再来年の2002年には国連「アジア太平洋障害者の10年」が終わりを告げる。次は「アクセスの10年」としての実質的継続が提案されるようだが、いずれにしても一つの区切りである。
同じく2002年には国連の「障害者の機会均等化に関する基準規則」の推進に努めているベンクト・リンドクビスト特別報告者の2年間の任期が終了する。機会均等基準とも密接に関係し、本連載NO.3/4月号で紹介した障害者の権利条約提案は、今年の国連総会第3委員会の審議では、とりわけアイルランド、中国、南アフリカが積極的に支持を表明したものの、具体的な形とはなっていない。そのために、3月の北京宣言にのっとった権利条約を実現させる取り組みはさらに来年以降に続くことが確実となった。
そうした国際的動きの大きな節目となる2002年に障害者インターナショナル(DPI)の世界会議が日本で初めて、札幌で開かれる。日本で開かれる障害者の国際会議としては1991年の世界ろう者会議に次ぐものとなる。札幌でのDPI世界会議は2002年というタイミングもあり、重要な意義を持つこととなった。(札幌大会組織委員会のアドレスはhttp://www.dpi-sapporo.org/)
DPIは1981年にシンガポールで結成された障害者の国際組織である。昨年5月時点の数字では124ヶ国に加盟国を持つ。「我ら自身の声」をモットーにして、障害種別を越えた障害者組織を目指してきた。世界評議員などの役員構成や、各国の構成組織は肢体不自由者が主力となっている。
そのDPIの歴史を描いた本の翻訳を出した。『国際的障害者運動の誕生:障害者インターナショナル・DPI』(エンパワメント研究所 qwk01077@nifty.ne.jp・2000円+税)である。著者のダイアン・ドリージャーはカナダ人で、DPIの成立期にまさに現場に立ち会っている。DPIが成立した81年から88年までの歴史を現場での経験と、社会理論という二つの視点で記述、分析している。原著の "The Last Civil Rights Movement"(1989, Hurst & Company, London)はDPIに触れる際に論文でもしばしば引用されている。
肢体不自由者は盲人やろう者とは異なり、自らの国内、国際組織を持ってこなかった。ろう者の世界組織は1951年に世界ろう連盟が成立している。盲人の場合は、1964年に国際盲人連盟が成立し、84年に盲人福祉関係者の組織である世界盲人福祉協議会と合体し、世界盲人連合となった。
肢体不自由者は、リハビリテーション専門家の国際組織である国際リハビリテーション協会(RI)の会員という形が続き、70年代に入ってからは、RI内での障害者の発言権強化を求める動きがあった。しかし、81年の国際障害者年を目前とした80年にカナダのウィニペグで開催されたRI第16回世界会議の際に、「RI内での各国代表団の半分を障害者とする」ようスウェーデン代表団が提案したのが、否決されたのである。それに怒った障害者が独自の組織を結成する決定を下し、翌81年にシンガポールでDPI設立総会を成功させた。
日本はシンガポール大会に多くの参加者を送り込んだ他、DPIの基盤がまだまだ弱かった82年に、当時の八代英太アジア太平洋ブロック議長の尽力で東京、広島で役員会議である世界評議会の開催を引き受けるなど、貴重な貢献を行っている。またその際に広島を訪れた世界評議員は平和を呼びかける「平和ステートメント」が発表されている(同書に掲載)。
2002年には20年ぶりにDPIの世界レベルの会議が日本に戻ってくる。札幌、北海道といった地域レベル、日本という国レベル、アジア太平洋という地域ブロックレベル、そして世界レベルそれぞれでの課題に取り組む好機である。
そして、大切なのは、様々なレベルでの運動が結局はバラバラではないことを理解することである。本書でも描かれているのは、日本国内を含め、それぞれの取り組みがDPIという大きな流れに連なっていったダイナミックな動きである。
中西由起子さん(『障害者の社会開発』/翻訳 コールリッジ著)からは「はじめに:障害者インターナショナルの設立とアジア障害者運動の萌芽」を巻頭に頂き、アジア太平洋に関する動きを補足して頂いた。
2002年という節目を前にした重要な時期に、一時は出版を諦めた本書が日本語で読んでもらえることになったのは本当に嬉しい。一読を頂ければ誠に幸いである。