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優生関連

竹村 正人 20070331
栄井香代子・竹村正人・村上潔『「平成18年度京都市男女共同参画講座受講生参考資料(女性解放運動関係)収集調査」報告書』,NPO法人京都人権啓発センター・ネットからすま,pp.21-26(第3章)

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last update: 20210311


 資料には「優生保護法改悪反対運動」に関係するものがいくつか含まれている。この運動は「ウーマン・リブの活動家たちが、一つの目標を共有して一致団結して行なったもっとも大規模な政治運動」であった(森岡、137頁)。
 以下、優生保護法とウーマンリブとの関係をごく簡単に整理した。資料を理解するための一助となればと思う。その後で、優生関連の資料に言及した。

■優生保護法改悪反対運動の概観

国民優生法→優生保護法
 優生保護法は第二次世界大戦直後の1948年に成立した法律であるが、法の主な目的は二つあった。ひとつは、優秀な子を産み、劣った子を産まないようにすることである。もうひとつは、人工妊娠中絶が許されるための条件を示すことであった。「優秀な子」や「劣った子」といった表現は「民主化」されたはずの戦後日本には似つかわしくないと思われるかもしれないが、松原洋子によれば、優生保護法は戦時中に制定された国民優生法に比べて、むしろ優生学的規定が拡大されたものであった(松原、171頁)。

優生学的規定
 具体的には、本人や配偶者が精神病・遺伝性疾患などをもっている場合、子どもを産めなくする手術(不妊手術、優生手術)をしてもよいと規定した。このなかには本人の同意なしに、強制的に不妊手術ができるという規定もあった(森岡、138頁)。実際、「優生保護法が施行されていた約半世紀の間に、手続き上本人の同意を必要としない強制的な不妊手術は、約1万6千500件実施されたという。この種の手術は、80年代にも140件報告されている。また、形式的には当事者の同意に基づいていても、施設に収容されていたハンセン病患者に象徴されるように、事実上強いられた状況下で不妊手術や中絶が行われていたケースもある。さらに、優生保護法とその関連法では卵管や精管の結紮、切断しか認めていなかったにもかかわらず、月経中の介護負担の軽減を名目に、女性障害者に対して子宮摘出手術が行われてきたことも、忘れてはならない」(松原、171頁)。

人工妊娠中絶
 次に、人工妊娠中絶が許されるための条件についてはどうだったのか。日本では刑法第29章212条に「堕胎罪」が規定されていて、堕胎した者は懲役刑になる。つまり、中絶は刑事罰の対象なのである。ところが、法の成立によってある条件が満たされれば、中絶の違法性が問われず、犯罪とはみなされなくなったのである(森岡、139頁)。
 中絶できるための理由は、不妊手術と同じく優生に関わるものと、「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」、そして△21/22▽暴行や脅迫によって妊娠した場合である。

経済条項
 上記の内、「経済的理由」を含むものが「経済条項」と呼ばれ、1949年の改正時に付け加えられたものだが、この条項を拡大解釈することによって、どんな理由による中絶も実質的には可能になった。実際に、中絶の99.9%が経済的理由によっているという(森岡、139−140頁、なお1994年のデータによる)。
 「敗戦直後の日本は領土が縮小し経済も壊滅状態にあった。厳しい食料難と住宅難に加え、海外からの引き揚げと復員、ベビー・ブームは過剰人口問題を急浮上させた。また敗戦と占領にともなう強姦の問題も深刻で、中絶の規制緩和を求める声が高まっていった」(松原、184頁)。「妊娠した女性たちのなかには、闇の中絶を受けて、その結果、身体をこわしたり、死んだりする者も多かった。婦人運動家の加藤シヅエ議員は、安全な中絶を合法的に受けられるようにして、母親の健康を守らなければならないと訴えた。(中略)しかしながら、それと同時に、加藤シヅエの頭の中には、生まれてくる子どもは『優良な幼児』であるほうがいいし、それが日本の文化国家建設のためになるという考えがあった」(森岡、140−141頁)。「社会党員の衆議院議員3名(福田昌子、加藤シヅエ、太田典礼)によって1947年8月に第2回国会に提出された『優生保護法案』の目的は『母体の生命健康を保護し、且つ、不良な子孫の出生を防ぎ、以て文化国家建設に寄与すること』(第一条)とされた」(松原、184頁)。
 しかし、「1960年代に入ると、将来の日本の人口が減少するという予想が出るようになる。その際、中絶を野放しにしているおかげで、本来生まれるはずの人間の数が減っているのではないか。『経済的理由』による安易な中絶を禁止すれば、生まれてくる人間の数も少しは増えるのではないか。また、障害を持って生まれてくる人間については、逆にきっちりと中絶を行えば労働力の質も向上するのではないか。そういう思惑が、現れてきたのであった」(森岡、142頁)。

