これに関して言えば、身体障害に関わる当事者サイドの運動も、それからそれとともに歩いてきた研究者もですね、オランダのやり方であるとか、イギリスのやり方であるとかを学んできた。そこのあたりはけっこう使えるかもしれないというものを、日本で独自に歩んできた歩みとともに、使っていこうという流れがあります。昨年の秋も、我々がCOEの企画で、イギリスからサイモン・プリドー(Simon Prideaux)という方をお呼びして、イギリスのダイレクトペイメントのやり方について話をうかがったばかりです。
 そういう意味で、他の国のやり方を仕入れる、それを並べて、比較して、使えるものをきちんと使っていく。それは逆に、使える使えると僕らが思っているものが、思うほど使えるものではない。たとえば、午前中の報告にあったように、ADAというのが、なぜかっていう話をすると長くなるからやめますけれども、期待通りには機能していない。ただ、そういうことを認識することは必要なわけですね。ではどうやっていくのか、よりよい方法はあるのか、あるいは合わせ技でいく。そういうことが、いろいろこれからのものとしてあっていいだろうし、あっていいというよりはあるべきなんだというふうに思います。
 さて、時間としてはあと15分ですが、引き続きご質問があればいただきたいと思います。1、2、3方いただきました。これでほぼ、時間的には終わりになるということで、勘弁して下さい。
 まずこちらの方、こちらの方、こちらの方という順番にしたいと思います。

質問者C:ちょっと論点が拡散するかもしれないので没にしてもらっても結構なんですが、昨年からご縁がありまして、補助犬の一種である聴導犬の研究をさせて頂いておりますが、日本では、盲導犬などに比べて聴導犬はほとんど普及もしていない、利用されていない。全国に20頭足らずしかいない、というようなことなんですが、今日はその話題は全く出なかったわけなんですけれども、コミュニケーションの一助として考えられる聴導犬について、もし時間がありましたら、パネラーの方のご感想というかご意見を伺いたいと思います。時間があればで結構です。

立岩:では、最後に4人の方に話していただくことを含めて、4人の方には各人の発言を覚えていただいてですね、最後のスピーチというか、発言の中にこう、折り込んでいただくという形でお願いしたいと思います。
 今承りました、こちらの方、お願いします。

質問者D:大阪から来ました。いろいろなお話ありがとうございました。大阪で、小さいNPO法人をしています。この中でたまたま、分からない、聞こえないということがあって、NPOのなかで生涯学習、花であるとか、映画であるとか、図工であるとか、そういったものを教えてきております。みんなからの意見として、カルチャーセンターにて勉強したいと申し込んだんですけれども、参加費プラス手話通訳料ということで請求がありました。普通なら5000円で済むところを、通訳料が加算されたり、時間も長くなって、2万円、3万円という請求になる。そうなると、勉強したいという気持ちがなくなってしまうというお話がありました。皆さんほとんど同じような意見です。似たような話で、手話通訳制度、聞こえない人の生活を支援するために必要という話がありますが、生活を豊かにしたいというのも限度があると、そういった矛盾があるのだと思います。健康で文化的な最低限度の生活を保障するための通訳という話だったと思いますが、それを実現するために、手話通訳を利用する、つまりエンパワーメントですね、それを確保しないと、手話通訳制度を頑張って使う気持ち、モチベーションが上がらない、制度も進まない、悪循環になっているような感じがします。そのあたりの考えを聞きたいなと思います。よろしくお願いします。

