HOME > 全文掲載 > 生存学研究センター報告14 >

「あとがき」

山本 崇記 20101120
山本 崇記・高橋 慎一 編 20101120 『「異なり」の力学――マイノリティをめぐる研究と方法の実践的課題』
生存学研究センター報告14,408p. pp.403-408

last update: 20120119

■自問の終焉

 再び、立命館大学生存学研究センター報告書を作成するという運びになった。以前は、『不和に就いて』という第3号に携わった。それから、約2年が経つ。母体である先端総合学術研究科の在籍院生数は200名にも及ばんとするマンモス大学院になりつつある。顔と名前が一致しないことは、しばしばであり、この報告書を編んでいる私もその一人であるだろう。出口がないなかでも、これだけ、恵まれた環境のなかで研究ができるということは滅多にないのだろう。それは、大学法人のあくどさのおかげか、生存学スタッフの善意のおかげか。どちらでもあるのだろう。
 鈴木書店が倒産したのが2001年。出版業界は不況だとしばしばいわれた。特に、人文・社会科学系の本などはますます売れない、作れないという状況が生じ、岩波書店をはじめ老舗の出版社を筆頭に、憂うべき事態とされた。しかし、その後、売れ行きはともかく、人文・社会科学系の本や雑誌は「雨後の筍」のように生産されているように思う。そこに、インターネット上のホームページやBlogなどを通じて、多くの文字情報が溢れている状況が重なる。そして、その流れのなかに「生存学」から発信される数々の「業績」が折り重なっている。内容や質は問われない。ただ、生産され続け、粉塵のように積み上げられていく。それを「知の集積」と呼ぶのかもしれない。
 しかし、宣伝内容と実態がかけ離れていようがいまいが、人が入り、人が出ていく。言説が生産され、発信され続ける。そのサイクルを止めた途端、生存学もまた途絶える。そのような強制状況にあるのも確かだ。決して、息苦しい訳ではない。どちらかといえば、ビニールハウスか養鶏場のようなものかもしれない。それなりに成熟し、何かを生みだすことはできる。そして、それは商品として消費もされ、必要不可欠な一部として社会のなかに溶け込むこともできている。大学という制度体は、様々なものをターゲットにし、自らの内に取り込んで、膨れ上がっている。リベラル・アーツ、ウニベルシタス、フンボルトと、古代・中世・近代における学問の自由/自由人の学問を擁護することは、「生きた化石」のように、語義矛盾に等しい。ただ、その化石を掘り起こすことさえも、現代の学問状況を作り出す資源として一役買っている。というより、そのような位置を与えられている。もちろん、永遠に「来賓席」ではあるが。

■研究の共同性

 上述のようなことを考えながら、報告書を作成するに至るまでには、約3年近い道程があった。「差別論研究会」という場を、細々として続けていたところに、社会的排除や差別をめぐる運動や政策について研究を志す人たちとの出会いがあり、さらに、旧来の人間関係が重なり、生存学研究センターの院生プロジェクトというかたちをとることになったのが2009年5月である。既に、それ以前から、研究会は始まり、報告書の作成は一つの節目の作業であった。国際シンポジウムやワークショップの記録化が多い報告書のなかで、論文、座談会、講演録と三様の内容を盛り込んだのは、いささか強引であったかもしれないが、執筆したメンバーとの仕事ができるこの瞬間を大事にしたかった。いつ訪れるか分からない機会を逃さないようにかたちとして残す必要性を強く感じ、作業の間には生野・東九条における研究合宿を挟み、互いの問題意識の共有化と相互批判が可能な関係形成に務めた。それは、それなりに実現したと思う。
 共同作業とはそもそもそういうものであるべきであり、数多ある共著本のように、名を連ねるだけの並列化されたシリーズ・叢書群のようになることだけは避けたかった。しかし、少なくないメンバーが研究とは別の仕事をしながらの活動となり、研究会の体制は常に盤石になることはなかったし、それは今でもそうである。それにもかかわらず、一定程度の共同性が育まれたのは、自らに刻印された何かを背負う姿勢が共振しためであろう。そのような意味で、編者として私が名を連ねるのは相応しくないことだった。しかし、作業の性格上、そうせざるを得なかった。
 「マイノリティ」という括りや「社会運動」という括りは、手垢にまみれている。そのため、触れたがらない、通り過ぎる人たちも多い。賢明である。別の視角から問題の本質に迫ることもできる。一方で、旧態依然としてその領域にこだわる人たちもいる。蛸壷型の玄人たちの作業にも、腑分けしなければならない違いがある。しかし、政策や制度がある特定のカテゴリーを差異化し、より劣位に位置付けることをやめない限り、上記の括りを、「使い古された」ということだけで、無視することはできないだろう。「異なり」という射程が、どのようなものを指すのか。それは天田論文に詳しく触れられている。研究会のメンバーがこの射程を、どのように咀嚼し、発展させようとしているのかは、まだ、見極めができていない。次の共同作業に向けた大きな課題としてあることは記しておきたい。

