対象者内訳 | |||||
事例No | 氏名 | 経験年数 | 性別 | インタビュー日時 | インタビュー時間 |
1 | Sさん | 8年 | 女性 | 平成17年6月25日 | 45分 | >
2 | Oさん | 5年 | 女性 | 平成17年10月16日 | 1時間20分 |
3 | Iさん | 10年 | 女性 | 平成17年10月29日 | 55分 |
4 | Mさん | 24年 | 男性 | 平成17年10月29日 | 54分 |
5 | MIさん | 3年 | 女性 | 平成17年11月5日 | 1時間32分 |
6 | OKさん | 2年 | 女性 | 平成17年11月6日 | 1時間6分 |
7 | Yさん | 12年 | 女性 | 平成17年11月12日 | 57分 |
1)経験年数が●年■か月のとき、■か月は省略している。つまり、丸何年か、の表記である |
表3 職場での使用の頻度 | ||
事例No | 氏名 | 使用の有無 |
1 | Sさん | ときどき用いられる |
2 | Oさん | 同上 |
5 | MIさん | 用いられない |
6 | OKさん | 同上 |
7 | Yさん | 同上 |
表4 職場での使用状況 | ||
Sさん | Oさん | |
使われる場・人 |
・会議などで,同職種,あるいは,他職種と担当患者の情報交換を行う際に用いられる. ・対象者本人には用いない. | |
どのような事象に用いるか | 「機能回復への固執」の強さを「障害受容」と表現するが,一方,「訓練がスムーズに進行しない」とき,あるいは(訓練がスムーズに進行しないがための)セラピスト側の主観的な苦労度を障害受容という言葉で表現している.「機能回復への固執」に対して適用. | 「代償アプローチ」の受け入れはよくても「機能回復への固執」があればそれに対して用いる. |
セラピストの苦労と共感 | 「機能回復への固執」は,セラピストのプランや意図を阻害するものという位置におかれる.そして,プランや意図するものへの到達へ向けての阻害感が苦労度と表現されるものである.また,会議などにおける「障害受容」の使用は,会議に居合わせた各人にその苦労が想起されやすく,了解や共感を得られやすい言葉である. | |
障害受容できている人・状態 | 「機能回復への固執」があったとしても,生活に目を向けることができ,セラピストと目標を共有でき,フットワークが軽い.「障害受容」は長期的な経過を必要とするものである.たとえ生活ができていたとしても,その人の有する能力とかけ離れた目標を持っている場合には「障害受容」できているとは言えない | 対象者がたとえ生活に目を向けられたとしても「機能回復への固執」があれば「障害受容」という言葉を用いる. |
職場で使用していない3名 | |||
Yさん | OKさん | MIさん | |
使わない理由 | ・この言葉の使用にためらいを持ったのは,最初の患者を担当したときから. ・「発想の転換」はそう簡単にできるはずのものではない.「障害受容」は時間をかけ,納得したり,憤ったりして行われていくものである. ・進行性の疾患を持つ人たちと関わるなかで,その人が思いをぶつけてくればそれを受け止めるし,その人が望むことのためにやれることをする/したいという思いを持ってきた. ・人の気持ちの中のことまでは分からない.その人は「しょうがない」と言うかも知れない.しかしそれが本心かどうかもわからない.だからなおさら「障害受容」という言葉は適用しずらい. ・進行が進み,呼吸すら苦しい状態の人に対しては,その人が苦しい状態を受容したからといって楽になるわけでもなく,「障害受容」という言葉は不適切である. |
「障害受容」という言葉には馴染みずらい印象を持っており,それがあえてこの言葉を使わない理由.「障害受容」という言葉は,「ありふれてない」「堅い」印象があり,かりにこの言葉を対象者に用いたとして,はたして伝わるだろうかという疑念がある.また,現実にある事象のなかに,受容している/していない,とはっきりと分けられる状況はそうはないが,それに対して「障害受容」という言葉は「完璧すぎる」イメージがあり,自分が表現したい言葉ではない. | ・対象者はケースバイケースであり,「受容の過程」には当てはめづらいと感じる.「受容」というときちっと枠が決められてしまう感じがするが,「枠の外で話したい」という思いがある.受容自体が難しいものであるし,それが必要なのか.たとえ受容していなくても,自分なりの生活が営めればよいのでがないか. ・昨今の,障害受容に対して批判的な言説は,「受容の過程にあてはめなくてもいいんだ」「それで間違っていないんだ」という安心感を生起させるものである |
Yさん | OKさん | MIさん | |
目的としての障害受容 | 受容するしないは個人の選択だが,寝てもさめても,「おれの手が,おれの手が」,飯食ってても「おれの手が」,テレビ見てて本当なら笑える話なのに「でも,おれの手が」って言ってたら,本人だってしんどい.そのこと(障害)を毎日毎日1分1秒考えて,いらいらしていて,ほかのことすべてを否定してしまうっていう状況にはならないでくれればと思う.少しでもつらくない状態になるために役に立てたならうれしい.それは結果としてこうなればというものではなく,対象者のつらい気持ち・こうしたいという思いに応えたいという思いが先にあって,こちらは問題解決のための働きかけをする. | 障害受容に代わる言葉として「折り合いをつける」という言葉がしっくりくる.「折り合い」という言葉は「自分の障害に対しても気持ちの「折り合い」がつけられ,周囲からもある程度自分の思いが受け入れられ「折り合いがつき」,「楽に生きている姿」を想定できる.「障害受容」というと,こっちかこっち,どちらかに比重がかかるイメージがあるが,「折り合い」というと,どちらにも比重がかからず,微妙な均衡が保てているというイメージがある. | 障害にとらわれ,頑張れる人もいるので,障害にとらわれること自体が否定されるものではないが,それでも「投げやりにならずに自分なりの生活を送ることができること」「障害を意識せずにいられる時間を持ち気持ち的に楽になれること」は重要である. |