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「アメリカにおける障がい者政策──実証分析のサーベイ」

藤井 麻由 2011/07/22
坂本 徳仁櫻井 悟史 編 20110722 『聴覚障害者情報保障論―─コミュニケーションを巡る技術・制度・思想の課題』,生存学研究センター報告16,254p. ISSN 1882-6539 pp. 118-142

last update:20110728


第一部

第5章 アメリカにおける障がい者政策──実証分析のサーベイ


藤井麻由(†)



1.はじめに

 アメリカでは、20年以上前から、障がいを持つ人々に対して所得保障を行いつつ、彼らの就業を促進するための政策が採られている。しかし、それにもかかわらず、障がい給付金の受給者の数は増加の一途を辿り、障がいを持つ人々の労働参加率は減少し続けている。
 こうした動きは、現行制度が人々や企業の行動にどのような影響を及ぼした結果、生じたものなのであろうか。この点を理解することは、現行制度の見直すべき点を明らかにするために、非常に重要である。そして、現行制度が人々や企業の行動に及ぼした影響を理解するためには、マイクロデータを用いた政策評価のエビデンスを蓄積していくことが、必要不可欠であろう。
 本稿では、アメリカの主な障がい者政策を紹介し、これらの政策の効果について、マイクロデータを用いて実証分析を行っている研究をサーベイする。特に、研究の主題だけではなく、データや分析手法における工夫にも触れ、他の国の障がい者政策の分析にとっても、有用なサーベイとなることを目標とする。アメリカの障がい者政策の研究は多岐にわたるが、本稿では、特に経済学の分野での研究で、障がいを持つ人々の所得保障を目的とした「社会保障障がい保険 (Social Security Disability Insurance〔SSDI〕)」と「補足的保障所得 (Supplemental Security Income〔SSI〕)」の効果、障がいを持つ人々の権利保障と差別禁止を目的として制定された「障がいをもつアメリカ人法(Americans with Disabilities Act〔ADA〕)」の効果、そして、障がいを持つ人々の職の維持や再就職の支援を目的とした「職業リハビリテーション(Vocational Rehabilitation〔VR〕)」の効果について、特に因果関係を識別することに留意して分析を行っている研究に焦点を絞る。
 本稿の構成は、以下の通りである。まず、第2節では、障がいの定義の多様性を認識したうえで、アメリカにおける、障がいを持つ人々の置かれている経済状況について概観する。次に、第3節と第4節では、アメリカの主な障がい者政策と、それを形成してきた歴史的な改革について説明する。 そして、第5節では、限定的ではあるが、マイクロデータを用いて、アメリカの障がい者政策の影響を分析している研究を紹介する。最後に、第6節でまとめを行う。


2.障がいを持つ人々の動向

 この節では、まず、障がいの定義の多様性について言及したうえで、障がいを持つ人々の置かれている経済状況を概観する。

 2.1 障がいの定義
 障がいの定義で、全ての場面で共通に用いられている唯一のものは存在せず、その概念は多種多様である。例えば、リハビリテーション従事者に広く用いられている、Nagiによって提唱された障がいのモデルでは、障がいを以下の4つの段階に分けて考える(Cornell University Rehabilitation Research and Training Center on Disability Demographics and Statistics)。1段階目は、人間の身体的・精神的作用を妨げる病気または異常(pathology)である。2段階目は、人間の機能を制限するような心理的、生理的、或いは解剖学的な喪失(impairment)で、3段階目は、基本的・根本的な動作・活動をすることに対する制限(functional limitation)である。そして最後に、4段階目は、社会的に期待されている役割或いは仕事を遂行することに対する制限(disability)である。各段階から次の段階への移行を回避できるか否かは、個人の性質や社会的環境によって決まるとされている。世界保健機構(World Health Organization〔WHO〕)の国際障がい分類(International Classification of Impairment, Disability and Handicap〔ICIDH〕)も、概念的には、Nagiのモデルと類似している。
 NagiモデルとICIDHは、障がいの医学モデルに分類される。障がいの医学モデルは、障がいを病気や事故等の心身の状態に起因するものと捉える点、障がいに対しては医学的な介入が重要であるとする点に特徴があるが、障がいを社会的文脈のなかで捉えていないとの批判がある。このような批判をもとに、障がいは社会的要因によって引き起こされる不利益や制限であるとする、障がいの社会モデルが提唱されている。近年では、医学モデルか社会モデルかという二極化した見方ではなく、両者を統合した折衷モデルのもとで、障がいを捉えようとする動きも出てきている(久野・Seddon 2003)。
 障がい政策の実証分析で実際に採用されている障がいの定義は、入手できるデータに依存する。最も一般的な定義は、「就業を制限するような健康上の問題」や「基本的・根本的な動作・活動をすることに対する制限」であり、個人がこのような健康上の問題や制限のもとにあるか否かの情報は、アメリカの各種統計調査(Census2000, American Community Survey〔ACS〕, Current Population Survey〔CPS〕, National Health Interview Survey〔NHIS〕, Medical Expenditure Panel Survey〔MEPS〕, Panel Study of Income Dynamics〔PSID〕, Survey of Income and Program Participation〔SIPP〕, Health and Retirement Survey〔HRS〕)で収集されている。その他、各種調査に含まれる障がいに関するデータは、Brault(2008)にまとめられている。