1970年以降
 こうした背景のもと、1970年には、国会で優生保護法改正をめぐる答弁が行われ、この動きに驚いた日本家族計画連盟などの団体が、反対運動を始める。誕生したばかりのウーマンリブの女性たちも、それに反応する。1970年が、第一次優生保護法改悪反対運動の幕開けとなった。1972年に、優生保護法改正案が国会に提出された。改正案のポイントは、第一に、中絶の対象から「経済的理由」を削除し「精神的理由」を加えること、第二に胎児の障害を中絶の理由として認める規定、いわゆる胎児条項を新たに設けること、第三に、優生保護相談所の業務として、初回分娩の適正年齢の指導項目を導入するであった(松原、211頁)。この改正案の意図を一言でいうと、経済的理由の削除によって安易な中絶をなくし、障害を理由とする中絶を認めることで、生まれてくる子どもの「生命の質」を向上さ△22/23▽せ、結婚した女性は若いうちに子どもを産んでしっかりと育てるようにさせるということである。これに対して、当時のウーマンリブの女性たちは大変な反発をした(森岡)。74年には一部改正案が衆議院を通過するが、参議院では会期切れで審議未了廃案となった。今回、80年以降の動きについては割愛した。下に挙げた文献を参照していただきたい。

参考文献

松原洋子、2001、「日本――戦後の優生保護法という名の断種法」→米本ほか、2001所収
森岡正博、2001、『生命学に何ができるか――脳死・フェミニズム・優生思想』、勁草書房
◇米本昌平・島次郎・松原洋子・市野川容孝、2001、『優生学と人間社会』、講談社現代新書

