一方、なにかとラディカルな発言で名高いオックスフォード大学の生命倫理学者ジュリアン・サバレスキュらは、5月にBioethics誌にShould We Allow Organ Donation Euthanasia? Alternatives for Maximizing the Number and Quality of Organ for Transplantationと題した論文を書き、“臓器提供安楽死(ODE)”を提言した。かねてより、臓器提供と安楽死の議論はいずれ繋がっていくのでは、との懸念は欧米のみならず日本でもささやかれてはいたが、ついに英語圏で「どちらも自己決定権なら、いっそ2つの自己決定を合体させれば?」と言わんばかりの声が上がった。
保守派の論客ウェズリー・スミスが自身のブログ(5月8日)で引用している上記論文の一部と、オックスフォード大学のサイトに5月10日付で全文公開されている同じ著者による論文 Organ Donation Euthanasiaを読むと、その主張とは「生命維持治療の中止にも死後の臓器提供にもそれぞれ自己決定権が認められているのだから、生きたまま全身麻酔で臓器を摘出するという方法による安楽死を選べるようにするのが合理的。そうすれば臓器が痛まず提供意思を今よりも尊重できるし、患者本人も延命停止後の苦痛を避けることができる」というもの。「どのみち死んでいく患者だけに適用するのだ」から、意思決定能力のある患者の自己選択と、独立した委員会での承認を条件にすれば、「死ななくてもよい患者が死ぬということは起こらない」。
その一方でサバレスキュらは、「自分は何一つ損をせずに最大9人の命を救える機会など滅多にないのだ」し、「自分が他者にしてもらいたいと望むことを他者に行えとの倫理の黄金律にもかなう」行為だと臓器提供を称賛する。しかし、“臓器提供安楽死”の提言が道徳や倫理の問題ではなく、“移植臓器の数と質を最大化するための選択肢”の問題であることは彼らの論文タイトルが明示している。
7月17日、日本でも改定臓器移植法が施行された。「“国際水準の移植医療”を日本でも実現するために」との掛け声で改定された法律である。その “国際水準”が向かう先が臓器の“物々交換”やODEなのだとしたら、果たしてどこまで追いかけようというのだろう……。