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レジュメ「『近代日本と小笠原諸島――移動民の島々と帝国』第1章」

近藤 宏 20100828 第15回歴史社会学研究会

last update:20101215

■文献情報:石原俊, 2007, 『近代日本と小笠原諸島――移動民の島々と帝国』平凡社.

□第一章 移動民の占領経験

◆1章で取り上げられる人物
「ケテさん」 ・記録された人
 民俗学者 瀬川清子が「アマチュア」時代の旅行で聞き取りをした人。40年の後に、インタビューの記録が刊行される。カナカ系の女性。家政婦業などで日銭を稼ぐ。

民俗学者 瀬川清子(1895―1984) ・記録者
中学校職員であった1931年、夫とともに小笠原諸島へ旅行。この時の記録されたのが「ケテさん」との語り。民俗学者への道のりは、1933年に雑誌『嶋』(柳田国男と比嘉春朝の編集)に投稿した「舳倉の海女」(能登半島の海女に関する文章)が柳田国男に評価されたのがその第一歩。1943年に大妻女子大学非常勤講師に着任。生涯で150か所もの調査地に赴く。重要な資料提供者だが、日本帝国における道警の対象=ロマンティックな主題としての「南洋」と日本帝国における人口のはけ口としての「南洋」が「コインの両面」であることに意識が及んでいない、と批判される。

マイケル・タウシグ ・語りを分析する手がかりとなる議論をした人物
コロンビア、ボリビアなどに出没していた民族学者。悪魔に関する言説や魔術、呪術等についても調査。一風変わった民族誌記述スタイルで知られる。「テケ」さんの語りを分析するために登場。参照された民族誌はShamanism、colonialism、and wild men。この本は、コロンビアの暴力の記録と呪術的治療の民族誌。同時に、ベンヤミン、ブロッホ、バタイユ、ボルヘス、アストゥリアスなどの文章も「縦横に援用しながら」構成されている。「支配―被支配」関係に局限される世界とはことなる世界のイメージを構成しようとした、と評価される(参照:竹沢尚一郎 『人類学的思考の歴史』)。

そのほかに登場する人物
野沢幸男さん(1924―)
池田実さん(1927―)
筆者が聞き取りした人。1931年当時に「ケテさん」が語った状況を補足するために登場。

こうした人々を登場させながら、本書のイメージを構築しているのが一章。より具体的には、小笠原諸島の歴史的状況を分かりやすく伝え(ケテさんの語りの機能1)、そのなかでも他称の問題が重要であることを示し(ケテさんの語りの機能2+野沢幸男さん・池田実さんの機能)、他称の問題を深めるために、政治的なものと結びつかない他者イメージを他者に見続ける反面教師として瀬川清子が登場し、再び小笠原の人々の他者による自己イメージの語りをみる。それを読み解くために、「神話的イメージ」に政治的な関係への抵抗を読み取ることによって、進むべき道を示す教師としてマイケル・タウシグ=ベンヤミンが登場する。そして、タウシグ=ベンヤミン的な「ケテさん」の姿(「アナーキカルで反抗的な〈断片〉として渦巻く」「移動民の流動的で自立的な生」)から小笠原諸島の近代経験を考える、ということを示している。


時空を超える語り…とくになし

◆1. 語りに刻まれた「異人」
a:ケテさん」と瀬川のやり取り (労働をめぐる議論から始まる。ちなみに瀬川は女性)
  夫との関係から
「異人」が日本人である夫との対比、さらに「働き方」の対比から理解
  b:「司令部」父島要塞司令部での労働との関係から
  「日本人」⇔「異人」=「帰化人」(小笠原)≠「外国人」(他の地域)
  「帰化人」=「異人」と司令部の関係の経験 野沢幸男さん・池田実さん

「異人」はa・bつまり労働と死が重なり合うところに現れる
  
◆2. 南洋の政治学
 A:ロマンチックな視線 「ケテさん」はどこでも生活可。「パラオ・サンパンへ」いったら?
 B:人口のはけ口 
 下落した糖価格の影響によって、甘藷栽培・製糖業に小笠原諸島で従事していた人々が
 「パラオ・サイパン」へ再移住する。  
(小笠原が移住者の「はけ口」、というのはわかりにくい。)
2、3で小笠原の歴史的状況、をめぐるトピックを確認
(基本的に、経済的カテゴリーに関わる事象中心)

◆4法と暴力の系譜学… タウシグの議論
 どのあたりが「法の系譜学」なのかよくわからないが…

5 移動民にとっての占領経験

 ケテさんと瀬川のやり取り
 瀬川が経済的にベターな策を進める。たいしケテさんは、現状でよいという態度をとる。
これをもとに
ロマンティック=他者からのまなざし=小笠原においては帝国の力の具現化するエージェント
  ⇔
神話的なイメージ=自ら語る新しいイメージ=自律する力を持つ人
                   

第1章では、他者―自己関係を征服者―被征服者と位置づけ、経済・法・他あらゆる生活の局面を包み込むことで歴史的な状況を確認したうえで、後者には、そこには自律する力うごめいているという視点を、小笠原の人々の「近代経験」の歴史を考察する出発点として確認している、といえる。

感想
「ケテ」さんの語りから小笠原の歴史的な状況をわかりやすく提示する、という記述の仕方は、非常に読みやすかった。一方で、ケテさんの語りを分析するやり方は、あまり理解できなかった。タウシグの議論(あるいは、「神話的イメージ」という語)をケテさんの語りに接続しているのだが、なぜケテさんの語りがタウシグの議論に当てはまるのか、ふたつの言説を同一視することが可能になっているのかが、あまり明瞭にはなっていない印象が残される。1章の中で、議論が展開しているのはこの部分だと思うが、その展開についていけなかった。以降の章での記述を読むと、その点がよりクリアになるのかもしれない。

*作成:近藤 宏
UP: 20101215 REV:
全文掲載  ◇石原 俊 
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