 2.2 障がいを持つ人々の動向
 この小節では、アメリカの、18歳から64歳の男女のうち障がいを持つ人々の割合、雇用状況、経済状況に関する統計を示す(1)。ただし、ここで障がいを持つとされる人々は、CPSに「遂行可能な仕事の種類及び量や就業を制限するような健康上の問題または障がいがある。」と答えた人々のことである。
 アメリカにおいては、18歳から64歳の男女のうち障がいを持つ人々の割合は、2009年で8.1%となっており、1981年からほぼ同じ水準で推移している。障がいを持つ人々の雇用状況であるが、雇用率は、1990年の28.7%から2009年の16.8%と、ここ数年低下の一途をたどっている。障がいを持つ人々の年間中位所得は、2008年に32500ドルとなっている。これは、障がいを持たない人々の中位所得の約半分の額である。また、障がいを持つ人々の貧困率は2008年には28.1%に及び、障がいを持たない人々の貧困率の約3倍という非常に高い水準にある。これらのことから、障がいを持つ人々の経済状況は、相対的に良くないことがわかる。さらに、障がいを持つ人々のなかでも、白人でない人々や教育水準の低い人々の経済状況は特に悪いことが知られている(Haveman and Wolfe 2000)。


3.障がい者政策

 この節では、アメリカの主な障がい者政策を3つ紹介する。その3つとは、障がいを持つ人々の所得保障を目的とした社会保障障がい保険(SSDI)と補足的保障所得(SSI)、そして、障がいを持つ人々の職の維持や再就職の支援を目的とした職業リハビリテーション(VR)である。障がいを持つアメリカ人法(ADA)は、第4節で紹介する。

 3.1 社会保障障がい保険(SSDI)(2)
 社会保障障がい保険(以下、SSDI)は、65歳未満の障がいを持つ人々の所得保障を目的としたもので、民間企業の雇用者、被用者、一部の自営業者を対象とした社会保険制度である。

(a)受給資格
 SSDIの受給条件として、(1)12ヶ月以上継続する、或いは死に至ることが予測される身体的・精神的障がいにより、実質的な稼得活動(substantial gainful activity)が行えない(月1000ドル以上の収入を得られない)こと(3)、(2)年齢や教育水準等からは従事可能であるような如何なる仕事も行うことができないこと、そして、(3)社会保障税を支払った期間が40単位以上(1単位は3ヶ月に相当)あり、そのうちの20単位を過去10年以内に得ていることである(4)。申請者の持つ障がいが受給条件を満たすかどうかの審査は、連邦政府との契約のもと、各州の機関に委ねられる。したがって、SSDIの障がいの定義は、全国で統一されているにもかかわらず、審査結果は、各州で異なる可能性がある。

(b)受給額
 SSDIの障がい給付額は、受給者の過去の勤労所得(全国の平均勤労所得の伸び率で調整される)から算出される調整済み平均月収額(Average Indexed Monthly Earnings)に対して、累進性を持つように決められる。したがって、障がい給付額の過去の勤労所得に対する比率(所得代替率)は、低賃金労働者であればあるほど高くなる(5)。また、受給期間が2年以上になると、公的医療保険であるメディケアが自動的に適用されるようになるが、低賃金労働者には無保険者が多いため、低賃金労働者にとってのSSDIの価値は相対的に高くなる。

(c)受給開始後の稼得活動と受給資格
 SSDIでは、受給者が稼得活動を行い始めても、すぐには受給資格を失わないように、試行就労期間(trial work period〔TWP〕)及び受給資格延長期間(extended period of eligibility〔EPE〕)を設けている。試行就労期間とは、5年間のうち最大9ヵ月までは、勤労所得の月額が720ドルを超える月があっても、障がい給付金を全額受け取ることができる期間である。5年間のうち10ヵ月以上、勤労所得の月額が720ドルを超えた場合、試行就労期間は終了し、受給者の稼能力についての審査が行われる。ここで、受給者が実質的な稼得活動を行えると判断されても、その後3年間は、勤労所得の月額が実質的な稼得活動を超えなかった月に関しては、障がい給付金を受け取ることができる。この期間が、受給資格延長期間である。

(d)SSDIの動向
 SSDIの受給者数は、1970年には約270万人であったが、2009年までに約3倍の約970万人にまで達している。これに応じて、SSDIへの支出(運営費等も含む)も、1970年の180億ドルから、2009年の1240億ドルまで増加した(Dahl and Meyerson, 2010)。この間の受給者の特徴の変化として、平均年齢の低下、女性の割合の増加、精神障がいが占める割合の増加等が挙げられる(US House of Representatives, 2004)。

 3.2 補足的保障所得(SSI)(6)
 補足的保障所得(以下、SSI)は、高齢者(65歳以上)、或いは障がいを持つ65歳未満の人々で、所得が低い人々を対象とした公的扶助制度である。ここでは、障がいを持つ65歳未満の低所得者に対するSSIに焦点を当て、制度の概要を説明する。

(a)受給資格 
 SSIの受給条件は、(1)SSDIの受給者と同程度の障がいを持つこと、(2)可算月収(countable income)が単身者で637ドル、2人世帯で956ドルに満たないこと(7)、そして、(3)総資産が単身者で2000ドル、2人世帯で3000ドルに満たないことである。受給者のなかには、SSDIからの給付金も得ているが、その金額を所得として数えても、条件(2)及び(3)を満たす者を含む。

(b)受給額
 SSIの給付金額は、単身者で最大月額674ドル、2人世帯で最大月額1011ドルである。連邦政府からの実際の給付金額は、これらの最大給付月額と受給者の可算月収の差に基づいて算出され、可算月収が高ければ高いほど低くなる。受給者は、彼らが受給資格のある他の全ての福祉プログラムに申請することが義務付けられているが、公的医療扶助制度であるメディケイドに関しては、ほぼ全ての州において、申請なしで適用される。

