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"Parochial Altruism and Christian Universalism: On the Deep Difficulties to Create Solidarity without Outside Enemies"

Palaver, Wolfgang 20100318-20
国際カンファレンス「絆と境目――正義と文化に関する新しいパースペクティブ」

last update:20100617

Palaver, Wolfgang "Parochial Altruism and Christian Universalism: On the Deep Difficulties to Create Solidarity without Outside Enemies"


偏狭的利他主義とキリスト教的普遍主義――外敵なしに連帯する困難さ


今日の人類学的研究では、ほとんどの人間の連帯は他集団に対して敵意を抱くことを条件にすることが明らかにされている。集団内の利他主義はほぼ常に集団の非構成員よりも構成員を偏狭的に優先することを伴うだろう。このように他集団に対する敵意は連帯を形成する人類の原動力のひとつである。これらの新たな知見は連帯に関する神話的な様式にも見られることがエミール・デュルケムやルネ・ジラールに発見されており、またアンリ・ベルグソンが描いた閉鎖的な社会集団、カール・シュミットが特徴づけた友/敵の区別によって成立する政治的なものにおいても示されている。
しかし偏狭的利他主義こそが人間が連帯する唯一の方法だとは言えない。この連帯様式に対して徹底的に異議を唱えてきたのがキリスト教であった。キリスト教がいかに閉鎖的な社会集団の伝統的な様式と外敵への依存性を打破しようとしてきたかは、山上の垂訓における「汝の敵を愛せよ」というイエスの教えや善きサマリア人の比喩が示してくれている。キリスト教は――他の秘儀的伝統も同様に――閉鎖的な諸社会集団を別の社会へと代置する、すなわちグローバリゼーションの時代においてますます可視化される開かれた社会へと変えていこうとするのである。
しかしながら開かれた社会の出現が閉ざされた社会から脱却する簡単な方法だと考えるのはあまりに単純だろう。依然としてわれわれは閉ざされた社会の代置に伴う文化的闘争のただ中にいる。われわれの世界は人間文化の始原へと遡る偏狭的利他主義が継続的に弱体化することで特徴づけられる。しかしそれでは普遍的連帯の強い様式を本当に発展させることはできない。ルネ・ジラ―ルはこのような現在の状況を世界崩壊の時だと見做した。増長された競争をもはや抑えられないこの世界を滅ぼしてしまうという危機に、伝統的な連帯の様式を持たないわれわれは瀕している。しかしこのことは世界の終末を宿命として待たなければならないことを意味しない。終末的な世界に生きるということは秘教的伝統の、より深い理解をわれわれにもたらすかもしれない。その伝統とはすなわち外敵を必要とせずに連帯して生きていけるということだ。
人間は偏狭的利他主義を超越しうる。なぜなら人間は本質的に自由であり、精神的に成長するという特徴を有しているからだ。特にユダヤ・キリスト教の伝統においては――東洋の伝統においても同じような潜在性を見出せるが――、閉鎖的な社会的様式を打ち破ろうとする超越的な神に対する開放的な人間性が存在する。ベルクソンは次のように述べている。「閉鎖から解放への通り道はキリスト教によって拓かれたのは疑いないだろう」(1935,:61)。ベルグソンに影響を受けたアメリカの神学者、ラインホルド・ニーバーは、ユダヤ教の預言者の伝統と閉鎖的な社会に典型的な共同体的自尊心を克服するさまについて指摘し、ユダヤ教普遍主義の起源を綿密に考察している(1996:I37)。ニーバーによれば、「ヘブライ人の宗教にとって神と民族を介した偏狭的な同一化からのがれることができたのは」神の超越性による(1986:4)。また「民族から神を分離する過程は内省と実経験の問題である」とも論じる(1986:6)。そしてアモス書9章7節(主は言われる、「イスラエルの子らよ、あなたがたはわたしにとってエチオピヤびとのようではないか。」)に言及して、この信仰様式、すなわちイスラエル人民の救済信仰はかれらが捕囚されたあいだに神に対して忠実であろうとしたものであったと結論づけている。追放されたことでイスラエル人は民族から神を切り離す手続きを完了することができた。「第二イザヤ書はアモス書における内省を築きあげ、民族の変遷とはまったく別個な存在に意味を与える神を示すことができた。そしてそれこそが、あらゆる意味のなかでユダヤの敬虔さにおける最大の源泉であった」(1960b, 66; 1960a, 155; 1986, 5)。
イエスが言及しているように、ルカ伝におけるサマリア人の譬え話は民の政治的な敵と隣人を愛する意味を示す積極的な例として、イエスがいかに伝統的な友/敵関係の様式に対して挑もうとしていたかがはっきりとうかがえる(ルカ伝10章、25‐37)。キリストがこの譬え話のなかで主張していることとは、「そのときまで倫理的な態度として理解されてきた一般的な作法を根本から破壊すること」であった(イリイチ・ケイリー2005:51)。レグホーン正教会のラビ、エリ・ベナモゼフ(1823〜1900)は、カール・シュミットと同じく異教的思想に理解があり、政敵を高く尊重していたが、この譬え話においてイエスが愛国心を破壊していることを非難している。ベナモゼフによれば「政敵なしに国はない」のである。19世紀のベナモゼフにとってユダヤ人にサマリア人を愛せよと言うことは「ポーランド人にコッサク人やイタリア、オーストリアの軍人を愛せよ」(1873、84)と言うことと同じであったため、かれからすればイエスは政治生活を破壊するためにサマリア人の譬え話を持ちだしたのである。
