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「“まざる”ことば、“うごく”からだ──ケニア初等聾学校の子供と周囲の人々の日常のやりとりを事例に」

古川 優貴 2011/07/22
坂本 徳仁櫻井 悟史 編 20110722 『聴覚障害者情報保障論―─コミュニケーションを巡る技術・制度・思想の課題』,生存学研究センター報告16,254p. ISSN 1882-6539 pp. 56-102

last update:20110728


第一部

第3章 “まざる”ことば、“うごく”からだ
      ──ケニア初等聾学校の子供と周囲の人々の日常のやりとりを事例に


古川優貴(*)





 筆者は、2003年から2006年までの間に、計22ヶ月にわたってケニアのK初等聾学校(1)(以下、K聾学校)や聾学校の子供の帰省先(2)に住み込んで、調査を行った。当初は「身体障害者」がケニアではどのように捉えられているか、またそうした人たち自身がどのような経験をしているのか、という研究課題だった。しかし、K聾学校に住み込むようになってまもなく、この問題設定自体を見直さなければならないことに気づかされた。また、筆者はほぼリアルタイムで「ろう文化宣言」(木村・市田 1995)を目にしていたが、「ろう文化」という文脈でも筆者がケニアで目の当たりにした現実を捉えることはできないことがわかった(3)。
 代わって浮上した課題は、「多言語社会」といわれるケニアの聾学校の子供たちおよび周囲の人たちの日常のやりとりにおいて何が起こっているのか、である。この課題においては、先取りして言えば、聾学校の子供たちの「耳が聞こえないこと」や「手話vs音声/文字言語」といった前提を再考することになった。
 ケニアでの調査に区切りをつけてから既に4年の歳月が流れてしまったが、これまで、膨大な量の民族誌的データ、特に映像記録を前に事例を文章化できずにいた。本稿(4)では、これまで文章化していなかった(できていなかった)手持ちの民族誌的データを紙幅が許す限りできるだけ多く記述することを試みる。
 事例は大きく分けて二つの枠組みで記述する。一つは「多言語」といわれる状況をどのように捉えるかという論点で、記述・考察する(第1節)。もう一つはやりとりにおける「からだの動き」に焦点を絞り、記述・考察する(第2節、第3節)。なお、本稿では、明確な結論は提示せず、データの記述と新たな課題・論点の提示が中心となる。
 事例を記述していくにあたり、以下でいましがた挙げた二つの議論の枠組みについて説明しておきたい。

ケニアの「多言語」状況をどのように捉えるか

主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」(創世記 11:5-7)

 「バベルの塔」の神話以来、人類を悩ましつづけてきた「ことばの壁」。ことばは人と人とのやりとりには欠かせないものであるとされる。ことばをしゃべれなければ、ことばを理解できなければ、ほかの人と共に生活することは難しいとされる。それだけ「ことば」には大きな力が付与されつづけてきた。「ことばの違い」はときに反目や差別さえ生むとされる。これを「解決」するには、新たにことばを習得しなければ/させなければならない。そして、新たなことばの習得には時間と費用と労力がかかる。
 こうした考えは、日本の「外国語会話教室」に通う人の多さに如実に現れている。ここ数年は減少傾向にあるものの、「外国語会話教室」の受講者数は相当なものだ。経済産業省の統計(5)によると、平成21年度の「外国語会話教室」の受講者数は、400万人強、年間売上高は700億円を超えている。1000億円市場だった数年前に比べ受講者数は半減しているものの、それでもかなり多くの人が専門的な学校に通って「外国語会話」を身につけようとしている。このほか、テレビやラジオの語学講座や通信教育、e-ラーニング等々を含めると、更に多くの人が「外国語会話」を身につけることに日々励んでいると考えられる。
 私たち(6)が身につけようとしているのは、「外国語」そのものではない。経済産業省による統計の項目に「会話」という二文字が入っているように、「ことば」そのものを習得することが目的なのではない。「会話」=「(対面的な状況における)ことばの運用」ができるようになること、それが「会話教室」の受講者の目標と言えるだろう。しかし、そう簡単にはいかない。「外国語会話」を身につけるのは難しい。ましてや、一つだけでなくいくつも身につけようとなると、費用も時間も労力も相当かかる。
 立ちはだかる「ことばの壁」を前に、私たちはこうも考える。「自動翻訳機があればいいのに」と。どのくらい実用的かわからないが、通販の広告で「音声翻訳機 ×カ国語対応」というのをよく目にする。最近ではヒトの「ことば」だけでなく、イヌの「声(に表れたきもち)」の翻訳機も開発された。タカラトミーのウェブサイト(7)には、「バウリンガルボイス」として商品化された「犬語翻訳機」の広告動画が掲載されている。この広告動画は、「ドラえもん」が「ひみつ道具」を出すときの説明を彷彿とさせるものだ。

「おいおいドラえもん、いつドイツ語をならったんだ。」
「ドイツ語なんかしらないよ。」「『ほん訳コンニャク』を食べたんだ。」
「相手のドイツ語が日本語にきこえ、こっちの日本語がドイツ語になるんだ。」
「ゆうれい城へ引っこし」(藤子・F・不二雄 1976)より

 たった一個のコンニャクが「ことばの壁」という課題を解決してしまうなんて夢のような話だ。しかし、現実には、このコンニャクなしで、また会話学校に通わずして、「多言語」な日常を生きている人たちがいる。この「多言語」の中にはいわゆる「音声言語」だけでなく「手話」も入る。人々は「ことばが違う」状況でどのように一緒に生活を送っているのか。そこには「ことばの壁」はないのだろうか。
 「ケニアの多言語状況」と言うと、「バベルの塔の神話」のような想像をされるかもしれない。特に、次のような記述だけを見るとそのような想像力が駆り立てられることだろう。
 国際SIL(8)によるウェブサイト「エスノローグ」では、ケニアには公用語の英語やスワヒリ語のほか大きく分けても69の個別の言語があるとされている。筆者が調査を行った聾学校の所在地、西部リフトバレー州ナンディ県は、英語やスワヒリ語のほか、「カレンジン系諸語」と分類されるヴァナキュラー(「地域語」)があるとされる。「カレンジン系諸語」の中には、ケイヨ語、キプシギス語、マラクェット語、ナンディ語、オギエック語、ポコット語、サバオット語、テリック語、トゥゲン語が含められ、これらを「方言」と捉える研究もある(eg. Creider and Creider 2001)。
 このような記述だけでは、言語が多すぎるため人々の日常のやりとりにおいて不便が生じていると想像されるかもしれない。加えて、筆者が調査の対象としたのは「初等聾学校の子供たち」である。主に手話を使う彼らは、「(音声言語が)多言語」の環境で、日常生活において困難を強いられているのではないか、そのように思われるかもしれない。
 しかし、筆者が合計2年近くケニアの寄宿制K聾学校や子供の帰省先に住み込んで目の当たりにした現実は、そうした想像とは大きく異なるものだった。聾学校の子供たちにも周囲の人たちにも、「多言語」ゆえの不便さがあまり感じられなかったのである。
 本稿では第一に、このケニアの「『多言語』と言われる状況」をめぐって、「『多言語』で、なぜ不便が生じないか」という問いではなく、「多言語と言われる状況で何が起こっているか」という問いを立てたい。
 では、具体的に何が起きているのか、2つの例を書き起こしてみよう。

※下線:スワヒリ語、斜体:ナンディ/ケイヨ語(9)、通常書体:英語
※《 》は不明瞭で聞き取れなかった部分

【例1】牧師による説教
lakini tukingia katika Bwana if we come to the love of God and we have love of God we shall allow them [注:lakini tukingia katika Bwana =下線]

【例2】弔辞(エスタという女性の夫の葬儀にて)
ale mutiyo amache 《 》 ale Esther 《 》(中略)
ata sisi to be kuzungika kabisa kwa hivyo nataka tu kuchukua 《 》(中略)
mutiyo kwa hivyo nasema pole mutiyo mising Esther
[注:“ale mutiyo amache”“mutiyo”“mutiyo mising”=斜体、“sisi”“kuzungika kabisa kwa hivyo nataka tu kuchukua”“kwa hivyo nasema pole”=下線]

 例1ではスワヒリ語と英語が、例2ではナンディ語とスワヒリ語と英語が、それぞれの話者が話している最中に「混ざっている」。この事態をどのように捉えることが可能かという課題設定で、第1節では事例の記述・考察を試みる。

やりとりにおける「からだの動き」への注目

 第2節と第3節では、K聾学校の子供たちのやりとりにおいて何が起きているか、という問いの下に記述していく。記述する際、特にやりとりにおける「からだの動き」に注目する。
 筆者がやりとりを分析する際に「からだの動き」に注目するのは、本稿の第3節および最後で触れるが、K聾学校の子供たちのダンスを目の当たりにしたからである。聾学校の(「耳で音を聞かない」)子供たちのダンスは複数人でもタイミングが合う。これをどのように捉えればよいのか、この課題が筆者の現在の研究の根本にある。
 第2節ではまず、K聾学校の卒業生と市場の行商人との値段交渉を記述する。そしてこのやりとりにおける“筆談”を「動きとしての書きことば」として捉えてみる。次に、K聾学校の子供と母親とのやりとりを記述する。この事例から、二人のやりとりが一定のリズムを刻んでいたことを提示する。
 第3節では、K聾学校の新入生がキリスト教式に祈り(10)、賛美歌を歌う場面を事例にする。ほとんどの子供たちは、まったく手話を知らない状態でK聾学校に入学する。そのような新入生が祈ることや賛美歌を歌うことにどのように参加しているのか特に彼らのからだの動きに注目しながら記述・考察を試みる。
 そして最後に、今後の展望もかねて聾学校の子供たちのダンスの事例を紹介し、むすびとする。


1. “まざる”ことば

 古川(2007a)でも概観したが、K聾学校の子供たちは、ケニア手話(KSL)(辞書:Akach 1991=2001) 、アメリカ手話(ASL)、ケニア学校教育用手話(以下、KIE手話)(辞書:KIE 2002c(11))といった「複数」の手話のみならず、英語やスワヒリ語(音声・文字)、ヴァナキュラーも使う。手話は聾学校内でも子供たち同士や教職員とのやりとりの中で使うが、帰省先でも、家族や近所の人や初対面の人に対しても使うことがある。そのとき、手話と同時もしくは単独で、英語やスワヒリ語、ヴァナキュラーを発声することがある。更に、子供たちは互いに手紙をやりとりすることもあり、その場合は英語が主に用いられる。
 この節では、第一に、彼らのこうした「多言語」状態の中でも特に「複数の種類」の手話があることに注目し、聾学校での言語教育がどのようであるか概観する。第二に、K聾学校の子供たちが、さまざまな場面で手話のみならず音声や文字言語でもやりとりすることを示す。第三に、K聾学校の周囲の人たちがやりとりをする際にことばが「混ざる」ことを確認する。第四に、K聾学校のキリスト教学の授業での教員の話し方と子供の反応とを記述する。最後にK聾学校を卒業したきょうだいと彼らの(「耳の聞こえる」)母親、弟のやりとりを記述する。

