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レジュメ「『近代日本と小笠原諸島――移動民の島々と帝国』はじめに」

櫻井 悟史 20100828 第15回歴史社会学研究会

last update:20101215

■文献情報:石原俊, 2007, 『近代日本と小笠原諸島――移動民の島々と帝国』平凡社.

□はじめに――移動民の島々から(27-47)
◆定義
・小笠原諸島:移動民の島々。父島および母島とその近辺の島々に限定して使用。
・日本帝国:一九四五年のポツダム宣言受諾以前。
・日本国:一九五二年のサンフランシスコ講和条約発効後。
・一九四五〜一九五二:文脈に応じて呼称を採用。
・「内国」:「国内」とほぼ同義。「外国人」と対比する形で、「内国」から移住してきた人びとに「内国人」という表象が用いられた。
・「内地」:一八九〇年の大日本帝国憲法施行後、憲法の適用下にある領域を指すカテゴリーとして使われる。「外地」というカテゴリーは一般的に、日本帝国が排他的な法域だと主張しながらも憲法の適用外に置いていた領域を指示。「内地」との対比概念。
・占領:主権的な法の外部領域に置かれていた小笠原諸島・北海道・千島列島・沖縄諸島などの島々が、日本帝国の排他的な法の下に巻き込まれていく過程を、すべて占領と表現する。→「内国」「外国」「内地」「外地」といった表象を相対化。
・島、島々:「相対的な編共生」概念。地理的区分としての「島嶼」だけではなく、「各々の集団や個人に固有のもの」がはらんでいる「生成の過程」「"混成"しつつ」流動化・複合化していく「自立」的な「発展」のあり方、と定位。(メルレル=新原)

◆強調
(1)小笠原諸島には、日本帝国による本格的な占領が始まる以前に、世界各地を出自とする人びとが移り住んでいたこと。
(2)小笠原諸島を拠点のひとつとして、北西太平洋の広い海域に及ぶ自律的な社会的・経済的交通が展開していた。
(3)日本帝国が北海道・千島列島・沖縄諸島などの島々を巻き込んでいった一九世紀後半の一連の過程の中に、忘れられがちな小笠原諸島の占領も位置づけられるべきこと。

◆対象
・小笠原諸島を拠点に生きてきた人びとの近代経験。
・一八三〇年から一八七五年までの間に世界各地から小笠原諸島に移り住んだ人びととその子孫、すなわち日本帝国による占領の過程で「帰化人」として掌握されていった人びと(の子孫)。

◆目的
・世界各地から小笠原諸島に集まってきた移動民(の子孫たち)が、世界市場・国家(帝国)・法などとの関係の中で、自分たちの社会的・経済的実践のあり方を組み替えながらどのように生き延びてきたのかを、歴史社会学的な手法によって叙述し考察すること。

◆文献資料
一九世紀から世紀転換期にかけて小笠原諸島に上陸・寄留した船乗りたちの手になる航海日誌類、世紀転換期にこの島々で布教活動を行った宣教師の手になる記録集、イギリス帝国・アメリカ合衆国・徳川幕府・明治政府などの主権のエージェントである将校・官吏らが書きためた公文書類、欧米諸帝国と徳川幕府・明治政府の間で小笠原諸島の領有権をめぐって交わされた外交関係の文書類、小笠原諸島に関与した政治家・実業家・探検家・ジャーナリストらの手になる個人的記録類。
→当然、これらの記録は、統治するまなざし、利用するまなざし、布教するまなざしなどに沿って産み出されたもの。
→批判的に読解
→小笠原諸島の移住者をめぐる法的・社会的・経済的状況をかなり詳細に読みとることが可能。

◆民族誌的記述
ロザルド:実線や語りとは、時間的にも空間的にも無限に開かれたいとなみであり、そこに参画する人びとの個別的な社会的水脈や生のリズムが出会う「生の諸過程」として捉えられるべき。
→本書が参照する文献資料はすべて、小笠原諸島をめぐる「生の諸過程」の中で生み出されたものだとみなされる。また、その記録の書き手=観察者はすべて、「翻訳」を介してこの島々をめぐる「生の諸過程」に参画した者だとみなされよう(避け難い非対称性)。

◆構成について
小笠原諸島の近代経験を考える際、なぜ移動民の生と市場・国家・法などの関係、とりわけ移動民と国家の(緊張)関係に照準するべきなのかという問題を、語りという具体的な素材の検討を通して内在的に浮かび上がらせる作業をするため、このような構成になっている。


*作成:櫻井 悟史
UP: 20101215 REV:
全文掲載  ◇石原 俊 
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