昨年は2冊の本を出すことができた。1冊は既に紹介した『国際的障害者運動の誕生:障害者インターナショナル・DPI』という翻訳である。
もう1冊は今回紹介する『障害学を語る』である。これは98年度に東京都障害者福祉会館主催で開催された福祉講座「障害学へのお誘い」をもとにまとめたものである。
主催の東京都障害者福祉会館について一言触れたい。同会館は東京のみならず首都圏では、様々な障害関係の活動の拠点として、また他では入手できない貴重な図書資料によって大変、重要な役割を75年の開館以来果たしてきた。
会館が主催の福祉講座で当時は全く知られていなかった「障害学」を取り上げて頂いた勇気には深く感謝している。特に担当の稲葉博之職員には大変お世話になった。また、会館は障害学研究会関東部会としても研究会開催で定期的に利用している。
この会館が現在、都の直営から民営化移管への検討がなされている。利用者にとって使いやすい現在の態勢の継続、また、貴重な資料が破棄されたり、散逸することがないよう求めたい。「東京都障害者福祉会館の事業の切り捨てと廃館の動きに反対する署名」は以下のアドレスである。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMAOTOK/SHOUKAN/ONEGAI.HTM
障害学連続講座は、障害学という新たな取り組みへの会館の理解によって実現した。その障害学連続講座に基づいた倉本智明・長瀬修編著『障害学を語る』(発行:エンパワメント研究所QWK01077@nifty.ne.jp、発売:筒井書房、本体定価 2,000円、2000年11月27日)の構成は次の通りである。
第1章は長瀬が「障害、障害者を社会、文化という視点から考え直すと同時に社会、文化を障害、障害者という視点から考え直すこと」とひとまず定義し、障害学、ディスアビリティスタディーズの背景、国際的な展開、制度面への障害学の影響などから障害学の導入を行った。
第2章で石川准は「健常者が見ている者は健常者が捏造した障害者です。健常者は障害者とは出会っていないのです。そしてそのことに気がついていません。ひたすら無知なままです」*、とし、健常者に「自己のあり方を相対化し反省することを迫るような言説を紬だしていくことが障害学には求められている」としている。私を含め、健常者の側にこそ突きつける作用が障害学には求められている。
ちなみに前者(*)は既に本年2月刊の石井政之『迷いの体:ボディイメージのゆらぎと生きる』(三輪書店:石井のサイトはhttp://homepage2.nifty.com/masaishii/mayoinokarada.htm)に引用されている。
第3章は米国の障害学会(SDS)で会長も務めたアドリアン・アッシュである。ここで興味深いのは、これまで日本ではあまり紹介されてこなかったADA(障害のある米国人法)の一つの側面として、伝統的に共和党のものである「徹底的個人主義、カウボーイ的発想」に触れてあることである。「政府による介入」という伝統的民主党アプローチとは異なるADAの性格の指摘はSDS等ではよくされてきているが、あまり日本語では接する機会がなかった。
第4章はヴィク・フィンケルシュタインの論文の翻訳である。当初、来日予定があったが結局は実現しなかったため、代わりに論文を翻訳、掲載した。英国の障害学の創始者の一人であるフィンケルシュタインがインペアメントとディスアビリティの関係に触れ、障害種別を超えた「障害」の共通性を探っている。
第5章は英国のDPI(障害者インターナショナル)組織であり、初代会長はフィンケルシュタインが務めた英国障害者協議会(BCODP)のニック・ダナファーが、障害学に基づく社会モデルを柱とする英国の運動について述べている。なお英国の動きについては、障害差別禁止法(DDA)もあって、日本障害者協議会(http://www.jdnet.gr.jp/)が設立20周年事業として研修ツアーを企画するなど関心が盛り上がってきている。
第6章は倉本智明が障害者文化を支配文化からの影響と、身体との関わりの大小という2つの軸で4つに分類している。セクシャリティを例にあげて、「おちんちんがたたないことを前提にした文化もあるではないか」と問いかけ、社会モデルではとらえきれない身体的側面を射程にいれることが障害の文化の視点として重要だと指摘している。
第7章は1995年に日本でのろう文化の動きを明確にした「ろう文化宣言」を市田泰弘と共に出した木村晴美である。木村は、『ろう文化が「障害学」の枠でとらえられるのか、多少疑問に思っている。またこの『障害学を語る』に本稿が含まれることについても違和感をもっている』と率直に述べている。本稿また、昨年10月刊行のハーラン・レイン編/石村多門訳の『聾の経験:18世紀における手話の「発見」』(東京電機大学出版局)に特別掲載されている木村晴美・市田泰弘「ろう文化宣言以後」については、現在、明石書店で進行中の石川准・倉本智明・長瀬修編の『障害学への招待』続編で考えていきたい。
第8章で立岩真也は、自己決定とは「自分が自分のこと、自分の身の周りのこと、自分の身の周りにいる他者を自分の意のままに決定し動かす」ことではないとし、「私たちが生きていくことの何割かは、世界というか身の回りのものが自分が思うように動かせる対象じゃないものとして自分の外にあるということにあるような気がする」としている。『私的所有論』、昨年に刊行された『弱くある自由へ―自己決定・介護・生死の技術 』( http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/1.htm )と立岩が思索を究め続けているテーマである。
新たな取り組みとしての「障害学」と銘打った日本語の本はこれでやっと2冊目である。第8章のところで触れたが、年内には『障害学への招待』の続編を出して、さらに深めていきたい。
(敬称略)