 1.1 聾学校での教育における使用言語の複数性
 1.1.1 言語教育に関するケニア教育省による規定
 ケニアに聾学校が設立されていった1960年代の聾学校での教授言語は、それぞれの学校の所在地で話されているヴァナキュラーだったようである(12)。しかし、1983年に特殊教育の教員養成学校Kenya Institute of Special Education(KISE)(13)がデンマークの支援で設立されてから手話による教育が始まり現在に至っている。
 初等聾学校では、初等学校のシラバス(KIE 2002a, 2002b)の他、初等聾学校用のシラバス(KIE 2001a, 2001b)に則って授業を行っている。言語教育に関して前者は、英語とスワヒリ語、そして3年次以下で母語(14)を一定時間教えるように規定している。初等聾学校用のシラバスは、ケニア教育省管轄下のケニア教育協会(KIE)監修の学校用ケニア手話の辞書を学習・教授用資料として挙げ、手話の運用能力と共に英語やスワヒリ語の読み書き能力を高めるよう求めている。
 ケニアの聾学校では、このような規定に関わらず、KIE手話のみならず「複数」の手話が「混在」している。先述の「エスノローグ」には、ケニアの聾学校で使用されている手話はKIE手話のほか、KSL、ASL、イギリス手話、韓国手話、ベルギー手話などがときに混ざった状態で使用されているという記述がある。

 1.1.2 K聾学校での教授言語と言語教育
 K聾学校の教員の多くは、上述したKISEの出身者が多い。K聾学校にはKIE監修のKIE手話の辞書(1990年、ドラフト版)があり、教員の中には授業外の時間にその辞書を参照し再勉強する人もいた。
 上述のシラバスに則り、低学年クラスでは「母語」の科目で手話が教えられるが、教員は「これはケニア手話」「これはアメリカ手話」というように手話を教えることはない。後述するように、教員一人を例にしても、KSL、KIE手話、ASLが「混ざる」。また語順も、例えば聖書を読むときは、教員が聖書に記されている英語の語順に則って表現し、子供にもその語順の手話で読ませる。ただし、教員がその内容について子供に説明し子供がそれに応答するようなやりとりでは、書記英語の語順ではない順序で手話を使用しているケースがみられる。
 K聾学校では他の初等学校と同様に英語とスワヒリ語の授業がある。スワヒリ語の教科書はスワヒリ語でのみ書かれているが、その他の教科書は英語で書かれている。教員は授業中に手話と共に英語を発声したりしなかったりする。板書には英語が使われる。スワヒリ語の授業では教員は手話と共にスワヒリ語を発声し、板書もスワヒリ語である。

 1.1.3 他の聾学校で使われる手話──ケニア国内での複数性
 K聾学校の授業で使用される手話はKSLやKIE手話、ASLというように、「複数」あり、教員が使用するときはそれらが「混ざる」。更に学校によって「異なる」手話が使用されているようである。ケニア全国聾学校スポーツ・文化活動競技会(州大会および全国大会)では、「さまざまな」手話を観察できた。必ずしも同じ人が一種類の手話のみを使用するわけではない例も見られた。
 初等聾学校から中等聾学校あるいは職業訓練学校に進学すると、ほとんどの場合、初等聾学校時代に使っていた手話ではなく進学先の生徒が使っている手話を使うようになる。また転校した場合も、転校先の学校の手話を使っていくようになるという。K聾学校に転入した子供は、当初は手話が違って戸惑うように見受けられることがあったものの次第に慣れていった。また、他校と交流があったのち、他校の生徒が使っていた手話が流行したこともあり(15)、「今まで知らなかった手話」を新たに使用するということは彼らにとってさほど苦ではないようだった。

 1.2 手話が「混ざる」──K聾学校の子供たちの事例
 先述のように、K聾学校の教員一人においても、いくつかの手話が「混ざっている」状態で授業が行われる。加えて、手話と共に英語やスワヒリ語などが発声される。そのため、手話に関して言えば、子供たちは教員から結果として「複数」の手話(KSL、KIE手話、ASL)が教授されることになる。
 他方、寄宿生活の中では、下級生は上級生が使う言い回しも日常的に見習うことになる。子供は、身内に聾学校出身者がいない限り手話をほとんど知らない状態で入学する。彼らは授業や学校行事のほか、上級生との寄宿生活において日々手話を使うようになってゆく。
 ここでは、7年生が教室で「病院でのやりとり」(16)をやっていたときのことを例に取り上げてみよう。このとき「医師役」だった女子は、教室の前方にいた。別の女子の「診察」を終え、後方にいた男子に電話をするというシーンである。このときの女子の語りを、使用される手話の単語に注目して書き起こすと次のようになる。

【例3】
※KSL:ケニア手話、KIE:KIE手話、ASL:アメリカ手話
※{ }は手話表現。辞書には意味が英語で掲載されているためそれに倣った。
※KSL、KIE手話、ASLに共通する表現がある。
※時系列順にタテに並べて表記した。

{now} [KSL]
{me} [KSL,KIE,ASL]
{talk} [KSL,KIE]
{finish} [ASL]
{now} [KSL]
{me} [KSL,KIE,ASL]
{telephone} [KSL,KIE]

 この書き起こしは、KSL、KIE手話、ASLのそれぞれの辞書に基づいたものである。ひとりの子供が話す中で、「複数」の手話が「混ざる」ことがわかる。
 子供たちは、手話のみを使うわけではない。音声言語(英語、スワヒリ語、ヴァナキュラー)、文字言語(英語、スワヒリ語)も使用する。音声言語は手話と共に繰り出されるケースもあるが、単独で使用される例もみられる。
 まず、筆記は主に英語で行われる。例えば、子供同士でサクセス・カード(17)やラブレターなどといった手紙類を交わす際、それらは英文(18)で交わすのが通例である。ただし、英語の単語の間にスワヒリ語の単語が入ることがある。また、聖書は英語版で、学校で購入している英字新聞を特に高学年の子供たちが読む光景もよく見られる。
 スワヒリ語について言えば、教員によると子供たちが最も不得手である。それは筆記テストの出来が他の科目と比べて特に悪いからである。しかし、子供たちの日常のやりとりからは、必ずしもスワヒリ語が不得手とは言えない。というのも、子供たちがときどき手話と共にあるいは単独でスワヒリ語を発声するからである(19)(20)。加えて、ヴァナキュラーも同様に発声するケースが見られる。その一端を示すと以下のようになる。
 例えば、出身地域を問わずよく使われるスワヒリ語、「シャンバshamba」(「畑」[スワヒリ語])、「サンガピ? saa ngapi? 」(「何時?」[スワヒリ語])、「クジャ kuja」(「来なさい」[スワヒリ語])を発声するケースが聾学校内でも見られる。また、「センゲsenge」(「父方オバ」[ナンディ語])や「イブヌ アノ? ibunu ano?」(「どこから来たの?」[ナンディ語])を単独で発声するケースや、「マミィーmamii」(「何もない」[ナンディ語])、「ゲベngebe」(「行こう」[ナンディ語])などを手話と同時にもしくは単独で発声する。
 ナンディ語に関して言えば、必ずしもナンディ出身の子供がナンディ語を発声するということではない。例えば、統語論的な分類ではナンディ語はナイル・サハラ語族だが、バンツー語族の言語をヴァナキュラーとするルイヤ出身の子供が、K聾学校内で「何もない」という手話表現と共に、「マミィーmamii」と発声したことがあった(21)。
 このような発声は、必ずしも「相手が音声言語話者だから」という理由で行われるわけではない。例えば、次のようなことがあった。
 筆者がK聾学校に住み込んでいたある日、7年生の女子リリアンと校内を歩いていたところ、6年生の男子キマルに出くわした。そのときのことである。

リリアンと二人でこっちに向かっていたら、キマルに呼びかけられる。ナンディ語でベラベラ話してきて(ママはどこにいるだの、どこから来たのかとか)、一切手話なしだし、リリアンまでしゃべりだすから、お願いだから手話にしてくれと言って大笑い。(2005年11月4日付 フィールドノートより)

 筆者はこのとき、どの音声言語(英語、スワヒリ語、ナンディ語)よりも、聾学校内で子供たちが使っている手話に最も馴染んでいて、子供たちとは手話でやりとりをしていた。教員の中にも、筆者が他のどの言語よりも手話の方が通じるといっていつも手話で話しかけてきた人もいたくらいである。他方、子供同士でのやりとりでも手話が使われるのが普通のことであった。そんな中、リリアンとキマル(22)がナンディ語をしゃべりだし、筆者が理解不能だと手話で表明した。少なくともこの事例からわかることは、必ずしも「手話話者に対しては手話を話す」、「音声言語話者には音声言語を話す」ということではないということである。