■優生関連の資料

【あ−03】『赤い六月 X』1973年6月10日(東京)
《今こそ優生保護法の解体を!》
【あ−04】『赤い六月 Y』1973年10月23日(東京)
《優生保護法改正案廃案ならず》
【あ−16】『あごらMINI 70号』1983年2月10日(東京)
p.6《速報 優生保護法改「正」案、国会上程は3月か》
【お−62】『おんなの反逆 9号』1974年4月15日(愛知)
p.2《胎児チェックは人体実験》
p.32《堕胎罪と性秩序の関係》
p.35《優生保護法改悪を阻止する会》
【お−63】『おんなの反逆 11号』1975年2月18日(愛知)
《特集 許せぬ胎児チェック》
【か−17】『あじゃら女 号外』年月日不明(大阪)
《優生保護法改悪案 廃案に!》
【か−18】『あじゃら女 合宿特集』1973年(大阪)
【か−19】『あじゃら女 4号』1974年11月号(大阪)
《反羊水チェック》
【か−20】『招請状(案)』1974年8月25日(大阪)
【く−21】『女に生まれちまった悲しみに今日も女が降り積もる』1972年10月14日(福岡)
【く−22】『生かされる「生」を拒否し自らの「生」を創る』1972年10月14日(福岡)
【く−23】『女も子も殺されてゆくゥ〜「優生保護法」改悪粉砕!』1972年10月15日(福岡)
【く−25】『紅館0号室からのたより』1973年6月15日(福岡)
△23/24▽
【く−26】『実行委ニュース』1973年6月(福岡)
【く−27】『優生保護法改悪阻止に向けて』1973年6月(福岡)
【く−28】『No.2 実行委ニュース』1973年6月6日(福岡)
【く−29】『優生保護法改悪という女にかけられた攻撃を許すな!』1973年6月(福岡)
【く−32】『優生保護法改悪案を絶対通すな!』1974年5月(福岡)
【せ−13】『8.25 不幸な子どもの生まれない運動糾弾!』年月日不明(大阪)
《優生保護法粉砕−全国集会 主催 全関西優生保護法改悪阻止委員会》
【せ−17】『それ一大事!優生保護法改悪を全力で阻止しよう!』年月日不明(大阪)
【ち−03】『中絶禁止法=優生保護法改悪粉砕に向けて!』1973年(鹿児島)
《資料編 一.優生保護法「改正」案のねらいは何か?!/二.そもそも優生保護法とは?!/三.汝おんなに告ぐるの章》
【ふ−01】『婦人通信24号』1973年10月20日(東京)
《優生保護法改悪阻止闘争をめぐる中間総括討論の発表のために》
【ふ−04】『婦人通信31号』1974年6月1日(東京)
【ほ−15】『優生保護法改悪を阻止するために』年月日不明(北海道)
【ゆ−02】『優生保護法「改正」?!』1983年3月10日(大阪)
【ゆ−04】『「障害者」差別を拡大助長する“あけぼの学園”アンケート拒否〜』1974年3月10日(大阪)
【ゆ−05】『「障害者」を抹殺し、女性をその抹殺へ加担させる「不幸な子ども〜」』年月日不明(大阪)
【ゆ−06】『8.25優生保護法粉砕全国集会への呼びかけ』年月日不明(大阪)
【ゆ−07】『「障害者」を抹殺し、「不幸な子どもの生まれない運動」糾弾!』年月日不明(大阪)
【ゆ−08】『抗議文』年月日不明(大阪)
【ゆ−09】『緊急なる状況について−基調にかえて』年月日不明(大阪)
【り−10】『ピルばっかりの本』1974年11月(東京)

 以上、優生関連資料を抜き出して並べてみた。ただし網羅的に取り上げたわけではないので、より詳しくは直接調べていただければ幸いである。
 以下では各資料の地域、年代、内容について述べる。

■地域

 地域別には、東京、愛知、大阪、福岡、鹿児島、北海道のものがあった。ここにある資料だけからでも、優生保護法に関連して全国規模の運動が展開されたことがわかる。

△24/25▽

■年代

 ほとんどが70年代前半の資料であるが、1972年、73年、74年、75年の資料の他、1983年の資料もある。

■内容

 ここでは、資料の内容(特に優生保護法「改正」の具体的にどういう部分に反対していたのか)について詳しく検討することはできないが、1つだけ、【あ−03】『赤い六月 X』から文章を引用する。集会のビラを基にした文章であるため、簡潔でわかりやすい点と、文字が薄くて判読が難しいので、ここに引用したほうが良いだろうと判断したためである。以下抜粋(誤字もそのまま記し、略字は常用漢字に改めた。判読できなかった文字(●部分)もあったので、正確には直接資料に当たっていただきたい)。