この危機的状況に対する解決策を見出す前に、わたしはまずグローバル化が進行している過程においてキリスト教が果たしている役割について考えておかなければならない。キリスト教がこの過程に積極的な役割を果たしているとは必ずしも言えないことに注意しておこう。歴史的なキリスト教とは静的な宗教の面影を除いた、まったくの動的な宗教ではない。神秘主義によって形が変えられてはいても、異教的様式は未だ機能している「混成的な宗教」(ベルクソン1935:183)なのである。まず「偏狭(parochialism)」という語は、ラテン語の教区(parish)に由来し、そのためまったく歴史的キリスト教とは相容れない語ではないことを覚えておこう。歴史的キリスト教がどれほど友/敵の様式を土台としていたのか、このことは、好例としてヨーロッパアイデンティティの発展を急ぎ足で見ることでもうかがえる。「ヨーロッパ」という語がはじめて政治的に使用されたのは8・9世紀であり、たとえばイスラーム世界との衝突と関係している。同じことは十字軍の時代であったことからもいえる。16世紀になると共通のヨーロッパアイデンティティを促進する新たな外敵としてトルコが現れた。この様式はわれわれの時代のヨーロッパでも息づいている。オーストリアのような諸国家においては、オーストリアのアイデンティティを強く主張する人たちにとって、ムスリム移住者が共通の外敵となりゆくさまが今日でもうかがえよう。このようにイスラーム嫌悪としばしば結びつく大衆的な外国人嫌悪はヨーロッパのポスト冷戦における外敵概念のひとつになっている(ニートマー2000:531)。
キリスト教が外敵を必要とせずに開放的社会とグローバル化した世界における連帯に貢献することを欲するのであれば、自らが孕む集合的自尊心への誘惑を断ち切らなくてはならない。つまりコンスタンティン主義とそこに内在する帝国主義をキリスト教それ自身から引き離さなくてはならないのである。メノナイトを代表する神学者であり、亡くなる1997年までノートルダム大学で教鞭をとっていたジョン・ハーワード・ヨーダーは、コンスタンティンの危険性に対してたいへん注意をはらっていた(1984:135-147)。1976年にエルサレムでの異宗教間対話に関する講演において、かれはコンスタンティン主義への反省を論じた。この反省が意味するのはユダヤの遺産とイエス・キリストの柔和、謙遜、非暴力への関心である。帝国的自尊心ではなく、第二イザヤ書における「艱難の僕」という特別なユダヤ的伝統とイエスの譬えの特殊性に対して注意を向けるように、とかれは促す。ヨーダーにとって特殊性と普遍性は聖書において二者択一的なものではない。キリスト教徒はイエスがとった特殊性に従って、まずローカルな隣人を愛し、そして連帯して生きるように求められている。あらゆる特殊な伝統を切り捨て、世界レベルでの共通要素を見出そうとするあらゆる試みより、この取り組みはわれわれの多元的な世界を平和へと導くだろう。われわれは閉鎖的社会を支配する集団的自尊心も普遍的な帝国主義の形式も乗り越えるために、異なった宗教的伝統の違いから流れ出る精神的な謙遜さを必要としている(ニーバー、1986a:135、151)。帝国主義的普遍主義はうわべだけの開放的な社会へと導く。つまり実際のその社会は閉鎖的なままなのである。たとえある世界的国家によって支配された世界で全体を成していたとしても。
動的な宗教として開放的社会を志向するという、表面的にだけ似ているキリスト教的普遍主義にコンスタンティン主義の転換は帰着した。この普遍主義の様式は、神秘主義と類似しつつも静的宗教と閉鎖的社会を縛り続ける帝国主義のかたちをとる(ベルクソン1935:268‐269)。単なる社会存在を拡張することは社会を開放することにはならないことをベルクソンは強く認識していた。閉鎖的社会を拡張することはその性質に変化を加えることではない。つまり「都市の境界線を拡張しても決して人間性には到達しない。すなわち社会的道徳と人間的道徳の相違とは程度の違いではなく種の質の違いなのである」(ベルクソン1935:25、cf.22‐23、ニーバー1960a:168)。
この論を締めくくるにあたって、カトリック教会が重要で特異な伝統を開放的社会の発展に寄与させるために抱えている課題を簡単にみておこう。近代においてカトリック教会は決定的な段階へと足を踏み入れた。すなわちコンスタンティン主義を乗り越えようと試みた第二バチカン公会議である。ヨハネ・パウロ2世がそのとき論じたのは、キリスト教徒的美徳としての連帯をわれわれが理解することで敵対的連帯を超えることであった。

「信仰の光のもとで、連帯することとは、連帯することそれ自体を忘れ、キリスト教の特質である心づけ、寛大さ、調和といったすべてを身につけることです。そのときの隣人とは、彼/彼女自身の権利をもち、あらゆる他者との基本的平等をたずさえた人間であるとは限りません。父なる神の生き写し、つまりイエス・キリストの血によって救われ、聖霊の永久のおこないのもとにおかれた隣人かもしれません。だからこそ隣人を愛さなくてはなりません。たとえ敵対する者であったとしても、神がその者を愛するのと同じ愛を持って。そしてその者のためであれば、どんなに偉い者でも犠牲になる覚悟をしなければなりません。朋輩のために一命をなげうつ覚悟を。」(cf.1 Jn3:16)(ヨハネ・パウロ2世1987:40)

*作成:岡田 清鷹
UP:20100517 REV:
全文掲載  ◇障害者と労働・2010 
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