 1.3 音声言語が「混ざる」──周囲の人たちの事例
 K聾学校が所在するナンディ県は気候に恵まれ、農耕牧畜を営むのに適している。そのため、他の地域と比べるとナンディ県の住民は概ね日々の糧に悩むことがないようだった。作物や牛乳があまりとれない大乾期でも、既に収穫済みのトウモロコシで主食だけでも維持することが可能なくらいだった。
 そのせいか、日々の糧についてはあまり話題にならない。その代わりよく話題にのぼるのは生活費の中でも子供の学費についてである。学期が終わると、子供の成績の話や新学期の学費をどう捻出するかという話で持ちきりになる。また、学年末になると、子供の進学先はどこがよいかということが世間話の中で話題となる。そして、学年末の総合成績や卒業時の全国共通卒業資格試験の成績が思わしくないと、子供を留年させるケースもみられる。
 筆者が知る限りでは、「食うものに困るほど貧しい」ということばはほとんど聞かれなかった。それよりも、「貧しいから学校(特に高等教育課程)に行かせられない」「貧しいから高等教育を受けられなかった」という語りの方がよく聞かれた。
 このように、ナンディ県の人々の学校教育に対する意識は高い(そうした意識を持つことが可能)と言えるが、彼らが英語やスワヒリ語を使用するのは、必ずしも学校教育の影響とは限らない。例えば、「家が貧しくて初等学校にしか行けなかった」という人も、そう話していることばが英語だったということがあった。
 学校に行かなくても英語やスワヒリ語を話すようになるのは、それらが身の回りで頻繁に使用されているからだと考えられる。例えば、テレビやラジオのニュースも英語の時間とスワヒリ語の時間があるが、K聾学校周辺地域では、ナンディ語などで放送されるラジオ番組Kass(23)FMもよく聞かれていた。販売されている新聞は英字新聞やスワヒリ語新聞といった英語やスワヒリ語で書かれたものが多い。K聾学校および周辺地域では英字新聞がよく読まれていた。
 また、教会(24)の礼拝(25)は、都市部では英語やスワヒリ語などでサービスの時間帯が分かれ、都市部から離れた地域では例えばナンディ語のみの教会と、スワヒリ語とナンディ語の時間帯に分かれている教会とがある。ただし、例えば英語の礼拝の時間でも、牧師が英語で話している最中にスワヒリ語やヴァナキュラーが「混ざる」ということがよく生じる。これは序で示した例1のようなケースである。なお、人々が普段使用する聖書は、多くはスワヒリ語か英語で、「カレンジン系諸語」の聖書(26)もあるが、あまり流通していない。
 このような環境で人々は生まれ育つ。そうした彼らのやりとりでは言語がどのように現れるかというと、筆者の調査した地域に関して言えば例えば同じナンディ人同士のやりとりでも「ナンディ語だけが話される」という事態は起きにくい。そこでは確かにナンディ語など(27)が主に話されるものの、スワヒリ語や英語もときおり「混ざる」。序で記述した例2をもう一度ここに提示してみよう。

【例2(序より再掲載)】
※下線:スワヒリ語、斜体:ナンディ/ケイヨ語、通常書体:英語
※《 》は不明瞭で聞き取れなかった部分
※弔辞(エスタという女性の夫の葬儀にて)

ale mutiyo amache《 》 ale Esther《 》kwa hivyo(中略)
ata sisi to be kuzungika kabisa kwa hivyo nataka tu kuchukua《 》(中略)
mutiyo kwa hivyo ninasema pole mutiyo mising Esther(中略)
(2005年1月、S村にて)
[注:“ale mutiyo amache《 》 ale”“mutiyo”“mutiyo mising”=斜体、“sisi”“kuzungika kabisa kwa hivyo nataka tu kuchukua”“kwa hivyo ninasema pole”=下線]

 まず、2行目では、ナンディ語と英語とスワヒリ語が「混ざった」状態で文章が成り立っている。また、3行目“ムーティョmutiyo”と“ポレpole”は共に、使われる場面や意味が英語の“sorry”とほぼ同じだが、ほとんど途切れない発声の中で一緒に現れた。この葬儀の参列者はナンディやケイヨ出身の人が大半を占めていたが、話す相手に関わらずこのようにナンディ語や英語やスワヒリ語が「混ざる」ということがよく起きた。
 他方、ナイル・サハラ語族のカレンジン系諸語を主に話す人とバンツー語族の言語を主に話す人が同席する場では、互いにスワヒリ語を使用することが多いが英語が「混ざる」こともあった。
 書きことばに関しては、K聾学校周辺地域では冠婚葬祭などの案内状は英語やスワヒリ語で書かれることが多いがナンディ語で書かれることもある。何かをメモするときは英語やスワヒリ語が多く、ナンディ語のケースはほとんどみられなかった。

 1.4 K聾学校の子供と周囲の人たちのやりとりで「混ざる」ことば
 1.4.1 K聾学校の子供と教職員とのやりとり──授業の例
 教員は先述したKISEで手話を学ぶが、筆者が各教員に「どこで手話を学んだのか」と尋ねると、皆、KISEなどで一応は学んだものの、多くは聾学校に在籍する子供たちから学んでいると答えた。他方、職員の場合はKISEなどで教育訓練を受けておらず、「手話は全く知らない状態で着任し、(K聾学校の)子供たちに今でも教わっている」と言う(28)。職員2名はK聾学校の卒業生であり、彼らと他の教職員との間でも手話が主に使われる。また、遠方にいる教職員同士で手話を使うケースも時折見かけられる。
 教員は子供たちと手話で話す際に英語やスワヒリ語を発声するケースが多いが、ナンディ語の発声も時折見られる。職員は、手話と共にスワヒリ語やナンディ語を発声するケースが多い。ただし、一つの手話の単語に対し常に一語発声するわけではなく、手話と共に発声したりしなかったりという光景がよくみられた。
 例として、ここでは4年次のキリスト教学の授業を記述してみよう。教員が黒板に“Adam and Eve”と書き、子供たちの方を向いた。教員は子供たちに「アダムとイブを覚えているか」と問いかけ、それに対し男子が「男」と回答した。このときの映像を大まかに書き起こすと以下のようになる。

【例4】
※通常書体は発声。{ }は手話。
※囲いは教員の目の前に座っていた子供の発言。
※時系列順にタテに並べて表記した。ヨコの並びは同時に起こった所作。
(2004年9月29日、4年次のキリスト教学の授業)

[例4は画像のため省略]

写真1 Akach(1991=2001)、Costello(1998)より転載。左がKSL、右がASLの“PEOPLE”。手形も動きも全く異なる(29) [省略]


 このケースでは、教員の発声はすべて英語だが、「複数の種類」の手話が「混ざっている」。他方、回答した男子も「複数の種類」の手話が「混ざっている」。紙幅の都合でほかの事例を記述することはできないが、この教員はK聾学校の子供たちと接するとき、この授業のときと同じ表現の仕方でやりとりをしているわけではない。英語の発声がなくなることもあり、スワヒリ語などの発声が出てくることもある。また手話の語順が授業とは異なることもある。発声と手話の組み合わせもまちまちである。

 1.4.2 K聾学校の子供と帰省先の人たちとのやりとり
 K聾学校の子供たちが帰省先に戻ると、話し相手は家族や近所の人といった彼らに日常的に直接関わりのある人とは限らない。例えば、畑仕事を手伝う現場や冠婚葬祭などのイベントに行ったとき偶然居合わせた人々、市場の売り手など様々である。
 こうした人々と聾学校の子供とのやりとりにおいて、聾学校の子供の表現を見ると、手話やヴァナキュラーの発声、身振りや筆談などさまざまな表現の仕方を観察することができる。手話に関して言えば聾学校の子供が手話を一方的に用いることもあれば(30)、相手にその場で手話を教えることもある。相手もまた、教えられた手話を確認しながら積極的に覚えたり、身振りや筆談などを使ったりする。
 聾学校の子供たちとのやりとりを通して、彼らの帰省先の人たちも手話に馴染んでいく例を多くみることができたが、その一例をここで挙げておきたい。
 聾学校の子供とのやりとりに馴染んでいる人の中には、話し相手が聾学校の子供でなくても、やりとりの中で手話が現れることがある。筆者がK聾学校に在籍する子供の姉の家を訪問したときに次のようなことがあった。

…?彼女もいくらかサインを知っていた。彼女が語るには、たとえば、“マチャイーック(31)”と言いながら手話の〈茶葉〉をやるという。写真を私に見せながら私が何かを言ったとき、“ノー”と言いながら極めて自然に〈ノー〉と手話をやっていて、私がそれを指摘すると爆笑した。
(2004年8月25日付 フィールドノートより)

 このとき、筆者は別の子供の帰省先に居候していて、その子供の母親と、その家の近所に住むこの姉の家を訪問していた。その場にはこの3人だけがいた。彼女は、筆者が指摘するまで「ノー」という手話を使っていたことに気づかなかった。この事例から言えることは、この姉は「話している相手が聾学校の子供だから」手話を使ったのではないということである。K聾学校内で子供がナンディ語を発声することがある一方、このように帰省先でその家族が(聾学校の子供がその場にいなくても)手話をすることがある。
 最後に、K聾学校の卒業生3人きょうだいと、兄、弟2人の家でのおしゃべりの事例を取り上げよう。このときは、筆者と、母親、K聾学校を卒業した姉Jeropと弟Alexがいた。筆者がカメラを回し始め、Jeropと母親がやりとりを始める。母親が部屋の外にいたDC(Jeropらの弟、耳が聞こえる)を呼び、カメラの液晶画面を見るよう彼を促す。そしてAlexがカメラに向かってしゃべる。【例5】は、そのときの映像を大まかに書き起こしたものである。
 この例からわかるように、JeropもAlexもKSL、KIE手話、ASLが「混ざって」いる。加えて、二人はナンディ/ケイヨ語やスワヒリ語も発声する。母親もナンディ/ケイヨ語とスワヒリ語、英語が「混ざり」、(耳の聞こえる)DCに向かって「来なさい」という手話を使っている。DCについては、ビデオカメラの側にいたので声しか撮れていないが、Alexが「DCは手話ができる」と言っているとおり、この二人ともう一人のK聾学校を卒業した兄に対して手話をよく使った。また、DCは聾学校出身のきょうだいに対して手話と共にあるいは単独でナンディ/ケイヨ語やスワヒリ語などでもしゃべることがあった。

【例5】
※Jerop、母親、Alex、DCの「発言」別にタテを時間軸として捉えて記述した。
※発声を左側に、{手話}および所作を右側に発話者ごとにそれぞれ配置した。
※斜体:ナンディ/ケイヨ語(32)、下線:スワヒリ語、通常書体:英語および人名
※<< >>は不明瞭な箇所
※“Alex”や“DC”といった人名には個別に「サインネーム(33)」が用いられた。
(2005年12月、S村にて)

[例5は画像のため省略]

