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「ヘルシー・ホームズ事業: 英国リヴァプール」

児玉 真美 201103 月刊介護保険情報,2011年3月号

last update:20110517


 ヘルシー・ホームズ事業: 英国リヴァプール

いやはや、寒い冬だった。日本だけでなく世界中で異常な寒波が猛威をふるった。夏のすさまじい猛暑の後に、今度は一転、この酷寒――。地球の気候が年々、短絡的、直情的になっていくことに、不気味なものすら感じてしまう。
 緯度の高い英国では、冬場に燃料を買えず暖をとれないために健康状態を悪化させる“燃料プア”が社会問題となっている。2009年の冬には英国全体で死者が通常より36000人以上も急増したが、その多くは暖かい適切な住環境があれば予防できたケースだったと言われる。
 昨年2月12日には燃料貧困(fuel poverty)啓発デイが行われた。燃料貧困は特に高齢者では心臓や呼吸器疾患につながる深刻な健康リスクだが、成人一般でもメンタル・ヘルス面で、子どもでは身体面での健康被害が大きいとの調査結果も報告されている。英国公衆衛生協会(UKPHA)の「暖かい家・健康的な家」キャンペーンを中心に、英国政府をはじめ、ガス供給会社やチャリティなど各種団体が、貧困層に燃料費を助成するなど支援策を打ち出しているところだ。
 その英国でも北西部に位置するリヴァプールといえば、1960年代終わりのヒット曲「マンチェスターとリヴァプール」で日本でもお馴染みの工業都市。埃だらけの汚い町だけど、働き者の人々が貧しくも楽しく暮らしている――。そんな労働者の町が頭に浮かぶ。しかし、そのリヴァプール市の平均寿命が全国平均よりも男性で3歳、女性で4歳も低いというのは、決して楽しい話ではないだろう。経済格差も大きく、貧困地区に生まれた男性と最も富裕な地区に生まれた男性とで予想寿命が10年も違う健康格差が生じている。
 そこで2009年4月からリヴァプール市が健康格差解消策の一環として、プライマリー・ケア・トラスト(国民医療サービスNHSの地方組織)、消防、ボランティアと協働で始めたのが、「健康的な家で健康的な生活を」リヴァプール・ヘルシー・ホームズ事業だ。
 リヴァプール市には、老朽化したり暖房設備のない賃貸住宅が少なくない。寒さはもちろん、カビや湿気、不十分な換気も直接的にぜんそく、関節炎や感染症などの原因となるだけでなく、ウツ状態や社会的孤立の誘因になる。
 またリヴァプール市民の主な死因として事故による怪我が8番目に位置している。階段や段差など家の中や周辺での高齢者の転倒は、時に命にかかわる。子どもの死因としても事故は見逃せない。毎年、事故で死ぬ子どもの数は白血病や髄膜炎で死ぬ子どもの数よりも多く、その半数近くが自宅での事故だ。貧困層の子どもたちは富裕層の子どもたちよりも事故に遭う確率が高い。
 住環境によって、ガス漏れや二酸化炭素中毒も起こりやすくなる。賃貸住宅の中でも、トイレ、台所、居間などの施設を複数世帯で供用する集合住宅で、事故が最も起こりやすいという。
 ヘルシー・ホームズ事業では、まず様々な統計や情報から、優先的に対応すべき地域を40か所選定すると同時に、住宅の欠陥が健康に影響を及ぼす29の危険項目による賃貸住宅の評価基準 Housing Health and Safety Rating Systemを作った。3年かけてリヴァプールの民間賃貸住宅15000件を訪問し、アセスメントを行う。訪問するのは、研修を受けた医療職やボランティア。
 イギリスでは2006年に住宅法が施行され、健康を害する欠陥があった場合に家主に改修命令を出す権限が自治体に与えられている。アセスメントの結果に応じて、改修命令から、部分閉鎖や全面閉鎖、解体、撤退命令など7段階の対応を行う。 同時に、住民に対しても包括的なアンケートによって、それぞれの健康ニーズを把握したうえで、健康的な食生活や住まいの安全、燃料貧困や低所得へのアドバイスを行い、適宜さまざまな支援につなげる。
 また、プライマリー・ケア・トラストとの連携で、改善の必要な賃貸住宅に住む患者がいた場合には、GPが患者の了解を得てヘルシー・ホームズ担当者に連絡する仕組みも作られた。同事業での住居改修がどれほどの医療費削減につながっているか、検証作業も行われている。
 日本でも、この冬は豪雪地帯で雪かきをしていた高齢者の事故死や、都会のホームレスの凍死が相次いだという。人口の高齢化、地球温暖化、世界規模の経済不況と、人々の生活は輻輳する急速な変化に翻弄されている。それらが複合的な要因となって、暖かく安全な住まいや健康的な食生活といった健康的な生活の基盤まで脅かす“健康貧困”が、今後は増えていくのかもしれない。保健・医療にも、これまでの守備範囲の外へとリーチを伸ばし、人々の生活を基盤から支える多様な支援と連携することが求められている。

UP: 20110420 REV:20110517
全文掲載  ◇児玉 真美 
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