last update: 20100410
障害者運動と介助の社会化論
堀田 義太郎(日本学術振興会/立命館大学)
【目的】 障害者運動の一つの主張を取り上げ、その観点から、介助労働の分担の現在のあり方を批判的に検討する。これを通して、ケア活動の分担の「望ましい」あり方を考察する際、考慮に入れるべき論点を抽出し整理する。(本報告では「ケア」は世話活動一般を指す)
【方法】 文献研究に基づく。
【結果】 @ 障害者を分離・排除する健常者中心社会のあり方に対する障害者運動の要求は、他のマイノリティ運動の要求と同様、(a)物理的財やサービスの「分配」と、(b)社会的な「承認」の二つの側面に分けることができる。障害者運動の場合、分配要求とは、地域で在宅生活を送るための介助サービス等の保障に対する要求であり、承認要求とは、介助を要する身体の評価および介助の実践に直接結びつくような価値観の変革要求になる。この(b)承認要求は、他のマイノリティ運動と同じく法的な市民権の保障等を含むが、さらに、非生産的な身体とそれに対する介助活動に対する価値観・行動原則そのものの変更にも向けられている。(a)(b)の関係は次のようにまとめられる。(a)分配要求を満たす手段は複数存在し、必ずしも(b)承認要求を満足する必要はない。要求(a)と(b)のあいだには(a)>(b)という優先順序がある。そして(b)の満足は(a)よりも困難である。
A (a)は現在の社会では「準市場」という方法により、半ば実現しつつある。
B 障害者運動の観点からは、この方法は安易に肯定されない。(b)の観点からは、特定の人が介助を仕事として担うことで、障害者を排除する社会成員の価値観は総体として温存されるのではないか、という疑問が提起されるからである。
【考察および結論】
準市場という方法が(b)の実現のための一つの手段になる、という解釈も可能ではある。だが問題は、(a)の実現を目的にする立場がつねに(b)を認識・共有しているわけではないという点にある。
(a)の実現だけが目的ならば、介助を要する身体に対する評価も介助という活動の評価も問われない。介助ニーズを満たすに十分な人材が調達できればよいという立場からすれば、生産能力によって位階が形成される労働市場において介助労働が貶価され続けることは(また性別分業も)、むしろ調達を容易にするため望ましいとされる。またこの立場は、介助ニーズは介助労働者ないし機械が処理し、他の人々はニーズ(をもつ身体)に配慮せずに済む方がよいという立場に親和的である。
他方、障害者運動の(b)の観点は、これらの点を問題化できる要素を含んでいる。社会成員の価値観の変革を求めるこの観点は、介助の分担のあり方をめぐる考察にとって発見的・批判的価値をもつだろう。それはまた、他のケアと総称される活動の分担方法を考察し評価する際にも、重要な視点を提供していると言えるだろう。
*作成:堀田 義太郎