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「障害者運動のネットワーク研究に向けて――N. Crossley, Contesting Psychiatryを中心に」

渡辺 克典 2010/06/19
障害学研究会中部部会・第9回研究会報告 於:名古屋大学
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■事前配付資料

1.問題の所在――障害者運動研究の困難?

  障害者たちが社会に関わるひとつの形式として、社会運動として社会に働きかける「障害者運動」がある。障害者たちは、社会の中で生き、また、社会に対して積極的に関わってもいる。障害者運動は長い歴史をもっている(杉本[2008])。
  だが、社会について探求する社会学において、障害者運動の位置づけが明確になされているわけではない。社会学における障害者は、医療・福祉にかかわる分野として、また、社会問題を告発する社会運動のひとつとして取り上げられる。だが、社会運動論において障害者の位置づけはあいまいなままであった。石川准が社会運動論に関する著作の中で、「障害者運動という、規模や影響力の点でややもするとマイナーであるととられる運動」(石川 1990:2081)と記したように、社会運動論においてすら障害者運動は片隅におきやられてきた。
  こういった状況の中で、イギリスの社会学者ニック・クロスリーによる『精神医学の争議(Contesting Psychiatry)』(注1)という研究がある。クロスリーは、現象学的社会学を中心とした理論的関心を課題としながら(cf. クロスリー 1996=2003)、同時期からシェフィールド大学の精神療法研究センター(Centre for Psychotherapeutic Studies)において社会学・哲学を教授していた。そして、1990年代後半より社会運動に関する論文を出すようになってきた。『精神医学の争議』は、それらの研究成果として「保健衛生と社会における批判的研究シリーズ」(Simon J. Williams and Gillian Bendelow Editors)の一冊として出版された。
  本報告では、クロスリーの研究枠組みを確認した上で(第2節)、社会運動論における位置づけについて検討する(第3節)。これらの作業を通じた上で、障害者運動の研究枠組みを得ることを目指す(第4節)。

2.クロスリーの研究枠組みについて

  『精神医学の争議』は全部で9章から構成されているが、分析枠組みは第1章と第2章で展開されている。第1章では社会運動論におけるザルドとマッカシーの分析枠組み(Zald&McCarthy 1987)が批判される。クロスリーによれば、ザルドとマッカシーのモデルは合理的行為理論(以下、RAT)とよべるものであり、社会運動をもっとも最小限に定義したものである(p.13)。RATにおいて社会運動は、なんからの活動に対する「反抗運動」として定義される。この枠組みにおいて、社会運動は、ある活動に対して受容できない行為者が、反対運動をおこなうことによる合理的な判断によってもたらされる。このときに、社会運動は経済学における「需要-供給」として理解されるため、「経済モデル」「市場モデル」ともよぶことができる。
  以上のようなRATに対して、クロスリーは3つの点から批判する。第1に、RATは個人と集合の違いを十分に考慮していないだけなく、利益モデルを過大に援用している。第2に、「文化」のもつ意味が狭い。この点について、クロスリーはブルデュー理論の援用を提案している(→界概念の利用)。第3に、RATはネットワークについて十分にとらえることができない。
  以上の第2、第3の批判点より、クロスリーはネットワークに着目をする。このとき、ネットワークには3つの意味がある。第1に、社会運動組織間のネットワークであり、クロスリーは反精神医学運動にかかわった22の団体インターネット上のURLリンクを利用して組織間ネットワークを描く。第2に、(分析の中心となった)活動者のパーソナル・ネットワークである。具体的には、主導的な役割を果たしたとされる人びとにインタビュー調査をおこない、35人のネットワークを描いている(pp.20-21)。このようなパーソナル・ネットワークと組織間ネットワークによって、「争議の界」(過程としての構造)を描くことができる。最後に、このネットワークは、社会運動組織のみをとらえるのではなく、他の関連団体(関係する省庁など)をふくんでいる。こういった運動団体と関連団体の全体をさして「争議の界」という概念を用いている。
  また、クロスリーによれば、以上のような分析枠組みは、社会運動論における「価値付与モデル」の再検討をうながす。この再検討が第2章にあたる。価値付与モデルとは、集合行動に関するスメルサーの枠組みである(Smelser 1962=1973)。スメルサーは集合行動の発生を(1)集合行動の構造的な誘発条件としての「構造的誘発性」、(2)誘発性に加わるストレスとしての「構造的ストレーン」、(3)ストレスへの対応・解消に向けた信念を形成するための「一般化された信念」、(4)行動発現の契機となる「きっかけ要因」、(5)集合行動を動員する「行為への動員」として図式化した。そして、1から5までに関連する(6)集合行動の阻止と促進する要因としての「社会統制の作動」がある。クロスリーは、スメルサーの集合行動論を(1)構造的な誘発性(2)構造ストレーン(3)言説の生成と波及(4)きっかけイベント(5)構造動員(6)第三者の介入として再構成した。その上で、社会運動における「動員」について、スメルサーの価値付与モデルとも接合を目指している。その特徴は、動員における言説の生成(→3)を構造動員の必要条件として位置づけている点にある。このため、クロスリーは社会運動と社会運動組織を別々に定義し、前者を創発的な言説(p.4)や欲求や言説のカレント(p.28)と位置づけている。 以上のように、クロスリーの方法は、社会運動を言説として定義し、ネットワークに着目するという特徴をもっている。『精神医学の争議』は、この方法にもとづいて分析されていくことになる(注2)。では、このような枠組みは社会運動論とどのような関係にあるのだろうか。

