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「「労働者(あなた)」にとって「障害者(わたし)」とは何か」

青木 千帆子  2010/11/26
第1回障害学国際研究セミナー
主催:韓国障害学研究会・立命館大学生存学研究センター 於:韓国・ソウル市

last update:20101203

  1 はじめに

 初めまして、立命館大学生存学研究センターの青木千帆子と申します。よろしくお願いいたします。先ほど、能力主義的価値観の延長線上にある「障害受容」という問題について田島さんからお話いただきました。私は、能力主義的価値観の延長線上にある「労働」という問題についてお話したいと思います。
 さて、先週の週末、11月20日・21日に日本の大阪という街で日韓社会的企業セミナーというイベントが開催されました。主催は韓国障害友権益問題研究所とNPO法人共同連です。ここで韓国においては社会的企業制度というものが既に2007年に成立しており、政府によって認証された社会的企業に対しては一人当たりにつき約90万ウォンの賃金補助をはじめ、企業設立や施設・設備投資に対し様々な経済支援がなされている。2010年10月のデータで406箇所の社会的企業があり、その数は増える傾向にあることを聞きました。ただし、この経済支援は最長3年までである一方、持続的に経営を続けるための土台がないため、相当数の社会的企業が経営に苦しみ、事業をあきらめるところもあると聞きました。
 このような報告をなさった韓国障害友権益問題研究所の所長であるキム・チョンヨルさんは障害者の自己決定権と選択権が具体的に実行可能であるためには、所得における依存性を克服することが重要であり、社会的企業が障害者の生活へ与える影響は、それが良い働き口を安定的に提供する点で大きいと締めくくりました。
 私は基本的に、社会的企業制度というものに対して賛成ではあります。ただ、今回大阪でキム先生のお話を伺い、本日ここで私が報告しようと考えていた事柄は、それほど韓国の皆様にとって退屈な内容ではないのではないかという考えを持つようになりました。と申しますのは、雇用の拡大ばかりを求め「社会的企業」の理念やそれに応じた中身が育たないのでは、結局は社会的企業という新しい展開も、日本では福祉的就労と呼ばれている、これまでの隔離された労働と同じ結果にたどり着いてしまうのではないかという疑念を抱いたからです。
 さて、本報告では、これまで「労働とは何か」という命題が主に日本の障害者自立生活運動を担った人々の間でどのように議論されてきたのかを、1970年代〜1980年代を中心にふりかえります。この作業を通じて、「労働」を変革し、生産性ではない価値を根拠とするアイデンティティを確立することの困難について考察ます。まず、事例を紹介する前に、こちらの詩をご覧ください。この詩は青い芝の回という自立生活運動を牽引した団体の中心人物であった横田弘いう人の書いた詩です。

 「労働者(あなた)」にとって「障害者(わたし)」とは何か

五月の空に
前進への闘いを告げた
「労働者」

囲まれた 暗刻(やみ)の中で
存在を
己が在ることを
己が生きようとすることを
いま
発音しようと密かな身構えを始めた
「障害者」

「労働者」の方の
逞しい前進の中で
「労働者」方の華やかな連帯の中で
「障害者」とは
「労働者」にとって「障害者」とは何か を
「障害者」は
問い続けなければならないのです。(横田, 1974)


 本報告ではまず、70年代80年代の「労働」をめぐる議論を確認した後に、この詩に戻り、この詩が問い、しかし応えられないままに終わった事柄が何であるかについて考えたいと思います。この作業を通じて、「労働」を変革し、生産性ではない価値を根拠とするアイデンティティを確立することの困難について考察します。

  2   方法

 本報告において分析の対象とするのは、1959〜1989年に全国青い芝の会より発行された『青い芝』、1965年〜1989年に青い芝の会神奈川県連合会より発行された『あゆみ』、1983年からNPO法人「共同連」より発行されている機関誌『共同連ニュース』『れざみ』、1976年〜1989年に全障連より発行された『全障連大会報告集(1, 5, 9, 10, 12, 13, 14,)』、1978年〜2009年に発刊された『季刊福祉労働』に掲載された議論です。
 手続きとしては、それぞれの記事を読み込み、「労働とは何か」に関して論じている記述を抽出した。これらを時系列に並べ、分析した結果を基に「労働とは何か」を述べる言説が、どのように変化してきたのかを確認しました。