立岩:ありがとうございました。

質問者E:本日は貴重なお話ありがとうございました。京都市内で広告の仕事をさせて頂いております、Eと申します。可能であれば2点お伺いしたいんですけれども、一つは今日の午前中のお話、櫻井さんという方のお話でしたが、既存のアプリケーションソフトではありますけれども、そういった新しい技術を活かした情報バリアフリーの一つの試みとしてあるということを、興味深く拝聴いたしました。
 そういった情報バリアフリー、聴覚障害のある方の情報バリアフリーに関しまして、昨今の、最新のそういった技術において、何かその、フォローできる新しい技術とか、諸外国の取り組みとか、何かまだ普及はしていないけれどもこういった技術があるということを、もしご存知でしたら、お教えいただければと思います。
 もう一点は、実は、個人的に障害を持っている方の政治参加、参政権に関して関心を持っております。選挙権、被選挙権を行使すべくして、たとえばいま聴覚障害をもたれている方々の最重要な課題、緊急の課題、あるいはその達成目標というか、そういったことがおありでしたら、お教えいただければと思います。どうぞよろしくお願いします。

立岩:これで、先ほど私が確認した3方は終わりだと思いますが、どうしてもというか、あの、おありの方いらっしゃいませんでしたよね? ああ、けっこういましたね。では最後ですけれども。

質問者F:奈良から来ました。ご報告の中で、少し意見が違うといいますか、知らなかったところ、気になるところがあったのでお伺いをしたいんですけれども。
 今回のシンポジウムで、聴覚障害者の情報保障ということについて、議論があると思い参加しました。例えば櫻井さんの報告ですけれども、友達に、こうやって質問したんですけれども、通訳者の方とずれてしまって、朝からずっといた人はわかったと思うんですけれども、それを見て、あの、どう思われるのか、気持ちが大切だと思います。そういう人から見て、ずれてしまって。
(通訳者交代)
 午前中に、友達の方が聞かれたときに通訳がずれていると。情報のテーマに併せて聞こえる人の一番に見せる様子を見て、おかしいなと思ってしまう点、おかしいというか、つまり、その様子を見て、困った人がいるんだなあと、どうなるのかなあと。指摘しちゃ悪いと思うのか、通訳の話が早いのか、演者が悪いと思うのか、そういういろんなわだかまりというか、いろんな疑問というか、気持ち、居心地の悪さというか、出てしまったのではないか。そこが非常に思います。
 結局は、質問は、今日は通訳と字幕を見ていても、ちょっとその辺が違ったまま終わってしまう部分があると。そのことは毎日いろんな所でもろうあ者の人は経験しているんじゃないかなと。そのことについて、考えていくということが今日のテーマ、テーマに今日は書かれていませんけれども、本日の、私の考えでは大事じゃないかなと思っています。今日のシンポジウムについて、たとえば、面倒だ、面倒だという気持ちが強く出てしまう。なぜかって言うと、なんかきっと難しい話をしていて、ろうあ者が参加しきれない、どうせ通訳が通じていなかった、そんなような気持を持ってしまっているのが多くなってしまうかと思いますし、そういう気持にもスポットをあてる取り組みというのも大事じゃないかなと私は思いました。ちょっと質問というか意見というか、あいまいなものですけれども、そういう思いです。以上です。

立岩:ありがとうございました。ではパネリスト一人ひとりにお渡しします。聴導犬のお話がありました。それから、生涯学習について、例えば趣味で何か知りたいけれどもその時に手話通訳がついて、そのお金が、というお話。それから、技術として、何か新しいもので使えそうなものはないかというお話もありました。それから、参政権も含めて政治参加に関わる障害、聴覚障害の状況で今現在のところどうなのか、ということがありました。そしてさらに、とにかくいろんなところでずれる、そのずれというのをどうするか、というところが最後に。で、ずれた時に、ずれが終わるまで待つというやり方と、例えば脳性マヒで言葉が聞き取りにくいとかコミュニケーションが難しい、というのはそれをちょっと無理をしてでもやってきたという過去の経験もあったりする。それと同じところもあれば違ったところもあるな、と思いながらお聞きしてたんですけれども。私の方からこういう話があったということで、さて、どういう順番がよろしいでしょうか。どうしましょうか。こっちから行きますか。ではどうぞ。

