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「労働に性別は必要なのか?――性別違和をもつ人の職場における生存戦略」

高橋 慎一 20101120
山本 崇記・高橋 慎一 編 20101120 『「異なり」の力学――マイノリティをめぐる研究と方法の実践的課題』
生存学研究センター報告14,408p. pp.191-219【第1部第6章】

last update: 20110323

1.問題設定と先行研究

 性別違和をもつ人の労働と生存の問題は、いまだ思考されざる領域である。この領域には、さらに広く「性と労働」の結びつきをいかにして考えるかという問いのヒントがある。本章の目的は、自らの性別の認識を曖昧な状態で生きているトランスジェンダーの雇用問題に関する現状と課題を、当事者の語りのなかから明らかにすることである。
 本章では、生まれながらの性別(生来の身体の性別)に違和感をもつ人の総称として「性別違和をもつ人」を用い、このような曖昧な性自認・性的身体のあり方をアイデンティティとして選択する人をさして「トランスジェンダー(transgender)」という語を使う。前者は違和感をもつ状態にある人であり、後者はその違和感をアイデンティティやライフスタイルとして再選択した人である)★01。また「性同一性障害(者)」とは、90年代後半からはじまる性同一性障害医療を選択して、その診断名を名乗りとして用いる人をさす。
 性別違和をもつ人といってもそのあり方は多様であり、この論文は二つの軸によって当事者を把握する視点をもっている。ひとつめは、(1)身体改変の程度である。性別に関わる身体の改変をどの程度行っているか、性の揺らぎをどのように認識しているかである。もうひとつがより重要なのであるが、(2)社会規範に調和的・同化的か非調和的・非同化的かという軸である。後者の方がより大きく当事者のライフコースを左右する要因となっている。また、後者が前者の身体改変の程度を左右する場合もある。
 本章では、同化型・非同化型の当事者にインタヴュー調査を行った。質問項目は半構造化面接法を用いて作成した。まずは生い立ちから現在にいたるまでを職歴に焦点を当てて聞き取り、その聞き取りから「@就労前の労働に対する意識」、「A就労前の性別違和の目覚めと対応」、「B就職活動と性別違和」、「C就労と性別違和」、「D就労後の労働に対する意識」、「E性別違和をもつ他の人との関わり」という項目を作成した。被調査者は、調査者が労働相談・生活相談において支援者や知人として継続的に関わった性別違和をもつ人たち2名である。聞き取りは、論文の趣旨とこの調査の研究利用に関する重要事項について事前説明を行った上で、対面にて行った。調査期間は、2009年7月から2010年5月までである。
 インタヴューの分析に入る前に、トランスジェンダーの雇用をめぐる本章の前提となる認識を確認しておきたい。日本における性別違和をもつ人、またトランスジェンダーの状況は、1990年代後半以降に大きく動いた。1997年日本精神神経学会が「性同一性障害の診断と治療に関するガイドライン」を作り、埼玉医科大で性別適合手術を含む性同一性障害障害医療がはじまった。2003年には性同一性障害の戸籍の性別に関する特例法が可決され、医療行為を受けた後の戸籍の性別変更が可能になった。この動向の背景には、当事者団体の働きかけがあり、Trans Net Japan、FtM日本、gid.jpなどの連絡会があった。これらの団体が医療成立のために働きかけ、また設立に関わった学術団体としては、日本精神神経学会、GID学会などがある。これら当事者団体や関連学会は報道を利用し、マスメディアがこのテーマで特集を組む機会も増え、埼玉医科大の医療開始、ガイドライン改定、特例法成立と改正、当事者の労働問題、性同一性障害の児童の問題、性同一性障害当事者のライフヒストリーなどが紹介されてきた。90年代後半以降、性別違和をもつ人の問題は、性同一性障害の医療化を通じて表面化したといえる。
 「性同一性障害」とは一連の医療行為をともなう精神疾患の診断名である。日本の性別違和をもつ人の状況は、この性同一性障害を中心とした医療化から切り離すことができない。性同一性障害は精神疾患としての診断に基づき外科的措置を行うものである。それはしばしば医療行為の正当化という観点から美容整形術と対比される。美容整形術は病気の原因に働きかけて治療するというものではないので、医療行為と身体改造の境界線上にあるとされる。これに対して性同一性障害は、生物学的な原因に由来する性別違和が存在するとされ、性別適合手術という身体改造によってその症状を緩和する目的でなされるものである。このような緊急性の低い医療行為の成立には患者の強い同意が必要であり、反対の性別を希望する真性なニーズの存在が前提とされている。しかし、社会的不利益が多く存在する強制的な状況においては自由な医療の成立は不安定になる。ここで性同一性障害派は医療選択を肯定し、トランスジェンダー派は社会的不利益の存在を強調する。この二つは対立状態にあり、本章が同化型の性同一性障害当事者と非同化型のトランスジェンダー当事者の対比に見ているとおりである。しかし、この双方にとって、医療選択を肯定するにせよ、医療選択に否定的になるにせよ、性別違和をもつ人の社会的不利益がどのようなものであり、いかにしてその不利益を解除するか、ということが重要になる(Dean 2000; 高橋 2008)。真摯な同意やある程度の自由なニーズ表出は、社会的不利益がある程度解除された後にしか確認できないので、医療を肯定するにしても否定するにしても、社会的不利益を解除することがきわめて重要だからである。
 本章はトランスジェンダーの社会的不利益のうち雇用問題に焦点をあてる。なぜ雇用問題なのか。先行研究では、性同一性障害当事者がライフコースのどの段階で深刻な状況に置かれるのかを調査するために、自殺を考えた時期に関する質問とその結果を記録したものがある★02。これによると大学進学時と大学卒業時に自殺を考えたと多くの人が回答している。すなわち、親元を離れて一人で自活する、労働をして賃金をえて働く、人間関係が変動するといった契機に直面して、当事者が新たに社会への同化適応を迫られる時期である。おそらくは、その就労の場の多くは当事者にとって十分な理解や配慮をえられる場とは限らないし、ニーズを隠して生活することになるからである★03。現在の日本、より根本的には労働と性が結びついた近代の労働社会で生活していく上で、トランスジェンダーや性同一性障害当事者など性別違和をもつ人々は、このような状況に置かれている。
 ポストフォーディズム・後期近代の先進諸国においては、雇用と社会保障の仕組みが大きく変化し、とりわけ雇用システムが流動化し不安定な労働市場が常態化している。日本経済団体連合会は「新日本型雇用システム」について、特殊な技能を必要とする期間の定めのない雇用の「長期技能蓄能力活用型」、契約社員など期間の定めのある雇用の「高度専門能力活用型」、技能蓄積を期待されない「雇用柔軟型」の三種類に分類している。性別違和をもつ人の雇用条件も日本型雇用システムの内に分布しており、今のところ調査結果からは、同化型の人はかつての男性中心的なライフコースである正社員としての終身雇用・年功序列型の雇用に、非同化型トランスジェンダーは不安定層の非正規雇用に組み込まれているという傾向があると推測される。しかし、同化型の人でも、健常者男性と同じく不安定な雇用環境に置かれている上、身体の違いを意識し自らを周囲に受容させるという負担がつねにともない続けている。とくにライフコースのモデルを見出しにくいトランスジェンダー派ではあるが、その雇用は不安定なものになりやすく、彼らの生存戦略を明らかにすることは、他の人の生活情報を得る契機ともなる。本章がトランスジェンダーの雇用問題を扱うことには、このような背景と意義がある。
 ところが、このように重要な問題であるにも関わらず、日本にはトランスジェンダーの雇用問題を扱った先行研究がほとんど存在しない。アメリカ合衆国では、90年代半ばまでエイズ問題に焦点があたっており、雇用問題はそれほど厚い調査がなかったとされるが、近年になってトランスジェンダーの雇用問題に関する調査報告が増えてきている(Epstein 2007; Schilt and Connell 2007)★04。当事者の語りを分析するには、当事者の語りを取り巻く権力作用・規範作用を考慮しなければならない。セクシュアリティ研究の分野では、Foucaultの研究を参照して、生政治・医療化・福祉国家化批判が行われてきた。この批判は、生命を序列化し生産・規制するシステムが当事者の自由やニーズを非自由化・パターン化する権力作用・規範作用に焦点を当ててきたといえる。社会学においては、フェミニズムもまたこのような権力作用・規範作用を批判してきたし(江原 1987など)。差別論・エスノメソドロジーにおいても同様の研究がある(坂本 1986; 内藤 2003; 佐藤 2005)。また、差別論・エスノメソドロジーは、このような権力作用・規範作用を記述する方法論を積み重ねてきた。
 本章は当事者のニーズを非自由化・パターン化させる制度と規範の両方を念頭におきながら、当事者の語りを分析するものである。この制度と規範を乗り越える可能性や取り組みが語り手の戦略の中に潜在している。これを明らかにするために、調査者は会話中に質問などを通じて、(1)被調査者が暗黙のうちに前提にしている常識知・規範・信念、また語りの中で行われている複数の出来事の因果づけを意識化した。また、(2)被調査者が行っている出来事の因果づけとは別の因果づけの可能性を提示することによって、その反応を記録した。
 以下2章では、同化型の被調査者の概要を述べ、語りを記述し分析する。3章では、非同化型の被調査者の概要を述べ、語りを記述し分析する。最後に小括では、性別と労働が結びつく構造について付言する。