(c)受給開始後の稼得活動と受給資格
 SSIの受給者で稼得活動を行う者は、社会保障法(Social Security Act)第1619(a)項及び第1619(b)項の適用を受ける。この2つの条項は、SSDIの試行就労期間及び受給資格延長期間と同様、受給者が働き始めても、すぐには受給資格を失わないことを保障するものである。
 第1619(a)項のもとでは、受給者が就業し、勤労所得がSSIからの給付を受けることのできる水準を上回ったとしても、他の受給条件を全て満たしていれば、引き続き給付金を得ることができる。また、第1619(b)項は、受給者が就業したことによって、SSIからの給付金を得ることができなくなったとしても、メディケアには加入し続けることができるとしている。

(d)SSIの動向
 SSIの65歳未満の受給者は、2009年には約650万人となっており、1989年と比べて250万人程増加している。また、総給付額は、2009年で3億ドルとなっている。ここ20年間の受給者の特徴の変化としては、18歳未満の増加、精神障がいが占める割合の増加が挙げられる(US House of Representatives, 2004)。18歳未満の受給者数が急増したのは、1990年代半ばに、子供がSSIを受給するための評価基準が緩和されたこと(Zebley decision)が主な原因と考えられている。

 3.3 職業リハビリテーション(VR)
 職業リハビリテーション(以下、VR)は、障がいを持つ人々のスキルの向上や再就職を図るプログラムである(Bound and Burkhauser 1999; Haveman and Wolfe 2000)。運営主体は州政府であるが、資金の約80%は連邦政府が調達している。このプログラムが提供するサービスは、診断、アセスメント、医学的治療、教育/訓練、カウンセリングや職業紹介等様々である。後述する就労チケット及び就労インセンティブ改善法(Ticket to Work and Work Incentive Improvement Act〔TWWIIA〕)が1990年に制定される前までは、参加者自身によるVRの選択の余地は少なく、医療供給者等が彼らを職業リハビリテーション局(Vocational Rehabilitation Agency〔VRA〕)と呼ばれるサービス提供機関に紹介する仕組みをとっていた。双方の合意により、サービス提供機関に新規の利用者が登録した場合には、利用者各人の労働要件や生活要件に合った個別就労プランが作成され、そのプランに沿ったサービスや支援が行われることになる。

 以上、アメリカの3つの主要な障がい政策について概観した。この3つ以外にも、労災補償保険制度(Workers’ Compensation)や、退役軍人のための障がい補償制度(Veterans’ Affairs Disability Compensation Program〔VDC〕)等、障がいを持つ人々のための政策で重要なものは存在するが、本稿ではSSDI、SSI、そしてVRに焦点を絞る。


4.障がい者政策を巡る重要な改革

 この節では、アメリカの障がい者政策を形成してきた重要な改革を、3つ紹介する。

 4.1 社会保障障がい給付改革法(Social Security Disability Benefits Reform Act)
 1984年、政府は、それまで財政再建のために厳格化してきた、障がい給付金を受けるための評価基準を、再び緩和することになる。その主な内容は、以下の三点である(Autor and Duggan 2006)。

(1)客観的で立証可能な障がいの診断基準だけでなく、申請者が自ら報告する苦痛にも重点を置き、また、軽度であっても複数の障がいを持つ場合には、そのことを考慮に入れる。
(2)SSAが独自に行う医学的な検査よりも、申請者が受診している医療機関からの報告に重点をおく。
(3)精神障がいを評価するに当たり、診断や医学的な要素だけでなく、職場それに類似する環境で、個人がいかに機能できるかということも考慮する。

 4.2 障がいを持つアメリカ人法(Americans with Disabilities Act〔ADA〕)の制定
 1964年公民権法と1973年リハビリテーション法を拡張する形で、障がい者差別禁止のための包括的な法律として、1990年、障がいを持つアメリカ人法(以下、ADA)が成立した。同法は、従業員が15人以上の雇用者に適用される。ADAが対象とする「障がいを持つ人々」の定義は広く、「個人の主たる生活活動の一つ以上を著しく制限する身体的・精神的障がいを持つ者、このような障がいの経歴を持つ者、このような障がいを持つとされる者」となっている。その主な内容は、以下の通りである(久保・佐藤 2000)。

(1)雇用者に、「有資格障がい者」(ある仕事の中心的な必須職務を遂行する能力を持っている者)に対する「適切な配慮」(障がいを持つ人々を職場に受け入れるために必要とされる対応策)を義務付ける。ただし、このような対応を企業が行うことが、その企業にとって「重大な支障」となることが証明された場合は、このような義務付けからは免除される。
(2)連邦政府、州政府や地方自治体が提供する公的サービスの利用において、障がいを持つ人々に対する差別を禁止する。
(3)公共事業体や民間企業が運営する交通機関は、原則としてすべて障がい者の利用が可能にする。
(4)公共的施設、すなわち、不特定多数の集まる場所は、原則としてすべて障がい者の利用が可能にする。

 4.3 就労チケット及び就労インセンティブ改善法
   (Ticket to Work and Work Incentive Improvement Act〔TWWIIA〕)
 就労チケット及び就労インセンティブ改善法(以下、TWWIIA)は、1999年、障がいを持つ人々の労働市場への復帰をより効果的に支援することを目的として制定された。同法の概要は、以下の通りとなっている(Burkhauser and Daly, 2002)。

(1)労働市場に復帰した受給者に対して、公的医療保険への加入の継続を認める。
(2)障がいの改善が見込まれる18歳から64歳までの受給者は、原則として全員バウチャーを配布され、それを用いて、自分に適したVRサービスを提供している機関を自ら選択する。
(3)サービス提供機関として、職業リハビリテーション局以外に、社会保険局によって認可された公的機関、或いは民間団体である雇用ネットワーク(Employment Network〔EN〕)が新たに含まれる。
(4)雇用ネットワークは、利用者が就業してSSDIまたはSSIから撤退した場合にのみ、社会保険局から報酬を得ることができる。その報酬額は、当該利用者が就業以前に受け取っていた給付額の一定割合とする。