  3   事例

  3.1   1970年代 労働の否定

 「労働とは何か」という問いは、1960年代には青い芝の会において既に議論に上っていた。青い芝の会結成初期から職業的な更生や経済的自立が大きな目標となっていました。そのような状況の議論の中からも、若林(1969)が労働に関する疑問の声を上げています。(以下、引用文中の括弧内は調査者による補足)

目に見えるもの、耳から聞こえるもの、すべてが利潤追求を目的として作られている資本主義社会において、利潤追求と真正面から対決している障害者問題が人々からうとまれるのは否定できない事実です。けれども一方では人間の尊厳とか、権利の問題を無視しては、人間の進歩はないと思います(若林, 1969, 『青い芝』45:8)。

 この若林による問いかけ以後、青い芝の会では現在ある労働に対し、それが自分たちを排除抑圧する根源でありながらも、生活を成り立たせるために必要なものというジレンマを抱えた議論が展開されています。

なぜ障害者がわざわざ肉体労働しなければならないのか(楠, 1971,『青い芝』85:13)

障害者に対しことさら労働の尊さだけを教える今の教育がまちがいであり、そのことによって賃金労働の出来ない(採算に合わない)障害者が差別され抑圧されている、故にわれわれは労働に対する考え方を問い直しながら労働権獲得の運動をしなければならない(全国常任委員会, 1973,『あゆみ』21:8)

 一方で、「働くものは障害者とは認められない」など、先鋭化していく主張に対する反対の声もありました。これは当時、本部役員を勤めていた小仲井さんという人が書いた記事です。

(役員を辞める理由として)全国代表者の中には働いている人も多く働きたいと考える人も多い。それとは裏腹に人の上にたつ長と名の付く者が働くものは障害者とは認めにくいなどと口走るようでは私には付いて行く事は出来ない。私自身働いているし障害者でも働く意思のある者こそ人間らしい生活が出来ると信じているからである(小仲井, 1973,『あゆみ』20:12)。

 しかし、このような発言は逆に、生産性がないが故に殺される側である者の発言として無責任であると批判されることになります。やがて、「労働とは何か」にまつわる議論は「障害者にとって生きていること自体が労働である(筆者不明, 1976)」という言葉に代表されるものに結晶していきます。

障害者にとって「労働」という中間物など必要ない。「労働」は人間を「自然必要性の国」の支配から解放したが、障害者を解放しはしない。むしろ障害者を自己の持つ解きがたい矛盾によって引き起こしたのだ。
 障害者が「労働」をすることによって、己の存在を見失い、声に出せない抑圧を受けるのはこのためだ。(異端の落とし胤, 1976,『あゆみ』35:22)

労働力商品として成り立たず労働価値を生み出さないといわれる重度障害者はどうしたらいいのか?(中略)われわれ障害者は資本主義社会での賃労働と資本の関係を問い直し、障害者にとっての労働概念を作り出し、障害者の「自立」と「解放」の思想を作り出していかなければならない(筆者不明, 1976,『全障連大会報告集』1: 149)。

重度障害者は一人で大小便を始め多くのことができない。ここに重度障害者の存在価値があり、重度者でないと果たせぬ役割がある。その生こそ、重度者にとっての真の労働であろう。まさに、労働とは、その原始形態がそうであったように、人間が、共に生きていく以上、共同社会のあり方にとって必要な行動、営みすべてを意味する。
 地域社会は悪霊のような労働に取り付かれているゆえに変革を必要とする。そして障害者こそ、その生そのものから、変革のために必要な労働の役割をもつ。この役割を障害者(重度程)以外に誰がになえるというのか(筆者不明, 1976,『全障連大会報告集』1: 172)。