三宅:他の方の時間を取らないよう、簡単に。ひとつは、今のずれの話なんですけれども、あの、実際私たちがいる場でもよくずれが起きてきますよね。で、比較的、今他の障害の方のお話が出ましたが、やっぱり盲ろうの方のところは、比較的やはり進み方は丁寧かなと思います。やはりみんながある程度わかったよというところを確認して次に進む、みたいなところがあると思うんですけれども、聞こえない方と聞こえる方がいる場合、どうしても手話のテンポでいってしまうというところもあると思うんですよね。それから、例えば手話の読み取りが全く通じないとか。で、そういうときにやはり、先ほどありましたけれども、コミュニケーションの場をそこにいるみんなでどうやって成立させるのか、ということを考えた時に、多少のスローダウンというか、ペースが落ちるということがあってもいいのではないか、というふうに感じています。
 それからもう一つは、先ほど大阪の方でしょうかね、2番目の方が、学習の場に行くときに通訳料が加算される、という話が出ました。権利条約上のこともとても大事なんですけれども、まあ権利条約じゃなくて今のね、現行の支援法の中でいうと、本当に市町村の派遣のその要項がまちまちなんですよね。それで、例えばどこかの県の方が、東京に来て使いたいというときに、向こうの、その何市でもいいんですが、ナントカ市の、福祉課と、福祉課なり事業体とこちらが、話が付けば、派遣が出来ることって随分あるんです。でも、いつもバトルになってしまうんですが、つい先日も、ある市の方が東京で使いたいというときに、「うちは要綱上、要約筆記者は市内、市外に出しません」と言って聞かないんですね。で、いや、他所ではこうしてますとか、うちではこうしてますとか、いろんな例を挙げるんですが、なかなかそこの壁が破れない。
 じゃあその、「来られないことはないので、そちらからの要約筆記者をお連れになったらどうですか」って言っても、「いや、市外には出しません」とか言われたりして、そのあたりの非常に現実的な課題についていえば、もう少しやはり運動的な取り組みというのが必要だろうと思います。それは場所の問題だけではなくて、生涯学習にしても、例えば自治体によっては、時間制限はあっても、認めるところもあるし、自己学習みたいなところについては一切認めないところもあるし、やはり聞こえない人たちが、本当に生活上必要なところに、ちゃんと手が届くはずの支援法であった、あるべきなんだけれども、なかなかそういっていない。というところについては、権利条約とか総合福祉法とか、そういうのを待っている前にも、今日でも明日でも、そういう現実があるので、やはりこれは、運動体としてしなければいけないことがたくさんあるんだろうなというふうに思いました。

近藤:ひとつだけ。私あの、先ほど紹介がありましたように、聴覚障害者情報提供施設の部分も兼ねております。先ほどから立岩先生の方にいってますが、今年、というかここ数年ですね、聴覚障害者情報提供施設と、視覚障害者の情報提供施設とが一緒になりまして、オンデマンド等のコンテンツ配置の問題で、いろいろ検討したり、実験をしたりしてまいりました。コンテンツ配信の問題と、それからもう一つは、遠隔地による通訳サービス、字幕サービス、文字支援のサービスですね。こういうことの実験をいくつかやってきたのですが、それなりの有効性と言いますかね、例えば手話通訳とか要約筆記の養成の場面で、先ほど規模の経済という話が出ましたけれども、一度作ったコンテンツを配信することによって、講義部分はそれで補っていこうとか、そういうことの方向性が議論としては出て参っております。
 それから今、国の会議で、CS障害者放送統一機構で、生中継をやっております。これは衛星を使ってやっているわけですけれども、今そこで議論、高岡さんはそこの理事でもありますが、その議論の一つとして、専用の衛星を確保するべきじゃないかと。専用の衛星を確保して、そこに国が、総務省なりがきちっとお金を出してですね、専用衛星を確保することによって、いろんな今言ったインターネットとの融合の問題ですとか、技術的には可能でありますので、そういうことを今後推進していく必要があるだろうと思います。

