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「盲ろう者の世界」

長瀬 修 200009 『障害・障害学の散歩道』No.8(2000年9月号)

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last update: 20200513


■盲ろう者の世界

これが、今年の夏のハイライト、いやもしかすると今年を通してのハイライトと言ってもいいかもしれない。8月中旬から約2週間、金沢大学教員の福島智さんの訪米に同行する機会に恵まれた。福島さんの訪米目的は、盲ろう児の教育に関する調査である。私の主な役割は、音声での日本語と英語の通訳である。音声通訳者は途中まで他にもう1名同行した。(通常、通訳者は自らの業務内容について明らかにすることはないが、今回は依頼主の福島さんからの許可を得て、特別にここに記述している)

福島さんは盲ろう者である。9歳で失明し、18歳で失聴した福島さんは発話はできる。しかし、音声情報は伝わらないので、指点字という方法で情報を受け取る。「指点字」とは、盲人が使う点字は6点を用いるが、その点を左右の指3本それぞれに割り振り、点字を打つように盲ろう者の手に軽く触れる方法である。

指点字の利点は、福島さんのように最初は盲になり、点字になじんだ後にろうとなった人とリアルタイムでコミュニケーションができることである。この方法は、失聴した後の福島さんと会話するために、福島さんのお母さんが1981年に世界で初めて発見した方法である。盲ろう者のコミュニケーションは他に、手書き文字や、手話ができる盲ろう者の「手話の触読」がある。

今回の旅行には、指点字の通訳者が1名、同行した。したがって、英語の口頭での発言はまず、音声通訳者が日本語に通訳し、それを指点字通訳者が指点字で福島さんに伝えた。福島さん自身の日本語での発話は、音声通訳者が英語に通訳した。

第1の訪問先はデラウェア州に住むクリスタ・カウディルさんだった。そのクリスタさんも2歳以前に盲ろうとなった。現在は20台半ばで、デラウェア州立大学で数学を学んでいる。クリスタさんは多くの盲ろう者と同じで、手話を使って話し、相手の話=手話は触って理解する。福島さんとは直接、英語の指点字等で会話をする。こみ入った話になると、英語とアメリカ手話(ASL)の通訳者か、母親のバーバラさんの通訳を介することになる。点字のピンディスプレーを駆使し、お二人で直接、メールのチャットのように英語の点字で話している姿を見ると、インターネットの世界を誰もが、そして視覚障害の人に使えるようにすることの意義を痛感させられる。

第2の訪問先はニューヨークのロングアイランドにある「国立ヘレンケラー盲ろう青少年・成人センター」だった。1967年に連邦議会の決議で設立された同センターは、盲ろう者に職業訓練や自立生活訓練を提供している。全寮制で職場実習をセンターから通える範囲で行い、必要に応じてジョブコーチがつく。研修後は主に自分の地域に戻って就職活動を行う。ここでは各セクションから説明を聞くほか、インドから来ていて、現在は職員をしているバピンさんという盲ろう者に主に話をうかがった。

バピンさんがキーボードを使って英語のメッセージをスクリーン上に打ち出し、それを私が日本語に音声で通訳し、今度は指点字通訳者が福島さんに伝える。福島さんの発話(日本語)は私が英語にして、キーボードで打ち込み、バピンさんは点字のピンディスプレーで触って読むという方法を使った。

先天ろうであるバピンさんは小学校の頃に視力もなくして盲ろうとなり、失意のうちに4年間の在宅生活を余儀なくされる。しかしたまたまパーキンス盲学校(アニー・サリバンの母校であり、ヘレン・ケラーも学んだことがある)で研修を受けたことのあるカルカッタの盲学校の校長から同校を紹介され、奨学金を得て13歳で渡米し、同校で学んだという。バピンさんのウェブサイトは英文で、http://members.nbci.com/dinahsdad/ 。余談だが、インタビューを終えた後で、日本料理屋でみんなで寿司をつまんだが、足元に盲導犬を休ませたバピンさんの食べっぷりは本当に良かった。

私自身が盲ろうの人とある程度の時間を過ごすのは全く初めてだった。行きの機内で、福島さんの隣に座り、送ってもらってあった指点字の表と首っ引きで福島さんの手に点字を打ってみる。目が五十音表をかけめぐって必死で打つのだが、点字も頭に入っていない私の指点字はポツポツと本当の亀の歩みだ。しかし、指点字もしくは手話の指文字、手書き文字で話しをしない限り、福島さんは物理的に隣に座っていても、はるかかなたの別世界にいる。

前回記したヘレン・ケラーは生後19ヶ月で視力、聴力を失っている。アニー・サリバンの指導で言語を取り戻していく姿は62年のアーサー・ペン監督の映画『奇跡の人』で描かれていて有名だ。しかし、ヘレン・ケラーの場合でも、その19ヶ月までの間に音声言語に接していたという経験があったからこそ、有名な井戸のシーンに象徴される実体としての「水」と指文字の”WATER”の関係の理解も可能だったのである。

そう考えると本当に幼い時から盲ろうのこどもの場合、言葉を獲得することがいかに難しいことかに思いいたる。そして、ヘレン・ケラーのように自由に言葉を操り、本を書き、講演旅行を世界中で行うことができるようになったことは、やはり「奇跡」と呼ぶにふさわしいことだった。「奇跡を起こした人」として知られるアニー・サリバンとの出会いがなければ、この「奇跡」は起こらなかったにちがいない。

この夏は通訳者という仕事を通して、盲ろう者という独自の世界、そして盲ろう者の文化に接することができたのが嬉しい収穫である。


参考文献




*作成:安田 智博
UP: 202000512 REV: 20200513
障害学(Disability Studies)  ◇全文掲載  ◇全文掲載・2000
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