HOME > 全文掲載 >

<えたいのしれない移動民>の現在をどうとらえるか?

松田 有紀子 20101227 「インターディシプリンな歴史記述――石原俊氏に学ぶ」 指定質問
   於:立命館大学衣笠キャンパス創思館401
last update:20110105

 石原先生のご著作である『近代日本と小笠原諸島――移動民の島々と帝国』と、昨年出された論文「小笠原諸島のエコツーリズムをめぐる地域社会の試行錯誤――「南島ルール」問題を中心に」を中心に、現在の小笠原諸島と観光政策における、かつて「帰化人」と呼ばれた「在来島民」の人びとの「生き延びるためのたたかい」をどうとらえるのかという点について質問させていただきます。

一 小笠原諸島の過去と現在
『近代日本と小笠原諸島』においては、小笠原諸島に生活していた「帰化人」と他称された人びとが歩んだ、1960年代における施政権の日本「返還」期までの歴史が、行政文書の引用だけでなくオーラルヒストリーを用いながら描写されています。この時期は、日本の「内地」においても高度経済成長期にあたり、それまでの社会状況を一変させた歴史的局面にあたります。石原先生は同書のなかで、ライフヒストリーに登場する「女王様」や「海賊」の記憶に言及し、「帰化人」という日本からの他称を脱構築する個人の営みに注目されています。
一方、『小笠原諸島のエコツーリズムをめぐる地域社会の試行錯誤』においては、こうした歴史的局面を経て、日本におけるエコツーリズムの先駆者として位置づけられた小笠原諸島の現在に注目されています。この論文において、石原先生は、小笠原諸島のエコツーリズムにおいて「在来島民」や強制疎開まえから移住していた「内地」人である「旧島民」の環境認識がひろいあげられていないことを指摘されています。それは本論文中では「南島ルール」への疑問という形でたちあがってくる、かつての自然環境の記憶として記述されています。

二 小笠原諸島のエコツーリズムと「在来島民」
 そのうえで、まず石原先生にお聞きしたいことは、現在の「在来島民」の生計にとって、観光業が占める重みについてです。小笠原諸島は、ユネスコの世界自然遺産登録をめざす運動が展開される地域であり、エコツアーの開催による観光地化が積極的に進められているように見えます。では、小笠原諸島におけるエコツーリズムの文脈のなかで、(「小笠原人」ではなく)「在来島民」あるいは「旧島民」というカテゴリーはどのように機能しているのでしょうか。かつての「帰化人」であるところの「在来島民」の現在の立ち位置についてうかがいたいと思います。

三 「在来島民」の自己表象
2つ目の質問は、石原先生は小笠原諸島におけるエコツーリズムに登場する、「在来島民」の自己表象のありかたをどうとらえておられるかという点です。小笠原村観光協会のホームページでは、「東京の亜熱帯」という自己表象が積極的に打ち出され、またその歴史については「最初に定住したのは日本人ではなかった」という「意外な」ものとして―あたかも現在の小笠原諸島の住民は、日本本土に由来する「日本人」であることが自明であるかのように―「日本人」観光客に呈示されています。より具体的な例を挙げれば、同観光協会が企画する観光ツアーは「Hello! Bonin Tour」と英語で銘打たれ、かつてのBonin islandsとしての立ち位置やアメリカによる統治の記憶を利用しています。また小笠原の郷土料理として紹介されている「亀料理」は、「帰化人」たちの生計手段であったウミガメ漁に由来するものだと推測できます。現在の小笠原諸島は、「内地」とは異なる慣習や自然を、日本「国内」にありながら異国情緒と自然の豊かさを感じさせる魅力的な観光資源として、「日本人」に対して商品として提供しているように見えます。
先の質問をふまえて、もし「在来島民」の多くが他の生計手段を奪われ、観光業にのみ生きる術を見出しているのならば、「生き延びるためのたたかい」において、彼らの自己表象はどのように展開しているのでしょうか。あるいは、別の「生き延び方」を確認できるのであれば、それはどのような方向に見出せるのでしょうか。ぜひ見解をお聞かせください。

【参考文献】
石原 俊 2007
『近代日本と小笠原諸島――移動民の島々と帝国』 平凡社。
石原 俊・小坂 亘・森本 賀代他 2009
「小笠原諸島のエコツーリズムをめぐる地域社会の試行錯誤――「南島ルール」問題を中心に」『小笠原研究年報』(33):7-25。

小笠原村観光協会ホームページ http://www.ogasawaramura.com/(2010年12月3日最終更新)

作成:松田 有紀子
UP:20110105 REV:
全文掲載  ◇歴史社会学研究会 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)