 1.5 まとめ
 以上のことをまとめると、次のようになる。
 まず、聾学校での言語教育自体が「多言語」の様相を帯びている。英語は英語、スワヒリ語はスワヒリ語の科目として教えられる。手話に関して言えば、辞書に照らせば一つの学校内でも「複数の種類」が見られるが、具体事例から明らかなように「混ざった」状態で教授されることになる。
 加えて、辞書とは異なる基準で分類しようと思えば、更に「さまざま」な手話を見出せそうである。例えば女子寮の寮母は「(女子)寮の手話がある、他の人にはきっとわからないわ」と言い、また子供たちと仲の良い教員は「子供にしかわからない手話、スラングがある」と言う。ここで言えることは、分類の基準を変えさえすればいくらでも「違い」を見出せてしまうということである。
 他方、周囲の人たちもまた話すときはことばが「混ざる」。序で提示した事例のように、スワヒリ語と英語が「混ざる」ことがあり、主にナンディ語などのヴァナキュラーを話しているときにも英語やスワヒリ語が「混ざる」。
 このようなことばが「混ざる」状態をどのように捉えればよいのだろうか。参考になる研究を二つ挙げてみたい。
 一つめは、言語学者マイスケンによるバイリンガル研究である。彼は、バイリンガル研究の多くが「コード・スイッチ」と呼んできた現象を別の概念で捉えようとする。まず、彼はバイリンガル話者の次の特徴を挙げる。日常会話においてバイリンガルの話者の多くは、一つの文を発する際にごく容易にまた流暢に二言語を混ぜる。そして、単語を探すために考え込むことも、また(「コードがスイッチする」原因の一つと考えられてきた)文化的な抑圧もみられない。彼は従来の多くの研究が「コード・スイッチ」と捉えてきた現象に対し、バイリンガルな話者のこのような特徴から「コード・ミキシング」という語を用い分析を試みている(Muysken 2000)。
 二つめは、エモリーらによる、アメリカの“コーダ”(CODA, Children of Deaf Adults)をめぐる研究である。エモリーらは、“コーダ”の人たちが音声英語とアメリカ手話を同時に発するという事例に基づき、「バイモーダル」(bi-modal)という概念を提示した。エモリーらは、まず、バイリンガル話者がスピーチ-スピーチの「ユニモーダル」(uni-modal)であることを指摘する。そして、“コーダ”の場合は「ユニモーダル」ではなく、英語-アメリカ手話という2つのモードが発せられる「バイモーダル」であると言う。その上で、この「バイモーダル」な状態においては、音声英語とアメリカ手話という二つのコードが同時に現れることから、コードが「スイッチ」するのではなく「ブレンド」するのだという(以上、Emmorey et al 2005)。
 マイスケンやエモリーらが提示した考え方を援用すると、K聾学校の子供たちのみならず、教職員や帰省先の人といった子供たちの手話に馴染んだ人たちは、「コード・ミキシング」や「コード・ブレンド」の状態になり、かつ「バイモーダル」な状態になると言える。具体的に言えば、上述したナンディ語を話しながら英語やスワヒリ語が「混ざる」事態を「コード・ミキシング」と捉えることが可能である。また、手話を使いながら英語やスワヒリ語が発せられる事態は「コード・ミキシング」(英語とスワヒリ語)と「コード・ブレンド」(手話と英語/スワヒリ語)が同時に起こっていると捉えることが可能だろう。このような事態がK聾学校の子供や周囲の人たちに頻繁に生じているのである。
 言い換えれば、彼らが「ユニモーダル」(手話のみ、あるいは音声言語のみ)や「モノリンガル」(例:KSLのみ、あるいはナンディ語のみ)な状態になる方がむしろ稀だと言える。K聾学校の子供たちと直接関わりのない人たちも、日常のやりとりの中で少なくとも「モノリンガル」になることは非常に珍しい。
 本稿ではK聾学校の子供や周囲の人たちのやりとりの中で生じるこのような状態をまとめて「ひとり〈多言語/モード〉状態」と名づけることにする。より詳しい分析と考察は今後の課題となるが、少なくとも本稿の事例に関して言えることは次のことである。ケニアという「社会」が自立した複数の言葉を抱え、人々はそれぞれの言葉を単独で使用しているという意味で「多言語」状況なのではない。筆者が「多言語」と区別する意味で〈多言語/モード〉という表現を使用するのは次の理由からである。少なくとも筆者が調査した聾学校や周辺地域では、あるやりとりの中で、ひとりの人においてことばが「混ざる」。そして、(少なくとも)2つのモードが「混ざる」ことも生じる。この意味でひとりの人が〈多言語/モード〉状態になるのである。
 加えてこの事例からは、もう一つのことを指摘することができる。それは、互いに「返答」し合っていないということである。Jerop、母親、Alex、DC、そして(ビデオカメラで撮り続けていた)筆者(34)は、それぞれに「好き勝手に」しゃべったりビデオカメラの画面を見たり、ビデオを撮っていたりしていた。重要なことは、それでもこの5人は少なくとも「一緒にそこにいた」。これをどのように捉えればよいか。
 この新たな問いに答えるためには、やりとりにおける(「さまざまな」)使用言語にのみ注目して記述・分析を進めるだけでは不十分であろう。


2. やりとりにおける“うごき”(35)

 前節では、序で提示した「『多言語』といわれる状況で何が起きているか」という問いに対し、K聾学校の子供や周囲の人たちの言語使用を具体的に記述することで答えてきた。K聾学校の子供も周囲の人たちも、ユニモーダルやモノリンガルな状態になることの方が稀だと言える。そしてこのような「ひとり〈多言語/モード〉」状態になることは、人々の日常生活で培われていることである。
 序ではもう一つ問いを設定していた。それは、「やりとりにおいて何が起きているか」という問いである。こうした問いを立てた場合、従来の研究が十分に扱ってこなかった(扱いにくかった)のは、やりとりにおける「動き」である。より正確にいえば「動いている過程」である。これを本節で取り上げてみたい。
 本節ではまず、K聾学校の卒業生と市場の売り手との値段交渉を取り上げる。次に、K聾学校の新入生と母親との帰省先でのやりとりを記述する。この二つのやりとりにおける「意味内容」よりも「動き」に注目した場合、どのような記述と考察が可能になるのだろうか。いささか思考実験的ではあるが、今後の研究の方向性を提示するという意味で記述・考察を試みたい。

 2.1 市場での値段交渉──動きとしての書きことば、軌跡をたどるやりとり
 K聾学校の卒業生である兄妹が、帰省先の近くの町で開かれる定期市に行った折、近所の友達に頼まれていた服を買うことになった。市場で彼らは、行商人と値段交渉をすることになった。彼らと行商人とは初対面だった。
 このときの値段交渉の模様を筆者はビデオで撮っていた。大まかに書き起こすと、次のようなやりとりだった。

【例6】
※A:兄、B:妹、X:行商人1、Y:行商人2
※XとYは二人で服を売っていた。

Aが左腕の上で右手の指を動かし「550」と示す。Xは細い枝を用いて自分の腕を引っ掻き、「580」という数字が白く浮き出た腕を見せた。Aは再び「550」と腕に示す。売り手も再び「580」と腕に書く。AはBに対し手話を使って「80[ASL]」と言う(36)。(中略)

売り手が、腕に「560」と書いたが、Aはまた「550」と示した。XはYに何か言おうとし、Yはそれに答える(37)。Bが500シリング分の紙幣と20シリング硬貨3枚をYの手に乗せる。Yが金を数える。(中略)
Bが「10」[KSL,KIE]とYに言う。Aが手のひらを上にした状態で腕をYの方に伸ばす。Yは、服を入れるビニルをBに渡す。Bは再び「10」[KSL,KIE]とYに言う。BはYの手元に手を伸ばす。Yの手のひらには小銭が多く乗っている。AとBがYの手のひらに腕を伸ばし、小銭を指さす。Aは「10[KSL,KIE]、返して(38)」と言う。YはXに「レテクミ lete kumi」(「10シリングくれ」[スワヒリ語])と言う。BはXから10シリング硬貨を受け取る。
(2004年12月22日、M町にて)

 兄Aと行商人Xは、腕を用いた“筆談”により値段交渉を行った。Aは行商人に対して値段の交渉中は一切手話を使わなかった。売り手も一貫して“筆談”を行った。日常のさまざまな場面で、(聾学校出身者か否かに関わらず)、細い枝などで自分の腕を引っ掻き、白く浮き出た文字を相手に見せるということはよく見られる。このときは、売り手はそのようにやって見せたが、Aは腕にはっきりとした痕跡を残さず、数字を書く指の動きを見せてやりとりをしていた。
 このときのAによる“筆談”は、「手の動き」を相手に見せるという点で手話と共通性がある。残された「文字」という結果を相手に見せるのではなく、「文字」に至るまでの動きを相手に見せる。相手はその動き=軌跡をたどって、それを「数字」だと理解する。
 このやりとりに特徴的なことは、Aの指が動いていく軌跡を行商人Xが「数字」としてその場で同時にたどることができたということである(39) 。かつ、その数字が意味するのは「服の値段」であるという相互了解に基づいてやりとりが進んでいる。つまり、行商人XにはAが指で何をやろうとしているのか予測することが可能でかつ同時にやっていることを確認できるやりとりだった。元々このやりとりは、「品物をできるだけ安く買うこと」と「品物をできるだけ高く売ること」が目的とされ、「売買成立」という定まった到着点に向かっていた。
 このような、「売買成立」というやりとりの到達点が共有されていて、かつ、話し手の伝えたいメッセージが手の動きを介した「軌跡」となり、受け手もその都度その「軌跡」を確認できるというやりとりは、K聾学校の子供同士のやりとりではあまり多くみられない。手話は、ある単語を表現し終えたままの手の形が空間に残ることもあるが、それは一連の手話の動きの中のごく一部である。加えて、市場での値段交渉では互いが伝えるメッセージは「服の値段」と決まっているが、日常の子供たちのやりとりではどのような「メッセージ」を発せられるか互いに予測不可能な場合がほとんどだと考えられる。
 特に低学年の子供たちのやりとりはひじょうに速く、日常のおしゃべりでは互いのしゃべりがかぶることも頻繁におきる。相手が発する手話を逐一確認したうえで自分が手話を繰り出すというような「行儀のよい」やりとりはあまり起こらない。彼らの日常のやりとりでは、メッセージの「軌跡」をその都度確認し合うというようなことは起きにくく、やりとりの「痕跡」も残らない。そこにはただ、「動き」があるだけである。

 2.2 母親と娘のやりとり──やりとりにおける動き
 この事例に出てくるK聾学校の女の子は、その年の1月に入学したばかりで、筆者は同8月に彼女の帰省先に居候させてもらった。
 ある日、女の子の母親が体の部位のナンディ語での名称を、自分の体を指し示しながら筆者に教えていた。そこに娘がやってきた。以降、母親が娘と向き合って二人のやりとりが始まった。母親が自分の口を指で軽く叩きながら「クティッ kutit」(「口」[ナンディ語])と言ったら、娘も自分の口を指で軽く叩いた。引き続き母親が自分の体を触りながらナンディ語でその体の部分の名称を発声し、娘が母親の示した体の部位に相当する自分の体の部位を触るというパターンでやりとりは進行した。筆者がビデオテープで撮ったそのときのやりとりを大まかに書き起こすと以下の通りになる。

【例7】
 ※斜体:ナンディ語、通常書体:英語

??娘を見て母親は自分の髪を触りながら「ソメーックsomeek」(「髪の毛」)というと、娘も自分の髪の毛を触った。母親が後頭部を触りながら「メティッ metit」(「頭」)というと、娘も後頭部を触った。そして母親が娘の腿をさすりながら「クベスト kubesuto」(「腿」)と言うと、娘は自分の腿をさすった。(中略)
[注:“someek”“metit”“kubesuto”=斜体]