5.障がい者政策の実証分析

 この節では、社会保障障がい保険(SSDI)や補足的保障所得(SSI)からの障がい給付、障がいを持つアメリカ人法(ADA)、及び職業リハビリテーション(VR)に注目し、各々の障がい者政策が人々や企業の行動にどのような影響を及ぼしているかについて、マイクロデータを用いた実証分析を行っている研究を紹介していく。昨今、アメリカでは、増加を続ける障がい給付の抑制を目的(の1つ)として、障がいを持つ人々をとりまく制度の改革を行うことが検討されているが、様々な障がい者政策が、人々や企業の行動にどのような影響を与えるかについて理解することは、どのような制度改革が目的達成の為に有効であり、また、社会厚生の増加に繋がり得るのかを議論する為に、必要不可欠である。

 5.1 障がい給付(SSDIやSSI等)の効果
 この小節では、障がい給付について、障がいを持つ人々の経済状況に及ぼす影響、彼らの労働供給に及ぼす影響、そして、最後に、社会厚生に及ぼす影響について分析している研究を紹介していく。

 5.1.1 障がい給付の効果──障がいを持つ人々の経済状況に及ぼす影響
 障がい給付は、実質的な稼得活動に従事できなくなるというリスクに対して、所得保障を行うことを目的とするものである。Haveman, et al(1999)は、1982年のSocial Security New Beneficiary Surveyを用いて、SSDI及びSSIがこの目的をどれだけ果たしているのかを調べている。分析自体は記述的であり、1982年にSSDIとSSIからの給付を認められた20歳から65歳の人々のいる家計について、障がい給付のない状態では、所得水準が貧困線を下回る家計は約65%にも及ぶが、SSDI及びSSIからの給付は、この率を約20%に減少させることを示している(8)。したがって、これらの障がい給付は、障がいを持つ生産年齢の人々のいる家計に対して、一定の所得保障の役割を果たしているものと考えられる。

 5.1.2 障がい給付の効果──障がいを持つ人々の労働供給に及ぼす影響
 前述の通り、障がい給付は、実質的な稼得活動に従事できなくなるというリスクに対して、所得保障を行うことを目的とするものである。しかし、ある障がいのために実質的な稼得活動に従事することが困難か否かは、政府や研究者からは完全には観察不能な私的情報であるため、障がいを持つ人々は、実質的な稼得活動に従事することが可能であるにもかかわらず、障がい給付を申請及び受給し、労働市場から退出する誘因を持ってしまう可能性がある(9)。あるいは、障がい給付を受ける資格があると認められた後、障がいが改善しても、労働市場に戻らない誘因を持ってしまう可能性がある。先行研究に習い、以下では、このような潜在的な行動をまとめてモラル・ハザードと呼ぶ(10)。
 先行研究では、様々な方法により、障がい給付のもたらすモラル・ハザードの有無や大きさを測定する試みがなされている。以下では、単に便宜上、これらの先行研究を大きく次の2つに分けて紹介していく。すなわち、障がいを持つ人々の労働供給に対して(a)障がい給付の有無が及ぼす影響について分析している研究と、(b)障がい給付制度の仕組み(給付水準、審査基準、試行就労期間等)が及ぼす影響について分析している研究である。

(a)障がい給付の有無が及ぼす影響
 Bound(1989)は、仮に障がい給付が存在していなかった場合、受給者の間の労働参加率がどれくらいであったかを推定しようとしている。実際には、受給者が給付金を受けていなかった場合の労働参加率は観察不能であるため、受給者の集団に似た性質を持ちながらも、給付金を受けていない集団(比較群、comparison group)を選び、彼らの労働参加率を計算することになる。ここで、受給者の集団に似た性質を持つとは、労働市場に参加するか否かの決断に影響を及ぼす個人の性質(年齢や性別等の観察可能なものから、労働に対する選好等の観察不能なものを含む)の分布が、受給者の集団と同じであることを意味する。言い換えるならば、受給者の集団と比較群は、あたかも、社会実験によって任意に分けられた受給者の集団と非受給者の集団のようでなければならない。この条件が満たされない限り、比較群の労働参加率は、給付金を受けていなかった場合の受給者の労働参加率の一致推定量にはならない。したがって、比較群の選択がこの手法の鍵となる。
 Boundは、受給者の比較群として、障がい給付の申請は行ったが審査に通らなかった集団を選んでいる。そして、1972年の Survey of Disabled and Non-disabled Adults(SDNA)と1978年の Survey of Disability Work(SDW)からのデータを用いて、受給者が給付金を受けていなかった場合の労働参加率は、最大で30%程と推定している。もっとも、審査に通るか通らないかは任意の出来事ではなく、通らなかった集団は、通った集団よりも、労働市場に参加しやすい性質を持つことが予測される。そのため、著者は、この推定値は、モラル・ハザードによる労働参加率低下の上限値であるとしている。
 Chen and van der Klaauw(2008)は、Bound(1989)と同様、仮に障がい給付制度が無かった場合、受給者がどれだけ労働市場に参加していたかを推定することにより、モラル・ハザードの程度を測定しようとしている。しかし、Boundと異なり、比較群を選択するという難しさを、障がい給付金の受給資格の審査方法を利用することで、解決することを試みる。
 アメリカでは、医学的見地からだけでは給付金を受ける資格があるかどうかを判定できないとき、申請者の身体的・精神的機能の情報に、年齢、教育水準や、職歴等の情報を組み合わせたグリッド表を用いて、最終的な審査を行う。こうした審査方法では、給付金を受ける資格の有無を分けるカットオフポイントがどこかに存在する。例えば、50歳という年齢がカットオフポイントとなり、その他の性質が全て同じであっても、申請者が50歳であれば給付金を受ける資格があると判断され、49歳であればその資格がないと判断されることがある。こうしたカットオフポイントは、個々の申請者にとっては外生的に決まっていると考えられるため、Chen and van der Klaauwは、カットオフポイントに少し届かずに給付金を受けることができなかった集団を、カットオフポイントを少し上回って給付金を受けることができた集団の比較群として、regression discontinuity(RD)の手法を適用し、目的のパラメータを推定している。SIPPの1990年から1996年までのパネルとsocial security dataを用いて得た推定結果は、受給者が給付金を受けていなかった場合の労働参加率は、彼らの実際の労働参加率と比べて、最大で20%程高かったことを示唆している。ただし、この値は、あくまでもカットオフポイント周辺の申請者のモラル・ハザード効果である。

