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「研究手帖 リハビリテーションと障害/存在価値」

田島 明子 201103** 『現代思想』39-5,230p.

last update:20110801

 リハビリテーションでは対象者の身体・精神機能や自立的な生活能力の向上を目的とした介入を行う。一見すると当然に良い支援と映るが、端的にいえば「できないこと」を減らし社会適応を目指す取り組みであり、障害/存在価値という観点から捉えると、障害≒「できないこと」の否定性はリハビリテーション学に前提的に内在化している。
 そこを問題の射程とするなら、リハビリテーションに別様の姿を要求することになるだろう。例えばリハビリテーションにおける目的概念に「障害受容」がある。リハビリテーション医師の上田敏氏による「障害受容」の定義は、「障害の受容とはあきらめでも居直りでもなく、障害に対する価値観(感)の転換であり、障害をもつことが自己の全体としての人間的価値を低下させるものではないことの認識と体得を通じて、恥の意識や劣等感を克服し、積極的な生活態度に転ずること」だが、臨床場面ではセラピストが自分の身体を回復させたいばかりに訓練に固執する対象者に対して「障害受容」できていないと表現する。
 それにはセラピスト側からの2つの「押しつけ」が考えられる。1つが「できる/できない」という「能力主義的な障害観(感)」、もう1つが「専門性の予定調和的遂行」である。つまり「障害受容」という言葉のリハビリテーション臨床での使用法からも、セラピスト−対象者の関係性のうちに障害≒「できない」の否定性を本人に内在化させようとする力学が伺われる。これは障害を得た人を無力化する力に他ならないのではないか。
 障害/存在価値の肯定を立脚点とするなら、むしろ「できないこと」≒障害の否定性を否定できるような障害との関係を示しうる概念が必要ではないか。そこで私は「障害との自由」を提起した。障害を「制御できないもの(他性)」と捉え、その未知性に出会うための自由な旅路を表現したものだ。その人が感受する障害(身体)世界と社会や周囲との交通可能性に<生>のエネルギーが動きだす何かがあり、他性こそが<生>のエネルギーの根源ではないかと考える。

たじまあきこ・作業療法士、障害学





*作成:大谷 通高
UP: 20110801 REV: 更新した日を全て
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