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「聴覚障害児医療の再検討」

上農 正剛
 2010/05/16 第36回日本保健医療社会学会発表要旨  於:山口県立大学
[ワード版]

last update: 20100410
聴覚障害児医療の再検討

上農 正剛(九州保健福祉大学)


【目的】 聴覚障害児に対する医療の関与状況の問題点を析出し,問題が発生する諸事情を明らかにする.特に@音声言語の獲得を目指した言語訓練が結果として安定した成果を保証できていないのは何故なのか.Aそれでもなお医療の支配的関与が容認されているのは何故なのか,の2点について分析、考察する.

【方法】 音声言語の獲得に必要な言語学的諸要素と機構を確認し,それを踏まえた場合,聴覚障害児が音声言語を獲得する際に必要となる独自の条件を明確にする.そして,その条件が現実的に聴覚障害児の家庭で満たし得るかを検討し,聴能訓練法の是非を考察する.また,聴覚障害児医療が聴覚障害児に関与していくプロセスを分析し,その独占性,排他性を指摘し,それがもたらす問題点(インフォームドメコンセント,供給者誘発需要等)を示唆する.

【結果】 聴覚障害児の場合,音素そのものの弁別は極めて困難なため,結局,その不足を音素の附属的要素である「超分節的音素/韻律的要素プロソディ」(ピッチ,アクセント,プロミネンス,イントネーション,ポーズ等)によって補完しなければならない.つまり,聴能訓練の本質は付属的要素により聴取できない音素を「類推」する訓練なのである.そして,その訓練が成果を生む(認知回路を固定させる)ためには次の二つの要素が不可欠である.@膨大な回数の反復練習と,A「類推」を成立させるための既知情報.

【考察および結論】 聴覚障害児医療が推奨する言語訓練の実践は,言語聴覚士の限られた業務時間では十分な訓練時間を確保することは全くできないため,現実的にはその作業のほとんどが家庭(母親)に押し付けられる.しかし,家事や仕事を中断した集中的な2時間程度の言語訓練を毎日,数年間にわたり母親が実施することは一般的な家庭にとって,経済的にも,物理的にも極めて困難である.困難である以上,多くの家庭が取り組んでみたものの,中途で挫折せざる得なくなる.当然,言語訓練も不徹底に終わり,その結果,目指された筈だった聴覚障害児の音声言語の獲得も成果を見ないまま「失敗」する.このようにして,聴覚障害児医療が誘導,示唆した言語訓練を介した音声言語の獲得を目指す取り組みは,結果として,音声言語も書記言語も手話をすべて中途半端で,母語としてのしっかりした言葉を何一つ所有できていない「セミリンガル」状態の聴覚障害児を生み出してきた.過剰な熱意で取り組んだ家庭もあったが,これはこれで母親の「教師」化,障害児への強度の抑圧,家族関係の破綻等の深刻な問題を生んできた.遮二無二音声言語を獲得させようとしてきた聴覚障害児医療の「音声言語中心主義」は言語獲得理論,言語発達論,言語権,文化論の諸点からも再検討される必要がある.

*作成:上農 正剛
UP:20100412 
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