2.同化型当事者のインタビュー

 2.1 被調査者Aさんの概要
 Aさんは1979年生まれ、生来の身体の性は女性で、性別違和は4歳頃から意識しはじめた、FtMの性同一性障害者。滋賀県で生まれ、4歳で京都府に移住。以降、K市で育ち、現在はM区で一人暮らし。4歳までは祖母に育てられ、4歳から父母の家に。保育園、幼稚園は行かず、父母の職場(鍼灸師・マッサージ師)で育児を受ける。小中高、歯科技工士専門学校を卒業。歯科技工士の資格を取得。職歴は、アミューズメントパークの売り子(短期)、コンビニエンスストアのアルバイト(2年)、ホームセンターの契約社員(1年)、運輸会社の契約社員(8年)。現在は母の介護に専念するために、運輸会社を退職して、雇用保険の基本手当を受給中である。
 Aさんは、(1)性同一性障害の診断を受け、乳房切除手術を終了している。ゆくゆくは内性器摘出、外性器形成を行い、戸籍上の性別記載を変更したいと考えている。また、(2)調和的・同化的な傾向が強い。
 調査者とAさんとの関係は、Aさんの母を介してのものだった。調査者はAさんの母が労働争議を行っていた際に出会った。Aさんの母が介護の必要な状態になり、調査者がその家まで介護に行き始めたことで、Aさんと知り合った。日常的に性同一性障害や性別違和について話をすることはほとんどなかった。Bさんの争議についてAさんの母に伝えることで、それまでタブー視されていた性同一性障害に関する話題が家族間の会話にのぼるようになった。この論文作成を始めてからAさんに改めてインタビューを願い出た。
 Aさんの語りには、幼少期からの家族関係や自らの過去の出来事を、現在の自分の性格や状況と丁寧に因果づけて物語化するという特徴がある。表現力は豊かで具体的なエピソードを豊富に交える語り口である。調査においては、Aさん自身が行っている因果づけを、調査者からの質問で意識化し、また非同化型の人が行うような別の因果づけの可能性を意図的に提示した。

 2.2 Aさんの生活史
 @労前の労働に対する意識
 Aさんの父は鍼灸師、母はマッサージ師。父はAさんが4歳の頃に按摩師の専門学校にアルバイトをしながら通学を始めた。母はすでにマッサージ師としての資格を取り、サウナなどの温浴事業に併設している施設などでマッサージ業を業務委託で営んでいた。不安定就労の状態にある父は日中自転車に乗って、Aさんを母の職場や自分の知人宅につれていった。Aさん7歳の頃、弟の出産後ほどなく、父と母が離縁する。当時Aさんの母は医療事故にあい裁判を継続していた。このときの裁判関係者の影響で、父が家を出る。
 就労意識の不安定だった父に対する感情もあり、女手ひとつで子を育てるという気持ちの強さもあいまり、Aさんの母の労働規範はきわめて強いものだった。子に対する教育は、しばしば労働経験に裏打ちされた理路を突きつけるという型をとっていた。

(会話A-@-1)
 小学校や中学校から家に帰ると、本当に気持ちが休まらなかった。母は家にいるといつも質問してきました。たとえばテレビニュースで殺人事件があったとして、「あんたこれについてどう思う?」と問い詰められて、それについて自分の考えを言うと、「あんたは甘い」と言われて母の考えを聞かされたり……。

 Aさんの母は、強い労働規範と労働の現場で生き延びるための「世間」との交渉術をAさんに教育し、この家族の圧力がAさんの職業選択の動機に深い影響を与える要素になる。

 A就労前の性別違和の目覚めと対応
 性別違和に目覚めたのは、祖母と暮らしていた頃だった。以降、Aさんの場合、性別違和は「服装」への違和感として強く現れ続ける。
 
(会話A-A-1)
 祖母がスカートを買ってきてくれて、僕はスカートは絶対いややと思って、でも祖母に気を悪くしてもらいたくなかったから、「ポケットがないからいや」といったら、今度は祖母はポケットがぐわーっとついたスカートを買ってきてくれた(笑)。でも祖母はいやといったら押し付けるような人ではなかったので。
 服のことはそのあともずっとありました。

