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「〈抵抗〉の歴史社会学の可能性」

櫻井 悟史 20101227 「インターディシプリンな歴史記述――石原俊氏に学ぶ」 指定質問
   於:立命館大学衣笠キャンパス創思館401
last update:20110105

石原先生の『近代日本と小笠原諸島――移動民の島々と帝国』(石原 2007)、『殺すこと/殺されることへの感度――二〇〇九年からみる日本社会のゆくえ』(石原 2010a)、「歴史で社会学する――歴史社会学、あるいは近代世界を縁から折り返す方法」(石原 2010b)をふまえたうえで、歴史社会学の方法についてと歴史社会学の目的について質問させていただきたいと思います。

一 〈ありえたかもしれない別の歴史〉について
 石原先生は「歴史社会学の方法とは、『現在』の高みに立って――超越的な構えで――、社会(科)学的な一般理論構築にとっての有用性などの観点から、『過去』を取捨選択して利用することではない」(石原 2010b)と述べておられます。ここには、たとえば最初に理論的な検討をしたのち、その理論を用いて「過去」の史料を切り分けていくような歴史社会学や、あらかじめある仮説を立て、それを検証するために「過去」を使用する歴史社会学への批判があると思われます。石原(2007)では、1章で「ケテさん」のライフヒストリーを考察したのちに2章で理論的な視座を提供するという構成を採用しており、さらに2章を読み飛ばしても読解できるような工夫をも施しておられますが、そこにはそういった歴史社会学から距離をとろうとする狙いもあったのではないかと考えます。
以上の点について異論はありませんが、次の点について最初の質問があります。石原先生は、歴史社会学の方法について、「あたかもパラレル・ワールドを空想するかのように、〈ありえたかもしれない別の歴史〉を描くことでもない」(石原2010b)とも述べておられます。これは、もしもあのときこうしていたら未来はよりよいものとなっていただろう、と現在の高みから過去を断罪するのみに終わるような歴史社会学への批判であると思われます。それは妥当であると考えますが、たとえば〈こうであってもおかしくないのに現在はそうなっていない、これはなぜなのか〉といったように、現在を相対化するために、〈ありえたかもしれない別の歴史〉を用いる方法については、いかがお考えでしょうか。

二 〈抵抗〉について
石原先生は「歴史社会学的な思考に求められるのは、歴史的現在という地点に立っている認識者の位置性をじゅうぶん自覚しながら、過去とのたえざる往還の作業によって、近代的諸システムの〈縁〉で翻弄されながらも生きぬいてきた人びとの経験や記憶を拾い集め、〈縁〉から近代世界を折り返していく作業である」(石原2010b)と結論しておられます。石原(2010b)で、ケテさんの語りを力による「抵抗」ではない〈抵抗〉として位置づけていることから、ここでいう近代世界を〈縁〉から折り返していく作業とは、近代世界に〈抵抗〉していくことでもあると思います。二つ目の質問は、この〈抵抗〉についてです。
石原(2010a)は、対象を小笠原に限定しているわけではなく、ベーシック・インカムや臓器移植といったような多岐にわたるテーマが扱われております。また、論壇月刊誌を用いた時評であるため、一見すると石原(2007)のような歴史社会学的仕事とは別の仕事であるかのようにもみえます。実際、石原(2010a)のなかで、石原(2007)とのつながりは明確に記されておりません。しかし、〈抵抗〉というキーワードによって二つの書は貫かれているように思われます。すなわち、石原(2010a)では、「現在ほど、市場と国家のモードに自己を預けなくても生きられる領域」を「いかに確保していくのかが問われている時期はない」と問題が設定されたのち、以下のような作業の必要性を訴えておられます。

わたしたちは、市場主義と国家主義、私事化とニヒリズムによって摩耗させられてしまった歴史認識・社会認識を再構築し、言葉の批判力をはからねばならない。そのために求められるのは、いっけん迂遠なようだが、言葉の精確な意味において〈いま・ここ〉を歴史化・社会化し、排除され忘却されてきた希望の断片を、排除と忘却の力に抗って拾い集め、再構築する作業である。(石原2010a:E)

 ここには、先に引用した石原先生流の歴史社会学的思考と通じるものがあります。たとえば、ケテさんの〈抵抗〉は希望の断片と読み替えることができるのではないかと思います。つまり、石原(2010a)は時評的な書であると同時に、石原(2007)を先に進めるための歴史社会学の書でもあるのではないでしょうか。多くの歴史社会学の著作が1945年までの記述で筆を置いており、石原(2007)でも10章以外は1945年までの記述となっております。その先の時代をいかに記述するかは近代日本を対象とする歴史社会学の課題の一つであるように思うのですが、石原(2010a)はその課題にたいする応答への一つの試案であるように思われます。それは〈抵抗〉の歴史社会学とでも呼びうる記述スタイルであり、そうした構想が石原(2007)の執筆段階からあったために、従来の歴史社会学で用いられてきたスタイルとは異なる歴史社会学の道を選ばれたのではないかと思うのですが、この点についていかがでしょうか。

〈参考文献〉
石原俊, 2007, 『近代日本と小笠原諸島――移動民の島々と帝国』平凡社.
石原俊, 2010a, 『殺すこと/殺されることへの感度――二〇〇九年からみる日本社会のゆくえ』東信堂.
石原俊, 2010b, 「歴史で社会学する――歴史社会学、あるいは近代世界を縁から折り返す方法」『社会学入門』, 初校


作成:櫻井 悟史
UP:20110105 REV:
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