米国の新しい大統領が決定したら書こうと思っていたが、今日現在(12月2日)まで待っても決まらないので、もう書いてしまう。明日の日曜日(12月3日)からは米国ハワイで開催される自立生活グローバルサミット会議(12月4日-6日)の通訳者として出張が入っているためでもある。
10月17、18日に米国の首都ワシントンで開催された「障害学会議:グローバルな視点」に出席した。米国を中心とする障害学の大きな集会である障害学会(SDS: http://www.uic.edu/orgs/sds/)年次総会には96年のワシントン、97年のミネアポリス、98年のオークランドと3年続けて出席していたが、ここ2年は様々な事情で参加できなかった。そこで、その埋め合わせという意味もあり、この会議には3泊5日で出かけたのである。
主催は国立障害・リハビリテーション研究所(National Institute on Disabilityand Rehabilitation Research: http://www.ed.gov/offices/OSERS/NIDRR/)、略称でNIDRRと呼ばれている。NIDRRは障害学にも積極的な支援を行っていて、96年にワシントンで開催された際には、出席者の旅費の8割補助を行い、私は飛行機代を日本から払ったので、大変助かった記憶がある。NIDRRは教育省に属しているため、自立生活運動の高名なリーダー、ジュディ・ヒューマン教育省次官の指揮下にある。
会議はまさに大統領選挙の最終盤に行われていたために、主催者を代表して挨拶したキャサリン・シールマンNIDRR所長は冗談混じりで「どうしてこんな時期にと思われるかもしれませんが、来年では私はこのポストにいるかどうか分かりませんから」と語っていた。
米国ではご承知のように、閣僚以外の行政ポストも政治的任命と呼ばれる形で、民主党政権では民主党支持、民主党系の人材が多く政府の要職に就く。在野の活動家だったヒューマン次官はその例だし、何度も来日しているマイケル・ウィンター運輸省特別補佐官も同様である。共和党政権となれば、彼らはワシントンを去ることになる。会議は、ちょうど3回目のゴア対ブッシュのテレビ討論と重なり、泊めてもらったマイケル・ウィンター/桑名敦子夫妻宅で、見ることができた。選挙結果は当然ながら、ヒューマン次官にも、夫妻にも大きな影響を与える。(ハワイでの自立生活サミットにはヒューマン次官も基調講演のために出席を予定している。)
今回の会議がワシントンで開催されたこと、SDSの年次総会が3年に1度はワシントンで開催されているのは米国の障害学が政府の政策との関連を強く意識している証拠でもある。ワシントンで開催することで、連邦政府関係者の参加も得やすい。そうした絆は、ワシントン以外での開催のSDS年次総会でも活かされている。6月にシカゴで開催された今年のSDS年次総会には、交通のアクセス関係の分科会にウィンター補佐官も出席しているのがその1例である。
会議の概要は次の通り。参加者は米国を含め北米、中南米、アジア太平洋、欧州、アフリカから全部で一四ヶ国の約二七〇名。当然ながら、圧倒的に米国人参加者が多いが、英国グリニッチ大学のマイケル・オリバー教授*など英国からも障害学の有力な研究者が顔を出していた。英国と米国の障害学は理論的アプローチなどの違いから応酬が "Disability & Society"誌上やSDSの年次総会で時折あるが、今回の会議では、さほど見られなかった。
セッションは以下の5つ。
1、障害学という新しい分野私が最も注目したのは、ヒューマン次官が進行役をダイナミックに務めた第4セッションだった。これにはジンバブエから参加した障害者インターナショナル(DPI: http://www.dpi.org/)議長のジョシュア・マリンガ議長他、チリ、ブラジル、レバノンからのパネリストが、顔を揃えた。マリンガ議長は、アフリカとの協力においてはまず、我々障害者自身の組織と協議、協力してほしいと述べ、帝国主義的協力ならば不要であると述べた。また、ヘンリー・エンズ元DPI議長が現在リーダーシップを取っているカナダのマニトバ大学のカナダ障害学センター(http://www.escape.ca/~ccds/)との協力のもと、ジンバブエの大学がアジアの途上地域との協力も進める予定を語り、アフリカなどの途上地域での障害学の取り組みが始まるというエキサイティングな動きも報告された。
障害学と運動、政治との関係を再確認すると共に、障害学の途上国はじめ世界的な展開を感じさせてくれた会議だった。会議の模様はオンライン(http://www.connectlive.com/events/disabilitystudies/ )で提供されている。関心のある方はアクセスを。