娘を見ながら母親が「アノ? ano? 」(「どこ?」)と言い両手のひらを返し、娘は少しの間母親を見る。母親が手を下ろし、「アノ?ano? 」と言うと、娘は右手で自分の右膝をつかんだ。母親は、「ウン」と言って大きくうなずき、「クトゥンドkudung’do」(「膝」)と言って、カメラの方を向き、エィエィエィと言って(驚き)、笑い始めた。娘はしばらく膝を掴んでいた。いつの間にか集まってきた他の子供たちの一人が「クワリヤッkwariyat」(「足の腱」)と言い、続いて別の子供が「アクワリヤッ ak kwariyat」(「それと、足の腱」)と言った。母親は右膝を掴みっぱなしの娘の腕を軽く叩き、「クワリヤッチュ kwariyat yu」(「足の腱、ここ」)と言い、娘の右足の腱を触り、また「ユ yu」(「ここ」)と言って娘の右足の腱を見ながらそこを触った。娘は右足を上げて腱を触った。母親はうなずいた。母親が「アノ? ano? 」と言い片手のひらを返すと、娘は自分のワンピースのスカート部分を持ってひらひらさせた。すると母親が「クルギエッ、エ!、トゥルー! kurugiet,e! , true! 」(「服(40)」「あら!(41)」、「そうね!」)と言い彼女のスカートをつまんで振った。母親が、「アゲァノ? age ano?」(「ほかはどこ?」)と再び片手の平を返しながら尋ねると、娘はスカートを少しめくり、下に着ていたスリップを引っ張り出して見せた。すると母親が笑い出し、娘は今度は肩からスリップを引き出した。母親は笑いながら手を叩き、(ずっと芝生に座っていたのだが)芝生に倒れ込んで笑い続けた。そして娘も笑い出した。他の子供たちのうちの一人が「カムシッ kamusit」(「ペチコート」)と言い、皆が笑った。
(2004年8月23日、KA村にて)
[注:“ano?”“kudung’do”“kwariyat”“ak kwariyat”“kwariyat yu”“yu”“kurugiet,e! ”“age ano?”“kamusit”=斜体]

 このやりとりでは、母親が発声したナンディ語は娘には聞こえておらず、娘は、母親のやるままに自分の体の部位を触っていっただけである。母親は確かに体の部位を娘に示しながらナンディ語でその名称を発声したが、娘は母親が発したことばの意味をむしろまったく理解しないままにやりとりは進んでいった。しかし、ここで筆者が主張したいことは「ことばの意味の理解によってやりとりが進んでいくわけではない」といった類いのことではない。
 この映像を改めて検証して興味深いことがわかった。記述の仕方に工夫が必要であり、またより詳しい分析も必要ではあるが、このやりとりの動画にメトロノームソフト“Metronome”を合わせてみたところ、1分間にほぼ60拍の一定のリズムを刻みつつやりとりが進行していた。母親が自分の体を触りながらナンディ語を発声した1秒後に娘が自分の体を触り、その1秒後に再び母親がナンディ語を発声することが繰り返されていたのである。
 加えて、母親はただ平板にナンディ語を発声していたのではない。日本語で言うならば「頭」を「あーたまっ」と言うように発声していた。女の子もまた、自分の体を触るときはリズミカルな所作だった。
 今村は、ブッシュマンの女性の採集活動を事例に、人の「同調行動」について議論をしている(今村 1996)。興味深いのは、根茎の採集地でのブッシュマンの女性たちの行為である。一人が砂を掘り出す動きにあわせて歌い始めると、たちまち数人が唱和して歌の拍子にあわせてさらに掘り続け、掘る手を休めて手拍子をいれるという(今村 1996: 82)。今村は、「掘るという動作がすでに歌のリズムを刻んでいた」(今村 1996: 82-83)と考察する。
 前述の母親と娘のやりとりもまた、リズムを刻んでいた。彼女たちのからだが刻むリズムはやりとり全体の進行を支える。リズムは、彼女たちのからだが何か(「言語」であれ「身振り」であれ)を発することから生まれる。母親と娘によって発せられた声や身振りはリズムをつくりだし、そのリズムが繰り返されることでやりとりが進行していく。
 強調しておきたいことは、やりとりでリズムを刻むことにおいて「音が聞こえる/聞こえない」は関係がないということである。娘は、確かに「音」を耳では聞かない。しかし、彼女自身も母親と共にリズムを生成していたのである。

 2.3 まとめ
 本節では、2つのやりとりを大まかに書き起こし、やりとりにおける「意味内容」よりも「動き」に注目してみた。現段階では何らかの結論を導き出すことは難しい。そのためここでは、特に方法論をめぐる課題を提出しておきたい。
 既に述べたように、「使用言語」に注目するだけでは、「やりとりにおいて何が起こっているか」という問いに答えられない。そこで、からだの動きに注目したわけだが、本稿での事例の記述の仕方は「動き」を捉えるには不十分なものとなった。1節では、エモリーらによる「バイモーダル」(「手話」と「音声言語」の2つのモード)という捉え方を筆者も援用すると述べたのだが、これまでの事例の記述の仕方は「バイモーダル」という捉え方を十分生かしたものとは言い難い。加えて、仮に「手話」と「音声言語」という2つのモードにおけるからだの動き(例えば手話の手形、位置、動きや音声を発する際の口の形)を書き起こしたとしてもまだ十分だとは言い難い。
 例えば1節で、K聾学校の7年生のやりとりにおける電話のシーンのごく一部分をそのとき使用された手話にだけ注目して記述したが(【例3】)、それだけでは実は不十分だった。というのも、このシーンでは片方の手では手話をし、もう一方の手は受話器を握る所作が見られたからである。このような所作は日常的によく行われており、「からだの動き」に注目するなら、K聾学校の子供や周囲の人たちのやりとりを「バイモーダル」(手話と音声言語という2つのモード)ではなく「ポリモーダル」(poly-modal)なものとして記述し考察を加えていく必要がある。
 やりとりの具体的な記述の仕方は、事例の分析をするための「道具」でありかつ「議論そのもの」である。こうした視点で事例の記述をめぐる方法を新たに開発していかねばならない。


3. “うごく”からだ

 前節で、事例の記述の仕方に課題を残したが、本節ではひとまずその課題を脇に置き、筆者の議論がどういった方向に向かっているのかを提示したい。
 本節では、ほとんどの場合手話を全く知らない状態でK聾学校に入学する新入生が「祈り」と「賛美歌を歌う」ことにどのように参加しているかについて議論する。
 はじめに、新入生がどのような状態でK聾学校に入学するか概観しておく。K聾学校では、子供に対する聴力検査、子供およびその保護者と教員との面談を経て入学が決まる。教員との面談では、例えば、一人の教員が積み木などの作業に子供を熱中させ、その後ろで別の教員が手を叩いてその子供が振り向くかどうかを調べたり、また、教室内に貼ってある写真を教員が指さして子供の反応を見たりといったことが行われる。多くは、後ろで手を叩かれた程度では振り向かず、また、教員が写真を指さしても、ただぼんやりとその様子を眺めているか、教員が指さした所作と同じように自分も指さすかのいずれかである。
 子供の多くは、机を大きく叩くと反応するが、前述のように手を叩く程度ではほとんど反応しない。また、きょうだいに聾学校在籍/出身者がいない限り子供は手話をまったく知らない状態で入学する。
 本節で取り上げる事例は次の二つである。一つめは、キリスト教式に祈ることへの参加である。キリスト教の祈りは、ほぼすべて手話だけで行われる。新入生は、上級生が祈るのを間近で見てその動きをひとまずたどる。
 二つめは、賛美歌を歌うことへの参加である。これは、上級生が歌っているのを見ながら自分もからだを揺らすことから始まる。
 新入生は具体的にどのように「祈ること」と「賛美歌を歌うこと」に参加しているのか、以下で記述・考察してみたい。

 3.1 新入生の祈りへの参加──“たどる”からだ
 K聾学校では週に1度、全学級の子供たちが食堂に集められ、教員やゲストスピーカー(近所の教会の牧師やバイブルカレッジの学生など)が聖書の一節について説くPPI(Pastoral Program of Instruction)の時間が設けられている。
 PPIは次のような順で進む。まず皆で賛美歌を歌うことで始まり、教員やゲストスピーカーが聖書の一節について講義をする。そして、教員が祈る子を募り、挙手をした子供たち数人が皆の前で祈り、それが終わると解散ということになる。祈るときは、祈っている本人は目をつぶり、声をほとんど出さずに手話で祈る。周りは、手を合わせながら祈っている子を見る。
 祈る前、祈る子供は習慣として「病気の子は?」(42)と皆に尋ねる。周りの子供たちは、病気で授業を休んでいる子の名前を示し、祈る子は祈りの中に「病気の△△がいる」という文言を入れる。また、「××はダメ」(××には、「喧嘩」、「フラフラする(43)」、「遊んでばかり」、「水浴びしない」、「逃げ出す(44)」など)という文言もよく入れられる。
 2005年10月21日のPPIの時間に、4人の男の子と2人の女の子が前で祈ることになった(45)。2番手の男の子と5番手の女の子が、その年の1月に入学したばかりの新入生だった。
 1番手となった上級生が最初に「病気の子は?」と座っている子供たちに尋ね、子供たちが次々に答えると、祈り始めた。1番手の子が終わり、新入生の男の子に順番が回った。その子は、1番手の子と同じように「病気の子は?」という表現をした。すると、一緒に前に出ていた別の上級生が、2番手の子を突っつき、「わかってる」(46)と言った(写真2)。しかし、2番手の子は、引き続き「誰?」(47)と尋ね、しばらく尋ねた所作のまま「祈り」に入らなかった。
 詳しい書き起こしと分析は別稿に譲るが、撮影した動画からおおよそ次のことが観察できた。この新入生の祈りは途切れ途切れの上、馴染みの手話がときおり「支離滅裂」に織り込まれていた。例えば、1番手の上級生は祈りの中で「フラフラ遊ぶのはダメ」、「○○さんが到着した」などという文言を入れていたが、2番手だった新入生の祈りでは「来訪者??来訪者??来訪者??逃げ出す」、「○○さんは良い、逃げ出して、ダメ」というように、「意味」を取り出すと「支離滅裂」な表現になりがちだった。
 続く、3番手と4番手の上級生の男の子は、「病気の子は?」という質問をしなかった。しかし、その二人が祈り終わって新入生の女の子の番が来ると、その女の子は「病気の子は?」という表現をした。彼女と向かい合わせになる形で座っていた上級生がその女の子の目の前で自分の手を振ってしきりに両手を合わせ(48)、ようやくその子は目をつぶり「祈り」を始めた。この女の子の場合、「雨は嬉しい」、「静かにするのは正しい」、「遊んでばかりはダメ」と解釈できる表現をしたものの、「来訪者、主」、「遊ぶ、アーメン」というように「意味」としてはつながらない表現もあった。
 PPIで祈るとき、ゲストスピーカーがいれば「来訪者」に言及することと、上述したように禁忌事項に関して「××はダメ」と言うことが習慣になっていた。祈りではほかにもさまざまな文言が現れ、最後に「主(イエスキリスト)、アーメン」(49)という手話の表現をもって締めくくられる。
 このことから言えることは、上級生の手話の動きを新入生がたどっているということである。新入生による表現が「支離滅裂」になるのは、上級生が祈る中で出した手話をとりあえずたどってみたものの、すべてをたどりきれなかったことに起因すると言えるだろう。
 しかし、この「支離滅裂さ」に対しては、誰も「ツッコミ」を入れることはない。上級生も教員も新入生の「祈り」を静観する。教員はむしろ、新入生の「祈り」を見ながらうなずくことすらある。「自分も祈っている最中だから、いちいち指摘しないだけだ」と言われるかもしれないが、PPIが終わってからも新入生の祈りの「支離滅裂さ」を修正しようとする者はいない。つまり、新入生が「祈る」ということに参加することをめぐって、「祈り」の「内容」が正しいかどうかということは、考慮に入れられていない。「上級生の祈りの動きをひとまずたどる」ことで、新入生は十分「祈り」に参加していることになり、「祈っている」ということにもなるのである。