 Aさんは小学校は私服で、中高と制服の学校に通学した。この頃のAさんは性別違和をどのように意識していたのだろうか。

(会話A-A-2)
調査者:当時は性別違和をどういうふうに感じていましたか、当時どんな言葉を使っていたかとか覚えてはりますか。
Aさん:性別に対する違和感というよりは…、自分がとにかく人とは違うと思っていました。いつも自分が喋っていてももう一人の自分が後ろで見ているというふうな。自分を消すようにしていた。とにかくまわりにあわせようとして必死でした。それが苦しかったので、自分を消すようにしました。

 Aさんは、家のなかでの母との日常的な出来事もあって、自分に性別違和があって服装に違和感があるということだけではなく、自分が「人とは違う」という感覚に強くとらわれた。だが、当時のAさんを知る人たちはAさんを「人気者」として回想する。しかし、「Aさんとしては本当の自分を消すために、作り物の自分を過剰に見せる」という戦略をとっていたのある。
 ところが、高校入学後に演劇部に入部したAさんは、そこで「自分自身が変化した」のだという。

(会話A-A-3)
調査者:どのような変化があったのでしょうか。それまで自分を消すために演技をしてきたわけですが、演劇部の人間関係ができて以降、何がどのように変化したのでしょうか。
Aさん:今まで自分を消すためにやってきた演技が、演劇のなかではまったというか。演目の7割くらいは僕が主役になりました。この時期もとてももてて、告白されたりということもあった。パートナーができたのもこのときでした。

 この演劇部には、Aさんから見ると個性の強い学生が集まっており、Aさんと同じ一人親世帯が多かったということで、そこにいると自分が「人と違う」と感じなくてもすむ空間だったのだという。本当の自分を隠して演技しているという意識が減じていく。この友人たちがAさん宅に遊びにくるようになり、学校のクラスと家庭の往復だった生活が変質した。Aさんの友人たちは母と親しくなり、Aさんが家に帰ると友人たちが母親と先に夕食を食べながら団欒している、ということがしばしばあった。この友人たちは、Aさんの母が要介護状態になったときにボランティア介護者として介護体制を組むほどの関係性になる。Aさんの自己演出の戦略は、かつては自己否定の経験として想起されていたが、以降は自己表現の経験として記憶されている。
 自己演出の戦略を自己否定から自己肯定の経験に変質させることができたAさんは、この時期、性別に対する違和感とどのように付き合っていたのか。Aさんの服装に対する違和感は残り続け、校則を読みこみ、特別な理由ある場合は女子がズボンを着用してよいという規定を見つけて、学校教師と交渉もした。また、ジャージを履いてみたり、シャツを表に出したりと、着こなしでスカートを目立たなくさせたり、別の個性を突出させることで、性別を意識させないという戦略を意識的にとっていたという。

 B就職活動と性別違和
 高校卒業前、Aさんは周囲の学生の9割が進学するという環境にあった。Aさんも「将来のこと」を考えることになるが、そのとき選択の動機や制約条件になったものは何か。インタビューの最中、Aさんは何度か「どうしても選んでしまう」という言葉を使った。この「選ぶ」という語は、Aさんの語りのなかで職業選択のさいにキーワードとして使っているものであると考え、調査者は意識化のためにAさんに以下のように質問した。

(会話A-B-1)
調査者:「選ぶ」というのは、「自分に性別違和があることで働くのが難しい職場があるから、就職するときに条件面をしっかりと考えてから就職先を選ぶ」という意味ですか
Aさん:そうですね
調査者:具体的には何で選んでいましたか
Aさん:うーん…、会社の雰囲気とかは入ってみないと分からないので、とりあえずは制服とかで考えました

 現実には職場内での具体的な就労条件と性別との関係を事前調査することは困難なので、Aさんが職場を選択する際には、それまでも重要な意味をもってきた「制服」によって、職場の総体を象徴的に判断するということをしていたといえる。性別違和をもつことで、このような形での職業や職場選択の制約付けが存在したのである。
 さらにAさんは母から、状況に左右されにくい安定した雇用であるという理由で、「医療系の資格を取得すること」を強く勧められていた。このときAさんには「母の望みをかなえてあげたい」「母の望みどおりにしなくては納得してもらえない」という二つの動機が働いたという。そこで、なぜか過去にあった弟の歯の事故をふと思い出し、「それなら歯かな」と考えたという。ここでは家族からの誘導・圧力がもうひとつの職業選択の制約付けになっていた。
 歯科技工士の専門学校に入学・通学していく過程で、当時の歯科技工士の職場は工場内でアスベストも使用する危険なものであると知り、思った以上に求人も少なく、かりに就職できたとしても、労働時間が長く賃金も低かったため「割に合わない」と考えるようになった。またこのとき、学生時代にバンドの経験もあったAさんは歌手になりたいと思うようになり、東京のプロダクション会社に連絡した。そのプロダクション会社社長のパートナーはトランスジェンダーだったということもあり、社会的な意義を語り、Aさんをトランスジェンダーの歌手として売り出したいと考えた。これをきっかけにAさんは母にカミングアウトすることにした。高校時代に埼玉医科大性同一性障害医療の第一例を報じるテレビニュースを見たとき、「自分もこれかもしれない」と考え、専門学校在学時に関連書籍を買い勉強した。その本を見せて母にカミングアウトしたのだが、母の反応は否定的なものだったという。

(会話A-B-2)
 いやー、もうほんとに毎日言い合いでした……。はじめにカミングアウトしたときはいまでも忘れませんが、ちょっとだけ心の傷にもなってるんですけど、「このゲテモノぐいがー!」と言われて。それでも話し合いをするうちに、「あんたはそんなもんじゃない、でもうちの家系はおばあちゃんもそうやけど、男っぽい女が多くて、あんたも中性なんや」という母なりの譲歩は見せてくれました。

 このようなやり取りのなかで、Aさんの母は「そんなものを売りにするなんて卑怯や」と主張してプロダクション会社社長と決裂し、Aさんは東京行きを断念した。そこでAさんは「母と一度距離をおきたい」と考え、家を出て当時交際していたパートナーと共同生活をはじめる。労働規範と異性愛規範の強い家族への配慮によって職業選択を行ってきたAさんは、その圧力から離れる決意をした。以降、AさんはSRS(性別適合手術)を行って、性別記載を変更し、パートナーと結婚し入籍したいと考えはじめ、それがAさんの職業選択にも影響を与えることになった。