  3.2   80年代の議論:「新しい労働」の実践と問題

 1981年には、「完全参加と平等」をスローガンとする国際障害者年を迎える。労働を基準として価値や意味を付与される側に甘んじることで、自らの存在証明においてジレンマを抱える時期から、逆に今ある労働を否定し障害者独自の労働観を打ちだそうとする発想にたどりついた人々は、その実践へと運動の方向を変えていきます。
 時期としては、1975年「身体障害者雇用促進法」の改正により障害者の雇用が義務化される。障害の軽い障害者は企業に雇用され、障害の重い障害者は作業所へ所属する流れが形成され始めていました。この流れの影響もあり、1980年代初頭の「労働」に価値や意味を問い返す取り組みは2つの方向性を示すことになる。一つは、事業所に雇用された障害者が不当な差別を受ける現実に対する抗議運動(☆1)。もう一つは、「新しい労働の場」や、共働作業所を舞台に障害者独自の労働を実現しようとする取り組みです。
 このようにして、「共同連」を筆頭にさまざまな団体が結成されます。このような「新しい労働の場」作りの実践例は、『共同連ニュース』『全障連大会報告集』『季刊福祉労働』といった雑誌・機関誌にいくつも報告されています。それらからは、実践の中で「労働とは何か」を繰り返し問い続けている様子が見られます。

私たちの作業所では所員全体で一つの労働を生み出す、という考えで労働というものをとらえています(原田, 1983,『季刊福祉労働』20: 46-49)。

一つに障害者と健常者の平等性、二つに障害者の主体もった自立性、そして地域に開かれた拠点としての解放性という三つの原則を大事にしているか否かであり、その差は主観的な思いを超え、実際の運動と運営における決定的な差を作り出している(斉藤, 1987,『季刊福祉労働』37: 55-64)。

 しかし、実践を積み重ねるにつれ、自分たちの思い描いていた「新しい労働の場」が内包する問題点も見え始めます。

一言で表現すれば自転車操業である。
アドの賃金形態は、他の共働事業所と異質的な方法で、タイプ一字打って一円であるが、それの20%がアドの経費としてプールされて、結局は事実上80銭計算となり、出来高払いである。これは資本主義、能力主義を助長するものであるが、これも仕方がないことなのだ。
全員に月一定の金額を配分する金額的余裕は、現在のところ全然ない。(田口, 1984,『全障連大会報告集』9: 122)

「作業所」をつくってはみたものの仕事が減ったり、収入が減ったり、せっかくの「場」の維持すら困難になる所もあるなど、経済的な面からいっても単に作ればよいでは済まされない質の問題が問われてきている。(中略)。働く場の前途を考えるとき、その仕事や経済的基盤の事業をどう作っていくかは重大な問題となってきている。(中略)
 みんなで食べていけるだけの収益は上がっていない。(中略)だれもが、その人のペースで働いて、みんなで食べていける金を稼ぎ出せないである。(中略)もともと効率が「悪い人」が集まり、効率を気にせず働いてかせぎだせるはずはなく、それぞれの生活給をどう手にしていくかは、切実な問題である。(中略)
 「重度」といわれる人も多く、現状では、「はたらくこと」イコール「かせぎだす」ことにはなりきれず、どうしても「たまり場」的イメージになってしまう。(なまずの会(☆2), 1987, 『全障連大会報告集』12: 177)

顕在化してきた問題を整理すると、一つは経済的な問題であり、一つはつき合い方、すなわち「共に働く場」としての質、在り方の問題でした。(中略)
「共に働く場」「メモル(☆3)」の存在を、多くの人にアッピールしたい、経営も安定させたいという思いで、この間ひたすら販売先の拡大をめぎしてきました。(中略)(すると、)長時間労働と効率性が要求されてきます。すなわち、効率の悪い者がはじきだされかねない事態になってきたのです。
 しかも、それでもなお、そこで働く者の生活保障には程遠い金しか稼げないというのが現実でした。(中略)
 それぞれが「共に」を念頭において「働く場所」でそれぞれの役割をどう担っていくのか。もちろんそこでは、物を作り出す過程の一部分を具休的に担うという意味だけでなく、極端にいえば、そこに居るだけの役割もあるだろうし、場合によっては邪魔になるだけということもあるでしょう。そんなさまぎまな存在を、私たちが、無前提に、そして強固にもたされてきた(働く)=(稼ぐ)という価値基準を乗り越え、認めあえる「場」として、いかに位置づけていくのか(なまずの会, 1987,『季刊福祉労働』36: 135-139)。