(b)障がい給付制度の仕組みが障がいを持つ人々の労働供給に及ぼす影響
 障がい給付の水準、特に所得代替率が、障がいを持つ人々の労働供給に及ぼす影響を分析し、モラル・ハザード効果を数量化しようとする研究は数多く存在する(Haveman and Wolfe 2000, p.1024, Table 10)。これらの研究の多くは、最小2乗法を用いて、ある個人が労働市場に参加しているか否かを示す2値変数を、その個人の障がい給付の所得代替率と、年齢、性別、及び教育水準等の変数に回帰することで、労働参加率の所得代替率に対する弾力性の値を推定している。
 最小2乗法を用いて労働参加率の所得代替率に対する弾力性の値を推定することは、平易であるという長所があるが、所得代替率の労働供給に対する内生性を考慮していないという問題点がある。所得代替率の内生性とは、ここでは、研究者には観察不能な個人の性質で、所得代替率と労働供給の双方と相関するものが存在することをいう。所得代替率が過去の賃金収入の関数であることから、このような個人の性質の例として、労働に対する選好や健康状態等が挙げられるであろう。所得代替率が内生であるにもかかわらず、それが考慮されていない場合、最小2乗法によって推定された所得代替率の係数は、この観察不能な個人の性質との相関をも反映してしまう為、この係数から計算された弾力性の値は、真の値からバイアスされたものとなる。
 先行研究には、所得代替率の影響にのみ焦点を当てているものが多いが、障がいを持つ人々の労働供給に影響を及ぼし得る障がい者制度の政策パラメータは、所得代替率だけではない。例えば、Gruber and Kubik(1997)は、障がい給付金を受ける資格があるか否かの審査基準の厳格さが、障がいを持つ人々の労働参加率に及ぼす影響について分析している。より具体的には、1970年代の終わりに、SDDIの資金調達危機という外生的なショックにより、全国で障がい給付の申請の却下率が高くなったことが、80年代の初期の、45-64歳の男性の労働参加率にどのような影響を及ぼしたかを推定している。1976年から1982年までのNHISのデータを用いた推定結果から、申請の却下率の10%の増加は、2.8%の労働参加率の上昇に繋がることが示された。
 Autor and Duggan(2003)は、障がい給付制度の寛大さが、障がいを持つ人々が失業してしまったときに労働市場から退出してしまう確率に、どのような影響を与えるかについて検証している(11)。より具体的には、1978年から1998年までのCPSデータを用いて州レベルの分析を行い、障がい給付の審査基準が厳格であった1984年以前と、審査基準が緩和した1984年以降で、州の人口1000人当たりの失業者数が1000人当たりの労働参加率に与える影響が、どのように変化したかについて分析している。ここで、州の失業者数は、州の労働参加率に対して内生である。州の住民の労働に対する選好等、研究者には観察不能な州の性質で、両者と相関を持つものが存在するからである。Autor and Dugganは、操作変数法を採用することによって、この内生性の問題に対処している。州の失業者数の操作変数としては、州の産業構造を所与とし、それぞれの産業が国と同じレベルの成長率を実現しているという仮定のもとで推計された、州の産業成長率を用いている。この操作変数法により、失業者数は労働参加率に対して負の影響があること、この負の影響の大きさは、障がい給付の審査基準が緩和した1984年以降のほうが大きいことが示された。この推定結果は、障がい給付が寛大であればあるほど、失業というショックが起こった時に、障がいを持つ人々が労働市場から撤退する確率が高くなることを示唆している。
 Hoynes and Moffitt(1997)は、障がい給付金の受給者の労働供給を増やすことを目的として設定された試行就労期間(以下、TWP)と受給資格延長期間(以下、EPE)(第3節参照)が、実際にその目的を達成し得るのかどうかについて調べている。TWP及びEPEは、受給者が働くことに対する限界税率を下げるため、これらの制度によって労働供給が増えることが予測される。しかし、同時に、TWP及びEPEは、障がい給付金を受給しながら得ることのできる所得水準を上げるため、受給者となることの価値が高まり、それまで実質的な稼得活動に従事していた人々が、障がい給付金を受給する誘因を持つようになることも考えられる。この後者のモラル・ハザードの誘因がどれだけ大きいかを調べるために、Hoynes and Moffittは数値シミュレーションを行っている。より具体的には、TWP及びEPE等の障がい給付制度の仕組みを所与とし、障がいを持つ個人を、就労しているときに得ることのできる賃金の水準で3タイプ(高・中・低)に分け、それぞれのタイプ毎に、給付を受けるか否か、何時間働くか或いは働かないかで、所得がどれだけ変化するかを明らかにしている。その結果、TWPやEPE等の限界税率を下げるような制度のもとでは、給付を受けない状態から受給者になることで、働く時間を減らしても所得が増加することが示された。したがって、TWP及びEPEはモラル・ハザードを引き起こし、かえって労働供給を減らす効果を持ってしまうかもしれない。
 Autor and Duggan(2007)は、障がい給付金の受給者の労働に対する限界税率を下げることが、必ずしも労働時間を増やすことに繋がらないことについて、Hoynes and Moffitt(1997)とは異なる、以下のような説明を提示している。すなわち、障がい給付金が労働供給に及ぼす負の効果には、代替効果と所得効果があり、代替効果が小さく所得効果が重要な場合には、限界税率を下げて予算制約線の傾きを変えるような政策を行っても、労働供給は増えないというものである。著者らは、障がい給付金の所得効果の重要性を検証するために、SSDIやSSIではなく、退役軍人のための障がい補償制度(Veterans’ Affairs Disability Compensation Program, 以下、VDC)に注目し、VDCからの給付金が退役軍人の労働参加率に与える影響を識別しようとする。VDCからの給付金は、SSDIやSSIと異なり、受給者の労働に条件付けられていないため、それが彼らの労働供給に及ぼす影響は、全て所得効果と考えられるのである。