【あ−03】『赤い六月 X』1973年6月10日
《今こそ優生保護法解体を! 5月20日優生保護法改悪を阻止する第二回東京集会のビラより 松村幸子》
 「……現行法の改悪の真の意図は、優生は保護し優生でないものは抹殺してよしとする法の本質をより露骨に顕在化させ、貫徹させることによって、権力=資本に役立たない人間は殺し、労働力再生産の場である家庭を疑ったり否定したりする女には社会的制裁を加えようとするイデオロギー攻撃なのである」(1頁)。
 「また次代の労働力となるべき子供を生まない女や、母性愛的自己犠牲を拒否してまず自分を採り、その結果子を捨て、あるいは死に至らしめる母親の登上は円滑な労働力再生産を阻害し、社会の基底部である家秩序にゆさぶりをかけるものとして資本にとっての脅威である。
 GNP第二位にのし上った経済成長の陰には十人の出生に対し八人の中絶される子供がいるという事実(第6次出産力調整)は勤労婦人福祉法案に端的に現れているように、女が家庭も仕事も両立させて行く限りでは、社会的必要悪として黙認される。適正な年齢における初回分娩(母体が若くて健康なうちに早く生んで早く生み終えればそれだけ健康な子供が生れると、種々の科学的データを用いて女に信じこませ)で子供を一人か二人生み、育児に手がかからなくなれば今度は若年労働力不足を補う安価なパート労働者として狩り出され、不況になればたちまち家庭に帰えされる労働市場の安全弁として使われる。女は子供を生む時期や数●でも●●されているのだ。
 しかも未婚の女や、子供に拘束されたくない女が中絶すれば、それは、「性道徳の乱れ」や「女のエゴ」であるとして女個人だけを責め、安心して生み、育てられる社会とほど遠い状況――物価高、住宅難、公害、薬害、交通地獄――を作り出した側の責任を全く棚上げにし、中絶は子殺しだとわめきたてる。
 そして、それでもなおかつ中絶する女は、身体や精神を著しく害した女で普通の女と△25/26▽はちがう人間だということで処理しようとしている。秩序の枠からはみ出た女は切り捨てて闇にほうむり、平和と繁栄の国、日本の美徳である親子の情愛は失われていないという幻想にしがみつく。
 これが支配者のやることなのだ。我々は生む、生まないを選択するのは女の権利だと主張しようにも、まず目前に、生めない、育てられない現実が横たわっているから、権利論を持ち出すのをさけている、生む生まないの権利を言えば、選択をしたあとの一切の責任が個別の家庭=女におしかぶせられる。そこでは育児、避妊を女だけに押しつけるな、男性団の避妊を開発せよ、等の要求は社会に向けられる前に私事として個人が解決すべきこととされてしまう。
 だから、今我々が主張するのは、中絶は女の権利だ、ではなく、安心して生み、育てられる社会を作ろう、であり、人間の価値をますます労働力商品の価値にすりかえようとする社会への怒りなのである。
 人を支配し差別する社会においては、一切の被支配階級は全て劣勢な存在でしかありえないから、障害者に対して健全者=優生としている構造の虚偽性を打破し共に優生保護法解体を叫ばなければならない」(2頁)。

 以上、引用終わり。

 今回、資料整理に加わらせて頂いた私自身はリブの運動について全くと言ってよいほど知らなかったが、優生や生命再生産に関わる重要な論点について最近になって学者が述べていることを、当時運動のなかで既に提起していた女性たちの迫力に圧倒された。私的な領域とされる家庭を政治的な場として発見し、個人的なこととされる性生活や結婚・出産・育児を政治の問題として提起したことの重大さは、現在においても失われてはいない。

◎竹村 正人(たけむら・まさと)
立命館大学国際関係学部4回生

【注記】Web掲載にあたり、適宜、若干の表記上の修正ならびにリンク設定を行なった。[村上潔]

■関連/参考

◇栄井香代子 20070331 「資料の概略」,栄井香代子・竹村正人・村上潔『「平成18年度京都市男女共同参画講座受講生参考資料(女性解放運動関係)収集調査」報告書』,NPO法人京都人権啓発センター・ネットからすま,4-11(第1章)
荻野美穂 20140320 『女のからだ――フェミニズム以後』,岩波書店(岩波新書新赤版1476),248p. ISBN-10: 4004314763 ISBN-13: 978-4004314769 780+ [amazon][kinokuniya] ※ f03


*作成:村上 潔(MURAKAMI Kiyoshi)
UP: 20210311 REV:
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