■新たな作業へ

 報告書を作成するうえで、いくつものことに気付かされた。吉田論文が扱うハンセン病差別、森下論文が扱う水俣(病)差別、そして、梁論文が扱う発達障がい・不登校経験を持つ子どもたちへの臨床教育など。それぞれ、多くの研究と実践の蓄積がある領域であり、私自身が主題とすることの多い部落問題や在日朝鮮人問題以上に、大きな山が聳え立っているように思えた領域だったのだが、それらが一変し始めたのである。それは、ライフストーリー研究や生活世界のモノグラフ化といった社会学において主流の方法から迫るのではないかたちで、「やり尽くされた」といった誤解を解くよい機会となった。
 私自身は、博士課程に在籍し、部落問題を研究として扱うことに決めたとき、ゼミで懸念や異見を多く聞かされた。一方で、名前を挙げることはできないが、強い励みを送ってくれる方もいた。それだけ、厄介な事態と蓄積が膨大な領域に踏み込む無鉄砲さは、賢い人間なら回避するだろう。問題は、それでもなおこだわり続ける動機があるかどうかにかかっている。それならば、付き合ってみようと思わされる人たちが研究会には集まった。そこに、研究テーマやフィールドを「ネタ」として探す人間はいない。それは、単なる言説分析といった上滑りの言葉に上塗りするような軽薄な作業ではなく、アウトリーチなどといった聞こえの良い総業績主義化(搾取)の流れに与してしまうものでもない方途を模索しうる可能性でもある。その可能性を、具体化できるかどうかは、研究会というよりも、各自のこれからの作業にかかっているし、本報告の水準は、そこまで到達していない。
 「研究」あるいは「論文」という手段を使って、社会状況に切り込むことがどこまで有効であり、必要とされることなのか。法廷で、議会で、メディアで都合よく正当性の根拠にされる一方で、そのような「実践性」は書き手の予想を超えたところで発生することが多い。同時に、意識的に政策形成などに(学識経験者や公益委員といったかたちで)関与してしまうことが、「社会的活動」という人事考課により、徐々に幅を利かせ始めている。数年前、インターンシップやボランティアなどが大学教育に組み込まれたことが一つの画期のように思われたし、資格取得のための有料講座が、学内専門学校として設置され始めたのも同時期であった。そして、海外の学生を留学生として争奪する時代から、今や海外に支所を設置し、その地で日本の大学出身者を生みだそうとする時代になってきた。まるで、グローバル化の尖兵である多国籍企業を思わせる、まさに、資本体である。

■研究の解放?

