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韓国のみなさまに

杉野 昭博 2010/10

[korean page]



本文にも書きましたが、私がこの本を出版したきっかけは、2003年に日本で設立された障害学会の会員に向けて、私が知っていることを少しでも伝えたいという気持ちからでした。そして、この本は2007年に出版されて以来、障害学に関心をもつ日本の学生の多くに読まれ、今も読まれ続けています。そうした読者のなかには、ジョン・ヒギョンさんをはじめとした韓国からの留学生の方もおり、彼らの間でもこの本が歓迎されたことは、私にとっては思いも寄らぬ出来事で、このたび韓国語に翻訳され出版されることは望外の喜びです。

韓国のみなさまに向けて、私自身の研究履歴を、少しだけ説明したいと思います。私は1975年に大阪大学に入学しましたが、日本における「障害者解放運動」に当時から関心をもっていたわけではありませんでした。1969年にピークを迎えた日本の大学における学生運動は1970年代後半には終息しつつあり、大学のなかでは政治的空気は急速に冷めていました。私自身も政治的関心は薄く、民族音楽に興味をもつ「オタク」っぽい学生だったと思います。私は、民族音楽への関心から文化人類学を専攻し1979年に大学院に進学し、日本の東北地方に分布する目が見えない巫女である「イタコ」の研究を始めました。最初は、イタコが用いる「梓弓」という一弦琴の宗教楽器に関心があったのですが、研究をすすめるうちに、日本の伝統社会のなかで目が見えない人たちが地域の人々から尊重され、共生している姿に強い印象をもちました。

一方、日本では、それまで義務教育を免除されていた重度障害児への義務就学が1979年に完全実施され、「すべての障害児」がようやく学校教育を受けられる体制が整いました。しかし、それは結果として、一般の小中学校ではなく、障害児学校である「養護学校」への分離教育を強制するような傾向を生み、東京や大阪などでは一般学校への就学を求める激しい運動がおこなわれていました。当時、研究のために東北地方の農村と大学がある大阪を行き来していた私は、都市における健常者と障害者との間の分離や対立の様子と、東北の農村における牧歌的な「共生」とのギャップについて素朴な疑問をもちました。こうして私は、都市における視覚障害者の生活や意識への関心から、1982年に大阪府立盲学校に社会科教員として赴任しました。

大阪府立盲学校は、日本の盲学校のなかでも長い歴史のある学校で、中途失明者のための「専攻科」もあり、当時の盲学校としては大規模な学校でした。とくに、私が配属された「理療科」は、あんま、はり、灸の資格取得を目指した専門課程で、教員の大半は視覚障害のある人たちで、生徒の大半も私よりも年長の方たちでした。したがって、就任当初の私の仕事は、「教師」というよりも、視覚障害教員のアシスタントであり、中途失明生徒の「お世話係」といった立場でした。私の若い同僚である健常者教員の多くは、そのような立場に適応しにくく、たいていは3年たつと一般学校に転勤していきますが、私自身はそうした役割に不満はなく、結局5年間盲学校で勤務しました。

イタコの人たちへのインタビュー調査と、盲学校での教員生活は、障害のある人たちに対する私の基本的なスタンスを決めたように思います。それは、簡単に言えば、「障害のある人には立派な考えをもち、見習うべき生き方をしている人が多い」ということです。もちろん、私が出会った人たちの多くは、「障害」による差別や困難や苦労を乗り越えてきた人たちだから「立派」なのであり、「障害」があるからといってすべての人が「立派」なわけではありません。しかし、「障害」のある人は、ほとんどの人が、紆余曲折はあったとしても、差別や困難や苦労を乗り越えて前に進もうとしていると思います。彼らのそうした姿勢は、障害のある人も、ない人も、みんな見習うべきではないかと思います。そういう意味では、障害者の生き方は、人間本来の生き方の方向性を示してくれているように思います。誰もが、生きている限りは、前に進む努力を、やり続けなければならないという生き方です。私は、1989年にイギリスのLondon School of Economicsの大学院に留学して以来、20年あまり障害者福祉政策の研究をしていますが、長年の研究を通じて得た結論は、結局、そういうことなのではないかと思っています。

2003年に日本で視覚障害のある石川准さんや、盲ろうの福島智さんらによって設立された障害学会に、私も当初から理事として参加し、現在は脳性マヒの旭洋一郎会長のもとで事務局長をしています。私にとってこの学会は、大好きな学会であり、本当に大切な学会です。この学会の仕事をしていても「苦労」を感じたことはありません。なぜなら、毎年一回開かれる研究大会や学会誌の発行を、本当に楽しみにしてくれている会員が多いからです。一般の学会のように、研究業績を増やしたいとか、就職のコネを作りたいとか、私利私欲で障害学会に参加する人はほとんどいません。そういう意味では、あまり役に立たない学会だからです。しかし、障害学会は「障害学」が好きで参加している人がほとんどであり、「障害」について真摯に学ぶ姿勢がない人には居場所のない学会だと思います。学会なので、どうしても「アカデミズム」という参加障壁は残りますが、それでも「勉強したい」という多くの人がいて、私たち研究者もそれに応えるために、「できるだけわかりやすい研究発表」という工夫も含めて、多様な人にアクセシブルな学会をめざしています。私は理事として、そうした学会運営に協力することによって、自分が世の中のために少しでも役立っているという喜びを感じています。

このように書きましたが、本書『障害学―理論形成と射程』は、万人にアクセシブルな本ではありません。大変、申し訳ないと思っています。この本は、日本で「障害学」に関心をもつ研究者のなかで、あまりにもイギリスやアメリカの障害学が表面的にしか理解されていないことへの心配から出版したものでした。各国の障害者運動の歴史と主張の固有性は非常に大切なことですが、他国の障害学について正確に理解することも同様に大切だと思います。しかし、英米の障害学を1冊の本で詳細に紹介し、日本の障害学の課題にも触れるということは困難でした。最初の原稿は400頁ほどありましたが、出版の都合で300頁に削減しているので説明が不足している記述もあるかと思います。本書のそうした欠点は、ぜひとも、今後、韓国の障碍学研究者のみなさんで補っていただき、韓国でこそ「万人にアクセシブルな障碍学」を出版していただくことを楽しみにしています。そして、今度は、韓国の障碍学が日本で翻訳出版されることを心待ちにしています。

最後に、英国留学時代におつきあいいただいた韓国人留学生、とくに、学生寮で自家製キムチを寛容にも私に分け与えてくれたドンサンに、この場を借りて感謝したいと思います。


2010年10月18日
杉野昭博
 

*作成:鄭喜慶   *更新:安孝淑
UP:20101030 REV:
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