3.社会運動論におけるネットワーク分析

  近年の社会運動論では、社会運動の発生や成功の要因について「政治的機会構造」「資源動員」「文化的フレーミング」の理論枠組みから分析する(McAdam et.al. 1996)。だが、オサは、資源動員論に対して、非民主主義国家における社会運動研究から次のような批判を提示した(Osa 2003)。オサによれば、とくにアメリカを中心としておこなわれた社会運動研究は民主主義国家を前提としており、正当な対抗運動をおこなうことができない非民主主義国家(権威主義国家)で用いることはできない。資源動員はネットワークを通じておこなわれ、社会運動の成果はネットワーク形成との関連において理解することができる。このとき、資源動員は、資源を流通させる経路の構造(=資源構造)として描かれることになる。また、ネットワークの拡大は反政府的な結社のリスクを軽減し、メディアとしても位置づけられる。
  このようなオサの指摘は、障害者運動の分析において次のような問いを与えるものである。すなわち、障害者たちの活動の背景にある社会構造に着目し、その構造の変化とネットワーク形成についての関連性について考える必要があるのではないだろうか。以下、この点について(いまだ構想にすぎないが)課題として提示してみたい。

4.障害者運動のネットワーク研究に向けて

  DPI(Disabled Peoples' International)は、「Nothing About Us Without Us」という標語を掲げている。これは、裏を返せば、障害者の主張についてこれまで正当に取り上げる仕組みがなかった(または、いまだ存在していない)ことを主張している。このような<標語>は、障害者運動組織の活動方針をあらわしているのとともに、当該組織に賛同する組織ネットワーク形成の目安ともなっている。
  このような状況を念頭におくと、オサとクロスリーの議論を接合することが可能だと思われる。第1に、もっともシンプルな理解として、政治的機会(または、構造的誘発性)に対する活動として「対抗運動」をおくことができる。これがRATにおいて提示されたような対抗としての社会運動である。このとき、政治的機会として取り上げなくてはならないのは、対抗運動の主張の正当性が何によって担保されているか、という問題である。具体的には、(1)職能団体、(2)被害に対する賠償・保障、(3)生活保障に対する不満(注3)、(4)政策過程への参画、といった側面を挙げることができる。それぞれは、(1)戦前の視覚・聴覚障害者による活動、(2)薬害スモンをきっかけとする薬害問題と難病対策(注4)、(3)1960年代以降の障害者運動、(4)DPIに代表される政策立案への参画、などを想定することができる。
  第2に、上記の問題設定に過程という側面を入れることで、「資源動員」のもつ意味が異なることになる。すなわち、運動の主張を正当化するような制度が形成される前と後において、ネットワーク形成のもつ意味がことなることになる。
  第3に、クロスリーの主張する「争議の界」や「言説」は次のように理解することができるようになる。クロスリーの主張する争議の界は、ネットワークの形成と解消(または組織の消滅)によってとらえられる(p.4)。このとき、言説は文化的フレーミング(注5)を形成する要素となるが、(とくに制度化前においては)ネットワーク形成の意味ももっている点に注意が必要である。