写真2 左端が「わかってる」と言う子。両手を広げているのが2番手の新入生[省略]


 3.2 新入生の賛美歌を歌うことへの参加──“ゆれる”からだ
 PPIでは、上述したように、まず子供がほぼ全員前に出て賛美歌を歌うことになっている。前列には食堂の後方を向いて最下級生がならび、その後ろに上級生がならぶ。そして、上級生の何人かが、最下級生と向かい合わせにならぶ(写真3)。
 新入生は上級生に促されて並ぶものの、上級生が歌い始めても何が起こっているのかわからないようで、最初は周りを見回すだけの子が多い。その間、上級生、特に女子は体をリズミカルに動かしながら、手話と発声を伴って賛美歌を歌う。
 手話を出すタイミングと発声のタイミングはほぼ同じである。また、手話および発声とからだ全体の動きのタイミングも合っている。加えて、一人の子供においてそれらのタイミングが合うだけでなく、手話の表出や発声のタイミングが数十名で合っていく。子供が賛美歌を歌っている動画に先述のメトロノームソフトを合わせたところ、概ね、1分間に103拍くらいから115拍くらいの間で、10秒から長くて約1分近く皆で一定の拍を刻んでいた。
 新入生は最初そうした上級生の様子を見ているのだが、まず上級生と同様に体をリズミカルに揺らすようになる。そして、声を出すようになる子や、上級生が手話を出すのと同じタイミングで、手を振り始める子が出てくる。更に、手話の手形は不明確ながらも上級生の手話の形を似せるようになる。このような事態が続いた後、新入生は上級生と同様の賛美歌を歌うようになる。こうしてPPIは、子供たちによる歌を含んだダンスのアンサンブルから始まることになる。
 このPPIの時間には、概ね同じ賛美歌が歌われるが、日によって歌われる順序が異なることがある。そして、ある賛美歌と別の賛美歌の間の切れ目では、上級生の誰かが「終わり」を表す手話を出すこともあるが、次の歌までの間は1秒もないことがある。新入生は、こうした状態でいくつかの賛美歌を歌うことに参加するのだが、のちにそれぞれ一つずつの歌として賛美歌を歌うようになる。
 より細かな記述と分析は別稿に譲り、ここでは、この「賛美歌を歌うこと」において新入生がまず始めるのは、「体をリズミカルに揺らすこと」、「手を振ること」だということを確認しておきたい。そして、上級生の手話=手の動きを自分の手でたどっていくというやり方で「賛美歌を歌う」ことに参加しているのである。

写真3 背中を向けているのが上級生。その間に見える前列の子が最下級生[省略]

 3.3 まとめ
 新入生は「祈ること」において、上級生のからだの動きをたどっていくことになる。しかし、前節の市場でのやりとりに関する考察の箇所で少し触れたように、子供たちの日常のやりとりにおいて相手の手の動きすべてを完全にたどることは新入生のみならず皆にとって難しいと考えられる。低学年クラスの「母語」の授業では、教員のやってみせる手話は動きがゆっくりであり、子供たちの手形を一つ一つチェックし修正することもある。だが、子供たちは互いにそれほど「親切」ではない。特に新入生は上級生が澱みなく繰り出す手話のすべてをたどることなど不可能である。そのため、「祈り」は「支離滅裂」になっていた。ここでは、しかしながら、「祈りの支離滅裂さ」に関係なく、新入生は上級生のやったことをたどるだけで「祈ること」に参加できている。
 賛美歌の例は、前節の母親と娘(ほか近所の子供たちや筆者)のやりとりよりも顕著にリズムが深く関わっていることを示している。彼女たちのリズムは、繰り返しになるが「音」に合わせて生まれるものではなく、体を動かしていくなかで刻まれていく。「聴覚の有無」にかかわらず一定の拍を大勢でかなり長い間刻んでいることは注目に値する。では、「音」のない状態でなぜ一緒にリズムを刻めるのか。
 古川(2007b)では、聾学校の子供たちのダンスと、世界各地のHip Hopダンスや人が歩く映像をコラージュして作成した拙作映像“rhythm”を提示した。このとき「歩く」ことと「リズムを刻む」こととの間の関係について示唆した。音楽のリズムが、人の運動、とりわけ歩いたり走ったりする動きと深い関わりがあるということについては、音楽学が専門のランドンも指摘していることである(London 2006)。これについてもより詳しい分析が必要だと考えている。
 祈りの事例と賛美歌は、このようにまとめるとまったく異なる方向性に見えるかもしれない。しかし、筆者自身が現時点で見出しているこの2つの事例の共通点は、「今、ここ」の「からだの動き」である。


4. むすび

 4.1 ケニアの「多言語」状況の捉え方

 メッセージ
聡明な学生は、シェン(50)が分かりスワヒリ語のsanifu(標準)からそれを区別する。
優秀な言語学者は、諸言語は動的であると分かっていてthouからyou、whilstからwhileを選別する。
マブダチは、自分の気分ぴったりに表現したいときにどの言葉を使えばいいか心得ている。
『シェン辞書 第5版』(Moga and Danfee 2004)(51)

 序論で提示した論点を振り返っておこう。一つめは、ケニアの「多言語」状況をどのように捉えればよいかということであった。この状況は多くの場合、ひどく大きな文脈で語られがちである。「大きな文脈」とは、例えば「言語の政治性」を論点とした議論である。
 アフリカ諸国は「多言語社会」と言われ、こうした状況は、人々を分かち、国の「発展」を妨げるとみなされることがある(Bamgbose 1994; Fardon and Furniss 1994)。いわゆるヨーロッパ型の近代国民国家は「言語=民族=国家」という枠組みで成り立ってきたが、アフリカ諸国はそうした枠組みが成り立たない(砂野 2009)。イギリスの植民地支配下にあった東アフリカでは、まず、「民族」や「部族」といった類の集合体がもともとあったのではなく、植民地行政官が現地のいわゆる「伝統的首長」を認定しその首長の支配が及ぶとみなした住民を「部族」あるいは「民族」と呼ぶようになった。そして、言語もまた、元来個別のものとして人々に認識されていたのではなく、キリスト教の宣教活動に伴う辞書の翻訳とそれと連動した学校教育の導入により、個別のものとして創出されていった(以上、稗田 2002)。
 「言語の政治性」のような大きな文脈は、少なくとも筆者が調査したK聾学校の子供や周囲の人たちの日常生活とは大きくかけ離れるものである。古川(2007a)では、一旦、このような「大きな文脈」にケニアの「『多言語』と言われる状況」を位置づけてみた。そこで言えたことは、ケニアの場合、「言語」と「人」が1セットにはならないということである。言い換えれば、「何語を話すか」ということと「その人は何者なのか」ということは関係がない。
 本稿は、こうした大きな文脈を脇に置き、ケニアの聾学校の子供や周囲の人たちの事例を記述することで「『多言語』という状況をどのように捉えればよいか」という問いに答えると共に新たに生じた課題を提出してきた。少なくともK聾学校の子供や周囲の人たちの事例から言えることは、それぞれの人が一つずつの言語を話すという状況ではないということである。同じ「ナンディ人」同士でも、英語やスワヒリ語、ナンディ語が「混ざる」のである。
 ことばが「混ざる」ことは、日本で生まれ育った私たちには馴染みのないことだと思われるかもしれない。しかし、次のように考えることはできないだろうか。あるときは「方言」と呼ばれることばを話し、あるときは「標準語」と呼ばれることばを話し、あるときはそれらが「混ざった」状態で話す。「方言」は、それが主に使われている地域の住民に言わせれば「不正確」なイントネーションや使い方かもしれないが、その地域の出身ではない人が、ある場面で「何となく」「それっぽく」「いつの間にか」発してしまうこともある。また、授業中は「丁寧語」で発言するが、休み時間には「ギャル語」でおしゃべりをする子もいるだろう。あるいは、研究会という「フォーマル」な場で使われることばは、それに続く居酒屋での懇親会という場とは異なることが少なからず起きるだろう。それでも、私たちは単に「ことばを話している」に過ぎない。そして、日常のやりとりの多くは、「いい加減」で「好き勝手」にしゃべっているだけである。少なくとも、筆者が滞在した期間のK聾学校やその周辺地域の人々の日常のやりとりからは、このような事態とあまり変わりがないように窺えたのである。