 C就労と性別違和
 Aさんは高校生時代からアルバイトを経験し、ホームセンター、運輸会社で有期雇用の契約社員として働いていた。パートナーと共同生活をはじめて以降、職場として選択したのは、運輸会社であった。はじめはアルバイトとして雇用され、社員からの誘いで契約社員になった。正規雇用としての契約も誘われたが、Aさんは「手取りの賃金が低くなり、労働時間も長くなるので、割に合わないと思いました。一生ここで働くなら社員になってもいいと思いましたが、一生はしたくないしんどい仕事」と考えた。Aさんが運輸会社で行っていた業務内容は、配達用の台車に荷物を積み、営業所から手押しで近隣地域に配送して回るというものである。「仕事はきつく性差別もひどい職場」だったが、演劇部以来つちかってきた自分を周囲に受容させる技術もあって、Aさんがホルモン注射をはじめて性別移行をしても、周囲の態度には大きな変化がなかった。

(会話A-C-1)
 お客さんのなかには、「なんや自分はAくんやったんやな。自分と同じようなんでフェンシングの選手おるやろ、あれわしの親戚なんや。よかったら一緒に飲もう」と言ってくれた人や、「あれ」とクエスチョンマークがついたけど慣れていったおばあちゃんや、いろいろいましたけど、とくに問題はなかったです。職場でも、「まあAはAやしな」ととくに何かを聞くでもなく、性同一性障害というよりは人として受け入れてくれたんだと思います。

 さらに、Aさんはこの職場内で何人かのトランスジェンダーと知り合うことになる。またこの頃Aさんはインターネットの携帯サイトで個人HPを運営しているトランスジェンダーたちと連絡を取り合うことにもなる。

(会話A-C-1)
 そこで生まれてはじめて他のトランスジェンダーと会いました。その子はFtMで、あれ、そうかなと思って、声をかけてみました。お互いにぜんぜん分かっていなかったんですけど。「オレあれなんだけど自分もなん」と尋ねて。

 Aさんの職場の同僚のトランスジェンダーは職場内での受容がなされてはいなかったという。

(会話A-C-3)
 やっぱりMtFとFtMではけっこう受け入れられ方もちがいます。その子の場合は、あまり周囲との調和もとれないほうで、「自分は性同一性障害で、性同一性障害っていうのはこういうもので」という説明をしてから変えるっていうんじゃなくて、「自分はもう女性としてやっていく」というのを決めて、何も言わずに女性になった。それじゃ難しいやろうなと僕は思った。
 MtFはすごく努力してパスしようとしてそのへんの女性よりもよほどきれいな人もいると思うんですけど、骨格が大きくてパスができない人もいます。そういう人はどうしたらいいのかと思います。

 Aさんは「調和」という言葉を重要なものとして語った。Aさんは「人と違う」という感覚を基盤にして自己を演出する技法を身に付け、「人気者」として周囲に自らを受容させてから、性別移行を行った。Aさんは周囲との「調和」を常に気にかける感覚をもち、そのような振る舞いを行っているのであり、Aさんにとっては職場の秩序は同化を迫る過剰な圧力としては感受されていない。

 D性別違和をもつ他の人との関わり
 Aさんは性別違和をもつ友人たちに対してどのような関わりをしているのか。Aさんは対面で交流をもった人たちとは「ときどきメールをする程度の関わり」だと言い、インターネット上でのつながりは「もうほとんどない」と言う。ただ、周囲と「調和」がとれない人に対してAさんは「つい黙っていられない」。自らが周囲と「調和」が取れなかった経験から、歯科技工士の専門学校で男子生徒がいじめられたときにも、その子を周囲にとけこませようとした。トランスジェンダーで周囲にとけこめない人に対してはどうか。運輸会社で働く同僚たち、性格やコミュニケーション技術の不足で「調和」できない人たちに対しては、Aさんはかつてと同じような関わりをもった。
 Aさんのなかには、結果的にパスできなくて非同化型の生活を営んでいる人と、「選んで」非同化型の生活をしている(とAさんに見える人)のあいだに、はっきりとは意識化していない暗黙の区別があるようだった。会話のなかでのこのような暗黙の区別を感じ、調査者はAさんに質問した。

(会話A-D-1)
調査者:トランスジェンダーには男女差別に同化することに反対する、同化できない非同化型の人がいると思いますが、そのような人たちについてどう思いますか。
Aさん:そういう人は自分で調和しないということを選んでいるのだから、リスクを分かった上でやっているし、僕の感じ方では、これは言い方は悪いかもしれないけど、その人のせいちゃうかな、と思う。

 E就労後の労働に対する意識
 Aさんは母の介護のため、8年間働いた運輸会社を自己都合で退職した。Aさんは今後、父親が勤続する医療付き介護施設で働くことになるかもしれないと言う。調査者はAさんに「『選ぶ』という言葉で言われていたような圧力、『調和』をしなくてはいけないものは、まだ消えずにあると思いますか」と質問した。

(会話A-E-1)
Aさん:やっぱり選びますねー。他の人の話を聞いていても、トイレとか、更衣室とか、社員旅行とかがしんどいというのはあります。うーん。ありますねー。
調査者:Aさんはその調和を迫られない、『選ぶ』ことをしなくてもすむ、骨格の大きなMtFでも生きていけるためにはどうしたらよいと思われますか。
Aさん:うーん……。いま思うのは運輸会社の仕事はやっぱり世界が狭かったと思います。人間関係もずっと同じだし、配達の地域も同じだし。狭いんですよね、世界が……。職場ってそういう狭い場が点々とあるというイメージです。それがもっと広くなったらと思います。たとえば子供の頃から、アメリカ人もいて、韓国人もいて、日本人もいて、トランスジェンダーもいるというよいうな……。もっとそういう広さがあったらいいなーと思います。