 80年代に入って盛んに創り出された「新しい労働の場」は、80年代末にはその問題点として経済的な問題に行き当たったのです。

  4   考察

  4.1   70年代80年代の帰結

 1970年代、「労働」の否定から始まった青い芝の会に見られるような主張は、生産性を根拠に存在の価値を判断すること変革しようとする取り組みでした。「労働」を拒否する主張の背後にあったものは生産性を根拠に存在を評価されることの拒否。そこでは、異なる形での「対等な」関係を創出することによって社会へ参加することが求められています。
 障害者が働くことを否定する1970年代青い芝の会の主張は、労働概念を否定することに対して矛盾のない一つの結論だったといえるでしょう。しかし、自立生活運動を通して地域に出、脱施設を果たした先に待っていた課題は、生産性によって存在の価値を評価されることを拒否しながらも、参加や自立を達成するための手段としての「労働」を求めるという、困難な課題でした。「労働」を拒否し地域で暮らしてみても、対等な関わりを地域社会で見出すことは困難だったのです。
 障害者が自立生活運動を通して要求したことは、「施設機能の地域への開放ではなく、施設で生活する人が地域の一住民としての評価そして存在感を回復していくこと(笠間, 1991)」であり、労働をめぐる議論において模索されていたのは、そのための方法論でした。
 生産性を根拠に存在の価値を評価されることを拒否しながらも、地域での評価の回復を求める。80年代になると、それまでの生産性という価値に同化するのか、異化するのか、という二者択一の状態でジレンマに陥る状況は、新たな取り組みの方向へとたどり着きました。80年代の取り組み――それは、「共同連」などにおいて今日も続けられている「新しい労働」を作り出そうとする取り組み――は70年代の運動の経験を踏まえて、生産性を至上価値とする「労働」のあり方を否定するだけではなく、新たな価値や意味を付けることで新しい評価軸を生み出し、対等な参加を実現しようとする取り組みでした。それは、生産性を価値の1つと認めつつも、そこに多様な価値を導入することで、生産性という価値を相対的に異化しようとする取り組みです。
 しかし、70年代80年代の議論の帰結、すなわち「新しい労働の場」と呼ばれる実践がたどり着いた経済的行き詰まりは、存在の価値を判断する軸を多元化しようとする取り組みに対し、常にそれを生産性ただ一つへと収束させてしまう現状があることを意味しています。本報告で紹介した言説は、いずれも「労働」を生産性至上主義的なものとして離さないものの強固さ、生産性という価値を相対化することの困難さを示しているのです。

  4.2   「労働者」にとって「障害者」とは何か

 ここで冒頭に挙げた横田氏の詩に立ち返ってみましょう。横田氏の詩の1行目にある「五月の空」とはメーデー、つまり労働者が統一して権利要求を行なう日を指しています。70年代当初、日本における障害者自立生活運動は60年代から始まった労働組合運動と共闘関係にありました。当時、労働組合運動を担っていたのはほとんどが健常者であり、この詩でいう「労働者」とは暗に「健常者」を前提としています。労働組合との共闘を通して、「障害者」は「囲まれた 暗刻の中で」すなわち隔離された場所から、「存在を、己が在ることを、己が生きようとすることを」、社会の中において生きる権利を主張しようとしていました。
 しかし、共闘関係にあったはずの「障害者」と「労働者」の行動は、9行目から13行目の間において、「密かな身構え」と「逞しい前進」「華やかな連帯」というように対比的に描かれています。この対比は、横田氏の「労働者」に対する痛烈な批判と違和感を表わしているといえるでしょう。
 日本における障害者自立生活運動においては、社会からの排除と差別を前にし「社会の中に存在する表象との闘い、その表象をめぐる言説との闘いにおいて、語るための位置、権力に対する局所的抵抗の地点(石川, 2001)」として、「障害者」アイデンティティを戦略的に立ち上げました。その「障害者」アイデンティティとは、例えば「障害者にとって生きていること自体が労働である」というような言説に代表されるものです。このような「障害者」アイデンティティを局所的抵抗の地点とし、「地域社会は悪霊のような労働に取り付かれているゆえ」「障害者にとっての労働概念を作り出し」変革するという議論へと運動は発展していきました。
 障害者自立生活運動が労働組合運動と共闘関係を組むことは、障害者自立生活運動に一時の推進力を、労働組合運動に主張の正統性を与えた。故に「労働者」の前進や連帯は「逞しく」「華やか」なのです。しかし、このことは同時に、労働組合を組織している「労働者」の「健常者性」を隠蔽してしまう効果を持った。ここでいう「健常者性」とは、近代的な個人のあり方を前提として疑わないことを指して用いています。「逞しく」「華やかに」前進と連帯を誓いながらも、実際には「健常者性」が前提とする生産性を根拠に存在の価値を評価することをめぐる議論は十分には展開されませんでした。問われなければならなかったのは、資本家の搾取をいかに防ぐかではなく、資本家による搾取の背景にある、「労働」を生産性至上主義的なものとして離さないものとどう向き合うか。そして、生産性という価値をどのように相対化するであったはずです。しかし、このような問いを通してなされるはずの、社会はどうあるべきか、労働はどうあるべきかという議論は、「障害者」と「労働者」が連帯をするか否かという議論に矮小化されてしまいました。

