HOME > 全文掲載 >

「「生存学」創成拠点事業推進担当者より (9)」

遠藤 彰 20110323 「生存学」創成拠点メールマガジン第12号.

last update:20110801

グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点では、事業推進担当者として教員計17人が活動しています。今回は、本学先端総合学術研究科教授の遠藤彰のメッセージを掲載します。


 もう「隠居気分」で、江戸の怪しき輩たちが隅田川畔で催した「虫の評判記」を読み解いている。享和四(1803)年の刊本、立川談州楼焉馬と市川白猿(五代目団十郎)作の『五百崎虫の評判』がそれである。ちょいと欲気を出した放蕩男が狐に化かされるという紆余曲折があって、五百崎(庵崎)の白猿別邸にたどりつき、この座興が企画される。歌舞伎の一線から引いた白猿、贔屓の戯作者である焉馬と組んで、身辺の虫ども70種余の品定位附をする。歌舞伎の立役、敵役、実悪から道外、花車、若女形役などに振り分けて、その歌舞伎ぶりの所作に藝評を付けるという趣向。まずは蜻蛉を大極上上吉に配して、頭取が蘊蓄を傾け、それに悪口、洒落、贔屓が入り乱れての展開が、酒や芸娼抜きで何夜もつづく、無類の傑作。この原本は稀覯本なれど、さる図書館蔵書のコピーを入手できた。ところが、当然にして手彫木版、これを翻刻するのに悪戦苦闘の快楽!
 三巻百余枚、あれこれ三年はかかったろうか。やっと何とか形になって、註釈をつけながら、目下解読作業中である。
 江戸人の雅と俗の交錯する「評判記」を語る中野三敏をして「他愛のないことこのうえなし」と言わしめ、江戸文化を、生類=虫の目から眺めた塚本学の目配りのよい先行研究にも欠落していた、「虫の評判記」である。この狂歌狂乱運動の晩期にふさわしい、爛熟の果ての「逸脱」がここにある。
 西欧の「虫嫌い」文化に風穴をあけたルネサンス期のアルドロヴァンディやムフェットの『昆虫の劇場』から遙か近代のファーブル『昆虫記』などと対比してもよい。「虫好き」文化のこの国の、江戸の極点がこれにあたるだろう。「人と動物のかかわりの歴史と現在」という、生存学の片隅のプロジェクトを発想したときに、この「虫の評判記」を目鼻つかぬまま抱えていたことを、明かしておこう。近代化は西も東も、身辺より虫たちを遠ざけるのを基本(当然の帰結!)としてきた。その喪失に、逃走しながら「抗う試み」を今やらないで、いつやるのか。太田南畝が横井也有に共感したように、「隠遁」は消極的な態度とは限らない。そこに切実な課題が見えることもある。

◇遠藤彰(えんどう・あきら) 本大学院先端総合学術研究科教授。専門は生態学。単著に『見えない自然――生態学のポリフォニー』(1993)、ほか著作、翻訳、論文など多数。


◇関連リンク
・個人のページ(本拠点内) http://www.arsvi.com/w/ea01.htm
・拠点事業推進担当者の一覧 http://www.arsvi.com/a/s.htm




*作成:大谷 通高
UP: 20110801 REV: 更新した日を全て
全文掲載 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)