 4.2 からだの動き、ダンスへの注目──今後の展望として
 冒頭で示した二つめの論点、「やりとりにおいて何が起きているか」という点について、「からだの動きに注目する」と宣言したものの本稿では十分に記述・分析することができなかった。従って、結論も現段階で出すことができない。
 結論に代えて、初等聾学校の子供たちのダンスの例とその例から導き出した論点を最後に取り上げておきたい。K聾学校の特に低学年の女の子たちはしばしば複数人で踊り出した。写真4は女子寮内で、空のポリタンクを打ち鳴らす子と踊り出した女の子を撮ったもので、写真5は、低学年の女の子たちが踊り出したときに撮ったものである。彼女たちのダンスは賛美歌を歌っているときと同じようにタイミングが合っているように見える。
 別の例を挙げると、「ケニア全国聾学校スポーツ・文化活動競技会」に向けて、子供たちはダンスの練習を重ねた。「ナンディの伝統的ダンス」に造詣が深いとされる教員が、ダンスの型を子供たちに教え、子供たちはそれを練習した。オーケストラで言うところの「指揮者」の役割を果たす子供(52)がいるものの、ほかの子はその「指揮者」を常に見ているわけではない。それでもダンスのタイミングが合っていった。また、そのダンスでは太鼓を鳴らす子と角笛を吹く子がそれぞれいたが、音を出すタイミングも練習を重ねる中で合っていった(53)(写真6)。
 第3節で記述した賛美歌の例もそうだが、いずれの場合も、「音楽を耳で聞いて、そのリズムに体の動きを合わせる」ということは起きていない。これをどのように考えればよいか。
 聾学校の子供たちによるダンスの事例からは、「五感」と呼ばれる切り分け方が妥当なのかという新たな論点が導き出される。そして、この論点は、ケニアの聾学校の子供たちを知るためだけの議論にとどまらない。
 近年、領域横断的に研究者が集まり人の感覚について再考する論集が、シリーズ「感覚の諸形態」としていくつか出版された。その中の一つ『視覚』に興味深い論考が収録されている。それは「写真、オーラリティ、そして歴史」(Edwards 2008)である。著者エドワーズは、ある儀式を主催する老人が調査者の撮影した儀式の写真を前に歌うというアボリジニの例(Poignant and Poignant 1996)を取り上げている。その老人は一連の写真の中に撮り込まれた儀式に正確に対応する歌を歌った。老人は、歌いながらたたく棒のように写真を扱う。写真を持ち、リズミカルに指で叩き、棒の音を思い出す。エドワーズは、このポイナントの報告を参照しながら、次のことを述べている。写真の経験については、写真の意味やインパクトへの視覚的な応答に矮小化して考えることはできない。そうではなく、写真の経験は、視覚や音や触感が溶けこむ物語の使者としての写真に対する肉感的な関与(54)というように理解されなければならない(Edwards 2008: 246)。
 エドワーズの論考は「目に見えるもの」が視覚でのみ受容されるものだとする立場に疑問を投げかけている。ケニアの聾学校の「耳の聞こえない」子供たちのダンスの事例は、「視覚言語」(eg. 斉藤 2003)と捉えられがちな手話に対して新たな視座を提供するだろう。同時に、その事例を通して人の「五感」を再考することも可能だと筆者は考えている。

写真4 ポリタンクをドラム代わりに叩く子と踊り出す子供たち[省略]
写真5 踊り出す女の子たち[省略]
写真6 全国大会でダンスするK聾学校の男子。右手前が「指揮者」、一番左が角笛係、その右隣がドラム係[省略]


[付記]
 本稿で使用した民族誌的データは、2003年1月から2006年1月にケニアで断続的に実施した計22ヶ月にわたる現地調査で収集した。調査は、澁澤民族学振興基金「大学院生に対する研究活動助成」、笹川科学研究助成、科学研究費(特別研究員奨励費)の支援を受けて実施した。調査中は、日本学術振興会ナイロビ研究連絡センターの駐在員の方々及びそこに出入りしていた研究者の方々に大変お世話になった。心より御礼申し上げる。