◆注

(1)以下、『精神医学の争議』から引用する際には、ページ数のみを明記する。
(2)具体的には、言説の生成を第5章で論じた後に、第6から8章においてネットワーク構造を描いている。
(3)ここではとくに福祉国家の形成における生存権(第25条)とその保障をさしている(新川[2005]、武川[2005])。
(4)難病対策における患者組織について分析した衛藤[1993]など。
(5)田中[2005]による「価値形成」は、文化的フレーミングに関する研究としても読み解くことが可能であると思われる。

◆関連文献

Crossley, Nick, 1996, Intersubjectivity: The Fabric of Social Becoming, Sage.(=2003,西原和久訳,『間主観性と公共性――社会生成の現場』新泉社.)
Crossley, Nick, 2002, Making Sense of Social Movements, Open University Press.(=2009,西原和久・郭基煥・阿部純一郎訳,『社会運動とは何か――理論の源流から反グローバリズム運動まで』新泉社.)
Crossley, Nick, 2006, Contesting Psychiatry: Social Movements in Mental Health, Routledge.
Diani, Mario & Doug McAdam eds., 2003, Social Movements and Networks: Relational Approaches to Collective Action, Oxford University Press.
衛藤幹子,1993,『医療の政策過程と受益者――難病対策にみる患者組織の政策参加』信山社.
桐谷仁,2002,『国家・コーポラティズム・社会運動――制度と集合行動の比較政治学』東信堂.
McAdam, Doug, John D. McCarthy and Mayer N. Zald eds., 1996, Comparative Perspectives on Social Movements: Political Opportunities, Mobilizing Structures, and Cultural Framings, Cambridge University Press.
Osa, Maryiane, 2003, Solidarity and Contention: Networks of Polish Opposition, University of Minnesota Press.
新川敏光,2005,『日本型福祉レジームの発展と変容』ミネルヴァ書房.
Smelser, Neil J., 1962, Theory of Collective Behavior, Routledge & Kegan Paul(=1973,会田彰・木原孝訳『集合行動の理論』誠信書房.)
石川准,1990,「自助グループ運動から他者を巻き込む運動へ」社会運動論研究会編,『社会運動論の統合をめざして――理論と分析』成文堂,281-311.
Tarrow, Sydney, 1994→1998, Power in Movement: Social Movements and Contentious Politics, 2nd ed., Cambridge University Press.(=2006,大畑裕嗣監訳『社会運動の力――集合行為の社会学』彩流社.)
曽良中清司・長谷川公一・町村敬志・樋口直人編,2004,『社会運動という公共空間――理論と方法のフロンティア』成文堂.
杉本章,2008,『障害者はどう生きてきたか――戦前・戦後障害者運動史』現代書館.
武川正吾,2009,『社会政策の社会学――ネオリベラリズムの彼方へ』東京大学出版会.
田中耕一郎,2005,『障害者運動と価値形成――日英の比較から』現代書館.
Zald, M and J. McCarthy eds., 1987, Social Movements in an Organizational Society: Collected Essays, Transaction.

◆謝辞

本研究は科学研究費補助金(研究課題番号:21730410)の助成を受けたものである。
オサのネットワーク論については、ネットワーク分析読書会(通称:きんしゃち会、代表:山口博史氏)での議論に依るところが大きい。記して謝意を示したい。

UP:20110413 REV:0606
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