その人ごとに色々な動機はあったと思うけど、やっぱり、「女性の新しい働きの場」を作ることを求めたんじゃないかな。当時、女性の仕事先はパートしかなかったんですよ。授業参観や宅配の受け取りのため仕事を休むなんて、とんでもなかった。でもワーカーズでは、それが通る。むしろごく当たり前のこと。それが根本的な違いです。選択肢がパートしか無いなら、自分たちで働く場を作るしかない。ヒントはアメリカに既にありましたし。生活クラブ生協の動向と、パート主婦たちの生活上の目標が、うまく合流したのでしょう。(黒川・伊藤・中村・栗田・杉田 2008: 63-64)
主婦の活動は、夫が外で働き、主婦はその影の部分を支え補うという性別役割分業を基盤に成り立っている。暮らしの矛盾に気付き、解決しようと努力しても成果があがらないのは、陰である自分たちがいつまでも陰の存在でしかないからではないのか。主婦の自立を、既存の賃労働という系列に組み込むのではなく[#「既存の〜なく」に傍点]、新しい形で、地域のなかに創り出せないだろうか。
主婦という立場を大事にしつつ、なお経済的な自立を可能にしていく労働形態は考えられないか。(天野 1989: 94。傍点は原文による。以下同じ)
「仕事づくり」に参加した主婦たちは、そうしたなかで、あえて専業主婦の座にとどまり、貨幣との交換価値がないために、「陰の存在」でしかない家事労働を日常的にくりかえしながら、後ろめたさを抱きつつ、社会活動を続ける。そしてその過程で、これまで自明とされてきた、既存の雇用労働に組み込まれるという形での女性の自立の方向性や、男性の働き方、貨幣収入のえかたやその収入による生活のしかたなどのひとつ一つに疑いのまなざしをむけていく。
こうした過程を通して、彼女らはやがて、これまで外側から規定されてきた女性の自立を、自分たちの生きる場から[#「生きる場から」に傍点]新しく定義しなおすことを考えるようになる。同じ状況にある主婦たちが協同することによって、自らの賃金と労働で地域のなかに自前の働き方を創っていく方向はありえないだろうか──。(天野 1989: 113-114)
私は主婦よ、と一線を引いてやろうとする人と、その枠をのりこえようとする人とのズレかもしれない。いまの最大の問題は。私は主婦よ、という働き方は、あるときはゆとりなんだけど、生活がかかっていないことで逃げちゃうのネ。お金がほしい、そのために何でもやるというフンギリがつかない。課税限度額の九〇万円がどうしてもこえられない。赤字を出したくない、借金はしないというかたぎの主婦感覚は大切なんだけど、それでは思いきったことはできないのよ。この私? 二つの間をゆれているの、ゆらゆらとネ。主婦にはいつも安全な逃げ場が用意されている。このことがプラスにもマイナスにもなる。これが私自身の大きな問題。(天野 1988: 392)
ワーカーズ・コレクティブは、思想的にはワーカーズ・コオペラティブ(コープ)よりもアナーキー的でラジカルであるが、生活クラブ生協が導入したワーカーズ・コレクティブは、ワーカーズ・コープよりも直接民主主義的運営という点でコレクティビズムの思想的影響を受けているとしても、直接にその流れを汲むものではない。しかし、どちらかというと伝統的なワーカーズ・コープではなく、ワーカーズ・コレクティブと命名されたことのうちに現代産業社会に対するより原理的批判が込められているのである。(佐藤 1996: 83)
似たような言葉で呼ばれてるのが不思議だっていうくらい違うんだけれど、この不況期になって両方ともが脚光を浴びてきました。両者の違いよりはむしろ共通点のほうが再発見されるようになってきて、両者が接近してきた。そうなると「新しい働き方」っていうのは、豊かな時代の豊かな人にだけ与えられた選択肢だったのではなくて、そうじゃない時代に、もうひとつの選択肢として浮上してくるような「ワーク」のあり方なんだと。(上野・貴戸・大澤・栗田・杉田 2010: 61)