松本:質問のなかに、こたえられることをピックアップしてお答えしたいと思います。聴導犬の話でありますけれども、実際に全国をみても普及は限られてますし、していないのは事実だと思います。私は職場が聴覚言語障害センターというところで仕事してるんですが、以前に、ソロプチミストという団体から聴導犬寄付の話があって、聞こえない方で犬の好きな方に打診しましたが、断わられました。なぜ断ってきたのかというと、やっぱりニーズがないからと言ってもいいと思います。聴導犬を寄付されても、えさ代はどうするのか、そんなのも自分で払わないといけないとかいうことも考えたら、生活自体が難しくなる。むしろいろんな器械ですか、器具といいますかね、いろんなそういうものの方がよいという声が総じて多かったので、結局実現はしませんでした。私はと聞かれましたら、私も犬嫌いなんです。犬は好きではありませんので、使いたいと私自身も思いません。すみません。それが一点です。
 もう一点が、生涯学習を受ける際の手話通訳費用の件、大阪の人の話ですけれども、大阪の中だけの話ではなく、全国どこでも同じ課題を持っております。問題は、その問題を運動にどう結びつけていくのかというのが大事ではないかと思います。たとえば大阪であれば連盟の加盟団体もありますし、そこに持って上がって、こんなことで困ってるんだと、一緒になんとか解決を働きかけていこうじゃないかということを、手話通訳費用を請求されているんだけれども、それをどうしたらいいんだということを交渉するとか、そういうのがいるんじゃないかなと思います。
 次、参政権の問題についての質問についてのお話がありましたが、私どもの考えは、まず最終的には国の責任でやるということです。その問題については、私どもは前から要望しているんですけれども、要望を出しても、出した私たちの方にも課題があるんですが、手話通訳士の数の問題だとかいうようなことも、現実の問題としてあります。参議院選挙、総務省のお話のとき、参議院選挙のときに、手話通訳士をまあまあ揃えてるということはあったんですが、ぼちぼち増えてはいますが、それが地域、8つのブロックでしたっけね、手話通訳の数とかに合わせてやっている。衆議院選挙の場合は、ブロックは認めますというのがあったのですが、とにかくもっと広げていかないと、手話通訳士を我々が育てるという課題がこの点についてはあるのだと思っております。
 最後のずれ、というか通じてなかったという問題ですが、私は手話通訳の全部が読み取りができるとは思っていません。厳しい言い方だとは思いますが。何故かと言うと、日ごろの付き合いがない人は、なかなか読み取りができないんです。さっきの例で、脳性まひの方の例がありましたけれども、すぐコミュニケーション出来る人がいらした。なぜかときいたら、やっぱりその方お付き合いが日頃あるんです。だから聞き慣れていてよく分かっている。知らない人だとわからないけれども、知っている人ならわかる。そういったいろいろな日頃のお付き合いというのがあると思いますし、現実的には難しい問題があると思いますので、それはある程度お互い歩み寄るのがいいんじゃないかなと思いました。以上です。