 2.3 Aさんのインタビューの分析──調和の戦略とその限界
 Aさんは青年期から「自分が人と違う」という自己否定の経験を持ち、その対応策として自己演出によって「性別違和をもつ」ことを、他者から秘匿してきた(会話A-A-2)。この自己演出は自己を擬態することで他者に明らかにできない情報を秘匿するという戦略である。これを通じてAさんは、周囲の理解をえるという関係形成のパターンを獲得する(会話A-A-3)。性別違和についても、Aさんは自己の個性・性格を突出させることで性別を隠すという戦略をとってきた。
 Aさんの職業選択の意識は、当初は家族からの圧力・影響によって形成された。しかし、Aさんは別居という形で家族から離れ、SRSを受けて生物学的には同性のパートナーと姻戚関係になるというライフコースを実現するために職業選択を行うことになる。この職場においても、Aさんは自己演出の戦略で性別移行をはじめた後も周囲に受容されていく(会話A-C-1)。
 このようにAさんは異性愛規範に同化的で、また同化を達成する自己演出の戦略を獲得しており、異性愛規範によって形成される家族関係をライフコースの目標としてもっている。それでは、同化型の性同一性障害者であるAさんは、一切の困難なく生活を営めているのだろうか。Aさんは「選ぶ」という言葉で、自己の直面する困難を表現していた。性別二元規範や異性愛規範が強く存在する職場は、はやりAさんにとっても居心地は悪く、なるべく選択肢から外しておきたいという気持ちがある(会話A-B-1)。Aさんといえども、今後働く職場で完全にパスして性別化された職場秩序に同化・適応できるという保証はない。パスに失敗し、職場規範に同化適応できなかった場合の不安は、Aさんにもある。だからAさんは「選ぶ」のである。
 Aさんは「選ぶ」ことによって不利益を回避しているのだが、この不利益を与える社会に対する際に自己演出の戦略以外に考えていることはあるのだろうか。調査者は、Aさん以外のトランスジェンダーを想定する質問をAさんに行った(会話A-C-3)。パスに失敗する、あるいはパスすることを選ばない他のトランスジェンダーについて、Aさんはどのように考えているだろうかと。Aさんには困難を制度・規範・他者の責任とするのではなく、自己責任によって切り開いていくという強い意志がある。このAさんの規範感覚を意識化するために、調査者は非同化型トランスジェンダーについて質問してみた(会話A-D-1)。するとAさんからは、不利益を受けた人が不利益を受ける前に選択可能だったものについては自己責任をとるべきだが、選択不可能なものについては自己責任が徹底できない部分がある、という反応が返ってきた。ここで選択不可能な人というのは、「骨格」からして「パスが難しいMtFトランスジェンダー」のことであった。また、「自己演出が上手ではないトランスジェンダー」に対してもAさんは肯定と否定の間で両義的な感情をもっていたようである。とくにAさんは自己否定やいじめの経験から、他者に対する共感や責任の感覚を形成していた。他方で、非同化型の人に対しては「自分で選んでいるのだから」と言う。
 「同化型でパスできない人たち」が生きていける世界を実現しようとしたらどのようにしたらよいと考えるかと調査者が質問したところ、Aさんは「世界が狭い」というキーワードを使った(会話A-E-1)。諸外国の事例をあげて、刑罰と関連づけた差別禁止法、履歴書の情報制限、法定雇用率の設定など、法的な手段についての考えを調査者は提示した。Aさんは法的な手段では問題の根本は解決できないと回答した。「制度や法によって変化させることができるか」という調査者の問いに対して、「それではどうにもならないものがある」として「偏見ではなく人を見てもらえたら」とAさんは言った。職場のような狭い世界を少しでも広くしていくことは、Aさんにとってトランスジェンダーに対する偏見を減じさせることにつながる。そして「世界を広げる」戦略については、Aさんが出した答えは、子供の頃から多様性を感じさせる教育であった。

3.非同化型当事者のインタビュー

 3.1 被調査者Bさんの概要
 Bさんは1981年生まれ、生来の身体の性は男性で、性別違和は22歳から意識しはじめた、MtFのトランスジェンダー。兵庫県M市で生まれ育つ。父の仕事は団体職員、母は運輸会社でパートの事務職。小中高、大学、大学院1年目中退。職歴は、天丼屋のアルバイト(3年)、ショーパブのアルバイト(2年)、セックスワーカー(半年)、映画館のアルバイト(半年)、ボディケア(マッサージ)のアルバイト(1年)、コンビニ食品加工工場のパート(半年)、ボディケアの業務請負(偽装雇用の可能性あり。3日)、アロマ事業の個人事業主(1年現在継続中)、ハプニングバー(半年)。ボディケアの業務請負をトランスジェンダーであるという理由で研修3日目に契約解除。労働組合に加入し、トランスジェンダー差別と偽装雇用を問題として労働争議を行い和解した。
 Bさんは、(1)性同一性障害の診断をとったがトランスジェンダーを名乗り、ホルモン投与をしている。外科手術などにより身体改変を行う希望はもっていない。また、(2)非調和的・非同化的な傾向をもっている。
 調査者とBさんとの関係は、Bさんが大学院生時代の先輩が調査者の友人であり、Bさんが解雇された際に、相談者として紹介されたのがきっかけである。Bさんが加入した労働組合で労働争議を担当したのが調査者であった。労働争議が終わりかけたときに、この論文作成のために改めてインタビューを願い出た。
 Bさんは独特のゆったりしたリズムの語り口である。Bさんは調査中の会話を通じて自らの仕事に対する感じ方を意識化し、非同化型トランスジェンダーの課題を形にしていった。調査者はAさんのときと同様に、Bさん自身が行う出来事の因果づけに対して、同化型の人の因果づけを質問として投げかけた。これにより、調査者を媒介することで同化型と非同化型の二人の対話を試みた。

 3.2 Bさんの生活史
 @就労前の労働に対する意識
 Bさんは兵庫県M市に生まれ育った。父は団体職員で母はパートタイム労働者だった。父母の仕事をしている姿を実際に見たことはなく、幼少期をとおして労働に関するイメージは明確ではなかったという。

(会話B-@-1)
調査者:大学生時代の天丼屋のアルバイトでは働いているっていう意識はありましたか?
Bさん:なかったね。なんか知らんけどお金が入るしみたいな意識やったかな。

 以降、労働組合に加入するまで、Bさんには雇用契約を結んで労働しているという意識はまったくなかった。

 A就労前の性別違和の目覚めと対応
 Bさんの場合、性別違和の目覚めは大学院生入試の浪人生をしていた23歳の頃にやってきた。Bさんは中高生の頃から異性愛に関する話題にはついていくことができず、趣味の話を共有できる友人との付き合いをもってきた。大学院浪人生時代にはじめて「女性の姿でいたい」と思い、髪をのばし、服装をユニセックスのものにした。

(会話B-A-1)
調査者:浪人生時代、どのような瞬間に性別違和を感じたのでしょうか。その瞬間を覚えていますか?
Bさん:はっきりと覚えています。浪人生の頃、大学にも行かないで周りに人目がなかったので、自分と向き合う時間がふえた。これは何かおかしい。「自分は女性の体がほしいんじゃないか」と思うようになった。