栗田 さっき、主婦の人は夫から「何が悩みなの?」と言われたという話がありましたが、ひきこもりやニートの人にもそういう面があると思うんです。外から見ると何が悩みなのかわからなくて、気味悪がられちゃう。一見恵まれているとも見えるもやもやしたところから、新しい働き方の可能性が出てきたことが、私には不思議で。もしかしたら、そこが女性フリーターと主婦が繋がるための落としどころかもしれない。フリーターも、第三世界の貧困に比べたら大したことない、ってよく批判されるんです。そう言われると黙るしかない。まあ私も、先日「ワーカーズ・コレクティブはやはり主なる稼ぎ手がパートナーにいる人によって成立してきたのではないですか」という、主婦の人達を黙り込ませるような、身もふたもない挑発的な問いを敢えて投げかけたわけですけど(苦笑)。でも、その黙っちゃうしかないところから、どうやって別の働きや関係を作っていくかが肝だと思うからこそ、あんな質問をしてみたのです。(黒川・伊藤・中村・栗田・杉田 2008: 67-68)
杉田 一九八〇年代のワーカーズ・コレクティブの活動は女性の家事労働や介護労働の社会性を拡張したと思うんですけれど、現在はさらに、外国人や障害者の生き方が、女性の生き方とも交じり合いながら、労働の意味を拡張している、というのを実感しています。身体障害者の事業体が、現在の「協同労働の協同組合法」の法制化運動に参加しているのも、そういうことがあるんじゃないかと。(黒川・伊藤・中村・栗田・杉田 2008: 67)
ワーカーズは確かに対等な働きの場だけど、平等と言いつつ、他に行く場所のない就労弱者にとっては、やっぱり弱みがあるから、本当の対等ではないんですよ。対等な話し合いって言っても、言いたいことは言えないし。同じ女性と言っても、そういう置かれた状況の差を超えて、働く場の平等を実践していくのは、すごく大変。ただ、無理に全員の意識を統一して、みんな同じ意識じゃないと入っちゃダメ、っていうのもこわいでしょ。(黒川・伊藤・中村・栗田・杉田 2008: 66)
ワーカーズがまだまだ課題が多くて今非常に恐いなと思ってるのは、ずっとワーカーズの話をこう言う働き方も含めて「非営利なんですよ」、「地域に必要な物やサービスを作って、けっして私たちがお金が欲しい事が原則じゃないんです」と言った時に非常に鼻もかけて貰えなかった人たちが、この様に社会が非常に厳しい状況になって働き方が大きく変わってきて、雇用と言ったって契約や派遣からもう輪切りになっているわけじゃないですか。そうすると、今の働き方の部分が今の制度じゃなじまなくなって来ている。それからデフレが続いて来ているものですからワーカーズの価格と一般の市場価格が、もしかしたら分配金と時間給の差がなくなってきているかもしれない。(ワーカーズ・コレクティブ近畿連絡会 2006b: 13)
特徴的なのがハンデキャップを持っている人たちも受け入れる事が出来るようになりました。作業所もやっているのですが、一つは、石けん工場が作業所機能を設けて作業所としてもやっていますが、ハンデキャップ持っている人たちの養護学級の先生がワーカーズに来て「うちの子たちを社会復帰の入り口として雇ってくれないか」と言ってこられるんですね。調べたら、10団体位のワーカーズが受け入れていたんです、連合会が方針を出した訳でなくて、自分たちで話し合って仕事が分けてあげれるなら受け入れてあげようよ。と言う事でそう言う子たちを受け入れているお弁当屋さんが多かったです。(ワーカーズ・コレクティブ近畿連絡会 2006b: 16-17)
アンペイドワークは社会的に必要な労働として認めざるを得なくなってきています。
しかしアンペイドワークを市場化し、賃労働で得た賃金を交換することが生活の豊かさに結びつくとも考えられません。アンペイドワークが物質的な価値、つまり生産性を追及していくこれまでのペイドワーク、賃労働のワークのあり方になじまないところがあるからです。ワーカーズ・コレクティブはこの社会化されたアンペイドワークをこれまでの雇用労賃労働に追従したペイドワークではなく市民事業として協同することで「市民」の参加を保証し、自分たち市民が満足のいく質を納得のいく価格で供給できるワークのあり方を示し、実践していきます。(酒井 2001: 23-24)