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「「生存学」創成拠点事業推進担当者より (10)」

大谷 いづみ 20110523 「生存学」創成拠点メールマガジン第14号.

last update:20110801

グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点では、事業推進担当者として教員計17人が活動しています。今回は本学産業社会学部教授、大谷いづみのメッセージを掲載します。


「わたし・たち」と「彼/女たち」を越境する――カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』に寄せて

2011年3月末、英国ブッカー賞受賞作家、カズオ・イシグロの小説を映画化した「わたしを離さないで」が封切られた。原題は、“Never Let Me Go”。生存学としてはこれを「わたしを逝かせないで」と読みたいところだろうか。

作品の時代は1970年代から1990年代。現代からみれば過去の話でありながら、画期的な医療技術の発達で人間の平均寿命が100歳を超えた架空のパラレルワールドで、臓器提供だけを使命として造られ育成された、キャシー、トミー、ルースの3人のクローンたち(作品でも映画でも「コピー」と称される)が送る短い一生の青春の何ぺージかが描かれる。

何しろカズオ・イシグロの原作であるから、その特異な設定のみに注目して論ずるなどは無粋なことに違いない。実際、「コピー」たちはけっして声高に異議申し立てなどしない。にもかかわらず、全寮制寄宿施設ヘールシャムで提供のためだけの生(life)を<訓育>された「コピー」たちの静かな諦観と絶望が、「人間」の欲望を合理化した社会システムの「非人間性」を逆説的に炙り出す。

ところで、加藤典洋は、物語の語り手キャシーによって聞き手(読み手)が「コピー」に慎重に限定されていることを指摘する。それゆえ、映画の最後で語られる、原作にはないキャシーの「私たちと私たちが救った人との間に何の違いが? 皆終了する。生(life)を理解することなく命は尽きるのだ」という<自問>の言葉によって、「わたし・たち」は多層的に試されることになる。この特異な設定の静謐で残酷な物語から何を読み取るかを。

さて、「わたし」が何を読み取ったかのこれ以上の詳細は、現在公刊準備中の『立命館産業社会論集』第47巻第1号に掲載予定の拙稿をお読みいただくとして、映画の方は、東京・大阪の他、いくつかの都市でかろうじてまだ観られるようです。いずれすぐDVDレンタルも始まることでしょう。機会を得て、是非、ご覧ください。

◇大谷 いづみ(おおたに・いづみ)。本学産業社会学部教授。専門は生命倫理学、安楽死・尊厳死言説史。編著に『はじめて出会う生命倫理』(2011)、共著に『メタバイオエシックスの構築へ』(2010)、『死生学とは何か』(2008)、『ケアという思想』(2008)など多数。


◇関連リンク
・個人のページ(本拠点内)
http://www.arsvi.com/w/oi01.htm
・拠点事業推進担当者の一覧
http://www.arsvi.com/a/s.htm




*作成:大谷 通高
UP: 20110801 REV: 更新した日を全て
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