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「感情労働と徳」

有馬 斉
 2010/05/16 第36回日本保健医療社会学会
理事会企画 若手テーマセッション(B) 「ケアの最前線――アポリアとコンフリクトの諸相」企画趣旨
[ワード版]

last update: 20100410
感情労働と徳

有馬 斉(東京大学大学院医学系研究科特任助教)


 【目的】 看護・介護・保育といったケアワークには負担がともなう。社会学者の多くはこれまでアーリー・ホックシールド(『管理される心』世界思想社、1983年)に創案された「感情労働」の概念をもちいてケアワークにともなう負担の内容を分析してきた。 ホックシールドによれば、感情労働に従事する人は自己疎外を経験するという。自己疎外はそれを経験する本人にとっては負担である。そこでホックシールドの論を踏襲する社会学者の多くは、ケアワークにともなう負担についても同じ枠組のなかで理解してきた。すなわち、負担は、ケアワークが感情労働であることに起因する自己疎外のあらわれと理解されてきたのである。本報告では、この理解の妥当性を検討する。

【方法】 ホックシールドの自己疎外論にはある規範的主張が暗黙のうちに前提されている。この前提を文献精査と概念分析の手法をもちいてあきらかにする。また、やはりケアワークの特質にかんする分析にもちいられることの多い規範倫理学(とくに徳倫理とケア倫理)の知見を引きながら、当の規範的主張が一面的あるいは不自然であることを指摘する。

【結果】 結論として、ケアワークにともなう負担の内実が、かならずしもホックシールド疎外論の枠組のなかで理解されるべきとはいえないことを述べる。さらに、疎外論の有効な適用範囲についてコメントする。

【考察および結論】 ホックシールドの自己疎外論の前提には、次のような規範的主張がある。すなわち、相手や状況にあわせて自己の自然な感情をおさえたり、それとは別の感情を引き出したりすることは「不誠実(phony)」なことであり、その意味で道徳的に望ましくないことであるとする主張である。ホックシールドのいう自己疎外とは、職務によってあたえられる役割と、本人が「真の自己」としてとらえているものとのあいだにうまく折り合いをつけることができない状態をさす。折り合いのつかない状態には三つの形式があるとされるが、いずれの形式もこの前提がなければ成立しない。まずこのことを確認する必要がある。
さてしかし、感情のコントロールにかんするこのような道徳的評価のしかたは一面的である。現代の主要な道徳理論のひとつに徳倫理がある。徳倫理の伝統にしたがえば、状況におうじてその場にもっともふさわしい感情を過不足なく経験することのできる人は、道徳的称賛に値する。そこで、自己の自然な感情をおさえ、状況にふさわしいとされる感情を引き出すことは、むしろ道徳的に優れた態度として理解しうる。徳倫理(やケア倫理)を参考にすれば、このような理解の可能性があきらかになる。 こうした可能性を考慮した場合、ケアワークが要求する感情のコントロールは、かならずしも道徳的に否定的な評価をうけるべきこととは思えない。そこで、疎外論をケアワークにともなう負担の分析に応用することはかならずしも適当とはいえない。以上のように結論できるはずである。


*作成:有馬 斉
UP:20100412 
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