 Autor and Dugganは、VDCからの給付金を受けることが、退役軍人の労働参加率にどのような影響を及ぼすかを分析するために、2001年に行われたVDCの制度改正を自然実験として利用する。VDCの2001年の制度改正では、ベトナム退役軍人に限り、糖尿病もVDCの給付の対象とすることとなった。ベトナム戦争で使われていたAgent Orangeと呼ばれる除草剤を体内に吸収することと糖尿病の発症との間に、因果関係があると示されたことによるもので、この制度改正は、個人にとっては外生的なショックであると考えられる。この制度改正以降、VDCの受給者が急増したことから、著者達は、1999年から2005年までのCPSデータを用いて、1941年から1952年までの間に生まれた男性をサンプルとして選び、2001年前後での労働参加率の変化が、ベトナム退役軍人とその他の男性でどのように異なったか(difference-in-difference〔DD〕)を推定している。ここで、その他の男性は、ベトナム退役軍人の比較群として利用されている。すなわち、2001年前後で起こった、その他の男性の労働参加率の変化(トレンド等による)は、VDCによる受給要件の変更がなかったならば、ベトナム退役軍人の労働参加率に起こったであろう変化と同じであると仮定し、2001年前後で起こったベトナム退役軍人の労働参加率の変化からその他の男性の労働参加率の変化を引いたものは、全てVDCの制度改正に起因すると考えるのである。このような推定法を採用した結果、2001年前後での退役軍人の労働参加率の減少は、その他の男性の労働参加率の減少に比べて約3%大きかったことが示された。したがって、VDCからの障がい給付金には代替効果がないにもかかわらず、ベトナム退役軍人の労働供給に負の影響を及ぼしており、給付金の所得効果は無視できないことが示唆されている(12)。
 以上の研究結果をまとめると、障がい給付金は、障がいを持つ人々の労働供給に対して負の影響を及ぼすものと考えられる。もしもこの影響が所得効果によるものであるならば、受給者の労働に対する限界税率を下げるような政策は、必ずしも労働供給の増加には繋がらない。一方で、障がい給付水準の引き下げや審査基準の厳格化は、障がいを持つ人々の労働供給を増やす効果を持つ可能性があるが、このような政策は、果たして社会厚生の増加に繋がるのであろうか。次の小節では、このテーマを扱っている研究を紹介していく。
 5.1.3 障がい給付の効果──社会厚生に及ぼす影響
 先行研究の多くは、障がい給付が障がいを持つ人々の労働意欲を歪め、効率性を損ねている可能性があることを指摘する。しかし、同時に、給付には保険としての価値があるため、現在の障がい給付水準の引き下げや審査基準の厳格化により、障がいを持つ人々の労働供給を増加させようとすることは、社会厚生の増加に繋がるとは限らない。
 Bound, et al(2004)は、現行(1990年時)の障がい給付額を1%増加させたときに、社会厚生がどのように変化するかについて、シミュレーションによる分析を行っている。彼らは、障がい給付制度、税制、及び他の公的な所得移転制度を所与として、経済の定常性と相対危険回避度一定型(CRRA)効用関数を仮定したうえで、現行の水準から障がい給付額を1%増加させたときに生じる、直接的なコスト(既存の受給者に対する支払額の増加)と間接的なコスト(モラル・ハザードによる給付額の増加と税収の減少)を算出、給付額の増分と、直接的・間接的コストを合わせた総コストが、家計の間でどのように分配され、その結果、各々の家計の所得と消費、そして効用がどのように変化するかを計算し、最後に全ての家計の効用の変化の総計を出している。結果は、相対危険回避度が0から4の範囲で、障がい給付額の1%の増加は、社会厚生を減少させた。しかし、少なくともこのシュミレーションの仮定のもとでは、モラル・ハザード効果は小さく、社会厚生の減少は、主に障がいを持たない低所得の労働者の負担が増えることによるものである。
 Low and Pistaferri(2010)は、軽度の障がいを持つリスク、重度の障がいを持つリスク、そして障がい給付制度をモデルの要素として含むライフ・サイクルモデルを展開し、このモデルのパラメータの構造推定を行うことで、様々な障がい給付制度の変更が、社会厚生にどのような影響を及ぼすかをシュミレートしている。ここで、様々な障がい給付制度の変更とは、審査基準の厳格化、給付額のカット、そして再評価(受給者の障がいの程度を定期的に評価する仕組み)の導入である。社会厚生への影響は、これらの制度変更がどれだけモラル・ハザード効果を防ぎ(社会厚生の増加)、どれだけ障がい給付の保険としての機能を損なうか(社会厚生の減少)のトレードオフによって決まる。このシュミレーションによれば、審査基準の厳格化は、社会厚生の低下に繋がる。なぜなら、彼らの推定では、制度変更前でも、重度の障がいを持つ人々が給付の申請を却下される確率は26%と高く、審査基準の厳格化はこの確率を更に高めることになるため、障がい給付の保険としての機能が著しく損なわれるためである。一方で、給付額のカット及び再評価は、軽度の障がいを持つ人々或いは障がいのない人々によるモラル・ハザード効果を防ぐ効果が大きく、事前的(ex ante)には、社会厚生の増加に繋がることが示されている。
 以上の研究結果から、どのような政策によって、障がいを持つ人々の労働供給を増加させようとするかによって、社会厚生への影響は異なることが示唆される。したがって、障がいを持つ人々の労働参加率の上昇を目的とするような改革は、慎重に行われなければならないと考えられる。