 70年代80年代の議論の帰結をふまえて、私たちが取り組まなければならないものは何でしょうか。報告者は、「新しい労働の場」における実践やそこで交わされた議論を今一度ふり返り、労働を生産性至上価値として離さないもの、生産性を根拠に存在の価値を判断することをこれほどまでに強固にしているものの姿を明らかにし、それらの綻びを探すことだと考えています。横田氏の詩が訴える「労働者」にとって「障害者」とは何かという問いは、今日においてもなお有効なのではないでしょうか。この問いこそが、1970年代から続く運動の流れを汲んで、今も問い続けるべき問いなのだと考えます。

  5   引用文献

原田豊 1983 「依存から自立へ」『季刊福祉労働』20, 46-49.
姫岡和夫 1981 「国際障害者年を機に「障害者」の自立と完全参加を求める大阪連絡会議」『季刊福祉労働』. 10, 94
石川准 1992 『アイデンティティ・ゲーム―存在証明の社会学』 新評論
石川准 2001「マイノリティの言説戦略とポスト・アイデンティティ・ポリティクス」梶田孝道編『国際化とアイデンティティ』ミネルヴァ書房
石川准 2002 「ディスアビリティの削減、インペアメントの変換」『障害学の主張』明石書店
異端の落とし胤 1976 「人間の創り上げた虚像:労働から解放された存在」『あゆみ』. 35, 682-685
笠間ゆき子 1991 「自立生活に向けて施設で何ができるか」『季刊福祉労働』. 51, 52-67
小仲井廉夫 1973 『あゆみ』 20, 326 
倉本智明 1997 「未完の〈障害者文化〉――横塚晃一の思想と身体」『社会問題研究』47 (1): 67-86.
楠哲雄 1971 「レポート1」『青い芝』 85: 13-14
なまずの会 1987 「「共に生きる場」「働く場」づくりの現段階」『季刊福祉労働』36: 135-139.
なまずの会 1987 「誰もが地域で生き合うために 創りだそう!ともに働き、ともにくらす場を! 全国障害者解放運動連絡会議」『全障連第12回全国交流大会基調・分科会基調・レポート集』騒々社
斉藤縣三 1987 「「共に行き働く場」の未来を」『季刊福祉労働』37: 55-64.
田口由美子 1984 「労働レポート――アド企画からの報告 全国障害者解放運動連絡会議」『全障連第9回富山交流大会基調・分科会基調・レポート集』 騒々社
田中耕一郎 2005 『障害者運動と価値形成―日英の比較から』現代書館
若林克彦 1969 「青い芝の会のみなさんへ」『青い芝』65: 8
横田弘 1974 「労働者(あなた)」にとって「障害者(わたし)」とは何か!! 『あゆみ』 23, 398. 
全国障害者解放運動連絡会議 1976 『全障連結成大会報告集』長征社

  注

☆1 「大久保製壜闘争」や「堀田節子さんNHK就労闘争」が例として挙げられる
☆2 なまずの会は、共同連の傘下にある組織の一つである。
☆3 なまずの会によって開設された「新しい労働の場」の名称。パンを製造販売していた。


*作成:青木 千帆子
UP: 20101203 REV:
全文掲載  ◇障害者と労働 ◇青い芝の会 ◇共同連 
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