 ただ、第2部の座談会をご覧になって頂ければ分かるように、このような大学という制度体に対する私自身の問題意識は、結果的には十分に共有されなかったように思う。それは、何よりも生活基盤とも結びつく場でもあることから来るものであり、ことあるごとに言い続けている労働者性の自己認識の欠如が横たわっていたように思う。それは「労働」を扱う生存学に決定的に欠落し続ける必要条件である。そして、不安定である「若手研究者」や社会人院生などには、より理解されにくい点のような気もする。
 「研究への欲望は、ひどく人間的で根源的なものである」。そして、それは「趣味」であり「自己満足」から出発するという米本昌平は、研究・調査することを「基本的人権としての真理探究権」として位置付け、専門家や知識人に対抗する知的な市民の創出を展望する。そして、「きわめて人間的な欲望を正当化し、解放することを介して、権威の再分配が起こり、日本の政治構造そのものが変わっていく」「知的な市民が、自ら漠然としていた問題に問題として形を与え、これについて研究調査し、解決策を模索していく形こそは成熟した民主主義社会における政治参加の理想形だ」とする(「民主主義の基盤としての研究の解放」『日本ボランティア学会1999年度学会誌』、2000年)。
 「大学解体」を突き付けた学園紛争に巻き込まれ、しかし、その問いを突き詰めようとし続けた米本の辿りついた地点は、少々、あらいスケッチとはいえ、理解できるものであり、実に共感できるものでもある。しかし、このような知的制度の変容を生みだすため、専門家はインストラクターの役回りを担い、市民の(研究)消費ニーズを供給するサービス機関として、「21世紀の大学の生きる道がある」と、議論を尻すぼみさせてしまっていることが解せない。とはいえ、大学制度に批判的であった人々にみられる実に良心的な終着点のようにみられる。「たまたま[#「たまたま」に傍点]今の私の肩書は研究職になっているが、ある意味で素人の代表だと思っている」という開き直りと率直な自己認識は、まさに、大学を経由して研究者となった人々に共通する厄介なメンタリティである。そこにこそ、問題を見えにくくさせる機制がある。

■内部者から

 どのような集団に属していても、また、組織・機関に属していても、ある種の内部者としての位置から、位置からのみ可能な問いがあるだろう。それが「たまたま」であっても、「必然的」であっても、事情は変わらない。そのなかでこそ問われるべきことは消えないままである。特に、抑圧的・特権的・権威主義的な地点にある大学という場において、その問いは、より発せられる必要がある。学生運動の解体を経て、ささやかに生き延びてきた実践が、なんとか息をひそめながら、反撃の機会を伺っている。
 しかし、その問いは、はるかに後退してしまっているようにみえる。ある座談会に出席したときに、そのことを痛烈に感じた。ほとんど言葉が通じないのである。それは、学生たちに限らず、世代も年齢も性も関係なく、通じない。本報告書/研究会においても、それは同様であった。
 大学という場によって区切られた研究の共同性の胡散臭さを感じながら、資源の集中によって、ぶらさがる磁場は強まっている。いったい、そのことがどのような意味を持っているのか。大学における非正規労働者の闘いが一定の盛り上がりを示している今、その地点を定位し、どの段階に向かおうとするのかについて、より自覚的でなければならない。

■謝辞

 最後になったが、本報告書を作成するうえで、企画を快く承諾して下さった事業推進担当者である天田城介さん、編集作業を担当して下さった生活書院の高橋淳さんには、毎度のことながら、深く感謝しなければならない。また、講演録の掲載を快諾して頂いた佐藤信行さん、座談会における報告依頼を引き受けて下さった永田貴聖さん、有薗真代さんに、重ねて、感謝致します。


*作成:村上 潔
UP: 20110324 REV: 20120119
『「異なり」の力学――マイノリティをめぐる研究と方法の実践的課題』(生存学研究センター報告14)  ◇全文掲載  ◇地域社会におけるマイノリティの生活/実践の動態と政策的介入の力学に関する社会学研究
TOP HOME (http://www.arsvi.com)