 5.2 障がいを持つアメリカ人法(Americans with Disabilities Act〔ADA〕)の効果
 障害を持つアメリカ人法(以下、ADA)は、障がいを持つ人々の権利保障と差別禁止を目的として制定されたが、その柱の1つとして、障害を持つ人々が働くことの障壁を取り除くことがある。しかし、簡単な経済モデルは、必ずしもその目的が実現されることを予測しない。ADAが、障がいを持つ人々を雇用することのコストを増加させるならば、彼らの労働に対する需要曲線は内側にシフトする。障がいを持つ人々の労働供給曲線は変化しないと仮定するならば、新しい均衡では、ADA施行前の均衡と比べて賃金も雇用水準も低くなる。賃金を下げることができなければ、障がいを持つ人々の雇用は更に抑制されることになってしまう。
 DeLeire(2000)は、このようなモデルの予測を実証的に検証している。彼は、1986年から1993年までのSIPPパネルを用いて、ADAの施行前後で、障がいを持つ人々とその他の人々の雇用率の差及び賃金の差がどのように変化したか(DD)を推定している。ここで、その他の人々は、障がいを持つ人々の比較群として利用されている。このようなDD法による推定の結果、ADA施行前後に起こった、障がいを持つ人々の雇用率の減少は、障がいを持たない人々の雇用率の減少に比べて、7.2%大きかったこと、賃金率の差には変化がなかったことが示された。したがって、上述の簡単な経済モデルの予測は、必ずしも否定できない。
 Acemoglu and Angrist(2001)は、上記の簡単なモデルを拡張した一般均衡モデルを提案している。このモデルが予測することは、以下の2点である。1点目は、ADAの制定によって増えるであろう企業のコストのうち、障がいを持つ人々に対して「適切な配慮」をすることのコスト(accommodation cost)と障がいを持つ人々を不当に解雇することのコスト(firing cost)は、彼らの雇用を抑制する方向に働くが、障がいを持つ人々を雇わずに訴訟されることのコスト(hiring cost)は、彼らの雇用を促進する方向に働くので、ADAの障がいを持つ人々の雇用に対する効果は必ずしも負ではないことである。2点目は、コスト増によって市場から撤退する企業が現れた場合、障がいを持つ人々の雇用だけでなく、障がいを持たない人々の雇用も影響を受ける可能性があることである。
 Acemoglu and Angristは、拡張されたモデルによるこれらの予測を、1988年から1997年までのCDSデータを用いて検証している。検証にあたっては、従業員が15人未満の企業(以下、小規模な企業)はADAの対象外であることを利用し、ADAの施行前後で、小規模な企業とそれ以外の企業において、障がいを持つ人々と持たない人々の雇用がそれぞれどのように変化したかを推定する。もしADAの施行後に、小規模な企業での雇用よりもそれ以外の企業での雇用のほうが減少しているならば、これはADAによるものと考えるのである。推定の結果は、障がいを持つ人々に関してはADA施行の前後で企業の規模に関わらず雇用が減少したが、小規模な企業における雇用の変化よりも、より大規模な企業における雇用の変化のほうが大きかった。一方、障がいを持たない人々に関しては、ADA施行の前後で企業の規模に関わらず雇用に変化は見られなかった。このことから、著者達は、ADAは障がいを持つ人々の雇用を抑制する方向に働くが、障がいを持たない人々の雇用へのスピルオーバー効果はないと結論づけている。
 Jolls(2004)は、ADAの制定後に障がいを持つ人々の雇用が減少した原因について、企業のコスト増以外の可能性を提示する。より具体的には、ADAの制定によって障がいを持つ人々の生産性が正等に評価されるようになるため、障がいを持つ人々が自らの生産性を高めるような教育投資を行う誘因を持つようになり、働くことよりも教育を受けることを選択しているのではないかと指摘する。そして、1987年から1997年までのCPSデータを用いて、この可能性を検証している。特に、ADAの制定以前から、障がいを持つ労働者に対する差別を規制していた州(保護グループ〔protection group〕)とそれ以外の州(非保護グループ〔non-protection group〕)があり、保護グループではADAの効果は相対的に小さいであろうことを利用し、ADAの制定前後での、教育を受けていることを理由に働いていない人々の割合の変化の、障がいを持つ人々と持たない人々の間での差が、保護グループと非保護グループでどのように異なったか(difference-in-difference-in-difference〔DDD〕)を推定している。このようなDDDを用いた推定によれば、ADAの制定前後で起こった、教育を受けていることを理由に働いていない人々の割合の増加の、障がいを持つ人々と持たない人々の間での差が、非保護グループにおけるほうが保護グループにおけるよりも、1から2%大きかった。したがって、ADAの制定によって、障がいを持つ人々のうち、教育を受けていることを理由に働いていない人々の割合はわずかに増加したことが示された。
 以上の研究結果から、ADAは障がいを持つ人々の雇用に負の影響を及ぼしたことが示唆される。しかしながら、この負の影響の全てが、特に長期的な観点から、障がいを持つ人々の厚生を下げるものであるかどうかについては、更なる研究が必要であろう。