 Bさんの場合、性別違和は、性自認が女性であるという強い感覚にとらわれるというよりは、「女性の体がほしい」という言葉で表現されるような、女性の身体への憧れとして感受されていた。性別違和を意識しはじめてから、Bさんは主にインターネットで情報収集をして、整形手術やホルモン投与などを行うようになる。また、もともとアート関係の知り合いがおり、ドラァッグ・クイーンの舞台などにも上がるようになる。

 B就職活動と性別違和
 Bさんは新卒での就職活動を経験していない。高校時代にも周囲の受験勉強に向かう圧力を感じて、この流れに同化したくないと考え、受験勉強を放棄して教員から推薦入学枠をすすめられた。大学の同級生が就職活動を始めたときも圧力を感じて、それに同化したくないと考えた。そこで「モラトリアム」として大学院入学を考え、一年間浪人生としての生活を送ることになる。

(会話B-B-1)
調査者:Bさんは周囲の社会的圧力に対抗するというかたちで反応してますよね。しかもかなり早くからずっと。
Bさん:大学時代も写真サークルで、あたしはかなりアヴァンギャルドな映像作品を作ろうとして、周囲と対立したんよね。結局、ずっとそやねん。

 このBさんの社会的圧力に対する非同化的傾向が、性別違和を感じて以降のBさんの生活上の選択にも大きく関わってくるのである。

 C就労と性別違和
 Bさんは性別違和を自覚してから、大学院での性別移行を始めた。周囲の受容はとくに問題なく進んだ。しかし、Bさんによると、大学院一年目で指導教官からのパワーハラスメントを受けて、Bさんは大学院を中退する。
 そこからBさんは実家近くのショーパブに勤め始める。ショーパブとは、女性店員が顧客である男性に接客することを目的とした飲食業で、何店舗かを経営する「オーナー」、店長の「ママ」、「ウェイター」、直接顧客に接客する「女の子」たちがいた。20畳ほどのスペースで机は5つ。そこでBさんは「女の子」の一人としてアルバイトをはじめた。

(会話B-C-1)
調査者:なぜショーパブだったんですか。
Bさん:その頃は女として働いてみようと思って、とくに働き始めてからは女にならないと、という意識があったから。

 実際に働き始めてみると、このショーパブでは独特な性別規範がありライフコース(「人生の上がり方」)の思い描き方があったという。

(会話B-C-2)
調査者:どういった人たちが働いていたんかな。そこで働くことでBさん自身に性自認や就労意識に変化はあったかな。
Bさん:セックスワークとの違いなんやけど、ショーパブの方がはるかに女性であることを強く求められて、実際に働いている子たちはみんな「結婚して、専業主婦になって、子供つくって」というのを「人生の上がり方」だと思っていて、そうなろうとしていた。やから他の子たちはみんなライバルという感じで、男を喜ばせるテクニックをお店でそれぞれもってて、それを人には隠して競争しているって感じやってん。
 でもあるとき、あ、これって性差別なんちゃうんかと思ってしまった。やっぱり大学院でフェミニズムの歴史を勉強したりしてたから、この感覚もいままで自分が反対してきた圧力と同じなんちゃうんかと思った。

 この感覚の芽生えによって、Bさんはショーパブで働き続けることが苦しくなる。Bさんは精神的・身体的に追い詰められ、接客ができない状態になり、最後は解雇されてしまったという。

(会話B-C-2)
調査者:それからセックスワーカーにというのは。
Bさん:ショーパブの経験から、もっと自分の性を変態的に見せたり、自由にしたりしたいという感じ方になって、そんならセックスワークしてみようかと思った。けど、セックスワークの現場は、それでほんまに稼いでいる子たちは住み込みで管理されているし。セックスワークの仕事自体は工場労働みたいやった。
調査者:工場のライン作業のような。
Bさん:そうそう。ライン作業みたいな。

 このセックスワークの仕事は、登録制のアルバイトで営業所に通勤して業務を行うというものであった。この仕事では、Bさんは自覚的にサービス内容を客と折衝して、擬似恋愛感情のようなものを抱いたり、女性役割を強く求められるような顧客は、他のセックスワーカーに斡旋していたという。体調不良でこの仕事を辞めてからは、日中の仕事に就業しようと考え、ボディケア(会社が倒産)、食品加工工場、ボディケア(研修3日目契約解除・解雇)と仕事を替えた。性別違和を伝えて就業するときもあれば、性別違和は雇用と関係ないと考えて、情報はとくに提供しないで事業主の判断に任せるときもあった。
 食品加工工場では、性別の関係ない職種と思い働いていたが、周囲のパートタイム労働者から「Bさんは結婚しないの?」などと聞かれて、日々圧力を感じていた。やはり性別と関係ないと考えてマッサージの仕事をと考えて、温浴施設のボディケア業務に就こうしたが、結果、契約解除・解雇されてしまう。現在のBさんは、性別の曖昧なトランスジェンダーとして働くという意識を強くしている。

 D就労後の労働に対する意識
 Bさんは多様な職種で働いてきたが、労働組合に加入して労働争議を始めるまでは、自分の雇用形態・労働条件に関する意識もなく、働いているという意識も希薄だった。

(会話B-D-1)
調査者:ショーパブでの経験がずいぶんと大きかったのではないかと思いますが。
Bさん:たしかに。あそこでは「こんなあたしでも働かせていただいている」という感じを強く植えつけられて、それが強く残っていた。あたしは女になれないし、性差別になるような女にはなりたくもなかったのだと思った。それが組合に入ってからの知識でずいぶんと意識が変わった。労働契約書って出さないとあかんのやとか、契約内容についても、偽装雇用とか偽装請負とかがあることを知った。自分のようなトランスがアンダーグラウンドな仕事についたり、非正規雇用になりがちなんじゃないかと思うようになった。

 Bさんによると、一度目のボディケアの仕事のときに、週の労働時間が20時間を越えると雇用保険加入義務が事業主に生じるため、社会保険証を作成され性別が明らかになってしまうという事態になったという。そのときBさんはもっと働いてほしいという雇用主の意向に反して、20時間以下での労働時間を希望したが、雇用主は不信感をもったかもしれないという。
 Bさんの労働事件は、トランスジェンダーであることを理由に温浴施設のマッサージ部門を解雇(契約解除)されたことを不服として、謝罪などを求め、労働組合を通じて温浴施設を経営する会社と交渉したものである。2008年7月にBさんは、京都と大阪に事務所をかまえるC労働組合に電話で労働相談を行った。C労働組合は、2005年11月に結成された個人加盟型の地域ユニオンである。「職種、雇用形態、性別、障害の有無、性的指向性、性自認、失業者、フリーター、ニートに関係なく、誰でも一人から入れる」、20代後半から30代半ばまでの構成員を中心とした100名ほどの「若者の労働組合」である。Bさんが労働争議の形をとろうと考えたのは、「自分のようなトランスは職場を変えないと働けない。これからもずっと泣き寝入りしないといけない」と感じたからだという。