[注]
(*)一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程(人類学)。
(1)ケニアには、ごく小規模のものも含め聾学校が80校近くある(Kenya Deaf Resource Centre調べ)。K聾学校は西部リフトバレー州ナンディ県の中心地に所在する寄宿制の初等聾学校である。K聾学校周辺の住民はカレンジン系(ナンディ人、ケイヨ人、キプシギス人ほか)が多いが、ルイヤ人、ルオ人、キクユ人、キシイ人なども居住している。
  K聾学校の設立の経緯は次の通りである。イギリス植民地時代の公文書(MOH/27/7, Kenya National Archives)を紐解くと、ケニアの聾学校設立は、遅くとも1950年代からイギリス植民地行政府(医療部局および教育部局)やイギリス人が設立したケニア聾唖児協会(のちにケニア聾児協会と改名)の主導の下に計画された。そして、聾学校の多くは独立前後の1960年代半ばに教育部局や地域の教会の支援などで設立された。1965年の聾児協会の定例会議録によると、筆者が調査を行ったK聾学校の前身は1964年から1965年の間に設立されたようである(以上、MHH: 1965)。
  2006年時点で、K聾学校には「低学年クラス」と呼ばれる前・初等課程の学級2クラスと初等過程1年次から3年次までの計5クラス、そして「高学年クラス」と呼ばれる4年次から8年次までの計5クラス、合計10クラスあった。子供たちは6歳から18歳くらいまでの計100名前後が在籍していた。教職員はおよそ30名前後で、大半がカレンジン系だが、ルイヤ人やキシイ人の教員がいた。また、職員2名はK聾学校の出身だった。
(2)子供たちの帰省先は、K聾学校に徒歩で来られるくらい比較的近いところから、ミニバスなどを乗り継いで数時間あるいは途中親戚の家を経由しなければならないほど遠方のところまでさまざまである。
(3)これについては、古川(2007a)で議論したので、そちらを参照されたい。
(4)本報告は、2010年2月12日に立命館大学で行われた、 立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点院生プロジェクト「障害者の生活・教育支援研究会」、「聴覚障害者における文化の承認と言語的正義の問題」研究会で筆者が行った口頭発表「言語/文化は人を分けるものなのか?:ケニア初等聾学校の子供たちと周囲の人々のさまざまな語り方を事例に」をベースに大幅に加筆・修正したものである。
(5)経済産業省:特定サービス産業動態統計調査、「長期データ26. 外国語会話教室」。
(6)筆者も、以前「英会話教室」に通ったことがある。しかし、ケニアの友達に「初めて来た時は、英語すら話せず、静かだったわね」と言われたくらいの「実力」だった。
(7)http://www.takaratomy.co.jp/products/bowlingualvoice/
(8)キリスト教系の言語研究・記録団体。聖書の現地語翻訳の活動も行っている。独自に調査した世界各地の言語情報をhttp://www.ethnologue.com/に公開している。
(9)弔辞に出てくる「エスタ」はナンディ出身で亡くなった夫がケイヨ出身だった。そのため、集まった親族などはほとんどがナンディ出身かケイヨ出身だった。エスタによるとナンディ語とケイヨ語は「イントネーションが違うくらい」とのことだった。
(10)ケニアの初等・中等学校には授業科目で「宗教教育」があり、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教のいずれかを学ぶことになっている。K聾学校はキリスト教系の学校で、子供たち全員に聖書協会が発行した青いポケットサイズの英語版聖書(新約)が贈呈される。子供たちはキリスト教に関係する学校の授業やイベントでこの聖書を参照する。
(11)アメリカの聾者のための大学ギャロデット大学への留学経験もあるンドゥルモ博士らによって、ASLの単語を基に編まれた辞書である。
(12)1961年の「アフリカにおける聾の調査:東・西アフリカ訪問に際しての予備レポート」には、「聾の子供たちのための中心的な大規模施設を設置すべきだという意見はなく、聾の子供たちの出身地、子供たち自身の言語地域に聾学校を設置し、予備的な訓練を終えたらすぐにでも通常の学校に統合するのが望ましいという意見がある」という記述がみられる(MH 1961: 10)。また、1965年の聾児協会の定例会議の記録によると、ナイロビのアガ・カーン学校では英語で、(ケニア西端の)ボンドという町に近い学校ではルオ語で、ムミアスという町の学校はルイヤ語で教えていた(MHH: 1965)。
(13)ケニア教育省管轄下のケニア教育協会(KIE)の傘下にあり、精神障害者、視覚障害者、身体障害者(いずれも「障害」は“handicapped”という表現)、そして聴覚欠損(“impaired”)者に対する教育者養成コースがある。
(14)特に都市部では様々な地域出身の人々が居住しているため母語を一つに絞ることができず、スワヒリ語の授業に代えられることが多い。他方、都市から離れた地域では、前・初等課程及び初等学校の1年次から3年次のクラスで母語を独立した科目として教授するケースが見られる。
(15)ケニア全国スポーツ・文化活動競技会の州大会後に、他校の生徒が使っていた挨拶がK聾学校の女子生徒の中で一時期流行ったことがあった。K聾学校では、日本語でいえば「こんにちは」にあたる手話は、両手で握手をする形にして額の前で前後に軽く振るものだった。流行ったのは、両手を広げて(指先はこめかみ部分)手首を曲げて両手のひらを前に出し、その時に口が「ハロー」と言っているように動くという所作だった。この所作は、各辞書に拠ればケニア手話、KIE手話、アメリカ手話とも、片手のみを使うことになっているが、このケースでは両手だった。
(16)古川(2006)では、この類いのやりとりを「即興寸劇的コミュニケーション」と名づけた。「即興」としたのは、このやりとりの「今、ここ」性を強調したかったからだが、この捉え方(名づけ方)が妥当かどうかも含め議論を深める必要がある。
(17)ケニアでは11月に、聾学校を含めた初等及び中等学校で全国統一の卒業資格試験を行う。この試験を前に、試験志願者にはサクセス・カードと呼ばれる激励のカードが友人、家族、親戚などから送られる。
(18)統語論的に言えば語順が英語ならばSVOのところがOSVになるといったケースがみられる。また英語では通例動詞や名詞として使われる単語が、英文の手紙で接続詞的に使われることがある。例えば“And move S V?”というように使われた場合、“move”は、「それは置いておいて」=「話は変わって」という意味で使われている。K聾学校の生徒の手話では、話が変わる際に、英語に直訳すれば“move”という手話が使われることがある。
(19)だからといって手話の意味と英語やスワヒリ語の単語の意味が辞書のように一対一で対応するわけではない。例えば口で“bado”(スワヒリ語。英語の“still”や“not yet”の意味)と言いながら用いられる手話単語は、多くの場合“not”の意味となる。
(20)発声の質は一様ではなく、明瞭な声のほか、囁き声がある。また、発声の場合、いつも囁き声になる子供もいれば、場合によって声が大きくなったり小さくなったりする子供もいる。
(21)K聾学校に在籍しているのは、カレンジン系住民の子供が多いが、ルイヤ、ルオ、キクユ、キシイ、ボラナ出身の子供や、「モンバサ出身」の子もいる。なお、「モンバサ」は海岸部にある大都市の地名でいわゆる「部族名」ではない。
(22)キマルはスワヒリ語で筆者に話しかけてきたことがあり、そのとき帰省先でスワヒリ語を話すのかと手話で尋ねたところ「ちょっとだけ」と手話で答えた。そこで筆者が「ナンディ語はしゃべるのか?」と尋ねてみると、キマルは「口でベラベラしゃべって、疲れたら、手話する(笑)」と手話で言っていた。
(23)kass は「聞く」という意味のナンディ語。
(24)K聾学校周辺地域では住民のほとんどがクリスチャンで、毎週日曜日(Seventh-day Adventistに所属している人は土曜日)には礼拝やミサに行くことが習慣となっている。
(25)プロテスタント教会の礼拝は筆者からすれば「ショー」の色彩を帯びている。K聾学校周辺地域の大きな教会にはドラムやキーボードの奏者がおり、ポップなメロディとリズムで参列者自身が賛美歌を歌ったりクワイヤ団体の合唱を聴いたりする。また、牧師の熱い説教で教会は大いに盛り上がる。小規模の教会でも、ピアノが設置されていたり、ギター奏者がいたりするなど、音楽演奏には事欠かない。余談になるが、歌と演奏が合わさるとき、歌が先に始まって、歌われているメロディやリズムに楽器の奏者が自分の楽器をチューニングしていく光景がよくみられる。
(26)筆者が購入したこの聖書を見せると、「カレンジンのいろいろな語を引っ張ってきている」「カレンジンのいろいろなことばの中間をとっている」と言われた。
(27)前出のSILによるエスノローグでは、ナンディ語はカレンジン系諸語として分類されている。既に述べたように、統語論的に言えば、ナイル・サハラ語族に属する言語である。繰り返しになるが、カレンジン系諸語とは、ケイヨ語、キプシギス語、マラクェット語、ナンディ語、オギエック語、ポコット語、サバオット語、テリック語、トゥゲン語である。ナンディ語話者によると、ナンディ語はゆっくりで簡単だから他のカレンジン系の人にも通じるが、その逆は難しいこともあると言う。この件については、カレンジン系住民のうちナンディ人が有力だ(と本人たちが思っている)からという見方もあるだろうが、本稿では政治的な争点には立ち入らない。本稿では便宜上、「ナンディ語」と記述している。
(28)ナイロビの職業訓練校の教員も同様のことを語っていた。職業訓練校の教員は技術専門の教員のため、KISEや大学の聾学校教育専門コースを出ていない。そのため、手話を全く知らない状態で着任し、生徒から手話を学んでいくと言う。
(29)K聾学校では“PEOPLE”の表現にはASLが使われ、左側のKSLの辞書に掲載されている表現のときは“body”[英語]という発声が一緒に現れることが多かった。
(30)特に、K聾学校の新入生は、最初の長期学校休暇期間中に学校で使っている手話を帰省先の親やきょうだいに対し一方的に使用するケースがみられる。例えば、最下級学年の子供の母親が学校を訪ねてきたおり、ある手話がどうしてもわからない、けれども自分の子供は何度もその手話を使って何かを言おうとしている、とその手話の意味を筆者に尋ねたことがあった。他方、上級生に関しては、相手に伝わっているかどうかを念頭に置きながら手話で相手が理解していないようであれば音声言語で補足するという光景もみられた。
(31)ナンディ語で「茶葉」。
(32)この母親は【例2】の弔辞に出てきたエスタである。【例2】と同様の理由で、ここでもナンディ/ケイヨ語とした(注9参照)。
(33)「サインネーム」は多くの場合ファーストネームの頭文字のアルファベット手形を上半身のどこかにつける所作になる。その人の癖(例:手を胸の前でブラブラさせる癖のある子はその所作)がそのままサインネームになるケースもある。K聾学校では、新入生のサインネームを上級生がつける習慣があった。K聾学校の子供が帰省先の家族や近所の人といった身近な人にサインネームをつけ、特にきょうだい同士では互いに使用するケースもよくみられた。
(34)【例5】の書き起こしでは筆者を省略しているが、今後映像を書き起こす中で、カメラを持った筆者をいれなければならないと考えている。
(35)ここでの議論は、日本文化人類学会第42回研究大会での口頭発表「楽しみとしてのコミュニケーション:ケニアの聾学校の生徒と周囲の人々の交流から」(古川2008)をベースにしたものである。
(36) 妹の位置からは、売り手の数字は見えにくかった。
(37) 筆者には何語かわからず、聞き取れなかった。
(38) 手のひらを上にし指先を自分の側に返す所作。
(39)ルロワ=グーランは『身ぶりと言葉』(ルロワ=グーラン 1973)で、オーストラリアのチュリンガ(神話的な祖先の姿や神話が生まれる場所を現した抽象的なモチーフ)を次のように分析する。チュリンガは「祭祀を行うものが朗誦のリズムに従って指の先で形をたどっていくのである。こうしてチュリンガは、表現の二つの源、つまり言葉のリズムによる運動機能と、同じ律動的な過程にひき入れられた図示表現の運動機能を利用する」(ルロワ=グーラン 1973: 191)。従って、図示表現は「形を表現した表徴(シーニュ)ではなく、リズムを表現した表徴(シーニュ)から形づくられてくる」(ルロワ=グーラン 1973: 192)。ルロワ=グーランの考察に従えば、その過程を経て残された図示表現の文脈は「朗誦者とともに消滅する」(ルロワ=グーラン 1973: 196)。
(40)撮影中はこの母親が正確に何という語を発したかは気に留めていなかった。映像を再生して筆者に聞こえたままに表記したが、言語学的には間違っている可能性がある。また「服」という訳も、子供のワンピースを指している語だという筆者の解釈から、ワンピースを含めたより広義の訳語を当てたものであり不正確かもしれない。なお、筆者が知る限りでは、“?et”は、ナンディ語で名詞の単数形であり、これも「服」という訳語にした理由である。
(41)実際のところは、この“e!”を、ナンディ語か英語かなどと区別するのは不可能である。
(42)中指を曲げて額を叩く所作で「病気」[ASL](Costello 1998)となる。このときは、この「病気」を表現した手をそのまま(手のひらが上の状態で)前に下ろす(胸の高さで止める)所作があり、その二つを併せて「病気の子は?」訳した。筆者が調査中によく見かけたのは、聾学校出身の人でなくても例えば「カレネ? kale ne?」(「何言ってる?」[ナンディ語])ということばと一緒に、もしくは「手のひらを返す」という所作だけが単独で使われるケースだった。筆者の経験上、「何か用?」「どうした?」と相手に問うときにこの所作が出るようだった。
(43)両手の平を前後に少しずらした状態で向かい合わせにし、上下左右に振るという所作。これは、物理的にうろつくという手話表現だが、転じて「男/女の間を渡り歩く」ということを指す場合もある。
(44)左人さし指と中指で右人さし指を挟んで押さえ、挟む力に抗するように右人さし指を前に出す所作で「逃げ出す」[ASL](Costello 2001)。稀に子供が学校から逃げ出すことがあり、そのことについて教員がこの表現を用いて日頃から子供たちを戒めていた
(45)このPPIはビデオで撮影していたため、撮影した動画をもとに記述する。
(46)人さし指を曲げ、その指先でこめかみを軽く叩く所作で「知る」[KSL](Akach 1991=2001)。
(47)両手の平を返して、皆を見回したため、このように訳した。KSLやASL、KIE手話の辞書に掲載されている手話表現ではない。
(48)祈りを始めるとき、まず手を合わせる。手を合わせる所作は、「祈る」[KSL]である。手を合わせて若干間をおくことで、「祈りましょう」という表現になる。
(49)「主」、「イエスキリスト」、「アーメン」はそれぞれ手話表現がある。「主」と「アーメン」の間に「イエスキリスト」という表現を入れる子もいるが多くはそれが省略される。
(50)「エスノローグ」には記載されていないが、ケニアにはシェン(Sheng)と呼ばれるいわゆる「若者語」がある。1970年代にナイロビで生じたとされるが、既に1930年代初頭には「アングラ」用語としてそれらしき言葉があったという説もある(Ogechi 2005)。たとえば挨拶で“sasa?”(スワヒリ語「今」という意味の名詞)と問いかけ、“fit!”(英語のfit)や“poa!”(スワヒリ語で「穏やかになる」という意味の動詞の語幹)と応じるのが一例として挙げられている。K聾学校内でも特に若い男性教員や同年代の学校のミニバス運転手など気軽な者同士でよく使っていた。また、町の食堂で、メニューに“CHAPATI”(チャパティ)と書く代わりに“CHAPO”と書かれるケースが多いが、これもMoga and Danfee(2004)によるとシェンの一つである。
(51)「辞書」と言っても大仰なものではなく、文庫よりも一回り小さいサイズのブックレット状のもので、日本円にして30円程度、ナイロビの路上で新聞や他の雑誌と共に売られていた。
(52)体の向きやダンス中に列が変わる直前に、持っていた牛の尾の毛をつけた棒状のものを振って動作の変化の「きっかけ」を与える。
(53)低学年の女の子たちのダンスと競技会のために練習を重ねたダンスは「型の練習」という要素が入っているかいないかという点で異なっていると考えられる。後者は、モースが言うところの「身体技法」(モース 1976)の「訓練」に近いだろう。この点について加味しながら今後議論を深めたい。
(54)筆者が「肉感的」と訳したのは“corpothetic”という語である。エドワーズは言及していないが、“corpothetic”という語はBuck=Morss(1992)を参照しつつその語を作ったピニー(『視覚』の共著者の一人)の論考(Pinney 2001)に依拠しているものと考えられる。バック=モースによると、“aesthetics”の原義は古代ギリシア語で「感覚」を意味していた。ところが、近代を経て意味が変化し、感覚的経験は周縁に押しやられたという(Buck=Morss 1992)。なお、ピニーは神を印刷した紙に対するインドの下位カーストの人々のさまざまな肉体的関与を“corpothetic(な関与)”と表現している(Pinney 2001)。筆者が“corpothetics”を「肉感学」と訳し議論を行った論考に、バック=モースらの議論と絡めて写真や映像に対する人々の関与を扱った「映像の肉感学」(古川 2011)がある。試論ではあるが、写真や彫像という動かないモノを見た人がそれらに動きの痕跡を認め、肉体的(“corporeal”)に関与することについても触れてある。


[参照文献]
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 http://www.takaratomy.co.jp/products/bowlingualvoice/
Ethnologue
 http://www.ethnologue.com/
Kenya Deaf Resource Centre
 http://kenyadeafnet.org/mos/Frontpage/



UP: 20110728 REV:
聴覚障害・ろう(聾)  ◇聴覚障害/ろう(聾)の本  ◇生存学創成拠点の刊行物  ◇全文掲載 
 
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