 5.3 職業リハビリテーション(Vocational Rehabilitation〔VR〕)の効果
 就労チケット及び就労インセンティブ改善法(以下、TWWIIA)制定以前の職業リハビリテーションの評価を試みた研究はあるが、それらの多くは、費用対便益の観点から、同プログラムの有効性を疑問視している。例えば、職を得ることのできた参加者の所得増加が年間で1000ドルから2000ドルと推定されるのに対して、参加者一人当たりの平均費用は10500ドルにも及ぶという指摘もある(Haveman and Wolfe 2000)。また、TWWIIAによって始動した、障がいを持つ人々の労働市場への復帰を支援する新しいプログラムに関しても、その有効性は不明である。これまでに発行された1100万券以上のチケットは8900券ほどしか利用されておらず、参加者が無事に就業できたのは、そのうちの1400件以下に過ぎないと言われている(Autor and Duggan, 2006)。


6.おわりに

 本稿では、アメリカの障がい者政策に焦点を当て、その概要と歴史的な改革に言及したうえで、これらの政策が、人々や企業の行動、特に障がいを持つ人々の就業に及ぼした影響について、マイクロデータを用いた実証分析を紹介しながら、概観してきた。これらの分析は、因果関係を識別するための様々な手法を用いて、アメリカの障がい者政策が、少なくとも障がいを持つ人々の就業を促進してはいないことを示唆する結果を得ている。しかし、この背後にあるメカニズムについては、まだ必ずしもコンセンサスに到達したわけではない。
 今後もアメリカではマイクロデータを用いて障がい者政策が人々や企業の行動にどのような経路でどのように影響を及ぼしているのかについて追究し、エビデンスを蓄積していくことが益々重要になるであろう。高齢化と年金支給年齢の引き上げによって、SSDIの受給者数が増加するだけでなく、1996年の社会福祉改革で貧困家庭が公的扶助を受けることのできる年数に制限が設けられたこと等により、公的扶助が受けられなくなった人々がSSIプログラムに流入してくることが予測され、財政面から制度の見直しが必至になると考えられるからである。
 最後に、本稿は日本の障がい者政策やその分析に対してどのようなインプリケーションを持ち得るであろうか。日本でも障がいを持つ人々の就労支援の重要性は認識されているが、アメリカと大きく異なるのは、障がいの情報を含む統計調査が行われてこなかったため、本稿で紹介したような研究を行うことが不可能な点である。就労支援を含む有効な障がい者政策を設計していくためには、まずは現状を把握し、政策の施行後にはその効果を評価し、その後の政策変更にフイードバックできるようなエビデンスを蓄積できるような仕組みの構築と、それを可能にするデータの整備が必要不可欠なのではないであろうか。


[注]
(†)所属:ウイスコンシン・マディソン大学大学院経済学研究科博士課程。連絡先:fujii1@wisc.edu
(1)コーネル大学リハビリテーション研究・研修センターがまとめている「年刊 障がい実態報告書(Annual Disability Status Report)」から入手した。
(2)この小節に含まれる情報の多くは、アメリカ社会保険局(US Social Security Administration)のホームページより入手している。
(3)視覚障がい者に関しては、実質的な稼得活動が行えないとは、月1640ドル以上の収入を得られないことである。
(4)詳細は、申請者の年齢によって異なる。アメリカ社会保険局のホームページを参照(http://www.ssa.gov/retire2/credits3.htm)。
(5)例えば、22歳で働き始めたときから、ずっと全国平均の勤労所得を得ていて、55歳で障がいを持つことになった労働者の所得代替率は45%である。しかし、もしもこの労働者がずっと全国平均の半分の勤労所得を得ていたならば、所得代替率は58%となる。
(6)この小節に含まれる情報の多くは、アメリカ社会保険局(US Social Security Administration)のホームページより入手している。
(7)ここで可算月収とは、月々の申請者の勤労所得、不労所得、現物支給、及び同居する家族の所得の一部から、勤労月収の初めの65ドル、勤労所得以外の月収の初めの20ドル、食料引換券(food stamp)、民間非営利団体から供給されている住居、及び、電気ガス水道代への公的補助金、奨学金、ローン等を差し引いたものである。詳細は、社会保険局のホームページ(http://www.ssa.gov/ssi/text-income-ussi.htm)を参照。
(8)連邦政府の定める貧困線は、2009年では、独身世帯で年間10,830ドル、2人世帯で14,570ドルである。
(9)Diamond and Sheshinski(1995)は、政府をプリンシパル、障がいを持つ労働者をエージェントとしたプリンシパル・エージェントモデルを用いて、労働者の障がいのレベルが政府からは観察不能である場合の最適な障がい給付額を導出している。すなわち、労働者のタイプに関する情報の非対称性がある場合、それがない最善の解に比べて、最適な障がい給付額は低くなり、実質的な稼得活動に従事できなくなるリスクに対する完全保険を実現できない。
(10)プリンシパル・エージェント理論では、前者のような行動を逆選択と呼ぶこともある。
(11)経済状況が障がい給付への申請数に与える影響を分析しているものとしては、1970年代のオイルショックによって、炭鉱の地域が外生的に好況と不況を経験したことを利用したBlack, Daniel, and Sanders(2002)がある。
(12)Autor and Duggan(2007)の他にも、2001年のVDC改革を自然実験として利用した研究として、障害給付の対象の拡大が、給付の申請者数にどのような影響を及ぼすかを分析するDuggan, Rosenheck, and Singleton(2006)や、このVDC改革のように、特定の疾患を発見することの金銭的誘因が高まったとき、人々はどれだけその疾患の検査を受けにいくようになるかを分析するSingleton(2008)等は興味深い。


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UP: 20110728 REV:
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