 E性別違和をもつ他の人との関わり
 Bさんは、Aさんのような同化的なトランスジェンダー・性同一性障害者に対しては、否定的な感覚をもっている。しかし、調査者との継続的な関わりの中でBさんは同化型の人への見方を変更しつつあるという。ここで調査者は会話中にBさんとの間で議論を起こした。

(会話B-E-1)
Bさん:「性同一性障害」を名乗る人にはすごい違和感があったけど、〔調査者と〕話をしていくうちに、戦略的にそれをとる人もいるんやなと思った。
調査者:そうですよね。実際に職場で圧力を感じながら生活するというのは、結局、同化型の人に限らず、異性愛者もまた家族を養うとかをイデオロギーにせよなんにせよ動機にして、しんどい労働環境をぐっとこらえて仕事していたりしていると思うんですよね。そしてそのしんどい労働環境に支えられて現状の労働社会が成立しているとしたら、単純な否定はあかんなと僕は思うんです。単純な現状肯定でももちろんないです。
 社会条件や職場環境が変わったあとじゃないと、「反対の性別になりたい」っていうニーズが本当にあるのか、それともたんなるイデオロギーの産物なのかも、分からないと思うんです。男性になりたい女性になりたい、っていう人がいたりするのは、きっとそれは真摯な欲望なのではないかと思うんです。

 しかし、現実には、非同化型のトランスジェンダーであるBさんは、性別規範や異性愛規範に同化的な人たちから、同化圧力を感じ続けている。調査者のような考えはBさんのような立場の人をより複雑な感情に追い込んでしまいかねない。その上で調査者は、同化型のAさんが、Bさんのような非同化型のトランスジェンダーに対して否定的な見解をもっていることについて質問した。

(会話B-E-2)
調査者:Aさんは、骨格からしてパスできないタイプの人は仕方ないけど、非同化型のトランスの人は自分で選んでいるんだから自己責任で、という言い方をしておられました。これについてBさんはどう思いますか。
Bさん:うーん。それに対しては、あたしだって選んでないと言いたい。選んでいるけど、選んでいない。このトランスとしての感覚は選んだけど選んだものじゃない。それをすべて自己責任と言われると、ちょっとちがうなー。
 この労働争議を通じて法律の言葉を手に入れたのが重要だと自分では思う。いままでは全部自分の責任と曖昧に思っていたものを、あ、これは法律違反なんやと思うようになれたし。

 Aさんが選択可能なものは自己責任で受容するべきという線引きの感覚をもっているのに対して、Bさんは「法律による線引き」を強く対峙させる。かりに違法性の高い職場であっても、その職場を選んだ責任が当人にあるのだから当人が不正な環境を受容するべきだという話にはならないというのだ。また、社会規範に「非同化」的であるという生き方は、Bさんのアイデンティティにはなっているが、Bさんとしては自由に選択した結果であるとは感じられていない。むしろ、Bさん自身の選択困難だった所与の生きずらさを、あえてアイデンティティとして選択しなおすことによって、価値転換を積極的に行ったという意味合いが強い。Bさんにとって生きにくい所与の状況は選択不可能であるのだという。
 調査者は、Aさんのときと同様に、Bさんにも問題解決のための方法について質問した。
(会話B-E-3)
Bさん:それでもやっぱり法的な解決だけじゃないんよね。今回の労働争議の限界もそこで、結局会社を突いたら、顧客がねーとなってしまうし。解決の具体的なイメージは難しいけど、たとえば組合の抗議行動のときは、すごく解放感があって。たくさん支援に人が来てくれたけど、あたしがトランスジェンダーだってことなんか誰も気にしない空間だった。そんで同化をせまってきた使用者をみんなでやっつけるっていう。ちょっとしたお祭りみたいな。変態的な空間。
調査者:ああいう変態空間が街のいたるところに出没したら、ずいぶんと生活しやすくなるでしょうかね。
Bさん:そう思うわ。
調査者:でも男女規範とか異性愛規範とかに同化的な人にとっては、ちょっぴり厄介かも。
Bさん:そやね(笑)。

 3.3 Bさんのインタビューの分析
 1章でもふれたように、日本の雇用情勢は不安定雇用層としての非正規雇用労働者を組み込むことで、企業は雇用保険・健康保険・厚生年金保険などの各種社会保険をコストカットする方向性に進んでいる。Bさんの生活史からは、性別違和を持つ人のうち、職場の異性愛的コミュニケーションに同化できない人や、戸籍上の性別を明らかにすることを望まない人が、この雇用の不安定層に自ら組み込まれている可能性が示唆された(会話B-D-1)。Bさんは「他のトランスはどうやって生きているのだろう」という。トランスジェンダーとして生きていくライフコースのモデルが、Bさんには分からない。日本型雇用である右肩上がりの年功(家族)賃金・終身雇用制・企業内福利厚生策といった核家族を基盤とする健常者男性の労働者ライフコースのモデルが崩れ、かつての既得権層でさえ予見のできない不安定な生活をしているといわれる。
 Bさんは、異性愛家族からの圧力は少なく、幼少期から同化圧力に敏感に反応し、非同化的な傾向が強かった。そんなBさんは、非正規雇用から正規雇用にステップアップしたり、結婚して専業主婦になったりという選択肢をもたないし、そのような選択を行うことに深い違和感をもっている。Bさんにとっては家族よりも職場における教育経験が強く影響を与えていた。Bさんはショーパブでの抑圧経験から、性別を意識しないですむ就労場所を求めて失敗を重ねてきた(会話B-D-1)。たんに不安定雇用層に組み込まれるのではない生活スタイルである。
 Bさんの加入した労働組合もまた、Bさんと同じように被差別の属性をもつ人や、非正規雇用者として生きている人が多い。Bさんはこのような労働組合のコミュニティを「変態的」と表現する(会話B-E-3)。この労働組合は正規雇用化を求めることはせず、逆に、労働市場のあり方を批判すると同時に、非正規雇用の生活モデルを作ろうとしている。Bさんは性別違和にかぎらず、それ以前から様々な同化圧力に違和感を感じながら生活してきた。それは「自己責任」で片がつくような単純なものではないとされる(会話B-E-2)。選択可能なものと選択不可能なものの間の経験である。ここでAさんとBさんとでは、社会的不利益の原因を当人の選択の結果とみなすのか、社会的条件の結果とみなすのか、という点で線引きが異なっている。
 Bさんは、労働組合との交渉で性別と関係のない業務では性別を問うべきではないと主張した(米国では履歴書の性別記載欄や人種欄など、差別につながるものを禁止している)。しかし、食品加工工場での経験から分かるように、職場では業務内容とは関係がなくても、異性愛的コミュニケーションが求められることがある。それに適応できないと、「和を乱す」などとレッテルを貼られて働きにくさが生じてしまい、実際に仕事上のトラブルにつながることもある。Bさんは、Aさんと同様に、法律による規制では問題解決にはならないという。そこでBさんが現状での解決案のひとつとして出すのが、「変態的な空間」である。これは表現こそ違えども、同化型であるAさんとさほど遠くない回答であるといえる。被差別の属性をもっていようが、いかなる身体的・精神的特徴をもっていようが、誰もが何とかやっていけるそんな「変態的な空間」である。

