【あ−03】『赤い六月 X』1973年6月10日
《今こそ優生保護法解体を! 5月20日優生保護法改悪を阻止する第二回東京集会のビラより 松村幸子》
「……現行法の改悪の真の意図は、優生は保護し優生でないものは抹殺してよしとする法の本質をより露骨に顕在化させ、貫徹させることによって、権力=資本に役立たない人間は殺し、労働力再生産の場である家庭を疑ったり否定したりする女には社会的制裁を加えようとするイデオロギー攻撃なのである」(1頁)。
「また次代の労働力となるべき子供を生まない女や、母性愛的自己犠牲を拒否してまず自分を採り、その結果子を捨て、あるいは死に至らしめる母親の登上は円滑な労働力再生産を阻害し、社会の基底部である家秩序にゆさぶりをかけるものとして資本にとっての脅威である。
GNP第二位にのし上った経済成長の陰には十人の出生に対し八人の中絶される子供がいるという事実(第6次出産力調整)は勤労婦人福祉法案に端的に現れているように、女が家庭も仕事も両立させて行く限りでは、社会的必要悪として黙認される。適正な年齢における初回分娩(母体が若くて健康なうちに早く生んで早く生み終えればそれだけ健康な子供が生れると、種々の科学的データを用いて女に信じこませ)で子供を一人か二人生み、育児に手がかからなくなれば今度は若年労働力不足を補う安価なパート労働者として狩り出され、不況になればたちまち家庭に帰えされる労働市場の安全弁として使われる。女は子供を生む時期や数●でも●●されているのだ。
しかも未婚の女や、子供に拘束されたくない女が中絶すれば、それは、「性道徳の乱れ」や「女のエゴ」であるとして女個人だけを責め、安心して生み、育てられる社会とほど遠い状況――物価高、住宅難、公害、薬害、交通地獄――を作り出した側の責任を全く棚上げにし、中絶は子殺しだとわめきたてる。
そして、それでもなおかつ中絶する女は、身体や精神を著しく害した女で普通の女と△25/26▽はちがう人間だということで処理しようとしている。秩序の枠からはみ出た女は切り捨てて闇にほうむり、平和と繁栄の国、日本の美徳である親子の情愛は失われていないという幻想にしがみつく。
これが支配者のやることなのだ。我々は生む、生まないを選択するのは女の権利だと主張しようにも、まず目前に、生めない、育てられない現実が横たわっているから、権利論を持ち出すのをさけている、生む生まないの権利を言えば、選択をしたあとの一切の責任が個別の家庭=女におしかぶせられる。そこでは育児、避妊を女だけに押しつけるな、男性団の避妊を開発せよ、等の要求は社会に向けられる前に私事として個人が解決すべきこととされてしまう。
だから、今我々が主張するのは、中絶は女の権利だ、ではなく、安心して生み、育てられる社会を作ろう、であり、人間の価値をますます労働力商品の価値にすりかえようとする社会への怒りなのである。
人を支配し差別する社会においては、一切の被支配階級は全て劣勢な存在でしかありえないから、障害者に対して健全者=優生としている構造の虚偽性を打破し共に優生保護法解体を叫ばなければならない」(2頁)。