高岡:高岡です。Dさん、西ノ宮のDさんになんですけれども、コミュニケーション支援は、こういうコミュニケーションの場に対する支援だということを言いました。で、今の自立支援法の制度は、聞こえない人のために、きちっとやる。けれども、静岡県は聞こえる人も派遣も頼むことが出来るようになった。無料。そういうのは本来のあるべき姿だと思うので、それはコミュニケーションの在り方からして、いい制度だと思うんですね。他の県がそれが出来てないのは、やっぱり財源の問題とか通訳の数の問題で出来てないと思うんですが、実際にもう何年も運用している実例があるんで、全国でそれを目指したいと思います。
 それから、2つ目にBさんの生活の場における通訳と言うんですけれども、まあ、どういう生活かによりますけれども、例えば聞こえない人が国会議員になったら、国会議員は秘書のほかに通訳を採用する権利があると思うんですね。で、議員活動でいろんな議員と話したり、緊張したことを話したり、あるいは電話したり、いろんなところでコミュニケーションの連続なわけですから、やっぱり通訳は専属で付いて回る、というような形になると思うんです。それは一般の聴覚障害者の場合でも、非常に活動がアクティブな人は、やっぱりそういう形の派遣、あるいは雇用といいますかね、そういう形の派遣はあってしかるべきだと思います。日本ではまだそういう実例はないですけれども、重度の障害者に対する介助者の派遣制度などを考えると、聴覚障害者もそういう形があってもいいんじゃないかと思います。
 3つ目に、コミュニケーションのずれの問題なんですけれども、私はずれたというよりも、ずれたことを指摘したことがない。ここまで来て、おかしいんじゃないかと。こういうシンポジウムならなんできちんとけりつけないんだ、と言った。その方はここにきて言った、この場を、そういうことを言ってなるほどと思った。そういうことが良いと思うんですよね。で、それからDさんも、自分の話したことがうまく伝わらなかった。でも彼は普通の顔して、僕がここで喋るから、手話を読み取って通訳してほしいとちゃんと言えた。それが大事なんです。そういう人に、あと大阪の方も、文化カルチャーで、変じゃないかということをここで意見を言いましたよね。だから、みんなが、一人ひとりが、聞こえないのに何で差別を受けるんだ、差別されるのはおかしい、ということ、そういうことを学ばないといけない。その学ぶシステムが今ないんですよ。で、特に難聴者の場合には聾学校とかっていう、集団のコミュニティーを形成する場がない。みんな一人ひとりばらばらに聞こえなくなるわけで、私のばあさんは耳が遠くなったから隣にいるおばあさんが聞こえなくなる、とかそういうことはないですよね。
 で、難聴者は、聞こえなくなるというのがどういうことなのか、何をしないといけないのか学ばないといけないんですが、実は良いモデルがある。それは母親だっていうんです。で、女性が妊娠すると保健所から通知が来て、オムツの替え方、おっぱいのあげ方、離乳食の作り方、お風呂の入れ方、みんなタダで教えてくれる。母親になる準備を行政がやってくれる。だから、耳が遠くなった人は、少なくとも自覚したら、「自分が聞こえなくなったんですけど、どうしたらいいですか」ということを、ちゃんと教えてもらう場が必要だと思うんですね。ひとつは、お医者さん。もうひとつは補聴器店とリンクして、そういう人が来たら行政のサービスとして、難聴になった人は難聴者になるための場を、社会的に作ることが必要なんです。行政だけじゃなくてNPOでもいろんなところでそういう場が必要だと思いました。

立岩:はい、ありがとうございました。一つ最後の方に出た問い、どういう場面でコミュニケーションを保障するのかっていうけっこう大きな問題が実はあったと思います。もちろん、重要な活動、アクティブな仕事に、っていうのはそれはそうだろう。で、次にその、いわゆる生涯学習とか、それも大切だと主張してそうやって広げていくやり方もあるんですけど、ただ、私が辛うじて知っている別の障害のジャンルで言えば、アクティブであろうとなかろうと、重要なことをやっていようがやっていまいが、ただの遊びであろうがなかろうが、必要なものは必要だと、それは保障されるべし、と。それはすぐに実現されたわけではないですし、今も実現されてはいませんけれども。そういうスタンスで、先は遠いかもしれないけれども原則としてはそう言っていくのがやっぱり大切なことかなと。ここはなかなか考えどころといいますか、これからなんだなということを最後に思ったりもしました。私自身、暮らしのためには何でも、って言った方がよいんじゃないかなって思ってものを書いているので、そう思った次第です。
 で、最後その話になってしまいましたが、時間がですね、申し訳ない、もう15分すでに延長されておりますので、今日朝10時から7時間、みなさんどうもありがとうございました。皆さんに、パネリストの方々に、拍手をもって終わりたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)


UP: 20110728 REV:
聴覚障害・ろう(聾)  ◇聴覚障害/ろう(聾)の本  ◇生存学創成拠点の刊行物  ◇全文掲載 
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