4. 小括

 本章は、同化型と非同化型のトランスジェンダーに質的調査を行い、同化型のトランスジェンダーは職場で調和戦略をとり、非同化型のトランスジェンダーは労働問題として職場改善を試みたのだという実例を取りあげた。双方ともに、異性愛・男女区別のある職場では生活しにくく、なるべく職務内容と性別とが関係のない職種を選択していた。また、性別が問われにくい非正規雇用という雇用形態をとってきた点でも共通している。雇用問題の法的規制としてはすでに米国でも議論されてきたように、また日本でも他の差別問題での取り組みにあるように、履歴書の情報制約、刑罰と結合した差別禁止法、法定雇用率の設定などがある。しかし、AさんとBさんは、法的な規制や禁止による職場環境の改善ではなく、あくまで当事者間のコミュニケーションによる改善が重要であると語った。それをAさんは子供の頃からの多様性の高い教育と表現し、Bさんは変態的な空間と表現した。現に性別と労働の結合された就労現場において、性別と労働が切り離されることを望むAさんとBさんにはどのような選択肢がありうるのか。業務内容や職場の日常的交流は職務評価の対象となり、職務評価の規範はおおよそ健常者・男性・異性愛者が決定している。ときに職務能力の評価には、ジェンダー化された日常を生き延びることが含みこまれている。職務評価においても純粋な能力評価は困難であり、歴史的な意味付与に汚染されており逃れられない★05。
 AさんとBさん二人の語りからは、次のような学的課題を示唆できる。(1)ジェンダー化・異性愛化された職務評価をどこまで脱ジェンダー化できるか、(2)ジェンダー化・異性愛化された職務評価が正当化されうる職域をどのように考えるか、(3)その上でジェンダー化・異性愛化された職場をいかにして生き延びるのか、である。
 ナンシー・フレイザーは差異と承認のジレンマに焦点をあてる際に、差別是正施策(アファーマティヴアクション)は承認の上での差別を固定化してしまうという批判に対して、経済構造の是正と同時に文化的承認のあり方が変革されなければならないとした。財の移転・再分配で解消できないものが、差別や承認の次元にはあり、AさんとBさんはこの次元を問題にしていた。「変態」とAさんは言う。クィア理論の共同体論においては、コミュニケーションの成功ではなく、失敗・断絶・破綻をモデルにする理論がある★06。そこでは能力主義を前提とした健常者・男性・異性愛者中心のライフコースモデルではなく、働けない者、精神や身体に障害をもつ者、コミュニケーションに失敗する者、異性愛者になれない者などから社会を考える可能性が模索されている。
 労働市場では能力と属性が結びついて差別が行われる。これに対して、能力があることを根拠にした属性差別の批判だけでは能力主義を温存し、能力主義批判だけでは属性を根拠にした差別が維持されてしまう。女性や非正規雇用の均等待遇運動などが実践してきたように、能力と属性を切り離して純粋な能力評価による格差の是正を実現するならば、原理的には能力をもたない労働者を排除することになる。また、普遍的な所得保障などで能力主義と生存の条件を切り離すとしても、属性を理由に行われる差別は残ることになる。
 AさんBさん両方の語りからは、職場の中はもちろんだが、職場の中だけではない人間関係、また非調和的・非同化的な人が生きるライフコースがほどほどに存在していることが重要であると思える。たとえば、現実的には、Bさんが加入した労働組合のように、職場の外のネットワークとして、マイノリティをゆるやかに許容する文化を形成したり、能力主義に批判的な生活保護取得運動をしたりすることなどによって、性別違和をもつ人が職場にこだわって闘う条件が整備されている。男女差別・異性愛主義や能力主義の圧力に対しては、法制度の改正に加えて、この圧力に対抗できる社会性が必要である。パスできない人、コミュニケーションが職場になじまない人など、たんに性別違和があるだけではなく、非同化型の人の「生きづらさ」を解消しようとするならば、根本的には職場の能力主義と性差別・異性愛主義の両方に対抗する社会性が必要になるのではないか。そして、変態と無能さを肯定する社会性は社会制度によってだけ準備できるものではなく、その余白に存在しているのかもしれない。


[注]
1)「性的少数者」(sexual minority)は、「セクシャル・マイノリティ」というカタカナ表記をされることもあれば、「LGBT(Lesbian Gay Bisexual Transgender)」と表記されることもある。「LGBT」は各セクシュアリティ属性の頭文字を並列したものである。それに対して「性的少数者」は多数者との対比で定義されるものである。その権力性・非対称性に焦点をあてて、多数者ではないもの、異性愛者・生来の性別と性自認が一致している者ではない人という定義がなされている。
2)2007年度 GID学会における中塚(2007)報告を参照。
3)聞き取り調査の結果から蓋然性が高いように思える。
4)クィア研究のSedgwikやButlerは、原因と結果を倒錯させる本質化・自然化のプロセスとして異性愛主義の動態を分析した。以降、セクシュアリティ研究・クィア研究においては、このような認識枠組みが主流となっている。しかし、障害学第三世代において、障害の社会モデルの問題点が指摘されているのと同様、クィア研究においても、当事者の身体的ニーズの構築性を批判することには限界が指摘されている。Butler、Bersani、Dean、Shepherdson、Groszらは、構築主義によって否定しえない身体性について考察している。
5)Young(1990)の202頁を参照。
6)共同体やパフォーマンスに関するバトラーとベルサーニの議論を引き継ぐ後続世代の論争を参照。Lane、Shepherdson、Deanらがとくに重要である。


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*作成:村上 潔
UP: 20110323 REV:
『「異なり」の力学――マイノリティをめぐる研究と方法の実践的課題』(生存学研究センター報告14)  ◇全文掲載  ◇地域社会におけるマイノリティの生活/実践の動態と政策的介入の力学に関する社会学研究
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